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『人生は舞台、我は演者』
la1158


 闇の中、固く目を閉じる。
 目を閉じているにもかかわらず、侃(la1158)には自分を見つめる無数の目が感じられた。
 息を詰め、椅子の上で身じろぎもせずこちらを見つめる無数の目。
 肌に刺さるような視線を浴び、けれど侃の意識は次第に己の内に向かっていく。
 とくん、とくん。
 自分の心臓の音すらどこか遠く感じるほどに、己の内へ。

 そして時は来た。

 カシャン!
 照明機器が音を立て、まばゆいほどの光が侃に注がれる。
 視線の全てが侃に注がれる。
 続いて、囁くようなヴァイオリンの音が流れ始めた。
 その音に操られるように、膝を抱えるようにして床に座り込んでいた侃が、右腕を前に差し出す。
 身に纏う薄い衣装が、さらさらと音を立てた。その音すら客席に届きそうな静寂。
 繊細な指が、空間を鋭く切り裂くナイフのように、真っすぐに伸びる。

 そこでようやく、侃は目を開き、顔を上げる。
 見開いた眼は前を見据えているが、前にいるはずの観客よりもっと遠く、誰にも手の届かない場所を見ているようだ。
 ヴァイオリンが奏でる音が、少しずつ強く、早くなる。
 侃は糸で吊り上げられたように、よどみなくすっくと立ちあがる。
 空と地を繋ぐ、細く、強い柱のように。

 足を上げる。高く、高く。
 両手を広げる。翼のように。
 つま先立ちのままでくるりと回る。回る、回る。
 今まで静まり返っていた客席から、わあっと声が上がる。
 ヴァイオリンの奏でる曲は次第に激しさを増していき、侃は音を纏いながら踊り続ける。
 今や音に支配されるのではなく、侃が音を支配しているようだった。
 侃の腕が、脚が、音を奏でているように一体化している。

 ほとばしる音は、侃の声。
 この世に生まれたことを激しく主張し、自分はここにいると叫ぶ声。
 両手を伸ばし、舞台の上を軽やかに跳び、命の輝きそのもののように在る身体。

 いつの間にか観客は手を叩き、声を上げていた。
 観客が、スタッフが、この劇場の全てが侃の動きだけを追っている。
 侃はこの空間に於いて、完全なる支配者だった。全知全能の神だった。
 侃が光あれと命じれば光が生まれ、手を振れば音が生まれた。

 そして侃が闇を命じたときに、全てが終わった。



 舞台の袖で、侃は荒い息を整える。
 観客の拍手は鳴りやまない。
 やがて思い思いの拍手は、手拍子へと音を揃えてゆき、演者の再登場を促す。
 侃は冷たい水でのどを潤し、タオルで汗をぬぐった。
 手拍子は飽きることなく続いている。

 侃の身体の内には、まだ何かが渦巻いていた。
「不思議だよね」
 思わずつぶやく。
 あれだけ力を尽くして踊ったというのに、まだ何かが内側から突き上げるのだ。
 もっと、もっとと。
 体力の限界を超えて、もっと踊れと。
「これって何なのかな」

 普段の侃は、何物でもない自分をどこか面白がる風すらある。
 男でも、女でも、誰かに求められた形になりきる。
 いわば外側からの刺激に反応する存在だ。
 だが踊りと歌は少し違う。
 侃の身体の中のとても深いところから生まれ続け、外に出ようともがいている。
 一体どこからこの力は来るのだろう。
 どうすればこの力を、自分の身体で導くことができるのだろう。
 侃はいつでもそのことを考える。
 だから技術を磨き、鍛錬を怠らない。その姿を他人に見せることはほとんどないけれど。

 ――思索はほんの一瞬だった。
「アンコール、いけますか?」
 スタッフの声に、侃は穏やかな笑みを返す。
「もちろん。お客さんが待ってくれているからね」
 支配された喜びに浸る観客が、支配者を待っている。
 汗で張り付いた衣装を手早く着替えると、侃は舞台へと戻っていく。
 拍手と歓声と光が待ち構える舞台へ。



 全てが終わった後、楽屋で化粧を落とした侃を見て、誰が先ほどまでの舞台の支配者だと気づくだろう。
 目を細めて穏やかに微笑む侃の雰囲気からは、力強さも威厳も消え失せているのだ。
「スナオ、次の演目のことだけどちょっといい?」
 声を掛けられた侃は、優しい表情のままで振り向いた。
「うん、大丈夫だよ。タンゴのショーだっけ?」
「そうそう。こっちが相手役の……」
 紹介された男が、軽く会釈する。しなやかな筋肉の、力強い歩みの若い男だ。
「よろしくね」
 その瞬間、侃の表情が一変した。
 相手を値踏みする、夜会の女王の表情だ。
 次のショーでの侃は、男達を翻弄する妖艶な女になる。
 求められる役割のままに、侃は肩も露わなドレスを身に着け、ハイヒールを履き、戦うように男達と爪先を交差させるのだ。
 相手役の男が、僅かにひるむのが分かった。 
 けれど次の瞬間には、侃はいつも通りのオフの顔に戻る。

 どれが本当の自分かなど、今更どうでもいいこと。
 演じる全ての存在が、自分の身体の内にある。
 侃の身体は、その何かを他人の目に見える形に変える媒体だ。
 踊りで、歌で、自分の中にあるすべてをさらけ出し、観客に見せつける。
 観客の中にもあるだろう何かを。
 全ての人が持っている何かを。
 それをどう受け止めるかは、相手次第。
 侃を見て拍手を送るその感情が、すぐに消えても、ずっと残り続けても。


 昔、誰かが言った。
 皆が人生に於いて、それぞれに何かの役割を演じているのだと。
 ならば侃の在る所、すべて舞台。侃は侃の役割を演じ続ける。
 いつか幕が下りるその日まで。



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

長らくお待たせいたしました。
敢えて闘いとは無縁の、ひとりの演者としての存在を描写してみました。
どこか一文でもお気に召しましたら幸いです。
ご依頼、誠に有難うございました。
おまかせノベル -
樹シロカ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年05月18日

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