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『水入らず』
不知火 あけびla3449)&不知火 仙寿之介la3450

 不知火 仙寿之介(la3450)は真新しい道場の中央部、鳳眼をゆるやかに巡らせる。
 いい赤味だ。茶の渋み成分として知られるタンニンを多く含んだ赤味は腐食に強く、多湿な日本の風土には最適だ。加えて製材された床板、壁板には節がなく、厚みも十二分。
「任せきりにすべきではなかったな」
 視線だけを背後へ送り、口の端を上げて。
「この新しい道場には俺の口を差し挟む隙がない」
「せっかく建てるんだからいい道場にしたいなって」
 仙寿之介の背後でふと気配が沸き立ち、速やかに人の形を成した。
 不知火 あけび(la3449)――この道場を含む不知火邸の主、不知火一族の現当主、子らの母、そして仙寿之介の妻である。
「それに! ちゃんといろいろ厳選して完璧に作っとかないと、『俺の眼に適う最高の杉を切りに行く』とか言い出すかもしれないし!」
 ことさらに強く言われ、仙寿之介は肩をすくめるよりなかった。あけびとの仲を認められたあの日、彼は勇んで旅に出たのだ。指輪とする白金を掘りに行くと……。
 だがしかし。
「それはない」
 苦笑して、あけびへ左手を伸べる。
 その指先から腕に沿い、するりと仙寿之介の懐へと潜り込んだあけびは目線で問うた。どういうこと?
 あけびと会ったばかりのころならば、彼女の疑問を「おまえの頭は飯を食うためばかりの穴か」と一蹴しただろう。再会し、想いを通わせ逢ったばかりのころならば、「それとあれとでは話がちがう。おまえもわかるだろう?」で済ませたはずだ。
 しかし今の仙寿之介は知っている。言わずに伝わることなどないのだと。だからこそ。
「道場という場に拘る気持ちはないからな」
 本心である。実際、この道場が適当な骨組にベニヤを張っただけのプレハブであっても、彼は問題としなかったはずだ。
「大事なものは場に集まり来てくれる人だ。そして人の足を向けてくれるのは場の力ではなく、そこに在る同士や師という人次第」
 とある大戦が終結し、あらためて不知火へ身を寄せることとなって以後、剣を教えることを生業としてきた仙寿之介だが、しみじみと思うのだ。場とは人のためのものであり、その逆ではありえないのだと。
 そしてあけびの左手を取り、薬指の根元を飾る白金の指輪を指して。
「俺がおまえに贈った指輪は、おまえの生涯と共にあり続ける約束の証だ。それを仕立てることに他の何者の手も借りたくなかったし、入れさせたくなかった」
 音を重ねるごとに熱を帯びる仙寿之介の言の葉に、あけびは「うん」、それだけを返した。うん、今日も夫に愛されてるね私っ!
 天使である仙寿之介は、人の世に身を置くことを決めたときからすさまじい勢いで“人”となっていった。あけびが「姫叔父」と呼ぶ不知火の男を友として得、あけびの祖父である前当主を師として得、多くの人々との交わりを得た結果、孤高という名の高慢より解かれて天衣無縫へ至った。
 そんな仙寿之介の人としての成長に、あけびがなにをもたらせたものか。彼女自身にこうと言えるものはないのだが、しかし。ただひとつ、こればかりは掲げられる。
「アディーエが私を愛してくれるのと同じくらい、私はアディーエを愛してるからね」
 夫の真名を呼び、強く結論を押しつけておいて、言い添えた。
「離さないよ。不知火 あけびとしての生が終わった先にも、この証だけは」
 仙寿之介を離さないとは言えない。天使の長命に比べ、人はあまりに短命だから。自分という軛から放された後はせめて――
「ああ、旅立つおまえの標としてくれ。その上でだ。向こうでひと休みして、まだ俺に添ってくれる気があれば戻ってきてほしい。そのとき新たに約束をしよう。その生と、次の生の」
 なんとも拙い、しかし誠と真ばかりを詰めた宣言。不知火 仙寿之介という男は、涼やかに見えてその実誰より高い熱情を秘めているのだ。
 素直になった分隠さなくなったからなぁ。これも年の功? あけびは仙寿之介の胸に額をつけ、苦笑の波動を伝えてみせる。
「じゃあ預けてく。新しいのなんていらない。それじゃなきゃだめ」
 応えぬまま仙寿之介はうなずいた。静かに動揺していたのだ。もうけた子が成人するほどの時間を共に過ごしてきたというのに、俺はまだあけびにときめかされるのか。
「やはり、道場の件は任せきりにするべきではなかった」
 あけびは聞き返さない。頭をなぜられながら、指先で髪を梳かれながら、待つ。
 果たして仙寿之介は、空気をかき乱さぬよう静かに言葉を継いだ。
「俺も共に行っていれば、一時だけでも不知火ではない、あけびと俺の時を過ごせただろうに。……いつも後になってから気づく。後悔先に立たずとはよく云ったものだ」
 たとえ世界を違えても、あけびには当主としての務めがある。1日の内でただの仙寿之介とあけびが向き合える時間はなかなかになかった。いや、道場の建材選びもまた当主の仕事ではあるのだが、それにしてもだ。
「アディーエが指輪作るって飛び出してったとき、ずっと思ってたんだから。ついてけばよかったって。でもね、さすがにね、我儘過ぎかなってね」
 あけびのすねた言葉に胸を突かれた。
 そうか、あのときあけびは、俺と同じように思っていたか。置いていく者は置いていかれる者の心を知れぬものだな。
 あけびが仙寿之介との子を成すことに拘ったのは、彼を置いて逝かねばならぬからこそ。それを知りながら思い至れなかったのは、ただただ我が身の未熟ゆえである。
“次”を語る歳になったからこそ、俺たちはあらためて“今”と向き合うべきなのかもしれん。
「息子もすでに男として己が道を歩き出した。周りの女に世話を焼かせながらではあるが……言い換えればそれだけの甲斐性がある」
「まあ、世話焼きの縁に恵まれるのも器ではあるのかなぁ」
 息子に対する見解もしくは欲目、実は父よりも母のほうが厳しいのだ。これはあけびが母というだけではなく当主であり、息子をすでに次代の不知火の核として計っているからなのだが、ともあれ。
「かわいい子に旅をさせ、俺はここまで来た。次は愛しい妻と旅をしてみるのも悪くはあるまい」
 笑みを含めた夫の言葉に、あけびはがばと顔を上げ。
「愛しい夫といっしょに!?」
 妻のあまりの食いつきのよさに口の端をゆるめ、仙寿之介はうなずいた。
「こちらの世界もまだまだ知らぬ場所は多い。不知火の名は次代の者たちに預け、行き先を定めずふらりと行ってみるか」
「その話、乗った!」
 右手を挙げて賛意を示したあけびがふと動きを止めて。
「どうせなら流しのナイトメアハンターするのもよくない? 誰かが作ってくれた平和をなぞるなんて」
「無粋にも程がある」
 と。
 言葉を継いだ仙寿之介からあけびは身を離し、腰を据えた。
 対して仙寿之介はだらりと両手を下げたまま言う。
「俺としては隠居旅もいいかと思っていたのだが――それにしても久しいな、おまえと対するのは」
「ほんとに久しぶりだからね、私の不知火流、ちゃんと確かめて」
 このとき、不知火の次代を担う息子やその世話を焼いている女たちが道場の外へ至り、息を殺して見入っていることに、ふたりとも気づいていた。
 だからこそ、見せておく。彼らが次に目ざすべき高みの有り様を。
 そして確かめる。互いに互いの背を預かるに足る力を備えているものかを。

 不知火の前当主が得意とし、引き継いだあけびがさらに練り上げてきた“囀り”は鳴らなかった。仙寿之介相手では意味がないからだ。天衣無縫を体現する彼の柔剣は、自らを狙う攻めのみに反応し、搦め取る。
 あけびは代わりに斬気を伸べ、仙寿之介の死角を探っていた。一瞬ごとに爪先を置き換えて斬り込む角度をずらし、タイミングをずらし、斬気すらずらして攻め立てる。相当の手練れであれ、一手は見切れたとしても二手め、三手めには読みが追いつかなくなり、彼女の業(わざ)に巻き取られるだろう。
 しかし仙寿之介はわずかな反応すら見せず、悠然と立つばかりである。いや、あけびだけは見て取って。自らの攻めのすべてが弾かれ、いなされ、流されていることを。
 だからって惜しまないけどね。惜しんだ瞬間、斬り払われておしまいだもん。
 互いに無手。しかし刃は心の内に構えている。仙寿之介は君影を、あけびは桜花爛漫をだ。
 一方の仙寿之介は、涼しい面の裏でその実舌を巻いていた。
 なるほど、これは鳴らぬ囀りというわけか。
 囀りは不協和音を重ねて相手のリズムを崩す業だ。仙寿之介は攻め気の乗った音ばかりを聞き取れるのだが……無音の中ですべての虚に実と変わらぬ斬気を乗せられては、結局すべてを防ぐよりない。
 俺が相手であればこそ思いついたやりようなのだろうが、完成された業をさらに進化させようとは。……あけび。俺たちはまだまだ隠居を決め込んでなぞいられんようだ。
 幾百めかの斬気をくぐった仙寿之介が前へ出た。無手に構えた幻刃を正眼に構え、切っ先をゆらめかせ、あけびを誘う。
 おまえが繋いでくれた道を辿り、成り仰せた天衣無縫だ。惜しむことなく技を尽くし、報いよう。
 仙寿之介の描いた剣閃からかろうじて身をかわしたあけび。息を整える間もなく、二の太刀をあらんかぎりのフェイントでいなして転がりよける。
 斬り上げて、斬り下げる。それだけの剣なのに私の技と業、全部使わなきゃかわせなかった! 斬りながら軸足切り替えるとかありえないし!
 重心を据えず、関節のスナップを使って斬るに足るだけの斬撃を繰る。姿勢を定める必要がないからこその変幻自在とはいえ、自由過ぎるだろう。しかも同じ剣閃を描いてすら、そのたびに鋭さは増していくのだ。
 アディーエの剣はまだまだ完成なんてしてない。その剣がどこまで行けるのか、私もいっしょに見たい。
 でもね。
「ちぃ」
 狙い澄ましたひと囀りで仙寿之介の斬気を逸らし、羽織を脱ぎ残して彼の視界を遮っておいて、あけびは大きく間合を空けた――と思いきや、腰を据えた仙寿之介がその眼前にあった。退くあけびを追った。説明するならばそれだけのことを成した技の凄絶を、外から見ている次代の者たちは見切れたものかどうか。
「ここから覆す業はあるか?」
 十全の体勢から問うた仙寿之介に、あけびは淡い笑みを返し。
「残念だけど、実はもう私の業で覆ってるんだよね」
 なあ。
 あけびのことばを継いだのは、なんともかわいらしい鳴き声。
 いつの間にか、彼女の手の内には子猫が収まっていた。尾の先だけが白い黒猫――
「船君! なぜここに」
「はい、私の勝ちー」
 喉元ににゅうと肉球を押しつけられて、ようやく悟った。
 あけびの囀りは猫を呼ぶためのもの。猫は犬よりもさらに可聴域が広い。あけびが囀りに混ぜ込んだ高音を聞き取るなど容易いことのはずだ。そうして船君が駆け込んでくる姿を隠すため、あけびは羽織を脱いで彼の視界を塞いだ。
「これは仙寿相手だからこその手だったけど、忍の業は無限で無間だからね」
「最初からおまえの業を疑ってなどいなかったが……むしろ疑わしいのは俺のほうだな。これほど容易く搦め取られるとは」
 のんきにあくびする船君をあけびの手から引き取り、懐へ収める。幼子と同様、よく眠ることも子猫の仕事のひとつだ。
「……旅に出ても、勝手気ままを楽しむのは難しいかもしれん」
 不知火の先を預けられる者たちはいる。しかし、仙寿之介には船君を始め、他者と結んだ縁があった。そのすべてを飄々と断ち切っていけるほど、彼の血は冷めていないのだ。それはもちろん、あけびとて同じだろう。
 なんとも冴えない顔で息をつく仙寿之介だったが。
「いいんじゃない? 気になるくらい大事な帰る場所があるってことでしょ」
 仙寿之介の背へ添えられたあけびの手。やさしく込められた力に押され、仙寿之介は一歩、踏み出してしまった。
「そもそも悩む必要ないしね。キャリアーがあればどこにだってすぐ行けるし、どこからだってすぐ帰ってこれるんだから」
 ああ、俺は結局、あけびになにひとつかなわない。背を押され、導かれるばかりだ。仙寿之介は自らもう一歩進んで振り返り。
「そうだな。それにキャリアーなら、船君も連れてい」
「ちょっとぉ! 水入らずの夫婦旅でしょー!?」
 あれこれ揉め始めた夫婦の言い合いなど聞こえぬ顔で、船君はあたたかな狭間で眠りこけるばかりである。


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2020年05月15日

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