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『女神登坂』
スノーフィア・スターフィルド8909

 スノーフィア・スターフィルドの基本職は女神である。
 と、スノーフィア・スターフィルド(8909)は今さらながら思ってみたり。
 たとえばスノーフィアは言霊を繰り、実世界の現象……それどころか理(ことわり)にまでも干渉できる。そんな凄まじい力を乱用し、世界を自身の思惑で再構築してこなかったのは単純な話、彼女の前世がしがないおじさんで、それなり以上の常識と良識を弁えていればこそだ。
 ええ、けして設定を忘れていたわけではありませんよ?
 虚空から目を逸らして新商品の缶酎ハイを呷る。うーん、流行の9パーセントは酔いを強要されているみたいで、今ひとつおもしろくありませんね。ながら飲みが部屋飲みの醍醐味でしょうに。
 脳がアルコール漬けになる前に飲みかけの缶を置き、パソコンをスリープから醒ます。今日中に“本物さん(最近交流を深めている、別世界住みのスノーフィア)”から送られてきた新作小説を読み終えてしまわないと、明日会ったとき気まずくなってしまう。
 ――ここでふと、考える。
 本物さんとは行ってますけど、あのスノーフィアさんよりも私のほうが設定に忠実ではないでしょうか?
 本物さんはスノーフィアであることに拘りを持たず、むしろ本来の自分を貫いている。
「なのに自然に上がるんですものね、女神レベル……!」
 スノーフィア・スターフィルドという存在に設定されているらしい、女神レベル。本物さんはそれを上げていろいろなボーナス能力を手に入れているのだ。こちらのスノーフィアは、存在すら知らなかったというのに。
 私にもあるはずの女神レベル! そのゲージってステータスのどこに隠れてるんでしょうね!?
 いや待てクールになれ。考えるのだ。自分と本物さんのちがいを。そこにこそ女神レベルの謎はあるはず!
 本物さんは元が女子だからこそ上がる(にちがいない)。
 自分は元がおじさんだからこそ上がらない。
 つまりはやり方を真似てもだめだってことだ。だとすれば、もう。
「女神っていう設定を突き詰めてやりますよ! 設定通りにするのは得意ですから! そしてレベルを上げて成るんです! 真の職業女神、スノーフィア・スターフィルドに!」
 スノーフィアという存在への愛はともかくとしてだ。設定通りにできていたら、まずもって酒は飲まないだろう。それに女神とは最初からそう在るものであり、レベルで計る職業じゃなかろうに。
 とまれスノーフィアは、人の手でネットにアップされた知識を元に真の女神像を模索する……


 そもそも女神とは、人々にとってどのようなものか?
 象徴としての母性――絶対にして無償なる庇護を、概念的に表わし、現わしたものであろう。もちろんこれは数多ある論のひとつに過ぎないわけだが、元が男であるスノーフィアにはもっとも染みる概念だった。
 女の人にはなかなかわかってもらえませんけど、男にとってお母さんは、本当に変わることなくお母さんですからね。
 そうでなければ極論的なディフォルメ、あるいは無意味に尖らせたカリカチュアとはいえ、バブみを感じてオギャるとかいうパワーワードが生まれ出でようはずはないだろうが、さておき。
 女にはまるで理解されない男の都合というものは、いつの時代にも色濃く世界を染め上げているわけだ。
 では、その男の都合という観点から考察を進めてみようか。
 男子は女子に母性を求めるが、同時に無垢をも求める。いわゆる処女厨というやつだ。
 この有り様についてを心理面から分析すれば、自分にのみ注がれるべき母性愛が、かつて他者へ与えられていたことへの憤り――当然のごとく経験するはずの恋愛を経験せず育つことで歪み、肥大した独占欲を原因としているものと考えられよう。
 そんな男子は、内に抱えた問題から己を守るため、さまざまな防衛を試みる。ある者は女子に興味などないと豪語し、ある者は女子を蔑視して遠ざけ、ある者は来世に期待する。そうして疲弊し、絶望した末に彼らは行き着くのだ。独りよがりにバブみを感じてオギャれる二次元へ。
 続けて、ワードとして登場した心理面からの分析へ考察を繋ごう。
 心理学者であるカール・グスタフ・ユングは『アニマ及びアニムス』の論において、男女共、その種族的無意識の内に逆の「らしさ」を含んでいることを説いた。つまり男の中には女らしさが含まれているし、女の中には男らしさが含まれている。
 ここから導き出される論はなにか? スノーフィアはこう考える。
「人が人になったとき、すでに男の娘(こ)が生まれることは決まっていた。そういうことですよね?」
 では、人が同性に対して抱く性欲なき欲望とは、ひと言で表わすならばなにか?
 そう、守られたい欲である。同性であればこそ、この苦痛と懊悩を言わずとも察してくれる。すべてを受け止め、癒やしてくれる。だからこそ自分のすべてを預けられる。
 この情動をごく簡単に説明するならば、それはもう「バブみを感じてオギャる」に他なるまい。
「……私は今、とんでもない真実に気づきつつあるのでは?」
 モニタからよろめき離れ、スノーフィアは残りの缶チューハイを一気に飲み干した。先に言っておけば、そういうことをするからこんな有様を晒すのだ。

 さて、出そろった考察を整理していこう。
 女神とは、慈愛を求める男の庇護欲を強く反映した“優しき母”である。
 女神とは、現実をうまく渡ることのできない男の歪みを濃く映した“都合よき無垢”である。
 女神とは、とにもかくにも庇護されたい男がなにを気づかうことなく自分を投げ出して預けられる“男の娘”である。
 以上を踏まえて、結論。
「女神とは、バブみを感じてオギャれるもの」
 スノーフィアは震えた。それはもう、奮えた。
 心が男子だからこそ男の欲も都合も十二分に理解した、体だけ女子の自分。ある意味完璧な男の娘ではないか。
「私はすでに完璧なのでは?」
 そのとき。
 ピロンと電子音がして、スノーフィアの内に経験値が蓄えられた。それも今まで得たことのない類いの。
 まさかこれは!?
 あわてて確かめてみれば、それは予想通り――
「女神レベルゲージに経験値いただきましたよーっ!!」
 これ以上ないくらいのガッツポーズを決めるスノーフィア。もちろん独り。狂おしいほど、独りでだ。
「ああ、晴れやかですね。女神ってなんてすばらしいんでしょうか! そうですよね、バブみとオギャりですよ! 真実はいつだって簡単なんです! だって私、毎日バブみを感じてオギャってますから!」
 ぷしーっと開けた新しい缶からチューハイを補給、スノーフィアは浮かれた心を引き締める。
 はしゃいでるときじゃありませんよ、スノーフィア。これはあくまで第一歩です。私はようやくのぼりはじめたばかりですからね。このはてしなく遠い女神坂を!
 昭和生まれのおじさんならではなネタを心に奏でつつ、乾杯。きっと明日の朝は絶望的な頭痛に苦しむだろうが、もういい。今日はぶっ倒れるまで飲んで、祝うのだ。

 ちなみに彼女は丸っと忘れていた。『英雄幻想戦記』では、ファンブルを出すとお情けの経験値がもらえることを。そして彼女が得た微妙な経験値は……これ以上の説明は必要あるまい。
 一応、彼女が自説の滅茶苦茶さに気づくまでには相当の時間がかかるのだということ、最後に記しておこう。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年06月01日

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