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『私というものの形は』
未悠ka3199

 一体、いつからだろう。家にいても緊張感が付き纏うようになったのは。廊下を毅然と胸を張りながら、おいそれとは話し掛けられない冷淡を装った表情で進んでいって、そして、自室に入ると振り返り小さな音を立てて閉まる扉に額を押し付けて溜め息をついた。皮膚越しの頭蓋骨に、僅かに響く感覚。縋るように扉へと押し当てた手を丸め、爪を立てようとしても傷付けることは出来ずに、中途半端な格好で止まる。逆の手に提げている学校指定の鞄がまるで咎めるように、その存在を主張した。ただじっと堪えていれば、やがてぐつぐつと煮詰まった感情は熱量を冷ましていく――時が解決してくれると知っているから少しの時間をそうやってやり過ごして、落ち着いたら顔を上げる。鞄を置くと全身鏡の前に立ち、被せてあるカバーを花嫁のヴェールのように持ち上げた。一点の曇りもない鏡面に映るのはほんの少しだけ疲れた顔をした自分の姿。しかし予想に反し頬に涙の痕跡はなかった。ただ人前に出るには表情は上手く取り繕えていない。まあ今、訪れる人間がいるとするなら、飲み物を運んでくる使用人くらいだが。食卓を共にしたことも数える程しかない両親は、一生足を踏み入れることもないだろう。そもそも後何年、この屋敷で暮らせるのかさえも危ういのに――。凛とした美しさは鳴りを潜め、うっすら影が差し込んだ。迫り来る未来から逃れるように今度は窓際に近付く。内鍵を外し、窓枠の取っ手を掴んで押し上げても完全には開き切らず、背は高いが線の細いこの身体なら、強引に肩を通してしまえば抜け出せるのではと思う。眼下では噴水の周辺を彩る花壇を手入れ中の庭師が小さく見えた。
「羨ましい……」
 無意識にぽつりと呟き、そして虚しくなった。自分が恵まれた環境にいることも、庭師は仕事中だということもよく分かっている。ただまだ夕暮れも遠い時間に授業が終わるなり帰宅して、後少しすれば家庭教師が来る頃だ。一眠りだなんてとんでもない。部活に入ることは許されず生徒会に入れとの言葉は生徒会長になれと同義。成績も一位を取れなければ何の価値もないと厳しい叱責を受ける。
 自らを籠の鳥だと悲劇のヒロインのように酔うことはない。だが敷かれたレールの上を周囲が望むままに歩く己は果たして人間といえるのだろうか。両親と使用人とが作った、教師やクラスメイト、社交場の“友人”が望む令嬢像を演じる。自己は生まれた瞬間からどこにもなかった。心のままに人生を歩むなんて望むべくもない。歴然としたその事実が悲しいのに、もう泣き方も忘れてしまった。

 紫がかった光沢を放つ黒髪と同じ色の獣耳と尻尾が生えた。真紅の眼の瞳孔がきゅっと細まり、さながら黒猫のような風貌になる。一心に祈りを捧げれば闘争本能が駆り立てられ、戦いに意識が集中する分、感覚が研ぎ澄まされていった。ここに今いるハンターは四人、現れた歪虚は十五かそれ以上――仲間は皆、絶望的な状況に一様に色を失っている。至極楽な依頼の筈だった。確認された魔獣は三体ばかり、それも野犬が転化したもので、中型犬程度の大きさなのは少々戦い辛くはあるが、場所が辺鄙でなければ、近くの街から兵士を派遣するだけで片付くのではと思う程だ。事前調査も特に落ち度はなかったのだろう。ただ調査からハンターが現地に足を踏み入れるまでの期間に数が急増した。確実に事態を収束するには綿密な打ち合わせが必要。しかし、時間を掛ければ掛けただけ無力な人々が襲われて死ぬリスクは急速に増す。
「……何が何でもこの状況を乗り切るのよ」
 手にした槍をバトンのようにしなやかな腕に添えて回すと、獣に似た眼差しでそう告げる。仲間は完全に怖気付いていた。無理だ逃げよう――口を衝いて出てくるのはそんな言葉ばかり。緩やかに、しかし毅然として首を振った。
「今ここで私たちが逃げたら傷付くのはあの村の人たちだわ。だからに絶対ここで食い止めましょう。大丈夫、貴方たちも私が守ってみせるから……」
 まだ、ハンターになって日が浅いと言っていた彼らも何が何でも守る。それはここで一番強い自分にしか出来ないことだ――三人を信じて前に進み出る。そしてこう言った。
「だからお願い。私を信じて、ついてきて」
 答えは待たず、じりじり包囲網を狭めていた一体が飛び掛かってきたのを迎え撃って戦闘の口火を切る。見た目と同じく、動物霊の力を借りた瞳はより滑らかにその動きを追い、上手く切り返した。横を抜けた敵が仲間に迫ったのを幻影の腕で引き寄せる。代わりに自分の回避が遅れ、脚に引っ掻き傷が入る。ブーツと皮膚を裂いた傷は血が滲んで痛い。顔を顰めた後痛みを隠して凛々しく槍を振るった。
 味方を庇いながら無尽蔵と疑いたくなる数の歪虚を攻撃し続ける。が、限界はあり、次第に生傷が増えていった。元々白い肌が血液を失って蒼褪め、それにつれて動きは鈍っていく。なのに、確かに高揚していると自覚した。何かを間違えば致命傷を負うかもしれない。時が経つだけで危うくなる可能性も充分にある。痛くて、死が側まで迫っていると実感する。だから――。
(ああ、私……今生きているのね)
 何一つ自分では選べなかったあの日々は死んでいるも同然だった。それに比べれば、今はこんなにも満ち足りている。喜びに唇が弧を描く。霊闘士だからというわけではないが、取り憑かれたように――そうして最後の一体を倒した直後、意識が途絶える。倒れる身体を抱き留める者はいなかった。

 緩やかに眠りから目覚める。とても幸せな夢を見たような気がするが、余韻だけを残し、具体的な内容はすっかりと記憶から消えてしまう。上半身を起こそうとすれば全身が軋み悲鳴を漏らした。自ら望んでした行為なので後悔はしない。少しでも早く平和な世界になればいいと願う。暫くの間涙目になって掛け布団を巻き込みながら丸まった。しかしこのままでは痛みが薄れるわけもなく、渋々起きあがる。見慣れたといえることに複雑な感情を抱きながら、テーブルに置いてある水差しを手に取る為に振り返り、そして呆然とした。
 水差しとコップが隅に追いやられる程に、大量に置かれているのは見舞いの品々だ。これで勉強しろということなのだろう料理本、最近は久しく通えていないお気に入りのお店のスイーツに、花瓶のカラフルな薔薇の花。無病息災と家内安全を祈願するお守りまである。その他よく分からない品が多数。しかし適当に選ばれた物はない。全てが自分を思い用意された物だった。
 胸に手を当て、拳を握り締める。そこから柔らかい熱が生まれて、人前では見せられないくらいに頬を緩ませた。しかしそれは日本有数の良家、高瀬家のご令嬢が浮かべていた仮面のような笑みではなく心からの笑顔だ。家を知る者がいないところから始まり、心踊らせて、躓き、溺れて、愛して、散々迷った末に辿り着いた自分だけのものだった。ずっと欲しいと願いながら諦めていた人生は人々に支えられながら、それでも自分の足で進み掴み取った。心のままに今を生きる未悠(ka3199)の全て。大切な人の明日を守る為なら、守護者として手に入れた力を惜しまず使う。代償の痛みを未悠はしっかり受け入れた。
「――だから私は死なないわ。いつか、その日が来るまで必死に生きるのよ」
 決意を秘めた言葉は誰にも届かず溶ける。想いは行動で伝えていくからそれでよかった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
ファナティックブラッドのPCさんのおまかせノベルは
これが最後になるのかなあ、と思ったこともあって
未悠さんがクリムゾンウェストへと転移してくる前から
彼女が彼女として地に足をつけて歩き出せるまでを
描きたいなと思い、こういう話にさせていただきました。
尺的には少し駆け足気味にはなってしまいましたが、
微妙に繋げてみたりするのが個人的に楽しかったですね。
今回も本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
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ファナティックブラッド
2020年05月14日

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