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『分別と情熱と幸いと』
珠興 凪la3804)&ラシェル・ル・アヴィシニアla3428

 シティ・ロースト――いわゆる中煎りに仕上げたコーヒー豆をミルで挽きながら、珠興 凪(la3804)はラシェル・ル・アヴィシニア(la3428)へ声音を投げた。
「コーヒー豆はかならず淹れる直前に挽くこと。挽いたまま保存しようとすると、どうしてもいろいろなにおいを吸着しちゃうから」
 真空パックの口を開けると、ふわり。ローストした豆のにおいが溢れだした。
「ロースト香だけじゃなくて豆そのものの香りを殺さないためのシティ・ローストだよ。それを少し粗めに、均一な欠片になるよう挽く」
 ラシェルはふむとうなずいた。凪の使うミルは蓋つきで、挽かれる豆は見えないのだが、挽き上がった豆が溜まる本体部は透明な樹脂。実家で見た曰くつきの逸品とはまるでちがう。
「豆挽器とは真鍮や木で造られているものとばかり思っていたが、それはちがうんだな」
 対して凪は、「うん」。
「オーダーカスタムはしてるけど、工業品だから。挽刃も含めてセラミックと樹脂でできてて、丸洗いできるんだよ」
 工業品の強みは、品質維持の容易さ、そして品物の供給の安定性にある。つまりは戦場においての武防具の有り様と等しかろう。
 そこまで考えてみて、ラシェルはひとつずつ推理を整理していった。
「洗うことで機器の清潔を保つわけか。いや、それだけのことではないな。工業品だからこそ数をそろえることが容易で、そうすればなによりも、豆の種別ごとの“同じ味わい”を保つことができる」
「これから偉そうに説明しようと思ってたんだけどなぁ」
 くつくつ喉を鳴らし、凪は次の作業へ移った。
 実際、ラシェルの解答は満点である。その日出せるコーヒーごとにひとつミルを用意すれば、他のコーヒーの味が混ざることはない。次の日までにきちんと洗っておけば、ミルに残る酸化したカスが次のコーヒーの味を侵すことはないし、コーヒー豆の種類が変わっても同じように味を保つことができる。
「豆の重さに合わせて湯量を整えるんだけど、お湯の温度は90度くらいがいいかな? 淹れるときの基本は85度前後だけど、少し高めのほうが香りが立つからね」
 冷水から引き上げたネルフィルターを別に用意していた湯へくぐらせ、固く絞ってしわを伸ばし、サーバーへセット。
 そこへ粉というより細かな砂利さながらなコーヒー豆を入れ、少量の湯で湿して蒸らす。
「ああ、そうそう。コク深さよりさっぱりした味わい重視なら、フィルターを紙にするといいよ」
 言い添え終えれば、あとはもうゆっくりと、フィルターに湯を直接かけないよう注意しつつ抽出していくだけ。
「使い終わったフィルターは汚れ落としと消毒を兼ねて煮沸、その後は冷水につけて冷蔵庫で保管」
 サーバーから、これも先にあたためておいたシンプルな白磁のカップへコーヒーを注ぎ、ラシェルの前へ置いて。
「かかる手間はこのくらい。そんなに大変じゃないと思うけど」
 ソーサーに乗せられたカップを手にしたラシェルは、鼻先で湯気の香りを押し止め、深く吸い込んだ。
 甘みがある。渋みがある。苦みがあり、辛みがあり、旨みがあり……それらが互いに溶け合い、得も言われぬ芳香を成している。
「凪。この際正しく自覚しろ。普通人にとってこの作業は困難だ。そもそも、複数の場面で最適解を見極められるものか」
 言い終えてからひと口、コーヒーを味わう。
 このなめらかさ――豆の油分か。この艶めかしさ、まさに漆黒だな。紙フィルターならざらりとした墨黒になるか。それはそれで味わってみたいものだが、とにかく。
「俺は今、天賦の才というものを目にしている。だというのに欠片ほどの詩心も持ち合わせていないのは、なんとももどかしいところだ。……実家になら託せる者もいるんだが」
 つくづく我が身の非才が嘆かわしい。しみじみと渋面を左右に振るラシェルへ、凪はおっとり手を振って。
「あんまり甘やかさないでよ。僕が勘違いして好きになったりしたら困るでしょ」
 しかしラシェルは生真面目な顔をまっすぐ向けた。
「俺は凪だけでなく、凪がパートナーと育んでいる愛も見ているからな。勘違いをさせたい気はまるでないし、勘違いするような安い輩だともまったく思っていない。そこまで信用させてくれる凪だからこそな」
「そういうところなんだけどね」
 凪は苦笑して、わけがわからない顔をするラシェルの向かいへ座る。
 わからなくていい。自覚してしまえば、ラシェルはさらにそうあろうと努めてしまうだろうから。誰よりまっすぐで、心と言葉を尽くすことを惜しまない彼の美しさは、彼以外の皆がわかっていればいい。

「ラシェルがコーヒーの淹れかた憶えられたらいいかなって思ったんだけど。そしたら家でも楽しめるでしょう?」
 ここはグロリアベースの食堂の一角。許可を取って使わせてもらっているのだが、別に貸し切っているわけではない。それでも他のライセンサーが入ってこないのは、この組み合わせが醸し出すなにかのせいなのだろう。もちろん、そのなにかの正体は誰にも……凪やラシェルにも知れないのだが。
「俺も最初はそのつもりだったが、無理だ。俺は不幸にも見る目、聞く耳、味わう舌を経験で得てしまっていて、わかってしまう。そんなものを持ち合わせていなければ、無邪気にやってみると意気込めただろうに」
 不幸だ不幸だと言い張るラシェルに、凪は思わずため息をついた。
 無口で無愛想に見えるラシェルだが、そもそもが面倒見のいい男だし、実は真逆の性質を秘めてもいる。それをあえてひと言で表わすならば、全力。
 生まれに与えられた高貴さは強靱な矜持となって彼に芯を通し、与えられるまでもなく彼の内を満たしている善性は、懐まで入り込んだものをごく自然に、しかし己を尽くして守り抜かせる。
 そんな全力男に生まれた瞬間から愛され、守られ続けている妹は、これまでずいぶんと苦労したのだろうなとも思う。よくあんなにまっすぐ育ったよね。
 って、そうじゃないな。ラシェルが無愛想の奥に隠してる揺るがない心は、彼女を護って救ってきたんだ。だからこそ彼女は彼女らしく生きてこれた。
 と、思考を締めくくって、凪はふと首を傾げた。
 ――ラシェルの情熱を全部受け止められる相手が現われたら、そのときラシェルはどうなるのかな?
 興味はあるよね。喉の奥でつぶやいて、自分もコーヒーを飲んだ。
 今日の豆は、コスタリカの山上にある農園から仕入れた有機栽培品だ。フルーティーな香りと甘みがローストによって濃やかさを加え、さらに味わいを深めている。
 うん、最高の一杯だ。でも、もう最高の状態は通り過ぎて、もうじき冷めたコーヒーに成り下がる。お客さんに楽しんでもらえる最高の時間をもっと長くできないかな……それに。
「紅茶の淹れかたも研究しなくちゃ」
 眉根を上げてかぶりを振り、ラシェルはため息をついてみせる。
「この上まだ極めようというのか。凪は俺が思っていた以上に欲が深いんだな」
 妹が隊長を務める小隊【白椿】へ凪とそのパートナーを誘って以来、いくつもの戦場を共に踏み越えてきた。その中での凪は、攻防の起点となるよりもクレバーに戦局を見定め、仲間の行動を支えるバックアッパーである。
 が、今ラシェルの目の前にある凪はどうだ。穏やかな表情の裏側に情熱の焔を燃え立たせ、先へ、もっと先へと自らを急かしている。
 いや、表情と本質は食い違うものだし、どちらもまた凪であるということだな。
 誰かを護る。大切な人を守る。凪の芯を成す“信”はシンプルだ。そしてそれを為すがため、彼は俯瞰することに努めている。その結果、凪は冷静に振る舞い、連携を繋いで立ち回るのだ。――そう、その胸に灯した情熱あればこそ。
 凪が自分をどう分析しているのかはわからないが、自分で思う以上に熱い男であることは確かだ。
 そうなると当然、凪のパートナーのことも気になるわけだが。
 相当に大変な気はするな。凪の表情と思いの熱はまるで噛み合っていないんだから。そもそも凪は激情のまま振る舞うことを自分に赦さない、自分にだけは過ぎるほど厳しい質だ。それを見て取り、さらに受け止めるなど……いや、それに負けない思いの熱をぶつけ合える男であればこそ、同じ先を目ざせるのか。
 だとしたら、まさに比翼連理。
 なんともうらやましい話だ。
「……俺も凪のように無二のパートナーを得たいものだ」
 ぽつりと漏らしたラシェルに凪は笑みを傾げてみせ。
「なかなか難しいと思うよ? だって僕のパートナーは最高だもの」
 これだけは譲れないし、譲らない。
「ラシェルじゃないけど、詩心がないのはこういうとき辛いね。最高のひと言で終われないくらい、最高の最高なのに」
 いつにない凪のしかめっ面を前に、ラシェルは息をつく。
 俺に詩心はないが、分別があったことをまずは喜んでおくべきか。そうでなければ言ってしまっていただろうからな。「ごちそうさまだ」と。
 告げるのは、せめて珠玉の一杯を味わいきり、飲み干してからだ。

「そういえば、このコーヒーをいくらで出すつもりだ? いずれ店を出すんだろう?」
 飲み干して後、すぐに代わりの一杯を注文したラシェルの問いに、凪は「あー」、言葉を詰めた。
「500Gくらい? でもそれだと、フードと合わせて1000G越えちゃうからなぁ」
 来てくれる人にまったりと過ごせる時間を提供したい。それが凪の思いである。だからこそ値段設定は抑えたいところだし、しかし原価との兼ね合いを考えればどうしてもチェーン店のようには値付けできず……
「適正価格を考えるべきとは思うが」
 ラシェルの舌にかなうだけの味だ。好事家が放っておくはずはないし、そうなれば価格は2000Gでもまだ安い。が、だからといってそのような者に的を絞れば、当然一般客の足を遠ざけてしまう。
 品の価値と凪の信条の食いちがいは、それこそ彼の表裏のちがいよりも問題であるのかもしれない。
「って、ここまで忘れてた。いっしょに食べてみて」
 あわてて凪が皿へ盛りつけ、ラシェルへ差し出したのは菓子だった。
 ごつごつと丸い、ひと口大の塊。口に入れてみればさくりと解け――これは小さく割ったサブレ。それをナッツのキャラメリゼと絡めて繋いだもの。
 食感のおもしろさとバターの効いたやさしい甘さは、コーヒーを一気に加速させる。つられて菓子をつまむ指も忙しくなった。
「見た目はまだ悪いんだけど、調理学校でヒントもらいながら作ってみたんだ。コーヒーにはひとつずつつけたいなって」
 凪のパートナーはラシェルの妹に「目配り・気配り・心配り」というものについて教えてもらったのだという。そこで凪も考えたのだ。自分は調理担当で、臨機応変にはそれらを配れない。だとしたら、最初に気持ちだけは配れないものかと。
「味がわかってしまう不幸を痛感したが、それすら幸いだったと訂正しよう。俺は世界でもっとも凪のもてなしの価値を知り、世界に先駆けてそれを味わえた男だ」
 言ってみれば不幸中の幸いというやつだな。したり顔でうなずき、3杯めのコーヒーを所望したラシェルに、凪は笑顔で「かしこまりました」。すぐに用意を開始する。
 夢を実現できる資金を集めるまでにはまだ時間が必要だ。ただ、それまでに考えなければならないことは山積みだから、むしろ時間があることには感謝している。
 でも、ここまで喜んでくれる人の顔を見ちゃったら……少し焦るかも。
 今だってたくさんのものがこの手にあるけど、僕はまだまだ欲しいものがあるんだ。限りなく穏やかに凪いだ日常と、それを実感して満喫できる時間をみんなに提供したい。我ながら欲が深いね。でも、僕はそれを恥ずかしく思うより誇りたい。そんな僕を認めてくれる人のために――少しでも早く、実現したい。
「この菓子、まだ残っているようなら包んでもらえるか? 妹にも味わわせてやりたい。凪のコーヒーがないのは片手落ちだが……」
「もう取り分けてあるよ。それからこのアイスコーヒーのボトルも。氷だけは用意してもらわないといけないけど」
 ほろりと笑んだラシェルに包みを渡し、凪はあらためて思いを固める。
 今はがんばるしかないから、精いっぱいがんばろう。届きたい場所を目ざして、先へ、先へ、先へ。


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2020年06月02日

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