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『己もまた孤独を知る故に』
白野 飛鳥la3468

 豊かな睫毛を濡らす水が雫になって、一つまた一つとテーブルの上に置かれた手の甲に零れ落ちる。唇を噛んで、押し殺そうとした涙はやがて、そうはしきれず、小さな嗚咽に変わった。ごめんなさいという言葉が自分に向けられていると気付き、白野 飛鳥(la3468)は僅かにかぶりを振る。どうして涙を流す彼女を責められようか。膝の上で知らず知らず握り締めていた拳を解いた。顔を上げて、眼鏡のレンズ越しに俯き目許を擦る彼女の顔をじっと見つめる。
「この件は俺に任せてもらえませんか。大丈夫です、絶対悪いようにはしません」
 普段落ち着くとはいわれても頼り甲斐があるとはいわれたことがない声音に強い決意を秘めて言う。その言葉を聞き彼女は再び顔をあげた。その目は赤らみ、まだ堰を切ったように次から次へと涙が流れて、痛ましさに飛鳥の心はちくりと痛んだ。テーブルを挟んだ向かいに座っていなければ肩に手を添えて、背中をそっと摩るくらいのことはしたかもしれない。自身と彼女は恋人でもなければ、友人ですらもなく、ただ任務で何度か一緒になっただけの仲に過ぎない。しかし彼女はいつも一生懸命だった。同郷ではないが飛鳥と同様、戦いには無縁な生活からライセンサーとしてSALFに籍を置くようになったと、親近感を抱く境遇でもあった。そして何よりも――。
「……どうしてそこまでしてくれるんですか?」
 幾らかの沈黙の後、少し落ち着いた様子の彼女がそう疑問を呈する。関与を疑われているのでなく、純粋に気になったようだ。目の前に置かれたティーカップに視線を落とす。琥珀色の水面には普段より眉がつりあがった顔が映った。意図して微笑みを浮かべるとこう返す。
「俺も決して他人事じゃありませんし、それに――」
「それに?」
「俺たちと同じ境遇の放浪者が被害に遭うのを見過ごせないですしね」
 ――どうしても許せないことがある。その一番の理由は飲み込んで、別の言葉で繕う。嘘ではないので彼女も得心したように深く頷いてみせた。やっとカップに口を付ければ、まだ温かい飲み物が冷えた身体を温めてくれる。口の中の傷に障るらしく、苦心して珈琲を啜る彼女がとても痛ましかった。

「――それで元の世界に帰る宛は一体どこにあるんですか?」
 飛鳥のその問いかけに、今まで人の良さそうな顔をしていた男の瞳が酷く鋭くなった。しかしまるで見間違いかと思う程一瞬で消えて、すぐまた笑みを浮かべてみせると、鷹揚に頷いて答える。
「実はここだけの話なんですけど、ある異世界には別の世界と行き来可能な技術が確立されてまして。極秘裏にその研究が進められているんです。勿論その世界からやってきたライセンサーの協力ありきでですね」
 そう言われて飛鳥は自身の故郷を思い出した。技術も何もかも全くの別物ではあるのだが、故郷でも放浪者とナイトメア、ライセンサーとほぼ同義の存在がいて、しかし、自身は何の力もない一般人だった。また母はこちらでいう適合者だが、飛鳥が幼い時分に亡くなっている。ただその後、十六歳になるまで自分を育ててくれた伯母が放浪者のような者であることから、そうした世界は比較的身近にあったし、その伯母が失踪した際も事情を知らない人間からは男の話のような装置を使ったのではないかと言われていたのだ。少し心当たりがあるだけに一瞬まさかと思ってしまった。そんな飛鳥の僅かな動揺など露知らず、男の弁達は続く。いつの間にやら客がいなくなって、喫茶店の中はしんと静まり返っていた。
「ただ幾ら故郷に帰りたい放浪者の為とはいっても、ただでは研究など続けられません。ですので出資していただく代わりに完成した暁には優先して、帰還の手続きをさせていただくという形を取っています」
 用意された台本を読みあげるかのような、滑らかでいっそ気味の悪い語り口調である。まだ続きそうなのを感じ取って飛鳥は口を挟む。
「俺も是非出資させていただきたいんですけど、本部の誰にお話すればいいんですかね」
 完全なる沈黙が落ちる。男の顔から笑みが消えた。飛鳥の前にあるグラスの中で氷が涼しげな音を鳴らす。一口も飲んでいないそれは溶けた氷で薄まって、嵩を増していた。飛鳥はのんびりとした様子で立ち上がる男を見返す。そこに穏やかな空気は微塵もない。人からは受けるのが初めての殺気に物怖じしないことだけを意識した。敵だと認識して心の温度が下がる。
「テメェ……何もんだ?」
「俺はただのライセンサーだ。あんたと違って失効してない、現役の――な」
 男と同様に態度を変えた飛鳥が言い切るか否かのところで、テーブルを踏み越えて強引に前進した男が肉薄してくる。流石に縁を感じたあの日本刀を携帯するわけにはいかず、素手だが心構えはしていた分、交差させた両腕で顔を庇うように軽く防御した。許さないという意思を想像力に転換し、普段の暮らしでは発揮されない適合者の膂力で男が踏み台にしているテーブルを蹴り上げる。失効についての確証はなかったが、一般人では有り得ない動きながら、まだ実戦経験は少ない飛鳥に反応が遅れる辺り、ブランクは長そうだ。凡そあの彼女のように疑問を呈した相手を脅すくらいにしか使っていないのだろう。
 この世界で初めて戦う力を手に入れたら、同じ世界の脅威でもレヴェルのような人間に躊躇なく攻撃出来ないのは当然だ。ましてや仲間を装い不安を拭う甘い言葉をかけた相手ならば尚更。
 バランスを崩して倒れた衝撃に椅子ごとひっくり返る男を飛鳥は冷ややかに見下ろす。怒りはない。両親を殺した者にすらもう恨みは抱いていない。ただ両親が生きていれば飛鳥は今ここにはいなかったのかもしれない。違う自分になったのかもしれない。たらればを思うだけ。それと脳裏にちらつくのはあの彼女の泣き顔だ。誰も知り合いのいない世界で、一人頑張るその心を踏みにじった。命まで奪われるわけじゃないと軽く見られない。
 手首を掴み腕一本で男の身体を引き上げると、丁度店の入口が開き、続々と人間が入ってくる。男の唇が歪につり上がり、勝利を確信する。飛鳥も男を放り出し、応戦の構えを取った。正直多勢に無勢という他にないが、ここで自分が逃げれば男も逃亡し、そして同じ行為を繰り返すだろう。と――。
「動くなッ! 貴様ら全員、近頃多発している転移詐欺事件の重要参考人として確保するッ!!」
「間に合ったみたいですね」
 構えを解くと、飛鳥は眼鏡のブリッジを押して息をついた。目の前では突入してきた警官に男の仲間が抵抗を試みるも拘束されていく。男も這う這うの体で裏口に身体を向けたが、そちらからも入ってくる姿を見て気持ちが挫けたようだった。あの彼女に警察へ相談を勧め、動く確約はしてもらったのでそれ程心配はしていなかったが。現在の状況の説明に時間を取られるだろうが安いものだ。
(一人は寂しい)
 だから一縷の望みに縋りたくなったのだと理解出来る。飛鳥も伯母が失踪して一人きりになり、今もまた本部内で見かけた気がするその影を追っているのだから。元の世界に帰りたい。それが出来ないなら、せめて大切な人と喜びも悲しみも共有したいと思うのは当然の心理だ。だから探す。この世界にいるかもしれない伯母の所在も元の世界に帰る方法も、全部自力で掴み取るのだ。改めて決意をする飛鳥の目の前で、あの彼女を泣かせた事件は幕引きを迎えるのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
武器は持っていなくてもメタ的な言葉でいう防具が
あれば適合者としての力は発揮出来るという実にふんわりとした
解釈に基づく戦闘(?)シーンなので、全然違ったら申し訳なく。
ネタ被りを避けるという意味だけではなく同じような境遇の人に
寄り添い行動する飛鳥さんの姿を書きたかったというのもあって、
やや駆け足気味ですが、こういった内容にさせていただきました。
再会前と再会後ではモブの女性に抱く感情が変わる気がするので
同じような心境の再会前のエピソードとして描いてます。
モブは近過ぎず遠過ぎずの距離感を心掛けたつもりです。
今回は本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
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グロリアスドライヴ
2020年05月29日

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