▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『一流の舞台は、嘘と希望が渦巻いている』
la1158

 ――舞台初日。
 中規模劇場『シアター・モルドール』は満員御礼となった。
 少々手狭な劇場ではあるものの、立ち見も現れる盛況となった。
 それは高名な演出家――赤山勇二郎が主宰する劇団『宵月』の新作公演である事が大きい。

 楽屋の中で侃(la1158)は、舞台衣装に身を包んで開演の時間を待つ。
 今回の演目である『白狼』は、幕末期の江戸で治安維持の任についていた彰義隊が戊辰戦争で消滅するまでのストーリーだ。侃が演じる主人公の榊孝二郎が彰義隊士として入隊し、様々な出会いと別れを経験して成長していく事も見所だ。
「ちょっといいか」
 楽屋にいる出演者へ声をかける赤山。
 開演前に演者へ伝えたい事でもあるのだろうか。
「舞台てぇのは、変化し続ける事ができる。言い換えれば舞台の成功は演じるお前達次第だ。」
 公演初日となった段階で、赤山の仕事はすべて終わっている。
 舞台の上では演出家として何もできないからだ。
「スナオ」
 出演に向けて動き出す役者達を掻き分けて、赤山は侃を呼び止める。
「何でしょう?」
「……頼むぞ」
 赤山は、ただ一言そう呟いた。
 これ以上の言葉は必要ない。主演は舞台に関わる者すべてを背負う責任がある。ここまでくれば舞台の成否は侃にかかっている。
 渡されたバトンに対し、侃は一言だけ返す。
 そこには、舞台に向かって鋭い視線を向ける榊孝二郎の顔があった。
「はい」


 1868年4月、江戸城無血開城。
 この歴史的転換期に榊孝二郎は、彰義隊の門戸を叩いた。
 将軍徳川慶喜が水戸へ退去し、寛永寺に留め置かれた彰義隊に入隊希望する若者。それは彰義隊幹部の中でも特異な存在として見られていた。
「聞いておこう。何故、入隊を希望した?」
 幹部である天野八郎は、対面した孝二郎へそう問いかけた。
 江戸城が薩長へ引き渡された時点で幕府の威信は揺らいでいる。そうなればこの彰義隊の存在意義から問題視される。いや、それ以上に薩長がここで黙っているとも思えない。幕府滅亡を旗印に掲げる薩長は、必ず何か仕掛けてくるはずだ。
「何故とは?」
「鳥羽伏見で始まった戦争は、江戸城を明け渡しただけでは止まらん。大きな戦は続くだろう。その最中に……」
「それです」
 八郎が話している最中、孝二郎は遮るように断言する。
 一瞬、言葉に詰まる八郎。
「どういう事だ?」
「自分は、いつの時代であろうとも日々を生き抜く江戸の人々が好きなのです。彼らの笑顔を守らなければならないのは、まさに今。剣を学んできたのも、すべてはこの為だと思っております」
 孝二郎は、剣を幕府ではなく江戸の民の為に振るうという。
 それは将軍から命を受け彰義隊としてはあるまじき態度かもしれない。だが、街は民がいなければ成り立たない。江戸の治安維持を任とする彰義隊ならば、孝二郎が剣を取る意義がある。
 八郎は孝二郎の目を見据える。
(この先、彰義隊が、自分自身がどうなるかも分からないというのに。……覚悟は決まっているか)
 もう何を言っても聞かない。
 八郎は、あって間もないはずの孝二郎の性格に触れた気がしていた。
「いいだろう。入隊を認める」
「ありがとうございます」
「一つ、言っておく事がある」
 八郎は懐から煙管を取り出すと、そっと火を灯す。
 吐き出した煙が天井に向かって立ち上っていく。
「何が大切な物か。その判断を常に行え。決して、後悔しないようにな」


 1868年7月4日、未明。
 寛永寺一帯を包囲した新政府軍は、討伐の命が下った彰義隊へ攻撃を開始した。指揮を執るのは大村益次郎は、雨中総攻撃を開始。一時は上野山王台からの砲撃と彰義隊の抵抗で新政府軍を撃退していたが、正午になってから新政府軍はアームストロング砲による長距離砲撃を開始。激しい砲弾の雨に彰義隊隊士達は、次々と倒れていく。
「天野さん、敵は一帯を完全包囲しながら接近中です」
 駆け込んでくる孝二郎。
 寛永寺には負傷した隊士達で溢れかえっている。敵に到達する前に鉄砲隊の銃撃やアームストロング砲の砲弾が飛来。如何に剣の腕が確かでも近づく事さえできないのであれば、一方的な虐殺に過ぎない。新政府軍は、彰義隊を上野の地で絶やすつもりなのだろう。「…………」
「天野さん!」
 いつも冷静な孝二郎は、珍しく八郎の名前を強く呼んだ。
 沈黙を守る理由は、その脳裏で何かを思案しているから。それは孝二郎でも分かる。だが、今日の八郎は何かが違う。まるで、何か大事を成す為に覚悟を決めているかのように見える。
 その大事は、孝二郎にとって受け入れがたい何かのような気がして――。
「善一郎、決死隊を編成しろ。敵に攻撃を仕掛ける」
「はっ」
「天野さん、その決死隊には自分も……」
「ダメだ」
 八郎ははっきりと答えた。
 決死隊という事は、敵の包囲網を突破する為に仕掛ける。それは文字通り命を賭けた突撃だ。己は屍になろうとも、その名誉は彰義隊と共にある。それを胸に決死隊は最期の戦いに挑む。
 だが、八郎は孝二郎を決死隊に入れないと言い出した。
「どうしてです? 今、ここで戦わなければ、どこで戦うというのですか?」
「……この決死隊はな。孝二郎、お前を逃がす為に編成する」
 息を飲む孝二郎。
 何故? どうして?
 隊士達は皆、この上野の山で散ろうとている。だが、そこに自分がいてはならないという。自分だって彰義隊だ。最期の最期まで戦う覚悟は決めている。死ぬならば、剣を手に倒れる覚悟だ。
 しかし、八郎はそれを許さない。
「自分だって、彰義隊です。ここで死ぬ事があっても、自分は……」
「じゃあ、誰が江戸の民を守るというのだ!」
 一喝。
 周囲に響き渡る八郎の声。
 砲弾の音だけが激しく響き渡る。
「孝二郎、言ったはずだ。『何が大切な物か。その判断を常に行え』、と。
 お前は何故彰義隊に入った? 彰義隊士として死ぬ為か? 違うだろう。お前の剣で江戸の民を守る為だったはずだ」
 孝二郎は思い出した。
 ここで死ぬ為に彰義隊に入ったのではない。学んできた剣で江戸の民を守る為に入ったのだ。短い期間ではあったが彰義隊士として過ごした日々。愛着も生まれ、家族のように隊士達を思っていた。
 だが、孝二郎の本懐は別の所にある。
「天野さん……」
「案じるな。多くの隊士が上野で倒れても、お前が生きていれば彰義隊は終わっていない。江戸市中治安維持の任は、お前にすべて託そう」
 八郎は、孝二郎の手に肩を置く。
 その暖かい手の温もりを、孝二郎は今も忘れていない。

 『何が大切な物か。その判断を常に行え。決して、後悔しないように』

 孝二郎は、前を向く。振り返らずに歩き続ける。
 最期の彰義隊士として――。


 初日は大盛況に終わった。
 だが、公演は終わらない。千秋楽まで侃は、榊孝二郎を演じる。その時まで気を抜く事はできないだろう。
「ここにいたか」
 観客席で一人佇む侃に、赤山が声をかける。
「赤山さん」
「ナイトメアと戦うお前にとって、この舞台がどう映るか。それは俺には分からない。
 だが、一つ言っておきたくてな」
 赤山は侃の隣の座席に腰掛ける。
 そして、一呼吸置いてから話し出した。
「舞台ってぇのは、生きて行く為に必ず必要なもんじゃねぇ。無くたって生きてはいける。けどな、人間が最期に縋るもんは『嘘』なんだよ」
「嘘?」
「誰かが作った嘘だ。現実は厳しい。良い話なんて転がっているもんじゃねぇ。だから、嘘を吐いてでも自分を奮い立たせる話を欲しがるんだ。だから、俺達は舞台を続ける。ぶっ倒れる瞬間までな」
 ナイトメアの侵攻は今も厳しい。
 そんな過酷な日々の中、人々が求める物。赤山はそれが嘘、つまり舞台だというのだ。それが正しいのか侃には分からない。ただ、赤山も赤山なりに人の心に寄り添う舞台を演出し続けるのだろう。
「そう、かもしれません」
 疲労困憊の中、侃は少しだけ笑顔を見せた。


おまかせノベル -
近藤豊 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年04月30日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.