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『雨は降らずとも地固まる』
ミアka7035)&ロベリア・李ka4206

 夜中にオーケストラを奏でていた大雨は影も形もない。久しぶりに大切な人に会いに行くには丁度いい天気である。ホビットハウスから朝露に濡れる森を通り、市街地に出ると、整備が行き届いておらず凸凹の道を通る際にミア(ka7035)はふと足を止めて俯いた。大きな水溜まりに歪んだ自分の顔が映っている。昼前という時間帯の為か、ひと気は少なく――渾身のお土産が入ったリュックを背負い直し、ミアは水溜まりの前でしゃがみ込む。肩から胸にかけて垂れる、緩くフィッシュボーンに編んだ髪を後ろに流し、微笑を浮かべる。世界の命運を懸けた戦いから五年、過ぎた月日はミアを年齢相応の女性へと変えた。特に問題はないと思うが、身だしなみを軽く整え立ち上がる。胸元にはネックレスにした天鵞絨のキーチャームが下がっていてミアが歩く度に、動きに連動し跳ねた。軽やかな足取りにリュックの中身を振ってしまいそうになるが、中身がひっくり返ってはいけないとなるべく水平を保つ。雲一つない青空から降り注ぐ陽気が心地良くてミアは僅かに目を細めた。つい鼻歌を口ずさみたくなる。そうするうちに、見覚えのある店が並ぶ通りに入った。目的の場所までもう少し。期待に胸を膨らませて辿り着いた先の、店の入口――ではなく、そのガレージを覗く。と、そこに会いたかった人の姿を認めるとミアは悪戯を仕掛けるなんて発想もせずに飛び出していった。
「こんこんこーんのこんにちはニャスー♪」
 そう挨拶をすると、ぶんぶんと手を振り、まさに猫まっしぐらといったふうに駆け寄っていって――ガレージ内へと足を踏み入れたところで丁度、真剣に何かしらの作業に取り組んでいた背中が振り返る。慌てた声が飛んできた。咥えただけのタバコが地面に落下する。
「待った! 今、油で汚れてるのよ?!」
 待ったの声に、ミアは半端な姿勢でぴたりと止まった。今目の前にいるのはこの整備屋の店主であるロベリア・李(ka4206)だ。彼女とはハンターとして活動していた頃からの仲で、別々の道を歩んでいる今も生活の合間を縫っては会いに行ったり来てもらったり、集まったりしている。ロベリアは作業着を着ていて言葉通り手から腕から顔に至るまで、煤のように黒い機械油に塗れていた。その彼女が向き合っているのは魔導バイクだ。記憶が正しければ休みの筈なので、個人的に所有している物の整備を行なっているらしい。スパナだか何だかミアは訊いても一向に覚えられない工具を地面に置いて、ロベリアは作業の手を止めてくれる。そして手で止まれのジェスチャーをされた。彼女の瞳はある意味、仕事中と同じくらい真剣だ。しかし。
(待ったと言われると動きたくなるニャスこれ如何に!)
 元より鬼でありながらも猫のような気質を持つミアだ。ただじっとしているのは得意ではない。両手を肩の高さでわきわきと握りながらにじり寄れば尚も待ってと繰り返しつつ後退するロベリア。ミアはキランとその目を輝かせた。
「ちょっと待ってって、ミア……?!」
「――ロベリアちゃん、知ってるニャスか。猫はおあずけが出来ないんニャスよ!」
 言うなりリュックの中身に気を遣うことも忘れて、入口の側からガレージの中央まで走り、一気に距離を詰めるとロベリアの許へと手を広げて飛び込んだ。抱きつけば、つんとする油の匂いが鼻腔を刺激する。結った髪もお気に入りの服も汚れてしまったが、そんなのはミアにはどうでもいい話だ。褒められたかったからおめかししただけで、ロベリアの温もりを感じられるほうが嬉しい。幸せを目一杯噛み締めていると、耳の側で溜め息が零れた。
「全く、ミアったら仕方ないわね。汚れが落ちなくなっちゃったら悪いし早く洗濯しましょ」
 背中を摩るのは多分手首の辺り。少しでも汚れがつかないようにとの配慮と、突然の来訪自体は歓迎してくれているのを感じる。頬を摺り寄せると「もう!」と彼女は怒ってみせるが優しい声にほんのりとした愛しさが混じっていた。そのうちロベリアは少し強引にミアの身体を剥がし、手の数少ない汚れていないところで頬を拭ったが、渋面になる。そして剥き出しの腕にも視線を落とす。
「肌にもべったりついちゃってるから、これはお風呂に入らないとね」
「わーいっ、ロベリアちゃんとお風呂ニャス! 一緒に入るニャスよ」
 ぴょんぴょんはしゃぎ、それからリュックの中身を思い出して、静かに動きを止める。そんなミアにロベリアは訝しげな顔をしながらも、とりあえず白いタオルを渡し、棚から何やら取ってきた。見れば、専用のクレンジングクリームらしい。ミアも困らせるのは本意ではないので、先導する彼女の後ろをついていった。

 リュックをテーブルの上に置き、借りた服――利便性から未だ寝巻きとして愛用しているらしいジャージ――に着替えるとクリームを染み込ませたタオルでミアはロベリアにごしごしと拭かれた。まずは顔の汚れを拭き取り、次は腕回り。世話焼きな彼女に世話されるがままだ。ミアにとってロベリアは大切な“母親”。それは今でも変わらずだ。――そう、一緒に得た幸せも、築いてきた絆も、何一つ変わっていない。椅子に座り、手持ち無沙汰に足を揺らせば「こら」と優しい声で怒るロベリア。台所を見ると新築ではないにしろもうそれなりの時間、使用している筈のそこはやけに綺麗で、少なくとも数ヶ月は触った形跡が見られない。外食が多いのだろう。その光景を見ていてミアの頭に浮かぶのは一人の男。今の関係で充分と思っている節が窺えるのはきっと思い違いではない。じっとリュックを見て、お湯が沸いたと知らせる音が聞こえると、ミアはロベリアに連れられて洗面所へ向かった。

 ◆◇◆

「本当綺麗になったわねー。前は可愛いってイメージのほうが強かったけど、今ではすっかり美人さんだわ」
「えへへ……そんな褒められると照れるニャス」
 どちらかというと髪型や服装に引き摺られている面が多いと思っていたが、髪を解き裸になったミアを見ているとしみじみ実感する。とはいえ天真爛漫で純粋無垢なところも健在。恥じらいもなく全裸を晒すのは流石に限られた相手だけと思いたいが。ただ可愛い妹分の結婚式は勿論、この整備屋兼自宅に戻った後も暫く余韻に涙ぐんだロベリアは「誰が母さんだって?」と言いつつも自分の中に親心があるのを認めざるを得なかったり。実際時たま訪れては、手のかかることをして世話を焼くという流れは満更でもない。泡だらけの背中を洗い流せば、ミアは擽ったそうに笑い声を零した。

「じゃじゃーんニャス! おうちごはんしないロベリアちゃんにお弁当の配達に来たんニャスよ♪」
 お風呂からあがると髪を乾かし、早くも乾燥した服に着替えホクホク顔をしたミアが得意げに出したのは弁当箱だ。風呂敷を解き箸を横に置くと、蓋を開ける。すると喜色が一転して暗くなった。
「あらら、傾いちゃったみたいね」
「うぅ……少し暴れ過ぎたニャス。悔しいニャス!」
「でもほら、少し潰れちゃってるだけで可愛いわよ」
 と言うと、弁当箱の向きを逆にしてミアに見せる。猫耳や尻尾の模様から、黒猫の相方にそう呼ばれているように、三毛猫の顔を模したご飯は微妙に圧縮されてしまっていた。しかしやや童顔になった程度で済んでいて、間仕切りがあるので無事なおかずも花の形にカットされた人参があったり、カラフルさや栄養にまで気を遣っていると分かる。昔とほぼ変わらない料理の腕前を持つロベリアには、逆立ちしても真似出来ないクオリティだ。一応偶にはしているのだ。挫けて離れるをループするだけで。
「わざわざありがとうね」
「他ならぬロベリアちゃんの為ニャスから、当然ニャスよ」
 ミアに笑顔が戻り、ほっとした。
 本当に届ける為に作ったようで、一人前のそれはすぐ戴くことにしたが、それで帰らせるのも嫌とロベリアは魔導冷蔵庫から丁度昨日買っておいたデザートを取り出し、時間が許す限りのお喋りを楽しもうと対面に座る。湯呑みに注ぐのは悪戯されて以降もそのままのお茶汲み機で入れた紅茶だ。
「近頃どうニャスか? 何か、面白いことあったニャス?」
「面白いこと、ねえ……常連さんが宣伝してくれてるみたいで、最近は整備屋一本で食べていけるようにはなったけど。弟子とも上手くやれてるし、休みの日も暇さえあればさっきみたいに機械弄りしてるし……まあ相変わらず、ってところかしら」
 同じ日などないが代わり映えもしない毎日だ。初見の客の中には女店主と甘く見る者もいるが、何とか説得して預けてもらえば実力で納得させられる。基本機械漬けの毎日を送っている為、提供出来る話題はせいぜいその辺りと外食、三姉妹の真ん中など、共通の大切な人くらいのものだ。それ以外に話すことがなさ過ぎて、若干困った。と沈黙を紅茶を飲んで誤魔化していると閃く。
「……そうだ。お弁当のお返しに、何か作って今度プレゼントするわね」
「ウニャ?!」
「何にするかは今から考えるから、届いてからのお楽しみ、ってことで」
 言って柄にもなくウインク一つ。唇の端にクリームをくっつけたミアは「楽しみニャス」と頬を緩ませた。趣味が半分、実用性も半分で、魔導機械を作るとして、バイクやカメラは持っていた筈だしと考えていると急に時計の音が気になった。しかし懐中時計は彼女の胸元にある。となれば置時計か。自分ならどんな装飾を施すか想像が膨らんだ。とミアのことを考えると連想するのは黒猫の相方――黒亜(kz0238)の顔である。彼になら任せられる、そう思って五年以上の年月が過ぎた。スポンジ生地の柔らかさに蕩けた顔をする彼女を見て咳払いすると尋ねる。
「ミアはどうなの? 例えばサーカス団のこととか――黒亜のこととか」
 探るというには直球過ぎただろうか。いつか“家族”の一員になりたいと話していた彼女だ。ロベリア的にもその幸せを願わずにはいられない。妹のように大切に思っているし、その明るさと優しさに感謝もしている。今日も充実はしているが平坦な日々に彩りを与えてくれた。
「クロちゃんニャスか? 最近はよく一緒にお昼寝してるニャスよ。公演頑張った日はご褒美買ってくれるニャスし! ――とっても優しいニャス」
 ふと蕩ける瞳。母と呼ぶ自分や父と呼ぶあいつにも見せない感情が灯った。蜜のような気持ち。恋は愛へと昇華された。そんな気がする。お昼寝だのご褒美だのと言っている辺り無自覚かもしれない。しかしそれも時間の問題だろう。すっかり大人になったミアはサーカス団の一員としての評価も上がり、踊り手のあの子と人気を二分しているらしい――男からのミーハー人気的な意味で。何かあったら黒亜が決定的な一言を放って、ミアも意識せざるを得なくなるだろう。あの挙式を見た後だと自分のことは横に置いて、彼女の晴れ姿も見たいと願ってしまう。
「そういえばロベリアちゃん、夜の予定はないニャス?」
「今日の夜? 何もないわよ。泊まるなら、泊まっていっても――」
「それもいいニャスけどそうじゃニャくて……ロベリアちゃんの夜を“彼”にあげてほしいニャス」
「……“彼”?」
 唐突な言葉に思わず眉を顰める。と、見計らったように入口の来客を告げるベルが鳴った。CLOSEDの札はかけたがたまに間違えて来る客がいる。その手合いだと思い腰を浮かせるロベリアの耳に思わぬ言葉が届く。
「ニャ、時間通りニャスな」
 振り返ればショートケーキの天辺の苺を口に放り込んだミアの様になっているウインクが飛ぶ。状況が飲み込めずに固まっていると、住居に誰かが上がり込む音が聞こえた。ミアが立ち上がるのを視界の隅に映しながらもう一度向き直る。現れたのは相棒とでもいえる相手――シュヴァルツ(kz0266)だ。格好こそ普段通りだが何故か花束と、前に保温機能をつけたランチジャーを持っている。中には手料理が入っているに違いない。
「じゃ、後はごゆっくりニャスー♪」
「ミア、待って、私頭がこんがらがってるんだけど……!」
 と困惑の声をあげるも、ミアは通り際に肩を叩くとご機嫌な足取りで廊下に向かい、そしてその背中はすぐさま見えなくなった。そして、二人が残る。心臓を高鳴らせるのは九割の困惑と一割の期待。彼は頬を掻き、わざとらしい咳払いをした後口を開く。紡がれた言葉に、ロベリアの脆い涙腺は瞬く間に緩んだ。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
シュヴァルツさんの台詞を書くのは野暮……というより
単純に字数が足りなかったので、ここで切りました。
記載していただいたリプレイを一通り確認しましたが
間違っている部分があったなら申し訳ないです。
環境は変わってもミアさんとロベリアさんだったり
黒亜さんシュヴァルツさんとの関係はそれ程大きく
変わっていなくて、でもこの先は変わっていくのかなと
そんなことを考えながら書いてました。
小ネタや一つ一つのシーンを掘り下げたかったんですが
500字以上削ることになってしまって無念な限りです。
本編の未来のお二人が書けて嬉しかったです!
今回も本当にありがとうございました!
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2020年06月01日

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