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『夢の続きはお皿の上』
珠興 若葉la3805

 春の陽気は、ぽかぽかとしていて気持ちが良い。
 今日は、ケーキを作る予定だ。材料はすでに買ってある。そろそろ起きなくては。
 そう思うものの、瞼が重い。まどろみは、皆月 若葉(la3805)をまだしばらく離してくれそうになかった。

 ぱちり、と瞼を開く。結局、あれからしばらく眠ってしまったようだ。
 いったいどれくらい寝てしまったのだろう、と時計を確認しようと顔を上げた瞬間、若葉は違和感に気付く。
 たしかにここは、自分の家のはずだ。置かれているペアのマグカップも飾られている写真も、愛しい人と一緒に買ったクッションや家具も見慣れたものに間違いない。
 けれど、何故かいつもよりも、それら全てが大きく感じる。
 寝ぼけているのだろうか。などと考えながら、伸びをした瞬間、不意に目の前に何かがにゅっと顔を出した。
 よく知っている顔だ。彼が家族の一員として可愛がっている、野良猫である。
 いつもの若葉ならすぐにその名前を呼んで、こっちにおいでと手招きをした事だろう。
 しかし、若葉の感じた違和感は家だけでなく猫にまで及んでいた。
 ……おかしい。絶対におかしい。だって、その猫は、何故か若葉と同じくらいのサイズなのだから。
「えっ!? なんで、君、そんな急成長しちゃったの?」
 思わず若葉があげた声は、どうしてか上手く言葉にはならなかった。
 代わりとばかりに、彼の口から飛び出たのは「――にゃあ!?」という鳴き声。
 自分の声に驚ききょとんと目をまんまるにした若葉の事を、眼前の猫もまた不思議そうな様子で見つめ返してきている。
 恐る恐る、若葉は自分の身体を見下ろした。
 猫とよく似た、もこもこした温かくて柔らかそうな毛が目に入る。
 いや、よく似た、というより猫だ。これは間違いなく、猫の毛だ。
 陽気の心地よい春のとある日。どういう事か、皆月 若葉は猫になってしまっていた。

 ◆

 ぷにぷに、と若葉は自分の右手で左手に触る。肉球の感触だ。猫だ。紛う事なく猫である。何の言い逃れも出来なかった。動物好きの婚約者が見たら、目を輝かせてくれるかもしれない。
 突然の異常事態にしばらく呆然としていたが、「にゃあ」と鳴いていつものようにすり寄ってきた愛猫の温もりに若葉はハッと我に返る。
 慌てて常に身につけているはずの婚約指輪を探し、ペンダントとしてしっかりと首にかかっている事を確認してホッと安堵の息を吐いた。
「それにしても、どういう事なのかな? 何か知ってる?」
 にゃあにゃあと困惑する彼の様子を見かねてか、愛猫はこっちについてこいとばかりに歩き始める。いつもよりも大きく感じる猫の背を、若葉は慌てて追うのであった。

 高い塀の上を駆け抜け、狭い路地裏を通る。猫として歩く世界は、何もかも違っていた。
 どうやら猫は、若葉をどこかへと案内したいらしい。
 ふと、急に猫は立ち止まった。「にゃあ」と声がする。別の猫の鳴き声だ。
 何と言っているのかは、若葉には分からない。けれど、不思議とその声は自分の事を呼んでいるような気がして、彼は足を止める。
 声のした方を見ると、木の上から一匹の子猫が若葉達の事を見下ろしていた。愛猫の野良猫仲間だろうか?
「あれ? 君って……」
 その子猫の特徴的な模様には、見覚えがあった。先日、この木から降りられなくなっているところを若葉が助けた事があったのだ。
「わぁ、君、そんなに高い木にのぼれるようになったの? がんばったね!」
 以前木の上から降りられなくなっていたのが嘘のように、猫は堂々とした面持ちで前よりも高い枝の上に佇んでいる。自分の成長を、若葉に見せたかったのだろうか。
 子猫が、まるで若葉を呼ぶようにもう一度鳴いた。どうやら、上までのぼってきてほしいらしい。
 のぼれるか不安だったが、もともとスポーツは得意な方だ。手本を見せてくれるように先にのぼった愛猫を真似しながら、若葉も木の上まで辿り着く。
 そして、そこに広がっていた光景に、思わず息を呑んだ。
「すごい。街を夕焼けが包んでいるみたいだ……」
 時刻はちょうど夕刻。すっかり夕焼け色に染まった街を、この木の上から一望出来た。
 瞳を輝かせ街を見下ろしながら、若葉は思う。もしかしたら、子猫はこの景色を自分に見せたかったのかもしれない。
「あの日のお礼って事かな? そんなの気にしなくていいのに……でも、綺麗だよ。ありがとう!」
 この景色を見せてもらえて、よかった。だからこそ、今隣に婚約者がいない事を若葉は惜しく思う。彼にも、この夕日を見せてあげたかった。
 最初は困惑したものの、猫の視点で見る世界は新鮮で楽しいものであった。だが、自分はやはり四つ足で歩くよりも、婚約者と揃いの二本の足で相手と同じペースで歩いて行きたい。
 美しい景色を見に行くのも、危険な場所を通るのも。自分の一歩に合わせて、婚約者の踏み出した一歩が隣にあってほしい、と、そう改めて若葉は思うのだ。
「だから、俺、そろそろ帰るよ。今日はありがとう」
 若葉の声に、「にゃあ」と子猫は返す。何と言っているのかは相変わらず分からなかったが、なんとなく自分を応援してくれているような気がした。
 ふと、木の下を見下ろした若葉は、見知った後ろ姿を捉える。視線に気付いたのか、足を止め振り返った愛しい人と目が合った。
 思わず、若葉はその身を宙へと踊らせる。すぐに若葉の正体に気付いた相手が広げた腕の中へと向かって、迷う事なく彼は飛び降りる。
 その胸に飛び込んだ瞬間、若葉の大好きな安心出来る香りが鼻をくすぐった。
 その香りに誘われるように――若葉は、目を覚ますのだった。

 ◆

 ぱちり、と瞼を開く。まず目に入ってきたのは、自分のすぐ横にいた家族の一員である猫だった。靴下を履いているように白い足先と、同じように先っぽが白く染まっている尻尾を丸めて、気持ちよさそうに眠っている。
 起こさないように気をつけながら、体を起こした若葉の上から毛布がずり落ちた。婚約者がかけてくれたものだろう。
 春の陽気に誘われて、どうやら若葉はいつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい。なんだか、不思議な夢を見ていたような気がする。
 キッチンからは、若葉を優しく揺り起こしてくれたコーヒーの香りが漂ってきていた。
「おはよう。毛布、ありがとう!」
 婚約者へと声をかけながら、若葉は先程見た夢について考える。
 ……あの夢がただの夢だったのか、あの子猫が不思議な力で見せてくれたものなのかは分からない。けれど、あのオレンジに輝く美しい夕焼けの事は、しばらく忘れられそうになかった。
「そうだ、ケーキの材料買ってあるんだ。一緒に作ろうよ!」
 ちょうど、果物のオレンジを買ってあった事を若葉は思い出す。輪切りにしたオレンジを夕日に見立ててケーキの上にのせるのも良いかもしれない、なんて考えながら、彼は楽しげに微笑み愛しい人の隣へと向かうのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました。ライターのしまだです。
この度はおまかせノベルという貴重な機会をいただけて、光栄です。
野良猫を可愛がってらっしゃるとのことでしたので、猫に関する物語にしたいと思いこのようなお話を綴らせていただきました。
少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。何か不備等ございましたら、お手数ですがご連絡くださいませ。
それでは、このたびはご依頼誠にありがとうございました! またいつか機会がございましたら、その時は是非よろしくお願いいたします。
おまかせノベル -
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グロリアスドライヴ
2020年05月07日

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