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『まばたきの狭間に』
梅雨la2804



 湿ったコンクリートの匂い、皮膚に感じる冷気。
 静かな地下室で、梅雨(la2804)は聴覚に神経を集中する。
 戦っている仲間たちが立てるだろう物音は、どんなに耳を澄ませてもここまでは届かない。
 見えるはずのない光景を見ようとするように、梅雨は天井の辺りを鋭く見据える。

 そのとき、腹の辺りにくっついている柔らかくて暖かいものが、身じろぎした。
「ワンちゃん、どうしたの?」
 梅雨は空気を混ぜるように鼻先を左右に振り、そちらを見る。
「どうもしない。だから安心してじっとしていろ」
「うん、わかった」
 10歳にもならないだろう男の子は、不安そうに、けれどそれ以上は何も言わずに口を引き結ぶ。
 子供なりに今の状況を耐えているのだ。

 梅雨はゆっくりと床に腹ばいになる。
 床の冷たさが、人口の毛並みを通してじわりと伝わってくる。
「体が冷えるとまずい。もっとこちらへ近づいたほうがいい」
「いいの?」
 男の子は梅雨に身体を預けるようにして、抱き着いてきた。
「あったかいや……」
 緊張のために硬くなっていた身体が、緩んでいく。


 その日、要請を受けて出動した梅雨たちの一隊は、市街地で敵と遭遇した。
 建物の陰に隠れて散発的に攻撃を仕掛けてくる敵は、中々に厄介だった。
 それでも少しずつ敵の数は減り、こちらが押し気味になっていた頃、逃げ遅れた市民に気が付いた。
 小さな子供と年寄り夫婦、合わせて3人が地下にじっと隠れていたが、流れ弾が地下室のあるビルに当たり、その音に驚いて悲鳴を上げたのだった。
 さすがにそのままにするわけにもいかず、かといって避難民を連れての戦闘は現実的ではない。
 相談の結果、梅雨が地下室の護衛にあたり、他のメンバーが戦闘を継続することになった。

 年寄りは梅雨の姿に驚き怪しんでいたが、子供は逆に安心したようだ。
 いつの間にかぴったりと傍にくっつき、毛並みを不思議そうに撫でたりしている。
 騒がないでくれるならよかろうと、梅雨も傍にいることにした。
 やがて仲間たちは敵を追って移動していき、地下室には静寂が訪れた。



 梅雨はゆったりと寝そべってみせながら、耳だけはせわしなく動かしていた。
 誰か近づくものがあれば、仲間なのかそうでないのか、判別しなければならない。
 地下室は頑丈で、仮に侵入者であっても、狭い入口を塞ぐ形なら梅雨にも対応できるだろう。
 逆にいえば、梅雨がしくじったら逃げ場がない。
 梅雨はゆっくりと尻尾を振った。
 何かを動かしていないと、緊張で張り詰めた力が暴発しそうになる。
 尻尾は床を撫でるように滑り、微かな音を立てる。
 それに気が付いて、子供は不思議そうに尻尾を見つめていた。


 梅雨は恐れていた。
 別に、闘いそのものに恐怖を感じていたわけではない。
 実際のところ避難民を見つけるまでは、思う存分仲間と共に力を振るい、敵と対峙していたのだ。
 だがこうして護衛に回ると、梅雨には大きな問題があった。
(敵にはヒトがいた)
 人間でありながら敵に協力するモノ。
 今回はそいつが市街戦を仕掛けていたのだ。

 実は梅雨にはどうしても破れない、リミッターがかかっている。
 ヒトに対し命に関わるような暴力行為はできないように制御されているのだ。
 何故そんなことになったのか、昔からそうだったのか、梅雨にはよくわからない。
 昔のことを思い出そうとすると、何故かデータの在処がわからなくなる。
 理由がわかれば、解決方法もあるだろう。
 だが何故そうなったのかがわからないので、リミッターを解除することもできないでいる。

 だから恐れている。
 今にもその扉を開けて、人間の「敵」が侵入して来たら?
 梅雨はそいつの息の根を止めることができない。
 自分の身を挺して、可能な限り阻止することはできるかもしれない。
 命に別条がない程度に、相手の行動の自由を奪うこともできるだろう。
 けれど正常ではない人間は、正常な思考を手放した人間は、ほんの一瞬の隙を突いて、この部屋にいる無力な人間をあっという間に殺してしまうかもしれない。
(それでは間接的に、俺がこの人々を殺したことになりはしないか?)
 人間の形をしたものを全て守ることを課せられて、梅雨は四肢を強張らせて立ちすくんでいるようだ。
(何か、答えが欲しい)
 梅雨がまばたきを繰り返す。
 幾度も確認した記録を、また調べなおすように。
 データの彼方に、見落とした何かを見出すように。



 恐れていた瞬間がやってきた。
 ゆっくりと階段を降りてくる気配は、見知った仲間のものではない。
「少し離れていてくれないか」
 梅雨が低く囁くと、子供はびくりと体を震わせ、梅雨の身体にしがみついた。
「やだ。ワンちゃんといっしょにいる」
 足音はもうすぐそこまで近づいている。
 梅雨は懇願するように、年寄りたちに顔を向けた。
「おい。子供を抱いていてやってくれ。これでは戦えない」

 ――敵だ。敵が近づいているんだ。
 お前たちを守るには、俺の身体で入り口を塞ぐしかないんだ。

 自分が敵を倒せないかもしれないこと。
 子供に痛い思いも、悲しい思いもさせたくないこと。
 梅雨はこの事実を、どう伝えればいいのかわからない。
 戦闘に意識が向いている今、人間の感情を上手く導く言葉を探すことができないのだ。


 タン、タン、タン!

 一瞬の緊張の後、梅雨は安堵を覚える。
 あれは仲間の立てる音。
 扉の外でもみ合うような気配があり、やがて合図のノックが響いた。
 梅雨は年寄りに、鍵を開けて自分の後ろに下がるように伝える。
 3人にしがみつかれたまま、梅雨は足を踏ん張って扉を見つめた。
 開いた扉から顔をのぞかせたのは、待ち望んでいた仲間の顔。
「全員無事か? もう大丈夫だぞ」
「ああ。こちらは問題ない。よく頑張っていたぞ」
 梅雨は子供の背中を鼻先で押し出した。

 最後に地下室を出た梅雨は、外の空気を思いきり吸い込む。
 地下室のカビと湿気の匂いを追い出したかわりに、土埃と硝煙と血の匂いが流れ込んでくる。
 仲間は、自分の判断で守るべきものと倒すべきものを区別し、行動していた。
 梅雨はまた、ゆっくりとまばたきする。
 自身の求める答えが、明暗の狭間に潜んでいるかのように。



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

長らくお待たせいたしました。
人工知能の迷いというテーマが個人的にとても好みでしたので、前回頂いたご依頼から膨らませてみました。
お気に召しましたら幸いです。
ご依頼、誠に有難うございました。
おまかせノベル -
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グロリアスドライヴ
2020年05月20日

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