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『わたくしと貴方の間に横たわる距離を』
桃簾la0911

 現実はフィクションのようにはいかない。そんなこと誰かに言われるまでもなく分かっている。誰よりその事実をずっと間近に感じてきた筈なのに、いつの間にか忘れてしまっていた。人は良くも悪くも慣れる生き物だ。確かに目の当たりにしていた姿も朧げに霞んでいき、傷跡に触れても、痛みを感じなくなる。それは別にいい。いつまでも負い目に感じながら生きることなど、二人は望んでいないと信じられるから。ただほんの少し――少しだけ、身近な人を喪う怖さを思い出した。

 今まで黙々と家政婦の手料理を味わっていた桃簾(la0911)は手を止め、対面に座っている地球においての保護者であり、このタウンコート花一華のオーナーでもある一華悟の顔をじっと見つめる。敢えて居心地が悪く感じる程真っ直ぐな眼差しを注いでいるのにも拘らず、彼は全く以て気付いていなかった。口は半開きでその手前に箸で掬った白ご飯が浮いているのだが、直にぽとっと音を立てて落ちそうだった。悟はそのことにも意識がいっていないようで相変わらず微動だにせず、どこを見ているのか分からないぼんやりとした目をしている。それを見ていた苗字不詳の家政婦エツコは箸の間から落ちかけた白ご飯の塊を悟の席にあるスプーンを使ってすかさずキャッチし、茶碗にリリースするという職人芸を披露する。別にそれに感化された訳ではなかったが、桃簾はいつしか、行儀が悪いと咎める気がまるで削がれていた。エツコはまだ洗濯物の片付けがあるとダイニングを出ていったので二人になる。珍しく顔を突き合わせているというのにどうにも居心地が悪い。こうも重症だと体調不良を疑いたくなる。
「悟、どこか具合が悪いのですか?」
「……へっ? いや、何でもないよ」
 転移後出掛ける喜びを知った桃簾とは違って、彼は根っからの引き篭もり体質である。買い物などの用事は全てエツコが行なっているし、生活に必要な諸手続きも電化製品クラッシャーである桃簾にはまだ未知の物という印象が強いパソコンなる機械を使えば大抵はどうにかなるのだという。しかし桃簾が転移して三人暮らしになってからというもの、外出せずとも最低限の身なりは整えるように提言して、それ以降はそのまま近所を出歩いても通報されない程度になった。なのに今は無精髭がうっすらと生えて、顔色は悪く、それで何でもないと微笑んでみせても説得力がない。この世界でいう干支が一回りするくらいの歳の差がもっと開いているようにも見える。ようやく箸を置き、悟はグラスのお茶を飲み干す。
「面倒だからと出不精を発揮しているようでは、後でますます面倒なことになるだけですよ。それとも何か悩みがあるのならばわたくしに話してみなさい。解決する保証は出来ませんが、決して助力は惜しみませんし、話せば楽になるということもあるでしょう」
 シスター服を着ているからという理由でもないが以前悟が語ったあるキャラクターを思い出し説得する。勿論心配は自身の気持ちだ。目が合い数秒、突如として彼は破顔した。更に笑い転げるとまではいかないが声をあげて笑い始める始末。戸惑う桃簾にごめんという言葉が返った。
「いや、再現率が高過ぎてびっくりしたよ。なんか余裕のある感じがあの包容力に通じてるのかな。ついでだし別のシスターキャラの台詞も言ってみてよ」
「……心配して、損しました」
 唇をへの字の形にして不機嫌な態度を示せばむしろ逆に悟の機嫌は良くなる。へらへらした笑みはどこか芝居ががって見えた。
「だからごめんって。この前、今季最推しアニメのヒロインが死んじゃってさ。一番好きなキャラは別なんだけど、意外とショックだったみたいだ。まあここからが熱いところだし、そのうち治るだろうから気にしないで」
「そうなのですか? それならば良いのですが……」
 確かにそういう状況はこれまでにも何度かあった。死んだとまではいかなくとも、裏切りにあって傷付く姿を見ただとか、または他の登場人物と愛し愛される関係に変わって、どうしてもそれが彼的には許容出来なかっただとか――まあそうした理由で大いに凹み、悟にしては珍しく泥酔してクダを巻いたり、じめじめと梅雨のような空気を放ったりし始めた覚えがある。
 腑に落ちないまでも本人がそうと言っている以上、あまり詮索するのは憚られる。そっと溜め息をつき、桃簾は食事を再開しだす。美味しいには美味しいが、やはり納得がいかずに集中しきれなかった。

 思えば桃簾は悟のことをあまりよく知らなかった。ダイレクトにこの花一華の最上階フロアー、悟とエツコが住まう所に転移して、彼に選択肢を提示された。その際に己の本名や故郷で置かれている立場について明かしたが、彼のほうはといえば名前と仕事と、望むならばここにいてもいいと話しただけ。親兄弟の話も尋ねたことはなかったし、悟が自主的に告げない過去を教えるだなんて無粋な真似をプロの家政婦たる彼女が犯すことは有り得ない。よくよく考えれば悟とエツコの関係についても、絶対的な信頼関係が築かれていること以外、詳しくは知らないのが実情だった。
(別にそれで構わないではありませんか)
 自分も全てをつまびらかにした訳ではないし。人となりは、接していれば自ずと理解出来ることで、その他に何が必要なのか。この家を出ていく? ――そんなこと、今まで考えたこともない。大体何か不満があるというには何かが致命的に違う気もするのだ。あの二人だけでなく、本名不詳で店に看板も掲げていないカフェのマスターも、桃簾がうっかり触れて壊してしまった機械を直してくれる住人も、自室で飼っている猫のコリオスとオクトも――このマンションにいる者は皆等しく、愉快で好ましかった。真っ白なシーツの上に身を横たえ、桃簾は思考をぐるぐると巡らせる。鴇色の髪が扇状に広がっては、寝返りを打つ度にさらさら滑り流れた。そうして目を閉じ自らの微かな呼吸音と時計の秒針が規則的に動く音に耳を澄ませていると、脳裏に閃くものがあった。
「わたくしは――寂しい、と、思っているのでしょうか」
 どうせいつかは故郷に帰るのだからとそんな消極的な理由ではなく。その未来は決して揺らがない事実だ。しかしだから桃簾は限りある自由を精一杯に満喫しようと決めた。それは人と人との触れ合いもまた同じではないのか。別れを理由に遠ざけるようなら一生を一人で過ごさなければならなくなる。そんなこと不可能だ。特に自分などは多くの使用人に囲まれ、向こうとフォルシウス両方の家に望まれて、領民に安寧をもたらす為に姫としてあるべき姿を教え込まれ――与えられた分、今度は自らが与える側にならなければ。そう思い今も生きている。これまでの繋がりが上辺だけだったとは決して思わない。しかし、世界を護りきって故郷に帰る手段を得られたら、絶対に戻るつもりだから――だから関わる人とも悔いを残さないようにと、そんなふうに感じた。
「より近付くことが出来たならば、何かが変わるのか――わたくしはそれを確かめねばなりませんね」
 果たして吉と出るか凶と出るか。呟いて桃簾は上体を起こした。以前程ではないとはいえ、イマジナリーシールドで抑えきれなかった痛手が全体的に残る身体に眉を顰め、声でエツコを呼び出せる機械の前に立つ。何が起こっても受け入れると覚悟した黄金色の瞳は全てを照らすような光を放っていた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
何かこうマンションの住人たちが総出演するような、
ふんわりコメディー系騒動を書きたかった筈なのに
気付けばシリアスな感じに……折角のおまかせだし
桃簾さんの身の回りの人をと考えて以前書かせていただいた
お話を改めて読んでいたらそういえば彼の身の上については
言ってないし初対面で言わなかったら、わざわざ言う機会も
なさそう、桃簾さんが重体になったときも思うものが
あったのでは、と考え出すと触れたくなった次第です。
おまかせだから出来ることなので、もし解釈的にオッケーでも
続きが書けるわけではないですが、RPの足しになれば幸いです。
今回も本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
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グロリアスドライヴ
2020年05月26日

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