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『季節を楽しむこのひと時に』
黒帳 子夜la3066

 黒帳 子夜(la3066)が好む数少ないことの一つがお茶を飲むという行為だ。少食かつ肉嫌い、更には固い食べ物を噛み砕いた上で飲み下す、あの行為が嫌で堪らない。形容し難い不快感が喉から胃へと下りる感覚は許されるのなら金輪際味わいたくないと心の底から思う。また元々食事嫌いの子夜にとっては苦と感じる以前の問題だが、味覚の大半が失われているのもそれに拍車を掛けた感は否めない。美味しいも不味いも感じないのなら、唯一縋れるのは食感だが、それが耐え難い程苦痛に感じるのであればそもそも己は食事という行為に致命的なまでに向いていないのだった。その例外がお茶――正確には特定の茶葉を使ったお茶に限れば、確り味を感じられる。飲み物なので食感が気にならないのも魅力的だった。食事を避ける代わりにとよく飲んでいることから、この痩せぎすな体が作られている感は正直ある。
 一先ずの稼ぎを得る為登録したライセンサー業は本日は休業。事務手続き等の用事や誰かと会う約束をしているわけではない日は、子夜は決まって茶葉の購入に街へ出掛けた。前回の世界と同様にこの世の中には様々な専門店が存在し、お茶専門店なるお店も徒歩でも通える圏内にあった。
 天井に届く高い棚には原産国毎にラベリングされた缶が並び、更に甘味や苦味、後味など独自の評価順になっている拘り様だ。この世界に来てからそれなりに時間が経っている為お茶に馴染みのない者でもパッと思い浮かぶような、ポピュラーなお茶は特別に入手難度が高いものでもない限り、一通りは飲んでみたという自信があった。しかしながらそこにブレンドティーの概念が加わればそれこそ可能性は無限大。子夜が好きなのはあくまでも飲むことなので、人に披露出来る知識はないが。缶を開いた時の、無臭を心掛けた店内に茶葉の香りが漂う瞬間は心躍る。強いていうなら、量り売りで店員と会話しなければならないのが難儀だ。
「いらっしゃいませ。本日もご来店頂き、誠にありがとうございます。今日はどの茶葉になされますか?」
「そうですねぇ……折角ですので、季節感が強いものなどあれば一度試してみようと思っております」
「では、ストロベリーティーなどどうでしょう」
「……苺のフレーバーティー、ですか。成る程、春らしくて非常に良いですね」
 可能な限り大量買いすることで来訪頻度は極力減らしているのだが、この書生のような出で立ちのせいか、はたまた左目を覆う包帯のせいか――すっかり顔を覚えられて親しげに声を掛けられてしまう。笑顔の店員に子夜もにこやかに答えながら、他意はないのだろうが近付く距離をそれとなく足を引いて遠ざけた。
 店員に勧められた中で試したことのない茶葉と定番のもの、最近よく飲んでいるお気に入りの茶葉などを購入した。紙袋の中に入れられたそれは中々侮れない重さになって、身体の前で両手持ちすれば歩く度に足と軽くぶつかってはかさと音を立てた。このまま自宅に直行してもいいのだが、人混みを避けるようにして子夜は次第に市街地から遠ざかった。買い物客が集まる一画を抜け、早めに帰る学生や営業に出ている会社員を横目に通りを過ぎる。時代が変わっても世界が変わっても人の暮らしの本質は変わらない。やがて子夜の右目に映ったのは住宅街にぽつんと出来た空間、そこに設置されたある小さな公園だった。春以外は何の変哲もない、周辺住民しか利用しないありふれた所。不意の風が子夜の黒髪を揺らめかせ、流れてきた淡紅色の花びらが頬を一撫でして視界の端から消える。
(少々来るのが遅かったようです)
 そんな感想を抱く頃には入口に辿り着き、乗り物の侵入防止柵の間を通って、公園内に入る。気持ち的には立ったまま眺めるのも悪くはないと思うのだが、今以上に通う数を減らそうと大量買いしたのもあり、子夜の額にはうっすら汗が滲んでいた。休憩する為に奥のベンチに向かい、途中ではたと動きが止まる。踵を返すよりも早く先客が子夜に気付き会釈をした。一瞬躊躇った後、会釈を返して歩み寄る。社交的に見えて実は人嫌いの子夜だが、休まずに帰ろうものなら疲れで体調を崩すおそれがあった。
「少し隣に座ってもよろしいでしょうか?」
「ええ。待ち合わせなどはしてませんから」
 一人でも中央に座る者ばかりではないのだろうが、どうも脇に寄っていたので気に掛かった。ありがとうございますとお礼を言うと、最大で四人は座れそうなベンチに一人分の空白を開けて腰を下ろす。ちらと横目で見れば隣に座る女性も子夜に負けず劣らずの痩身だった。年齢は中年と形容するには過ぎ、老人というにはまだ若い。地元の人間らしく荷物は小さな巾着を膝の上に乗せているだけのようだった。紙袋を端側の隣に置いて、子夜は息をつくと頭上を見上げる。夏なら日除けにもなりそうな木が背後に幾つか並んでいて、そよ風に揺られる度に数枚の花びらがはらはらと子夜と女性の上を抜けては、地面に落ちる。現在はいないが、子供に踏み躙られて薄汚れた桜の花びらがまだら模様を作っていた。木のほうはすっかり新緑に染まりつつある。偶然に通りかかって知り、じきに見頃と思っていたのだが、時が経つのは早くもう旬を過ぎてしまった。しかし――。
「綺麗ですねぇ」
 率直な感想が唇から零れた。皆が持て囃すほんの僅かな期間だけでなく、花が散りゆく様もまた、風情があって美しいと感じるのだ。それは己の内に染み込んだ日本らしい風景の一つ故か。生きとし生けるものすべてが儚い世界。死があればこそ、生がその輪郭を浮かびあがらせる。
「確かに綺麗ですね。花見をしながらお茶を飲みたくなりますよ」
「ええ、本当に。お酒も良いものなのかもしれませんが、私などはお茶を飲みながらゆるりと眺めたいものです」
 花見の宛があれば急須と湯呑も持ってきたのにと肩を落とした。――と、見るからに落胆していたのか、それならと小さく呟き女性は巾着を手繰り寄せて手を入れる。すぐに目的のものは見つかったようだ。首を傾げ様子を見ている子夜の前に饅頭が一つ差し出される。どうぞ、と促されて子夜は透明のセロハンをつまむようにして手に取った。
「ありがとうございます。……戴いても?」
「勿論」
 逡巡して、封を剥がすと四分の一程の大きさにちぎり、口に運んだ。香りからして多分そうだろうと思っていたが、舌に感じる味がある。茶饅頭のようだった。中に詰まっているのは抹茶餡らしい。
 お茶にだけ味覚があるというのは正しくなく、実際には茶の原材料であるチャノキの味が感じられるのだ。だから茶と称していても麦茶やハーブティーの味は分からず、茶葉を使っているなら食べ物も味がする。あくまでも茶葉の味だけだが。
「……美味しいです。ですが――」
「ですが?」
「やはりどうしてもお茶が飲みたくなりますね」
 口の中が乾くから。その答えに数秒して思い至ったらしい女性がふふと笑い、子夜もそっと笑みを零した。舞い落ちる桜の花と茶と茶菓子を楽しめたら素晴らしい。半分の視界でも美しいと感じることは出来る。ただどうせなら、気心の知れた相手と飲みたいと思った。その殆どは、もう二度と相見える日は来ないだろうが――。右目を閉じて浮かぶ姿に在りし日を想った。この世界で何かすべきことがあるのかどうかは分からない。
 口の中に残る味は酷く優しくて、気付けば子夜は二口目を味わっていた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
厳密にはチャノキの味のみを感じるとのことだったので
季節感はフレーバーティーの香りで楽しむのかなだとか、
茶饅頭をはじめとするチャノキが原材料の食べ物の味は
感じられるのかなと勝手に解釈した部分もありましたが
もしも間違えてしまっていたら申し訳ない限りです。
自分に知識があれば最初の世界での話も書いてみたかったですね。
作中に登場する女性を通じて対人での子夜さんの微妙な距離感が
上手く表現出来ていればいいのですが。
今回は本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
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グロリアスドライヴ
2020年05月08日

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