▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『その眼はまるで深淵のような』
柞原 典la3876

 中学の入学式の日、俺はそいつの背中をちらっとだが見ていた。その後バスケ部に是非にとスカウトされるくらい背が高いのだけが取り柄の俺は最後尾から背の順にずらっと並ぶ後頭部を大欠伸しつつ眺めた。校長だか理事長だかの長話よりもよっぽど、期待だの不安だので忙しない様子を見せる、同じ一年生を見るほうが楽しかったのだ。顔は見えなくても案外感情は仕草に出るもんである。理由はないが辺りを見回し、そして一点で止まった。さらさらとした白銀の髪は、むしろ何で目に入らなかったのか可笑しいくらいで、実際俺以外にもちらちら見てる奴は大勢いたと思う。特に両隣辺りの女とか。今はその理由もよく分かる。しかし俺の位置からは顔面なんざ見えなかったので、目立ちたいんなら金髪じゃねーのかよ、くらいの感想ですぐに見なくなった。斜め前じゃあクラスも別だしな。しかも隣のクラスじゃないのなら合同授業でも中々一緒にならなそうだ。最初の印象はその程度のもんだった。後で女子がきゃあきゃあ騒ぐイケメンが同学年にいるって聞いても、実際に見るまで同一人物とは結びつかなかった。あんだけ綺麗ならイケるとほざいた男友達もいたのだが、俺は全くそのケがないので、わざわざクラスも離れてる男の顔を見に行こうとは欠片も思わなかったのだ。だから、俺があいつの――柞原 典(la3876)の顔面をちゃんと見たのは六月頃校内をぶらついてたとき。そのときだってほんの一瞬だったからなるほど、女子があんだけ騒ぐのも納得だなって思っただけだった。そんな俺が抱く印象が一変したのは約十ヶ月後。二年に進級して同じクラスになったときだ。間近で見てようやく俺は柞原が普通のイケメンじゃないことに気付いたのだった。

「典君、見て見てお弁当作ってきたの! 味見してもし美味しかったら私が毎日作ってきてあげるね!」
「あっ、そんなんずるいやん! ウチが作ったやつのが美味しいに決まってんのやからアンタの出る幕とかないわ」
「手作りよりもお弁当屋さんのお弁当のほうがええやんなあ。だって何入ってるか分からんの怖ない?」
 ――大体こんな調子で柞原の机の前には休憩時間になると、女子共が凄い勢いで群がる。恋する乙女、とでもいえばまあ聞こえはいいかもしれないが、いやに血走った目が怖くて正直ドン引きだ。女子を挟む二つ隣の席のあいつの表情はよく見えた。目をすうっと細め、唇が緩やかに弧を描く。薄笑いというのはこういう顔を指す言葉なんだろう。微笑みじゃなく薄笑い――俺にはあいつが女子連中を見下しているように思えた。なんていえばいいのか。まるで、能面みたいな笑顔。心から笑っていないのが分かるから不気味でしょうがなくて、恋は盲目っていうのか、顔が良けりゃ中身なんてどうでもいいってのか――カッコいいだの綺麗だの美人だのと持て囃す女たちが、別の生き物に感じ、お前の所為で女嫌いになったらどうすんだよ、と碌に喋ったこともないのに、内心文句をいっていた程だ。
「そないなこと言われても俺も困るわぁ。全部食べんのとか絶対無理やし、誰か一人選ぶんも悪いやん」
 のんびりした口調は逆に煽ってるとしか思えない。まるでかぐや姫だと俺は感じた。あんな無理難題はいわない。が、自分にとって最も価値の高い人間を手元に置こうとする。そんな人間いけ好かないと皆が思うだろう。皆というにはおもて面に騙されてるような連中は多かったが、それだけなら気に食わねえし関わらないでおこうと決心しただけだ。九割の女と一割の男にちやほやされてる所為か、用もない相手に話し掛けなかったからな。ただそうといってられない事態が俺に降りかかったのだ。
 思えば二年生になって間もない頃から様子が可笑しかった。具体的には俺に会いに隣のクラスからあいつがやってきた日。話してても態度がちょっと変だと思ったが、明らかに柞原のほうを見るような馬鹿正直さはなかったので、俺はまるで気付かなかった。その後もデート中に気がそぞろになったり、メールの頻度が徐々に減り出したりと違和感が大きくなっていったが、俺からは一度も言及はしなかった。多分本能的に答えを知っていたんだろう。そして四月の末には残酷に、決定的な言葉が叩きつけられ――。小学生の頃から付き合っていた彼女も結局電灯に集る蛾と同じだった。それを知って、俺の心はぽっきりと折れた。それまで知らぬ存ぜぬで通していた柞原を対象とした不良グループの虐めに加担するようになったのは別れてすぐの頃だ。
 柞原は呼び出せば素直に応じるようなタマじゃない。教師にはチクらないが、何かと理由をつけて車で送ってもらったりと上手く躱す柞原を捕まえたのは五月の頃。このところの先輩の武勇伝はやつの教科書を近くの川に投げ捨ててやったことだ。結局、当然ながら替えを用意したらしいが、何冊もびしょ濡れになって使えないなんて考えりゃあ可笑しな話だ。先輩も教師もアホ極まりないと俺は思ったが口に出さない賢さはあった。
「っ……!」
 誰かの拳や蹴りが入る度に柞原の口からは呻き声が吐き出る。それでも反抗は悪手と承知しているようでやつは黙って耐えていた。無抵抗の人間を一方的に嬲れるやつは多くはないと思う。顔で女を釣っていると皆が柞原の顔に逆恨みしてる有様だったが同時に顔を傷付ければ教師にバレて問題になると誰しもが理解していて、そこは絶対に避けている。自分の人生を破滅させてまで柞原の顔を滅茶苦茶にしてやろうと思う人間はどこにもいなかった。勿論俺もだ。
「ほら、一発くらいはお前も入れろや」
 発覚したときは一蓮托生と、参加したからにはいい子ぶるのを許さない。俺は先輩が空けたスペースに進み出た。腕を押さえつけられ俯く柞原がどんな顔をしているかは判らない。ただ何となく魔女裁判という単語が頭にちらついた。雑念が蹴りを鈍くしたが柞原は身体をくの字に折る。しかし大袈裟過ぎず、大した役者だと俺は失笑した。
 時間にしてみれば五分十分だっただろう。柞原の目論見通りだ。反応の薄さに熱はすぐ冷めていく。もう舐めた真似すんじゃねえぞと全くそんな言動はしてないやつに先輩は吐き捨て、校舎裏をぞろぞろ後にする。俺は一人残って、柞原が汚れた制服を手で払い、怪我の程度を確かめて起きあがる一部始終を眺めていた。
「リンチなんか見せもんちゃうと思うけど」
 柞原の声音はクラスで見せるものよりも冷たいように聞こえた。乱れた髪を整えるのを見て、右目の下に泣きぼくろがあると知る。アメジストみたいな目が見上げてきて、その美しさにぞっとするものを感じた。こんなの人間じゃあないだろ。
「――はんがいわぁ。なんておとろしい生き物なんやろなぁ、人間なんか。なあそう思うやろ?」
 薄く笑う。笑ってない目で、笑えない言葉を吐き捨て――俺を見て俺に話しかけてるのに、俺に答えを求めていない。俺や先輩たちや、女子たちを嘲笑いながら、多分一番自分自身を嘲ってるのだ。そう気付いて俺は全部がアホらしくなった。こいつは同じ人間だが住む世界が違う。首元を緩めてうなじを軽くさすれば鎖骨の辺りに赤が散っている。夥しい数のそれはつけた女の執着を物語っているようだった。
 柞原が身なりを整える前に、俺はやつの側から離れた。俺がやつに関わることは二度とないだろう。この一件を通して俺は絶望を嫌という程思い知ったのだから。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
前回は恋する乙女(しかし典さんの魔性っぷりに狂っていく)を
ふんわりと書いてみたので、今回は逆に彼にいい感情を持たない
男の子視点では典さんをどんなふうに感じるかを書いてみました。
子供の時分程異質な雰囲気に周りの人たちが飲まれていくような、
馴染もうとしても馴染みきれない空気になってしまうのかなあと。
この話の視点主は恋人がいた設定ですが大抵はそうでもないので
余計に大人の女性に慣れていくこの時期は中学生っぽくないという。
そこが魅力にも嫉妬にも、恐怖にも繋がっている感じがしました。
今回も本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
りや クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年05月12日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.