▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『―― 緑猫鬼譚 ――』
カイン・シュミートka6967

 遍く宇宙如何なる星に生まれども いつの日にか躯は滅び 魂は流転の旅に出る
 永劫の刻を巡りつつ 因果律によりてまた生まれ 業を負いてはまた旅立ち
 そしてまたいつかの時代 いつかの國に生まれ出る

 カイン・シュミート(ka6967)
 紅き世に在ってはこの名であった魂が、『緑郎』なる妖魅として化生した時分の一幕を記す


 ◇


 人間が灯りを火に頼っていた時代のこと。ある晩、都外れのうらびれた路地裏に、雌猫達の声が響いていた。合間に男の声もする。

「へえ、あの空き家潰されるのか。いい昼寝場所だったが。
 その髭どうした? 人間のガキの悪戯か、酷ぇ事しやがる」

 昇り始めた下弦の月に、辺りの様子が照らし出される。緑髪の若者の周りに十余匹の雌猫達が侍っていた。身の丈六尺越えの偉丈夫で、双眸はまるで猫のそれのように光り、側頭部からは三角耳が突き出している――『緑郎』と呼ばれる猫鬼の一種だった。

「爪が割れたのか、どれ見せてみな。……錆猫? 見てねぇな。ってそんなにいっぺんに喋るなよ」

 彼女達は彼の関心を求め競うように鳴いていたが、その声は次第に重なり大きくなって、遂には小競り合いを始めてしまう。

「止せって、順に聞くから」

 仲裁に入った途端彼の腹の虫が鳴いた。決まりが悪そうに耳を掻く彼を微笑ましげに見ていた彼女達だったが、ある事に気付き一斉にざわめきだす。

『緑郎、手が!』

 促され、彼は自らの手を見やった。輪郭が朧気になり、月に翳せば半円銀が透かし見える。しげしげ眺めていると、また腹が弱々しく鳴った。
 すると老猫が彼を尾で叩く。

『こりゃ餓死しかけてンのさ、今夜中に食事しなけりゃ日の出とともに消えちまうよ』

 騒然となる雌猫達をよそに、彼はどこか達観した表情で透けた手を握りしめる。
 緑郎の食事――それは、人間に魅入り肌を重ね、精気を奪う事。
 人間の精気を糧とする妖魅は多いが、緑郎には非常に有効な術が備わっている。緑郎に魅入られた者の目には、緑郎が"恋しい男の姿に見える"のだ。変化ではないので緑郎がその男を知らずとも良く、男に焦がれる人間がいる限り飢え知らずな種のはずなのだが。
 彼は化生して半年、一度も食事をしていなかった。

『人間の女に取られるのは癪だけど、早く食事に行って!』
「別に俺は、」
『誰か恋煩い中の人間知らない?』
「俺がいなくなっても皆達者で暮ら、」
『緑郎がボーッとしてても乗っかってくるような肉食系がいい』
「聞けよ」
『私知ってる、手が透けてても気にしなさそうな人!』
「いやどんな奴だよ、こっちが怖ぇよ! あのな、俺は……!」

 緑郎はろくに反論できぬまま彼女達に押しやられ、気付けば見知らぬ人家の戸口に佇んでいた。


 ◇


 緑郎は途方に暮れた。後方では幾対もの猫の眼が光っている。きちんと食事にかかるか見張るつもりらしい。
 実のところ、彼が人家を訪うのは二度目のことだった。まだ化生したての時のことだ。その際強い嫌悪感を感じ食事を放棄して以来、どんなに飢えに苛まれようと、それが元で消えようと構わないと思っていたのだが。

(にしても、この家酷ぇな)

 植え込みは枯れ、井戸の釣瓶には蔦が絡んでいる。一見空き家のようだが、窓から灯りが漏れていた。
 さてどう切り抜けたものか悩んでいると、老猫が植え込みに入り込み派手な音を立てる。

「誰?」

 家人が呼ばわる。少し嗄れた若い女の声だ。彼は老猫を睨めつけたが、老猫は早く行けと顎をしゃくる。
 こうなっては訪ねるだけ訪ねて適当に切り上げるしかない。そう腹を括り戸を引いた――ところが。


「汚っったねぇ!!」

 彼の目に飛び込んできたのは、荒れ果てた室内の様子だった。
 竈に火はなく、桶には椀が山積し、妖魅の彼でもぞっとしない黒虫達が這っている。敷きっぱなしの布団に散乱した服。家人である頬のこけた女は、瓶子が並ぶ卓に凭れたまま呆然と彼を――彼に重なる"恋しい男"を見つめている。
 だがそんなことはどうでも良かった。根っからの世話焼き気質である彼には、この惨状をどうにかする事の方が余程重要に思われたのだ。

「おい、火口どこだ? 箒借りるぞ!」

 彼は女の了承を待たず片付け始める。竈で湯を沸し、その間に虫と埃を外へ叩き出し、湯が沸くと今度は椀を洗いにかかり……と、年季の入った主夫さながらに。
 椀を洗っていると自然と消えかけの手が目についた。手首までも透け始め、気付けば足先も霞んでいる。

(何やってんだ、俺)

 まもなく飢餓で消滅しようという妖魅が、食事となる人間を前に黙々と家事に勤しんでいるのである。同族が見たら笑うだろうな、などとと考えている内に、彼の脳裏に初めて食事をしようとした夜の事が浮かんだ。
 訪ねた女は彼を見るや、彼の知らぬ名を呼び親しげに身を寄せてきた。その時初めて気付いたのだ。自分には名前がないことに。
 緑郎とはあくまで種の名だ。
 名を持たぬ自分が誰かの名で呼ばわれること。自分を見ていながら、決して自分を映さぬ熱帯びた瞳。何もかもが気味悪く感じられ、食事に及ばず立ち去ったのだった。
 それを同族達に話しても皆嗤うだけだった。人間は緑郎を見たいように見、呼びたいように呼ぶのだから、名など不要じゃないかと。

(なら俺がこの世に化生した意味は? 何も成さず、誰の記憶にも残らない生なんて)

 虚しく感じた彼は、猫達ばかりを相手にするようになった。猫鬼なので会話ができるし、猫達は彼に誰の姿も重ねない。猫達の愚痴を聞き、怪我をすれば手当をし、そうして過ごす日々は腹こそ満たせぬものの胸を穏やかに満たしてくれた。

(ま、妖魅の生なんてこんなもんなのかもな)

 土間の掃除を終え部屋の片付けにかかる。散らばる服を拾い歩く彼を、女は相変わらず信じ難いものを見る目つきで凝視するばかりだ。

(空の瓶子が多いな。痩せてろくに食ってねぇようなのに、大酒呑んで家事もせずか。こういう女が懸想する男ってのは一体どんな奴なんだよ)

 呆れつつ奥の間へ立ち入る。途端、彼は全てを察した。
 奥の間には、そこだけ綺麗に手入れされた一角があった。据えられていたのはまだ新しい位牌。女の夫のものに違いなかった。

(手が透けてても気にしねぇってのはこういう訳か)

 手足の透けた彼はさぞ夫の幽霊らしく見えていることだろう。そこまで考えふと思い至る。哀しみに暮れ、食事もとらず酒で心を慰めて、まるで生を投げうっているように見える彼女は自分に似ていると。
 窓に目をやれば東の空が明るくなり始めている。彼は手早く服を畳むと、急ぎ竈へ取って返した。


 四半刻後、彼は僅かに残っていた米で炊いた粥を、女の前に置いた。女は何故こんなことをするのかと、迎えに来てくれたんじゃないのかと詰った。彼は苦笑を返し、

「お前が心配でつい来ちまったんだよ」

 奥の間に残っていた夫の匂い、そこから読み取った思念を口にする。それは先程彼が猫達に言いかけたことと殆ど同じだった。

「俺がいなくても、お前は末永く達者でいてくれよ」

 この一言で彼女の先が変わるかどうかは分からない。
 けれどもし変わるなら。どこか自分に似ている彼女が、明日を向けるとしたならば。自分はもう手遅れにせよ、この生は僅かでも意味のあるものだったんじゃないか。そう彼には思えたのだ。

 彼女の制止を振り切り戸を開け放つ。眩い朝の光の中、彼の姿は下弦の月と共に消えていった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
【登場人物】
カイン・シュミート(ka6967)/道紡ぐ生命の軌跡

【緑郎】
中国に伝わる妖魅。人間の精気を吸う猫鬼の雄を指す。雌は紅娘。
男に恋焦がれる人間があると、意中の男の姿で現れ誘惑し、精気を奪うと云う。

おまかせノベル -
鮎川 渓 クリエイターズルームへ
ファナティックブラッド
2020年05月11日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.