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『二つの八重は混じり合うことなく』
日暮 さくらla2809)&不知火 仙寿之介la3450

 冷や水を浴びせられたような気分だった。飛び起きると真夏の夜のように掻いた汗で火照った身体があっという間に冷やされていく。日暮 さくら(la2809)は呻いてずきずきと鈍い痛みを訴える頭を押さえた。未成年の自分には覚えのないことだが、二日酔いとはこういう感覚かもしれない。まるで悪い夢でも見ていた気分で、目が覚めた今に引き摺らないよう、緩くかぶりを振って追い払った。そして何の気なしに自分の部屋を見回してみる。アンティーク系の家具をバランスよく利便性を考慮し配置してある。レトロな意匠のペンダントライトはまだ夜が明けきらない時間帯に温かみのある橙色の光を灯していた。日々己の心身を鍛える身なれども、学生の本分は勉強と大体同じ時間に向き合うデスクには思い出の品々が並ぶ。――見紛うことなき自室、その筈だが。泥棒に入られて中を荒らされて、その後何事もなかったように偽装した。そんな、如何ともし難い違和感がある。暫し黙考するが冷静になった気の頭も空回りをしているらしい。糸口を掴めずに気のせいと結論付けて、柔らかな寝台に手をつき起き上がる。
 身なりを整えて廊下に出た。しかし、珍しいことに人が起きている気配は全くなかった。皆何かしらの用事に出向いているのか。把握出来ないのは当然だが予想だにしない状況にさくらの心中に奇妙な感覚が湧きあがる。一瞬襲撃に遭ったのではと良からぬ想像がよぎったが、幾ら熟睡していたといっても荒事が起きていれば自分がそれに気付けない筈がない。全てただの偶然だ。
「……疲れが溜まっているのかもしれませんね」
 そう独り言ちる声は異様な程の静寂に溶けた。気を取り直して主屋を出ると、併設された道場へと向かう。誰もいないということは逆にいえば一人で落ち着いて鍛錬が出来るわけだ。早く起き過ぎたら皆を起こすのも気が引けると自室で予習復習でもしておくのだがたまにはいいだろう。どうせ他の者とは違って気兼ねする必要もないのだし。縁側から歩いてきた履物を脱いで、素足で道場内へと入った。特有の香りに身が引き締まるのを感じる。再び生じた微かな違和感は研ぎ澄まされた心に追いやられた。
 ふぅ、と息を吐いては吸う。掴んでいる木剣はやはり身体に馴染んだ愛刀とは感覚が異なり過ぎる。しかしながら手に取った時間でいえば身近な存在に違いないものだ。自然と中央からはやや逸れた場所、相対する者がいるときの位置どりで、正眼の構えを取った。さくらが脳裏に思い描くのは宿縁の相手である不知火 仙寿之介(la3450)ただ一人。――とはいえど、話に聞くだけの存在の太刀筋など、頭の中にしっかりと思い描ける筈もなかった。だから自然と仙寿之介から母、母から父へと技の流れが続いているのを辿り、その二人の剣を想起する。それこそ物心つく以前から目にしてきたものだ。当然ながら両親には両親の歩んできた道筋がある筈で、似ている程度なのは承知の上。いもしない相手に驕るなかれと自らを戒めて、さくらは仮想の宿縁との打ち合いに興じた。時が経つにつれて額に浮かぶ玉のような汗は数を増やして、額から頬へと流れると首筋を伝って落ちる。目覚めた際の不快感を洗い流すようで、酷く心地良かった。
 その後も一通り剣の型を練習すると、綺麗に片付けし、道場を出る。紫陽花が植えられた庭は薄く射し込む陽光に照らされ光り輝いて見えた。頭に乗せたタオルで汗を拭き、母屋に戻る。途中遠くに見えた家庭菜園ではこの時期もまた瑞々しい野菜や果物が育っているのだろう。父はああ見えて意外とマメな性格だ。不意にまた違和感がさくらを襲う。洋館と和館、二つの建物の幻が何故かちらりと視界に重なった気がした。――全てはあの悪夢のせいだ。
「さくらか。今日は随分と早いのだな」
 呼び止める声に意識が引き戻される。気付けばさくらは縁側から上がり、食堂にまで来ていた。その隣の台所にいるのは母ではなく父である。戸惑いと同時に、心臓を握り込まれたような生きた心地がまるでしない感触に飲み込まれそうになった。確かに門下生も寄宿生も、なんなら母も弟も妹もいない異常な状況だが、父を前に何を恐れる必要があるのだろうか。いや恐れているのは、父に対してではない気がするが――するだけで答えは見つからない。恐る恐るといったふうに顔を上げ、父を見返す。
「……? どうかしたのか?」
 きょとんとと形容するには些か不釣り合いな美丈夫が、訝しげというには不審に思っている節のない声で、そう問いかけてくる。さくらは幽霊でも見るような目で見返した。どう見ても父だ。陽に透ける白髪も、切れ長の金色の目も――声だって昔から変わらない。いつだってさくらを安心させてくれる道標の声だ。知らず知らずの間に、後退りした。違うと心が叫ぶ。
(貴方は父上ではないと、そう思ってしまうのです)
 だって笑顔が違うのだ。父はこんな穏やかに、全てを許してしまうような笑い方はしない。どこか子供っぽい雰囲気もする、寄り添う大人の笑い方だ。同じ顔と声を持つ別人なんて有り得るだろうか。頭が痛くて左手で押さえる。すると、幻聴が聴こえた。
『戻ってこい――さくら』
 それは目の前の彼と同じ声音で、少し優しさの距離は遠いけれども、さくらを安心させる声だった。そうだ――彼は父と限りなく近い存在ではあるが、本当は全くの別人だ。絶対口にすることが出来ない寂しさ故に重ねてしまいそうになったこともあった。今はリベンジを果たしたいのと同時に剣の腕だけでなく有り様にも尊敬の念を抱いている――さくらは口を開く。無理に引き摺り出したような、か細い声が零れた。
「仙寿之介、どうか私を――」
 言葉の続きは霞んで消える。握り締めた拳に温かい何かが触れたような気がした。息が抜けるような優しくて小さな笑い声の後に聞こえたのは『承知した』という声だ。それを境にさくらの意識は急速に遠ざかっていく。完全に失う直前、現実に己が過ごした生家と両親の姿が思い浮かんだ。

 ◆◇◆

 瞼が僅かに痙攣し、金色の瞳が現れるより先に金属質な音が鳴った。見ればその手許でずっと握り締めたままだった彼女の刀が、地面と擦れた為した音だった。それを見て、仙寿之介は瞠目する。しかしよくもまあ、倒れる際も手放さなかったのに怪我をしなかったものである。倒れ方にもよるだろうが大怪我を負ってもおかしくはない。その可能性を考慮出来なかった自分もまだ未熟な限りだ。同時に長く生きても成長の余地があるのは素晴らしいと思う。
 地に倒れているさくらの側に膝をつき、そう考えているうちに今度こそ彼女の目が開いた。並行世界の自分の子供とはいっても実際に顔を合わせるまでその存在すらも知らずに過ごしていた身だ。年頃の娘の寝顔を見ていたと思うと申し訳なく思う。ただ眺めていたわけではなく自分なりのやり方で彼女の目覚めを促していたが。意識が茫としていたのは僅かな時間だけで、覚醒するとすぐ刀を手に取れる目の前に置いて起き上がる。やっと合った目は意志の強さを窺わせる普段の彼女のものだった。
「――仙寿之介。あの、私は……」
「もし状況が飲み込めないのなら、一度深呼吸をするといい。……どうだ、思い出せるか?」
 言われた通り、彼女は軍服の胸許に手を添え、息を吸っては吐いた。それで気の流れを正せば、自ずと精神的に落ち着いていく。さしたる時間も掛からず、さくらははいと頷いてみせた。その後彼女は辺りを見回す。周辺には自分たちと共に、あるナイトメア討伐の任を受けた味方が先程のさくらと同様倒れ伏している。いつもは演劇やコンサートが行なわれているという舞台の上は完全に静まり返っていて、だから時折彼らの呻きが響いた。――文字通り悪夢に魘されているのだ。
「私たちが怪我もなく無事ということは敵は逃げているのですね」
「ああ、そのようだ。俺が一人で先行するより、皆の回復を待ったほうが良いと判断したのだが、果たしていつ目覚めるのか」
 精神攻撃型のナイトメアであることは事前調査で把握していた。なので勿論仙寿之介らも相応の心構えの上で挑んだのだが、どうやら情報よりその強度は高く、しかし、戦闘においては下回っていたようである。でなければ無防備に寝こける敵を放置し逃亡しない。または、極度に生存意欲が高いかの二択だ。
「私としたことが不覚を取りましたね。すみません。貴方にも迷惑を掛けてしまいました」
「いや、気にすることはない」
 律儀に楽な姿勢から正座になり、深く頭を下げるさくらに仙寿之介は微笑を浮かべて応じる。そもそもとして大層なことはしていないし、その言葉は己にも通ずるものなのだ。
「ところで、その……仙寿之介?」
「どうした? 具合は悪くなさそうに見えるが」
「私は平気です。そうではなくて、彼らを放置したままで良いものかと。私を目覚めさせてくれたのは貴方なのでしょう? 早く起こすことが出来れば、その分決着も早まるのではないですか?」
「ああ、そのことか……」
 彼女のいうことは至極真っ当で正しい道理だ。万が一にもここで取り逃がしでもすれば、命に別状はないとはいえ、更なる被害が加速することになる。それはここにいる全員が避けたい事態だ。話すことに躊躇はないが、どんな顔をするだろうと想像した。
「特別なことは何もしていないぞ。ただ単に君の夢に俺が登場しているだろうと思ったから、違和感を抱き易くする為に声をかけただけだ。そうすれば早く目覚めるに違いないとな」
「はあ……」
 頭に疑問符が浮かんでいるのが、その一言だけで伝わってくる。仙寿之介はこみ上げる笑い――勿論微笑ましいという意味でだ――を噛み殺して、更に種明かしをした。
「俺が天使だといっても精神に直接働きかけるような芸当は出来んさ。そもそもこの世界に転移してきた時点で天使としての力は失われてしまっているのだぞ?」
「……そうでしたね」
 剣の腕は彼女ら次世代の子からすれば遥か高みにある。それは純然たる事実だ。不知火の姓や仙寿之介の名を名乗るより前の経歴故に人間世界の世情に疎いところが未だにある、という点に関しては自らも認めざるを得ないところだが、子供を育て、道場の生徒らとも日々向き合い、人と人との関わり合いという意味でも彼女らの上をいっていると自認している。だから出来たというと過言か。
「つくづく、貴方にはまだ遠く及ばないと実感しますね」
 一人全く効かなかったとは賞賛に値します。付け足し、彼女は苦笑を浮かべた。仙寿之介はいうべき言葉を探して、しかし機会を逸し口を噤む。
 さくらは立ち上がるとスカートについた埃を軽く払い、眠ったままの味方の元へと歩み寄る。仙寿之介もそれに倣うように別の味方の側にもう一度膝をついた。勿論全くいないということはないが、ライセンサーの多くは故郷のそれと同じ立ち位置の人間と同様に、若者が多い。妻もそうだったと懐かしく思い返す。ここでの役割は戦う力を持たぬ人々に自らを守る術を伝えることと考えているが、元々参加する予定だった者が別件で負傷した為、急遽仙寿之介が加わった。さくらに頼まれたというのも大きい。現状を鑑みるに今回はそれが功を奏したようだ。魘されている少年の丸まった背中をさすれば、僅かながらも表情が和らいだ。さくらは少女の肩を優しく揺さぶっている。
「全員が目覚め次第、作戦を練り直しましょう」
「それが最善だろう」
 さくらの言葉に同意を返し、見知らぬ相手に何と声を掛ければ良いものかと思案する。同時にこの悪夢を克服することさえ出来れば、むしろ戦うには過剰な戦力だろうと思った。勿論予想外の能力を有している可能性も零ではないが――。
 さくらに言えなかったこと。それは実際には仙寿之介も敵の術中に嵌っていたという事実だ。この世界での住居に彼女を実の娘として三人と一族で生活する夢――そしてすぐ違和感に気付けたのは、彼女が一点の曇りもない尊敬の眼差しで自分を見てきたから。打倒しようという敵愾心が全く窺えない、ただ純粋な憧れであった為だ。だから、おかしいと思い、自力で目覚められたのだ。
 さくらは今のさくらだから、八重の娘だからこそ、ただ大切に想うのだ。己の弱さを知って、強くなっていく姿を見守れることに喜びを感じつつ、仙寿之介はさくらを見つめ密やかに微笑んだ。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
もしもさくらちゃんと仙寿之介さんが親子だったら
たとえ立ち位置が同じだったとしても今の関係には
絶対になれなかったと思いますし、そもそもとして
さくらちゃんの性格もだいぶ違っていたでしょうね。
というところから話を広げた結果がこの内容でした。
完全なIFにするよりかは後の反応を見たかったのも
あったのでナイトメアの仕業ということにしました。
好敵手の片割れになり得るさくらちゃんと
悠然と構える仙寿之介さんの距離がとても好きです。
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2020年06月03日

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