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『使う者は使われる者』
剱・獅子吼8915)&空月・王魔(8916)

 空月・王魔(8916)はその右手に手袋を装着した。和弓用の弓掛でも洋弓用のシューティンググローブでもない、薄手のゴム手袋である。
 それで絨毯をこすってやれば……掃除機では取り切れない細毛が簡単に取れる。彼女自身の銀髪、彼女の雇い主であり家主である剱・獅子吼(8915)の金髪、どちらもまとめて仕留めてやった。
 うむ、完璧だ。
 満足気にうなずいて、王魔が次の作業へ移ろうとしたとき。
 連絡用にもたされたスマホが獅子吼からの着信を告げ。
『家事の喜びを満喫中に邪魔してすまないけどね、新しいオフィスに来てくれないか? 仕事の話があるから』
「5分で行く。家事に喜びなど欠片もないからな」
 平らかに応えた王魔にくつくつ喉を鳴らし、獅子吼は言い添えた。
『いっそ養子縁組して娘という名の家事手伝いになるかい?』
「2分で行く。首を洗っておけ」

 ワイヤーソーを用意して、獅子吼が“新しいオフィス”と称する喫煙可能な個人経営の喫茶店へ駆けつけた王魔だったが……依頼主の顔を見て、さすがに抜き出すのをやめた。それはもう上品な老婆だったからだ。
「まずはお話を伺いましょう」
 にやにやとドライシガーを吹かす獅子吼の横に座し、老婆に促す。
「繰り返していただくのは申し訳ない。私から説明しよう」
 シャツの襟をわざわざ大きく開けてみせながら、獅子吼は自らの言葉を継いだ。
「怪異退治のご依頼だ。ただし、仕末すればいいだけじゃない。その上で、捕まっている彼女の大切な家族を取り戻す」
 人質つきの戦闘依頼ということか。だとすれば、怪異とはいえ触れる類の輩だ。相手が霊体なり精神体であるなら、餌をキープしておく必要はない。
「そこでだ、キミには斥候と支援を頼みたい」
「どちらもおまえには不可能だからな」
 さらりと嫌味を返した王魔へ獅子吼はしたり顔を向けて。
「囮と攪乱はできるけどね。まあ、ご覧の通りに手数が足りていないから」
 喪われた左腕を指した。
 王魔は鼻で嗤ってみせる。獅子吼の手数が足りていない? その隻腕に顕現するものは、有事に限り腕などとは比べものにならぬほど役立つ代物だろうに。
 が、それを口にするのは野暮というもの。王魔は表情を引き締め、短く問うた。
「敵と数は?」
「ご婦人が確認したところでは大蜘蛛が1体と、小蜘蛛がいっぱい」
 1体といっぱいで韻を踏んできた。しかし指摘はしてやらないと決め、王魔は立ち上がる。
「いつ始める?」
 と、獅子吼もまた立ち上がっていて。
「今からさ」
 獅子吼はとにかく面倒な女だが、こういうときには話が早い。話すらいらないほどに。


 うちの家事手伝い、話は早いが素直になるまでに時間がかかるのは難だな。
 獅子吼はやれやれ、日本庭園へ続く門をくぐった。
 その途端。空気が甲高く鳴り、庭がそのままの形を保ったまま引き伸ばされていく。
「空間の歪みを拡げられた感じかな?」
 広大な庭の果てにある家屋を見やってため息をつく獅子吼へ、王魔は通信機越しに告げてきた。
『大蜘蛛に乗っ取られかけているんだろう? 完遂される前に大蜘蛛を殺せ』
 王魔の平らかな声音に獅子吼は苦笑し。
「キミの声が聞こえる内に終わらせたいところだね」
『聞かせるつもりもないがな。……で、おまえの予定は?』
 それまでとまるで変わらない音で問う王魔。
 同じように変わる様子もなく、獅子吼は傾げた笑みを含めて応えた。
「それはもう、玄関から入って奥へ行くだけだよ」
『私は庭を散策してから合流する。それまで適当にやっておけ』
 特にそれらしいことは語らないながら、ふたりは互いの動きの確認を済ませていた。
 獅子吼はまっすぐ敵のボスである大蜘蛛へ向かう。
 王魔は庭から回り込んで支援する。
 信頼しているかはとにかく、互いに互いの力を信用していればこそ、自分の仕事以外は相手に投げられるのだ。
「ま、こなしているっていうトレーニングの成果を見せてもらおうかな」
 ――獅子吼に限っては、少しでも自分が楽できるよう付け加えつつ。

 通信を切った王魔は、話しながら射据えた小蜘蛛を玉砂利ごと蹴り退けて足場を作り、土に踵を躙る。
 この庭園は石庭というものらしいが、木が植わっていないため身を隠す場所に乏しい。射手としては相当に厳しい戦場と言えよう。
「スイーパーとしてはわかりやすい戦場ではあるが」
 家屋の外壁にびっしり貼りついた小蜘蛛が、一斉にこちらへ視線を向けた。
 空間の歪みは相当に酷い。獅子吼が大蜘蛛へ行き着くにはそれなりの時間がかかるはず。それも、あの小蜘蛛どもの邪魔が入らなければの話だ。
「見せてやるには遠いが、せめて音に聞け」
 顕現させた弓を構えたまま、肌触りに集中する王魔。彼女の人の域を超えた感覚は、たとえ見えずとも、聞こえずとも、気配の揺らぎを感じ取ることができる。
 と。小蜘蛛――おぞましくも人の顔を持っていた――が跳び、駆け、王魔へ向かう。
 王魔は視線をわずかにも動かさぬまま右手を繰り、人差し指から小指までの股に挟んでいた3本の矢を一気に放った。
 数体を串刺しにした矢の行方を見届けることなく、彼女は駆け出している。噛みつきにくる蜘蛛を分厚いジャングルブーツの爪先で蹴り潰し、弓より換えたマチェットで叩き割って、体を巡らせてバックスイングの肘打ちを喰らわせた。
 弓使いとは思えぬ見事な体捌きだが、蜘蛛どももまたただ邪魔なばかりでは終わらない。仲間の骸で彼女の足場を奪い、さらには尻から糸を噴いて巣を張り、空間そのものを塞いでいった。
「見た目以上に蜘蛛だな」
 行き先を失い、追い詰められた王魔へ、糸を伝って小蜘蛛が殺到する。
 しかし王魔は動かない。再び顕わした弓を構えたと同時、先と同じく3本を射放した。
 矢は直ぐに飛び、断つ。蜘蛛が伝う糸の半ばを正確に。
 蜘蛛の糸は獲物を捕らえる粘りを帯びたものと、巣の土台であり、蜘蛛自身が伝う粘りなく強い糸があるもの。その土台なる道を断てば当然、蜘蛛どもは落ちる。そして。
 覆い被さってきた自らの粘糸に搦めとられることとなる。
「あとの掃除は簡単に終わる」
 上空へ射た矢が弧を描き、動きを封じられてもがく小蜘蛛どもの端へ突き立つ寸前、直ぐに射た一矢が先の矢尻を矢尻でこすり――散った火花が糸に引火、清浄なる業火で異界の小者どもを灼き尽くした。

 大した邪魔がないということは、うちの家事手伝いが正しく家事を手伝っているということだね。
 玄関の奥に続く廊下へ踏み入り、降り落ちてきた蜘蛛をするりとくぐり抜けた獅子吼は、押し広げられた廊下の広さを目で測る。少々控えめを心がければ、袈裟斬りくらいはできそうだ。
 家が壊れてもかまわないとの言葉はもらっていたが、素封家として肥やした獅子吼の目には、この家がどれほど丁寧に手入れされているものかが知れる。彼女自身に物を慈しむ――というより惜しむ心はなくとも、仁義を躙る悪趣味も持ち合わせてはいない。
 加えて家屋を守ることは、人質を守ることともなるだろう。どこへ押し込められているかもわからないのだ。念には念を入れておく必要があった。
「刃と成り、為せ」
 主の意志に応え、喪われた左腕に“黒”が灯った。かくて速やかに成されたものはひと振りの剣。
 王魔の弓同様に曰くつきではあるが、王魔同様それを語るつもりはない。剣は剣だ。対するものを裂き、貫くことさえできればそれでいい。
 次々天井から降り落ちてくる蜘蛛を、習わされたダンスと自ら学んだ剣技とを組み合わせた滑るようなステップワークですり抜け、細やかなスイングで斬り落としていく。家屋の安全を考えれば突くべきなのだろうが、いちいち振り捨てていては次の攻撃が遅れるし、なにより面倒だ。
 そんな調子で家屋の端から端まで抜けたところで、また玄関に行き当たった。
「振り出しに戻されたか」
 肩をすくめて獅子吼は歩を進め、飛んできたものを斬り払う。
 糸だ。粘ついた、太い糸。
 果たして玄関の奥から出迎えに来たものは、獅子吼の長身をも凌ぐ大人面蜘蛛である。とはいえ肢の先には鎌のごとき爪を、顎には毒の滴る牙を備えていた。
 猛々しい登場である。
 しかし、獅子吼は笑みを傾げたまま言の葉を突きつけるのだ。
「ああ、目論見が外れてご愁傷様だね。手下は馳せ参じられないらしいよ?」
 大蜘蛛は獅子吼の襲来に対し、小蜘蛛と合流しての対抗を図った。わざわざ玄関を獅子吼の眼前に繋ぎ、出てきたのはそのためだ。しかし小蜘蛛は王魔に抑えられ、1匹としてボスを助けには来られない。
「私は私の仕事を終えるとしよう」
 獅子吼は無造作に歩を進め、距離を詰める。得物は左の剣ひと振りのみ。だからこそ迷わず、剣が届く間合へ行く。
 対して蜘蛛は獅子吼へ両の前肢を振り下ろした。残る6本で体を支えていればこその同時攻撃だったが。
 獅子吼の剣が蜘蛛の左前肢を内から外へ弾き、反動を乗せて同様に右前肢を弾いた。がら空きになる蜘蛛の人面。
 しかし蜘蛛は噛みついてくるようなことはせず、その口をすぼめて毒を吐きつけてきた。
 対して獅子吼は剣の腹をもって毒を受け止め、そのまま蜘蛛の顔へ叩きつける。
 虫の迅速を発揮して下がる蜘蛛だが、獅子吼の姿がどこにもない。
「ここだよ」
 上だ。振り下ろされた剣を尻から噴いた糸で迎え撃ち、それが微塵に爆ぜて――今度は蜘蛛が姿を消していた。
「同じ手で返されるとはね」

 尽きることなく沸き出し来る雑魚を殲滅する。
 王魔をして実に難度の高いミッションだったが、蜘蛛と糸以外に燃えるもののない石庭だったことが幸いした。
 そしてあらためて見やった家屋方面は、不気味なほど静やかで、わずかにも傷ついている様子はない。獅子吼があえてそれを貫いているということだ。
 加えて人質のことも考えているんだろう。あの女は妙なところで義理堅いからな。

「やっと追いついた」
 集まりなどで使われる大広間の端から大蜘蛛へ薄笑みを投げ、獅子吼は左の剣を正眼に構えた。
 蜘蛛は人面を顰め、ギチギチ顎を鳴らしてみせる。言葉は通じずとも人面、映された憎悪は容易く見て取れた。
 駆け込んできた蜘蛛の前肢が閃いた。右上から袈裟斬り、左横から横薙ぎ、右下から斬り上げ、左上から唐竹割り――獅子吼はそれを剣の腹で流して流して流して、唐竹割りを下から切っ先で掬い上げて巻き取り、斬り払った。
 彼女の観察眼は相手のあらゆる“動き”を読む。故に、戦いにおいては必然――この際性格的なことは置いておいて――後の先を取ることとなる。
 のけぞった大蜘蛛の右前肢を断ち落とし、獅子吼は口の端を上げた。
「そろそろかな」
 そろそろ仕舞かと詰られた蜘蛛は一層顔を顰め、口をすぼめた。毒を吐くか、そう見せて糸を吐くか。結果は毒である。
 先と同じく、獅子吼は剣の腹で受けた。
 だが、抑えたはずの毒が剣を浸透し、抜けてくる。毒に含めた呪詛、それは大蜘蛛の奥の手であり、必殺の技だ。
 勝利を確信した大蜘蛛の眉間へすとん。1本の矢が突き立った。
「言っただろう? そろそろだって」
 獅子吼は刃を前へ向け、自重をかけて引き下ろす。
 大蜘蛛は見誤っていたのだ。彼女の剣がただの剣であるものと。その誤りは呪詛を断ち斬られたことで正され、次いで。
 剣は矢頭を打ちつけ、数センチ深く潜り込ませた。距離が充分でなかったせいはあるのだが、これではまだ殺せない。
「これで終わりだ」
 王魔が渋い声音で言った直後に射放した矢が、正確に先の矢の矢頭を突いたことで、大蜘蛛は頭部に収めた核を貫かれ、崩れ落ちた。


 大蜘蛛の消滅をもって、世界は元の様を取り戻しゆく。
 家屋の傷みを確かめながら、獅子吼は言ったものだ。
「今日はキミに花を持たせてやったんだ。夕食のメニューは私が決めるよ。よもや文句はないだろうね?」
 王魔は応えない。胸元に収めた人質――正確には、人質ならぬ猫質を起こしてしまわぬように。
 確かにあのご婦人は家族と言っただけだしな。
 蜘蛛の糸に捕らわれていた猫を救出するまでには、戦闘とは別種の大苦労があったわけだが、思い出すと疲れるのでやめておく。
 王魔はにやにや笑う獅子吼へハンドサインで「行くぞ」と告げた。雇い主へのおしおきは後でしてやればいい。今はこの、小さくてあたたかなものを家族の元へ送り届けてやるのが先だ。


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2020年05月07日

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