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『固結び』
日暮 さくらla2809)&不知火 あけびla3449

 不知火邸。
 日曜日の昼時ながら主な面々はナイトメアとの戦いへ向かっており、今ここに在るのは不知火の当主である不知火 あけび(la3449)と、食客的な立場にある日暮 さくら(la2809)のふたりきりである。
「いつもは手狭だなーって感じの台所なんだけど、今日は広く感じるね」
 熱い飯を美しい三角に結ぶあけびの手際へつい見入りながら、さくらはあいまいにうなずいた。
 実に落ち着かない。
 それなり以上に馴染んだとはいえ他人様の家であることに変わりはなく、横にあるあけびは見かけこそ若いが遙かに年長、さらには当主なのだ。生真面目な質のさくらはつい、必要以上に背筋を伸ばしてしまう。
 そしてなにより。
 似ているのだ。過ぎるほど……いや、そもそも世界を違えただけの同一存在であるらしいから当然のことではあるのだが、さくらの母である日暮あけびと不知火 あけびは。
 宿縁の糸を手繰って父母の敵である剣士と対し、あっさりと打ちのめされたことをきっかけに、さくらは不知火という家と縁を結んだ。
 その中で事情を知り、己が未熟を思い知り、あけびとその婿たる剣士の有り様に感じ入り、結果として日暮と不知火の両家を見比べることともなった。
 母は幸いだったのですね。こちらのあけびのように一族のしがらみを背負うことなく、愛と情ばかりをもって父と添えたのですから。
 かといって、あけびが不幸であるかといえば否。
 さくらの想像など追いつくはずもない、数々の苦難と対してきたのだろうあけびだが……その傍らには世界をも踏み越えて文字通りに二世の誓いを守り抜き、果たしてみせた夫がある。ついでにさくらよりさらに未熟ながら、自らの意気をもって父母の志を血肉にしようとあがく息子もだ。
 ちがう道を行き、ちがう先へ辿り着きながらも、同じように幸いを得たあけびとあけび、
 私には望むべくもない幸いですが……
「今こさえた塩むすびは食べちゃってね。みんなはいつ帰ってくるかわからないから」
 あけびに促され、一礼して彼女が握った飯を口へ運ぶ。噛んだ途端にほろりと解ける握り加減はまさに絶妙で、つい自分の固結びを見下ろしてしまった。
 固く結ばれているとはいえ、食らうことに問題はない。むしろ固いからこそ形が崩れてしまうこともない。だが、言ってみればそれは自分の都合に過ぎまい。
 私ができているのは、形を整えることだけ。
 あけびは常に、自分の前にある相手のことを思い、心配りをしている。対してさくらはどうだ? 眼前にある相手について考えはする。しかしそれは対処や対策といったものに過ぎなかった。たとえばそう、いつ帰るか知れない者へ、崩れることのない握り飯を拵えるなど。それを受け取る相手のためでなく、手がけた自分の仕事を怪我したくない一心でだ。
 そんなさくらの沈んだ表情からおおよそを察し、あけびはやわらかく言った。
「ちなみにさくらのが正解だからね」
「?」
 虚を突かれて顔を上げたさくらへ、あけびは笑みを返す。
 夫の話によれば、言葉を惜しまないのはさくらの父――日暮仙寿の教えだそうだが、一族の騒動を解決する中であけび自身も強く感じてきた真実であり、誠実だった。
 それに加え、天賦の才に恵まれた夫とそれを継げなかったことで長く懊悩の底にあった息子のこともある。才を言葉に換えることは不可能で、背を見て学んだとて再現できる代物でもありえない。だからこそ息子は苦しまなければならなかったわけだが、それだからこそ。
 言葉とは誰かを導くものであり、思いを届けるものである。たとえ届かずども、惜しまず尽くして心を示す。それこそが、ひとりひとり才の形と量、質までもがちがう多数を率いるあけびの心がけだ。
「私のは熱いうちにそのまま食べてもらう用。それこそ時間が経ったら崩れちゃうでしょ? でもさくらのだったら心配ないし」
 さくらはうつむけていた顔を上げてしまう。あけびの言葉が押し黙るばかりの彼女に吐露させるための導きであることはわかっていた。常ならば察した上で固く口を閉ざすさくらだが、心得てなお言わずにいられぬほど、彼女の心は追い詰められていて。
「握り飯も満足に拵えられないのかと嗤われたくない、私はそればかりを考えていました。けして食べる人のことを考えていたわけではないのです」
 こないだまで“餅”こさえてたらしいのに、ずいぶん成長したなって思うけど。これを言ってはさくらに障るだろうから胸中でつぶやくに留め、あけびはあらためて言葉を紡ぎ出した。
「じゃあ、さくらがさくらのことだけ考えて形にしたおむすびが、それを食べる人にとってどんなものになるか、見てみよっか」
 言いながら、彼女はさくらの握り飯をお椀の内に置いた。
 続けておたまを手に取り。それをもってコンロにかけてあった鍋から湯気のたつ出汁を掬い――お椀へ注ぐ。
「崩して食べて」
 まあ、言われるまでもなく、そういうことなのだろうとは思っていた。
 お椀を手にしてみれば、まず香ばしさが鼻へ届き、次いで散らされた若鮎の、淡いくせに鮮やかなにおいがした。どうやら焼き鮎で出汁を取ったすまし汁であるらしい。
 そして当の握り飯はといえば、汁に浸ってなお堂々と鎮座していて、さくらの心を尖らせた……いや、そんな稚気をあけびにぶつけるわけにはいかない。
 表情を平らかに保ち、さくらは自分のように頑固な握り飯へ匙を先を突き込み、丹念に崩した。あとはたっぷりの汁といしょに食べるだけ。
「――!」
 固い握り飯は汁をまとってしっとり且つぱらぱらとした食感をもたらし、ほろほろした鮎の食感と相まってなんとも心地よい。しかもこの焼き鮎の香ばしさ! けして強い香りではないのだが、添えられる程度に抑えられていることで逆に引き立ち、さっぱりとした汁を押し退けることなく引き立てていた。
 さらにはだ。この一品、現状では真価を発揮していないはず。もっと時間が経ち、握り飯が水分を失ってさらに固くなった後にこそ、この熱い汁との組み合わせによって“開く”。それこそ春を迎えた固蕾のように。
「どんな手練れでも、戦場だと歯を食いしばるし、力んだりするから疲れるでしょ? だからあんまり噛まなくても食べられるものがいいんだよ。それにね、そういうときは熱すぎるのも体に悪いから」
 固く冷えた握り飯と熱い汁の組み合わせで、疲弊した体へ染み入る程よいあたたかさを成す。そういうことか。
「つまり、さくらのおむすびはちゃんと食べる人のためになってるってこと!」
 ああ、この人は本当に人心を転がすのがうまいのですね。
 さくらは浮き立ちかけた心を引き締め、自分へ言い聞かせた。救われ、いただいただけの結果論です。私はもっと精進しなければ。鮎に込められた心使いを自ら示せるように。
「この鮎、生臭さを抑えるためにあえて焼いているのですね」
 鮎は古来より焼き干し――内臓を取り除いた魚を炭火で焼き、その後に干して乾燥させたもの――にもされてきた素材だが、それをせずに焼いたのは、歯に負担をかけぬやわらかさを重視してのことだろう。
「結局は好き好きなんだけどね。焦げ臭いのがやだって人もいるし。でも」
 いきなり真剣味を増したあけびの顔を、引き込まれるように見てしまうさくらだったが。
「うちの人が好きだから私は焼くよ!」
「そうですか……」
 剣士は焼き鮎の吸い物が好き、あけびは剣士が好き。ふたつの意味が合わされた唐突な惚気に、げんなりと返すよりなかった。
 結婚生活数十年、変わらず睦まじくてなによりだが、端から見せられると胸焼けするものだ。ましてやあけびは自分の母と同じ顔をしているわけで、さくらの心情の複雑さもひとしおである。
 ああ、そういえば。さくらは思いつきを頭の内で吟味することなく口へ通した。
「ご子息も焼き鮎が好きなのですか?」
「え?」
 意表を突かれた顔を傾げるあけび。
「え?」
 まさか意表を突くとは思っていなかったせいで意表を突かれ、首を傾げるさくら。
 気まずい沈黙を噴き飛ばすように勢いよく、あけびはばたばた手を振って。
「好きなんじゃないかな! あの子、基本的になんでも食べるし!」
「食べると好むは別なのでは」
 眉を潜めるさくら。息子の好物が思い当たらないなど、さすがに母として少々酷いのではないか。他人の自分でもある程度は知っているのに……
 と。
「さくらはうちの子の好物とか知ってるんだ? まあ、いっしょにいる時間も長くなってきたしね」
 あけびが口の端を上げる。顕われたものはやわらかく、しかし極限まで研ぎ澄ました笑み。
 喉元へ突きつけられた笑みの刃に息を飲みかけて、さくらは渾身の力で自らを押しとどめた。
 誘導されて引き込まれた! いつ私は業(わざ)をかけられたのです!? あの男のことを口にしたとき? 手練れの忍と対していながらそんな手がかりを与えてしまうなど、迂闊にも程があります!
 己が未熟に目眩を覚えるさくらへ、あけびは静かにかぶりを振って言葉を継ぐ。
「別に責めようとかじゃなくてね。せっかくの機会だから、これだけは言っておかないとって思ったんだ」
 さくらの両眼を射貫く、あけびの視線。
 逃げられない。縫い止められているからではなく、ここで逃げてしまえば二度と“機会”が与えられないことを、さくらは察してしまっていたから――察してしまえるほど、さくらは不知火の次代と己を結んでしまっていたから。
「不知火の都合で言えば、うちの息子にはあの子を娶らせたい」
 まちがえようはない。あの子とは、あけびの息子の補佐役を担う麗人のことだ。
「さくらもわかるでしょ。家には家としての意志がある。当主はそれを代表して示して滞りなく行うことが仕事だって」
 過ぎるほどにわかる。日暮も、家の意志に背いて母を妻として迎えたことで大きく揺らぎ、深々と割れ、今なおその傷は癒えていない。
「だからね。さくらにその気がないならはっきりそう言って、降りてほしいんだ」
「待ってください。あけびがなにを言いたいかはわかりますが、的外れというよりありません。私はご子息とそのような間柄ではないのです。ただ剣を補い合うだけの、並び立って敵へ向かうだけの、互いに息を合わせて、合わせるまでもなくわかりあって、それだけのもので、私は」
 言い募るほど音から力が抜けていく。
 私はこんなことを言いたいわけではないのに……苛立ちととまどいが無意味に言葉を重ねさせ、さくらをさらに苛立たせ、とまどわせる。
 あけびは息と共に自らへ張っていた圧を吹き抜き、苦笑した。
「私が勝手したせいで不知火も大変なことになったんだけどね。ほら、不知火の男が受け継いできた遺伝子、嫡流から絶やしちゃったでしょ。そういうのもあって、せめて一族の血を濃くして繋ぎたいのが家と当主の都合」
 そして「でも、当主の勝手のツケをさくらへ押しつけるのも酷い話だから」。話を変え、今度こそ含みのない笑みを見せて。
「もうしばらく見てるよ。さくらがどうしたいのか、どうするのか」
 選ぶのはあくまでもさくら。
 確かにそうなのだろうが、狡いやり口だ。前提として不知火の都合を語っているのだから、さくらはそれを意識せざるをえないし、それをして“どうしたいのか”を打ち出すには自身の心と真っ向から対し、あけびへ示す必要がある。二択のどちらを選ぼうと、選ばなかった一方を完全に捨て去ってだ。
「ちなみにあの子はもう覚悟したよ。さくらと戦ってうちの子のとなりに立つって。私が見たとこ、気持ちはまだ据わりきってないけどね」
 強いるばかりか長く悩ませてくれる気もないときた。
「あけびの狡さと怖さ、今さらながら思い知りました」
 精いっぱいのさくらの皮肉にあけびは肩をすくめてみせ。
「見た目の若さが売りだから言いたくないんだけど、年の功だよ」
 ああ、かなわない。忍としても人としても女としても。
 さくらは苦い敗北感を奥歯で噛み殺し、あらためて飯を握り始めた。餅をこさえる気はないが、できるかぎり、とにかく固く握ってやろう。
 私の心も思いも、そう簡単に解かせはしませんから。
「わかりやすいとこがさくらのよくないとこだよー」
 にやにやと言われて、ぐぅ。苦しい息を漏らしながらも力は抜かず、さくらは眉根を思いきり引き下げた。


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2020年06月08日

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