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『些細なんかじゃない大切なこと』
珠興 若葉la3805

 窓を開け放てば吹き込んだ風が皆月 若葉(la3805)の頬を撫でる。揺れるカーテンや小学校に入学する際に買ってもらってからずっと愛用した勉強机、若干くたびれた布団と内装さえ妙に懐かしく感じてしまう。婚約を機に実家を出てたかだか三ヶ月程度、まだこの家で過ごした年月のほうが遥かに長いというのに。それ程充実した日々だからかなんてつい惚気が浮かぶ自分に照れ臭さを感じながら、若葉は火照る顔を誤魔化すように、窓の向こうに目を向ける。広がる景色は子供の頃から何も変わらない。両親がライセンサーとはいっても、それを除けば皆月家は一般家庭で、住宅街のありふれた一軒家に住む。なので一部が新築に変わる程度だ。五年十年と経てば何かが大きく変わるだろうか。今訪れたようにもし引っ越すことになっても多分すぐに帰れる距離を保つだろうが――喫茶店経営が軌道に乗ったなら、お盆とお正月だけ帰るということにもなりかねない。
 空気を入れ替えても部屋に漂う匂いは元からしていたのか、それとも両親だけが出入りするようになったからか。毎日ここで過ごしていた頃は何も感じなかったのに。そんなことを考えながら、若葉は部屋の中をざっと見回した。流石に毎日ではないと思うが、掃除しているらしく埃っぽさはなくて、かといって何か勝手に弄られていることもなく、家を出たときそのままだった。
(と感慨に浸るのもそこそこにやるべきことをしなくちゃね)
 婚約者に、今日は少し帰りが遅くなると連絡はしているものの、早く帰るに越したことはないだろうと気を取り直し、若葉は勉強机の近くにある本以外にもファイルが並ぶ本棚の前に立つ。取っ手を掴んでガラス戸を開くと、久しく読んでいない漫画の誘惑をどうにか振り切ってファイルを探す。勿論学生生活に支障が出ないよう、レポートに使うものは一通り新居に持っていったが、まさか一年生の頃の資料が必要になるとは予想外だったので仕方ない。その点、ファイルは一箇所に纏め、且つ分類もしていたので、すぐに目的の物は見つかった。背表紙に指を引っ掛けて、斜めに倒し引き抜く。よしと満足して鞄に入れようとしたところで若葉はふと思い至り、念の為に中身を確認した。
「――うん、合ってるね」
 これで当初の目的は達成したわけだ。両親がいるのなら雑談したり、逆に彼らの近況を聞くというのもありだが、生憎と今日は二人とも出掛けていていない。ライセンサーの後輩になって意見を聞きたいと思うことも幾つかある。しかしいないものは仕方ないので別の機会にしよう。帰りかけて本棚の下に並んだアルバムが目に入った。膝の高さのそれをしゃがんで取り、頁を捲ってみる。よく見ずに選んだら、小学生の頃のアルバムだった。学校行事に自宅で撮った日常の一コマ、年に一回は行く旅行の写真もある。意識しなくなっても見ていれば案外思い出すものだ。一通り見たので満足し戻すと、ガラス戸を閉め、足元の鞄を拾った。それから帰る連絡をしようとスマホを取り出す。すると、ディスプレイに不在着信と留守電の文字がある。確認すれば、アドレス帳に登録されていない謎の番号からだった。
(どうしようか……まあ、詐欺なら無視すればいい話だよね)
 確認する分には被害はない筈だと思った。それに、任務絡みで知らない人から連絡が来てもおかしくない。怖いよりも何が飛び出るだろうと期待しながら、若葉は再生するの文字をタップし、耳に押し当てた。少しがさがさ物音がした後で女の子の声が聞こえる。名乗った名字に、最初はぴんとこなかったが小学校の名前が出てきた途端、一気に顔と名前が結びついた。当時の同級生だ。急にごめんなさいと言う後に、別の同級生の名前を出す。それは共通の友人で、今はあまり親交のない相手だった。と連絡出来た経緯を説明したうえで彼女は言う。
『あの、私ずっとね、皆月くんにお礼が言いたかったの。助けてもらったのに、お礼を言えないまま転校したから、それが心残りで。勿論みんなに悪気があったわけじゃないのは分かってるけど……あのとき本当に私を見ていてくれたのは、皆月くんだけだった』
「……別に、そんなこと」
 通話もしていないのに、ついそんな言葉が零れ落ちた。緩く首を振って、言葉を選ぼうとしてか沈黙の多い彼女の声に耳を傾ける。車が多く行き交っている音か、大雨が降る音か、雲は多いが晴れているこことは離れていることが伝わる。そうだ、彼女はあの後すぐ引っ越したのだ。
『ええっと、覚えていないのかもしれないよね。皆月くんからすると、何でもないことだったりするのかも』
「覚えてる。……いや正確には思い出したかな」
 この言葉も録音時の彼女には届かず、若葉は目を閉じて約十年越しの当事者視点の話を聞いた。
 彼女は当時若葉のクラスの人気者だった。才色兼備なのに、それでいて気取ったところがなく、むしろわざとおどけては皆の笑いを誘うムードメーカーだった彼女は、人の輪の中心にいて、男女問わず愛されていた。若葉も特別な感情こそ持たなかったが、好ましいとは感じていた。どことなく似ている気がしたからというのもあっただろうか。
 だがそんな彼女は敵を作りたがらないが故に、所謂弄りがエスカレートしていく際も不満を口にしなかった。言う側の人間に悪気はなかったと思う。しかし受け手が傷付けば最早虐めも同然だ。次第に笑顔が曇って口数も減って、人知れず溜め息が零れる。そんな明らかな異変に誰一人気が付かない。様子がおかしいと注視したら理由が分かり、その日誰かが彼女を揶揄っているのを見たとき、言ったのだ。人の嫌がることをするのはよくないよとただそれだけを。そんな若葉の言葉にまさかという反応を見せた彼らも咄嗟に取り繕えなかった彼女を見つめ、正しいと悟って――後はもう皆が平謝りだった。
『みんなが反省してくれてかえって居心地が悪くなったときも真っ先に皆月くんが声を掛けてくれたよね。ううん、嫌がってるって指摘したとき以外ずっと普通だった。それにどれくらい私が救われたか分かる?』
 くす、と悪戯っぽい笑い声。懐かしくなった。声だけではなく見た目も大人になっただろう彼女は、本質的には何も変わっていないと、思わせてくれる。
『そういう優しい皆月くんが、私は……私の憧れになったよ。キミみたいに周りの人を大事に出来る人間になるのが今の私の一番の目標。……出来てるかは怪しいけど』
 そう記憶の中の少女が言いながらはにかむ姿が目に浮かぶ。微笑ましさに若葉も笑みを浮かべると、丁度録音の時間が限界になるアナウンスが聞こえた。途端に彼女は慌てて、
『留守電だからってつい長話になっちゃったね、ごめん。留学前にどうしてもお礼が言いたかったの。それじゃあ……海の向こうで皆月くんの幸せを祈ってる。――さようなら』
 らの音を言い終わるや否やメッセージは切れて機械音声に替わった。若葉はスマホを耳から離すと頬を膨らませ、風船の空気を抜くように息を吐き出す。嬉しいような大したことじゃないとむず痒く思うような、でもやはり嬉しいような――そんな複雑な気持ちだった。改めて話してみたい、しかし照れずに話すのは、今はひどく難しいことだ。婚約者に今から帰るねと猫のスタンプを使って連絡して、ポケットに押し込む。そして鞄をひっ掴み、鍵を手に実家を出た。火照る頬を、爽やかな風が撫でていく。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
折角のおまかせノベルの新仕様なのでモブを活かしたい、
となれば大学のお友達か子供の頃の友人知人かなと思い
しかし、前者だと最終的には惚気に繋がる気がしたので
後者にしたらそれはそれで、仄かに影響があったという。
モブの少女の台詞の「私は……私の〜」のところは
書き間違いではないですが言及するのも野暮なので
ふんわり感じ取って下さい。後は話的にくどくなるのと
勝手に若葉くんを不憫な目に遭わせたくはなかったので
かなり平和な感じのエピソードにしました。
今回も本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
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グロリアスドライヴ
2020年06月09日

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