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『ただひとつ』
野月 桔梗la0096

 ずいぶん体力が落ちたような気がしますね。
 セダンのギアを4速から2速までなめらかに落とし、エンジンブレーキをもってゆるやかにカーブを抜ける合間、野月 桔梗(la0096)はつい考えてしまった。
 ライセンサーであった頃は、二徹三徹あたりまえの生活だったのだ。今、後部座席で小さな寝息をたてている“お嬢様”を護り、さらに世界まで守っていたのだから。
 しかし今の彼女はSALFを離れ、起業家として鉄火場へ踏み入ったお嬢様の側近として動くばかりである。そのため仕事量も半分になっているはずなのだが……まあ、疲労の何割かが充実した夫婦生活のせいであることは言わずにおこうか。
 と、それはともあれだ。
 バックミラーに映るお嬢様の寝顔へ、胸の内で語りかける。
 お強くお育ちになられましたね。あのときには想像もできなかったほどに。


 桔梗には恩人がいる。その人は孤児だった彼女を拾ってくれただけでなく、惜しむどころか嬉々として己の戦技と戦術をすべて、彼女へ叩き込んでくれた。
 そして彼女が危なげなく戦えるまでに成長した頃、恩人はその恩を思いきり被せてきたのだ。
 仕事先を紹介する。そこで習い覚えたものを生かせ。拒否する権利は与えない。これは今の今までおまえを食わせ、飲ませ、教えてやってきた自分からの命令だ。
 彼女としては戦場で恩人への恩を返すつもりだったのだが、そう言われれば従うよりない。かくて渋々、告げられた住所へ向かったのだが。
 それはもう、豪邸と言うよりない豪邸だった。門から館が見えないレベルの。桔梗は空いた口を閉じるまでしばしの時間を必要とした。
 なんとか気を取りなおしてチャイムを鳴らし、付け焼き刃で叩き込まれた礼儀と作法をぎこちなくなぞって館へ入ると。
 普通に住めそうな広さの玄関兼ホールでメイド(!)たちが甲高い爆音を響かせる小さな物体を互いに手渡しながら右往左往していて。
 ずいぶんいそがしそうだが、挨拶はしなければと、桔梗は敬礼をもって告げた。
「野月 桔梗、御家のご息女の護衛担当として着任いたしました」
 するとメイドたちはギラリと桔梗をにらみつけ、お願い! それを押しつけた。
腕の上に灯る、熱。初めての感覚に、思わずそれを凝視して、ようやく正体に気づいた。
 おそらくは生まれて間もない赤子だ。
 激しく泣く赤子を見下ろしたまま、桔梗は途方に暮れる。戦えと言われたなら、いくらでも気転を利かせて斬り抜けてみせるのに。
 困って、困って、困って。彼女はついに思い詰め、言ってしまうのだ。
「どうして泣いているのですか?」
 赤ん坊相手になにを言っているのですか桔梗っ! 頭を抱えかけて、手の内に赤子があることを思い出してあわてて動きを止め、万一にも落としてしまわないよう、しゃがみこんで抱え込んだ。すると。
 赤子は泣くのを止めて、眠りへ落ちた。
 抱きしめられたい、たったこれだけのことを訴えていたのですか。そんな呆然を押し割り、憤りが噴き上げる。たったこれだけのことに、誰ひとり気づかなかったのですか。
 いや、桔梗にメイドたちを責める資格はない。自分が赤子の願いに応えられたのは結果論に過ぎないのだから。
「あらためまして、野月 桔梗と申します。護衛対象のご息女はどちらに?」
 彼女は未だ気づかない。当のご息女を自分が抱えていることに。

 護衛とはいえ、四六時中貼りついているわけではない。赤子――お嬢様には家族と過ごすゆるやかな時間が必要だったし、桔梗とて食事や睡眠、衛生管理等々、人として不可欠な活動というものがある。
 しかしだ。
 お嬢様はいついかなるときも、他者からすれば謎なばかりの理由により、それはそれは凄絶に泣き叫ばれるのである。
 そうなればもう、家族の誰であっても止められない。結果、桔梗はあらゆる個人的事情を無視して呼びつけられることとなり、特別手当をぶら下げられて渋々とこなしている内、いつしか呼ばれるより先に向かってしまう域へまで到ってしまった。
「どうして桔梗でなければだめなのでしょうね」
 胸元へしがみついて眠るお嬢様に、桔梗はそっと訊いてみる。応えたものは当然お嬢様ならず、桔梗自身だった。
 そういうものなのでしょう。桔梗があの人に伸べられた手を取ったのは、あの人の手だったからに他ならないのですから。理屈や打算がなかったわけではありませんけれど、生きるためにはそれしかないと思い定めればこそ、迷わなかった。
 だとすれば、お嬢様も生きるために桔梗を求めているということだ。あのときの桔梗とは真逆、有り余るほどの情と物とを与えられているはずなのに。
「ならばお護りいたしましょう。お嬢様がおひとりで歩いていける強さを得て、桔梗を必要としなくなる日まで」
 そのときから桔梗は己を尽くしてお嬢様を護り続けていて、必要とされなくなる日は一向に訪れる気配もないまま、今に至るのだ。
 ……そう、今もなお、桔梗は必要とされている。
 お嬢様の寝顔の向こうに映るスポーツカーを見、桔梗は立ち上げた自動運転システムへ道なりに進み続けるよう指示を出した。


 桔梗の繰るセダンの上部にはサンルーフという名の開閉式特殊樹脂装甲がつけられており、上方の敵の視認用窓あるいは緊急脱出口、さらには迎撃用の即席銃座として機能する。
 アスファルト走行用にやわらかく設定したサスペンションは、桔梗が上から身を突き出す衝撃を殺し、お嬢様の眠りを保つ。
 撃ち込まれている弾は、車体に跳ねる衝撃からしてライフル弾か。そしてサプレッサーを装着していることからアンチマテリアルなどの特殊な代物ではない、通常のライフルを使っていることが知れる。常識と良識を弁えた敵でひと安心といったところだ。
 樹脂装甲に愛用しているオートマチック拳銃の銃身をはめ込んで、意識を集中させる。
 弾倉に詰め込まれた弾は特製のエクスプローダー。狙いは追いすがる敵車の、防弾仕様であろうボンネットだ。
 さあ、数えましょうか。小さなお嬢様と歌ったあの歌に乗せて。
 引き金を絞り、桔梗は胸中で歌う。それはお嬢様を風呂に入れる際にせがまれて歌った童謡の数え歌。
 ひとつ――ふたつ――みっつ――メロディが弾を運び、敵車を打つ。1ミリもずれることのない、まさしく一点を。
 そしてエクスプローダー弾とは、ホローポイント弾の弾頭のくぼみに炸薬を詰めた代物である。いかな防弾装甲であれ、集約された衝撃を一点へ喰らい続ければ……
 ついに穴の空いたボンネット内へ潜り込んだ弾がエンジンへ食らいつき、電子回路を吹っ飛ばした。
「お嬢様のお休み中につき、爆発はお控えいただきます」

 追跡に加わる敵車は時間を追うごとに増えていったが、桔梗の狙撃によってもれなく電子制御を損なわされ、置き去られていった。
 その中で一度、お嬢様が目を醒ましかけて――
「なにもありませんよ。ですのでもうしばらくお眠りください。明日を迎える前に充分な休息を取ることも大切な仕事の内です」
 お嬢様が再び眠りに落ちたことを確かめ、桔梗は愛銃へ新たな弾倉を叩き込む。
 お護りいたします。お嬢様もっとお強くなられて桔梗を必要としなくなっても。それがあのとき桔梗を選んでくださり、行くべき先を拓いてくださったお嬢様へお返しできるただひとつのご恩返しで、自ら担いたいただひとつの任ですから。


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2020年06月04日

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