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『心の空』
不知火 楓la2790)&不知火 仙寿之介la3450

「せん――船君、歯固めにはかまぼこの板を使えと言っているだろう」
 尾の先ばかりが白い黒猫を己が指先から引き剥がし、不知火 仙寿之介(la3450)はほろ苦く笑んだ。
「仙寿さん、呼び間違えは船君にも“あれ”にも失礼だよ」
 そんな彼へ声をかけてきたものは、皺ひとつ残しておらぬ道着をつけ、片脇に刃鞘をつけたシャドウグレイブを携えた不知火 楓(la2790)である。
「まるでちがうはずの息子と子猫を呼びちがえてしまうことがある。親の情の迷いというやつか」
 仙寿之介は口の端を上げたまま楓を見やり、わずかに首を傾げて。
「それで、何用だ」
 彼が道着姿を見て言っているのではないことを、楓は悟っている。見られたのは、ここへ至るまでの歩だ。決意を乗せた彼女の歩は、知らぬうちにそれだけの迫を帯びていた。
 読み取られている以上、なにを隠すも失礼となる。ならばまっすぐ切り出すよりあるまい。楓は息を整えて。
「僕と立ち合ってほしい」
 だがしかし。
「断る」
 にべもなく突っ返された。
「藤忠との友誼にかけて、預かりもののおまえを損なわせるような真似はしでかせん」
 父、不知火藤忠は仙寿之介の親友である。いや、その程度の言葉ではまるで追いつかぬほどに深く心を通じ合わせ、預け合った仲なのだ。楓はそれを、物心もつかぬうちから繰り返し聞かされてきた。
 仙寿之介が「友の娘」でしかない楓のためではなく、父のために立ち合いを受けないと言い切ることは当然というものだ。
「そも、俺に乞うならば稽古でよかろう」
「それじゃだめなんだ! 僕は」
 ここへ来るまでに固めてきた心が、端からぼろぼろ砕け落ちる。頭の奥に詰まった思いが、言の葉という形を得られず散り消える。
 だってこれは、ただの我儘だ。そんなものを剣士に押しつけて、あげく計らってもらおうだなんて……

 この期に及んで、僕はまだ僕を飾るの?

 迷いを押し退けて迫り出した、自問。
 楓はあらためて己へ問うた。
 僕はなんのためにここへ来た? 僕はなんのために心を据えた?
「――僕は問いたい、刃に」
 ようようと紡がれた楓の言の葉へ、船君を抱いた仙寿之介は低く問いを返した。
「妻と試合(しあ)った際、不知火の伝統とやらに抗うと告げたのではなかったか? 舌の根も乾かぬ内、それをなぞりにきたわけは?」
 吹きつける仙寿之介の気迫を真っ向から受け止め、楓はさらに告げる。
「問いの向こうにある僕の答を見出すために……あのふたりと同じ場に立たなくちゃ、その資格も得られないと思うから」
 そういうことか。
 仙寿之介はひとつ息をつき、船君を放して立った。
「そうとなれば突き放すわけにはいかんな。問うがいい、俺の、あるいはおまえの刃に」
 楓は“八重”――日暮仙寿の娘と同じ戦場へ立つと決めたのだ。そのため、彼の息子とあの娘ばかりが挑んだ仙寿之介と対し、同じ高さに至って己が答を語る“資格”を得ねばならぬと。
 いや、むしろ俺とひとりで対した八重の娘と並びたいか。もっともあの娘、俺の息子をそうと意識しているわけではなかろうが。しかし、それにしてもだ。
「こうまで思い詰めてくれる者がいる。あれは幸いだな」
 聞いておらぬふりをする楓がわずかに跳ねた様を背で感じ、仙寿之介はほろりと笑んだ。


 道場の端に立った楓は、向かいの端に立つ仙寿之介へ一礼し、シャドウグレイブを中段に構えた。彼の妻と対したときとはちがい、刃鞘は外している。
 今さらながら思い知るね、天剣の刃に問う重さ。
 そういえばあのふたり、「いざ、尋常に勝負」って言ったんだっけか。読み切れないくらい格がちがうことは前に立たれただけでわかるのに、身の程を弁えないにも程がある。でも。
 これは稽古ついでの試合じゃない。真剣の仕合だ。僕は僕が何者なのかを告げる。矜持をもって礼を尽くして。
「不知火 楓、推して参る」
 聞き遂げた仙寿之介は、楓のゆるやかな構えにかつて対した友の様を幻(み)た。
 先に挑んだ他のふたりからも話は聞いているだろうに、尋常よりも先に推参を謳うか。尋常を演じられぬことを弁えていればこそなのだろうが……藤忠、おまえの娘は思った以上におまえの娘であるようだ。
 左に佩いた君影を抜き、正眼に構えた仙寿之介が応じる。
「不知火 仙寿之介、受けて立とう」
 無手勝を信条とするはずの仙寿之介が、腰を据えて十全を為す。
 その様に楓は眉をしかめ、息を詰めた。僕程度に天衣無縫を見せる必要はない?
 と、息を吹き抜き、己の内にわだかまる傲慢と理不尽とを追い出した。
 当然じゃないか。僕は弱い。心も技も業も、なにもかもが。
 でも、だからこそ僕は決めたんだ。僕はもう、自分の心から、想いから、誓いから、逃げたりしない。それを今日、僕は僕に証明する。

 滑るように踏み出した楓が縦一文字に刃を斬り下ろす。仙寿之介に上向けた柄頭で弾かれた瞬間、石突を返して彼の足の甲を突き下ろした。
 が、そのときにはもう、仙寿之介は前に出した右足を引き、やり過ごしていた。石突が床を打つに合わせ、捻り上げた刃を袈裟斬り。
 腕の捻れが生む剣閃はうねり、楓の目を惑わせる。しかし楓は大きく下がっており、仙寿之介の剣は空を切った。
「よく見切った」
 息子や八重の娘ならば、受けようとして受け損ねただろう。仙寿之介は正眼に構えなおした刃の奥から言い。
「まだなにも見せてもらっていないよ」
 こちらも中段に構えを整えた楓が平らかに応えた。
 そうだ。仙寿之介は欠片ほどの技も見せてはいない。理解してなお挑んだはずが、こうも傷つけられるなんて……僕も修行が足りていないね。
 楓はただこればかりの攻防の内で乱された息を絞り、整える。
 考えるな。考え込むほどに挙動は鈍くなる。
 考えろ。勘だの六感だので届く相手じゃない。
 考えて、考えない。それを実行する術はひとつだ。考えずとも最適解を為せる型へ自分を落とし込む。鍛錬の中で数え切れないほどなぞってきた得意の型へだ。
 僕の得意の型は後の先。あなたの柔剣と同じ、相手の攻撃へ合わせる兵法だ。あなたの息子が突撃していきたがる質だったから、自然とそうなっただけなんだけど。
 僕が先に受けて、飛び出してくる彼に渡す。いつもそうしてきたのに。あのときは受けきれなくて、彼を深く傷つけて。
 ああ、それは今考えることじゃない。目の前にいる仙寿さんに集中しなくちゃ。
 あなたの奥さんともそうだったけど、噛み合わせが悪いだけじゃないのは難だね。なにせふたりとも、僕より遙かに強い。まあ、仙寿さんとはどれくらい差があるのかもわからないし、かえって気は楽だ。
 気が楽? 勝てないってわかってるから? うん、確かにそれはあるんだろうね。なにをしても届かないなら、なにをしても万が一は起こらないんだし。
 あなたに知られていない手があればって、そう思うよ。生まれる前から知られていて、学んできた全部を見られてきたんだもの。鬼手なんてあるはずがない。オープンされた手札をどのくらいやりくりできるかにかかってるんだけど……って、僕はあの高みになんとか刃先を届かせる術を探ってない?
 そうか。そうだね。僕は僕が思う以上に強欲だから。きみの背中だけじゃなく、すべてを守れる僕になりたいんだ。
 そのために僕は、僕だって棄ててやる。

 人とは不可思議なものだ。己が弱さをきざはしとし、弱いままに強く成り仰せるのだから。
 仙寿之介は正眼の奥よりおもしろげに楓を見やる。
 わずか数瞬の間に、楓は決めた。欲、拘り、矜持、そればかりか心に詰まったすべてを棄て、仙寿之介という刃をただ一度巻き取るだけのものになる覚悟を。
 要る要らぬの見極めが早く、棄てるとなればためらわず、思いきりよく。あのふた蕾が持ち合わせておらぬ、心の強さがあればこそだな。
 思いついてみたら、ついおもしろくなった。楓が心、息子が体、八重の娘が技、三者ともに足りているのはひとつきりで、しかも見事にそのひとつがばらばらだ。三者そろってようやく全きひとつを成すか。つくづく奇しき縁というものだな。
 そして仙寿之介は正眼を解いた。
 楓に教えるべきことが知れた以上は、それを告げるばかり。とはいえ、藤忠ならぬ楓には、なにをどうすれば染み入るものか。
 悩むまでもなかろうさ。俺には“これ”を見せるよりないのだから。
「ゆくぞ」
 右手に君影をぶら下げ、ただ歩を進めて楓へ迫る。

 楓は中段に構えた刃先を仙寿之介の芯に据え、待ち受ける。……如何様な挙動の起こりへも合わせるがための“空(くう)”を成して。
 消した意識の奥にある無意識ではすでに理解していた。刃を合わせる機会は一度きりであると。しかし、迷わない。仙寿之介の剣をただ一度凌ぎ、後の先を取るだけだ。
 横薙がれた君影が唐突に下へ斬り下ろされた。蹴り下ろされたのだ。仙寿之介が刃と共に回した右足で。
 剣術の域を大きくはみ出した型破りへ、楓はその空をもって対する。半眼に映した仙寿之介の剣に合わせ、弾みをつけることなく薙刀を斬り上げた。それはまさに、無拍子の斬。
 思うから迷う。迷うからすくむ。すくむから届かない。届かないから打たれ、討たれる。ならばそれらすべてを自分から削ぎ落とし、一枚の刃と化す。それこそが楓の至った最適解であり、仙寿之介に届く唯一の手――可能性だった。
 刃の握りをずらして軌道を曲げながら、仙寿之介は胸の内で唱えた。楓はこんなところまでおまえ似だ。もう少し母に似ればよかったものを、な。
「いつまで呆けているつもりだ」
 君影を搦め取れずに跳ね上がった薙刀。その勢いで体を浮かせた楓の右手の甲を峰で打ち、仙寿之介は声をかける。
 痛――無心から引き戻された? 僕は、仙寿さんに? 右手は、折れてない。でも、僕が届くにはこれしかなかったのに、それを引き戻すなんて……
「空(くう)に有り、空(から)に無いものは心だ」
 刃への問いというものは、対した相手の刃に問うことではない。問うべきものは己の刃。そして、心を棄てた空(から)の心では、なにを得ることもかないはしない。
「無心ではなく有心で臨めと?」
 楓は返してきたが、まだまだ足りていない。なぜ有心で臨まねばならぬのか、彼女は答を見出していないのだから。
 問答を仕掛けたいわけではないが……藤忠、どれほど似ていようとも、やはりおまえと同じようには伝わらん。なんとももどかしいところだな。いや、若い者の師を気取れるほどに、俺自身が完成されてはおらぬということなのだろう。
 苦笑しながら仙寿之介は君影を鞘の内へ滑り落とし、どうしていいかわからぬ顔で薙刀の先を泳がせる楓を道場から押し出した。
「説教で得た上辺の納得は染み入るまい。まずは悩むのだな」
 一歩退き、場や人の現状を見極めることに努めてきた楓だ。相手を見るのが得意な分、自身と向き合うことには慣れていない。それは仙寿之介の息子のせいでもあろう。彼のことばかりにかまけ、楓は己について悩む機会を逸してきたのだから。
 とどのつまりだ。おまえが問うべきは俺の刃ではなく、おまえ自身の刃でもないのだろう。言ってやるべきか……いや、楓が育つを妨げたくはないからな。しばしの間、信じて待とうか。


 しかたなく歩きながら、仙寿之介の言葉の意味を考える。
 無心ではなく、有心。楓の空(くう)が空(から)でしかなく、有り様として不正解であることを告げられたことは理解していた。が、それだけだ。なぜそれが不正解なのか、皆目見当がつかない。無心によって観の目を繰る、兵法の極意ではないのか。そもそも空(くう)と空(から)ではなにがちがう?
 ――仙寿之介に挑んだなら、少なくともあの少女剣士と肩を並べられると思った。それができなければ、なにを言っても遠吠えにしかならないだろう。
 しかし、実際に仙寿之介に挑んでみて残されたものは、満足感や達成感、開眼などではありえず、泥さながらの惑い……そればかりである。
「僕はただ、きみの背中を守るつもりでかばわれるようなこと、二度としたくないだけなのに」
 あらためてつぶやき、楓は歩を早めた。行くべき先は知れずとも、行きたい先はとうに定まっている。
 少しでも早く、僕は辿り着かなくちゃ。
 今はただただ闇雲に駆けるよりないのなら、誰より闇雲に、ひたむきに駆けよう。


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2020年05月18日

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