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『言の葉奉る君に』
桜小路 ひまりla3290)&ユウジ・ラクレットla3983


 その日は、年度も明けたある春の日の事だった。放課後の教室から見える風景はいつの間にか華やかな桜から目に冴え冴えと青い初夏の緑へと移り変わっている。そして──数日前よりも、少し高い視点が最上学年になったことを言外に仄めかす。

「さてさて。ひまりちゃん先輩、今日も楽しい放課後がやってきましたよ」

 ユウジ・ラクレット(la3983)は机一つ隔てた向こうの桜小路 ひまり(la3290)へと声を掛けた。

「……ひまりんセンパイ?」

 窓の外へと視線を遣るひまりは、心ここに在らずと言った体でユウジの声に生返事を返す。そんな彼女の様子が珍しく、ユウジは身を乗り出して──。軽く。触れるや触れないやの軽さでそっとその額へと口付けた。

「──ちょっ、ふぇ? ユーくん!?」

 突然に何をしてくれているのかと、顔を赤らめながらも目を三角にするひまりに、ユウジは少し不満顔である。

「それはこっちの台詞ですー」

 もう教室にも誰もいないのに、どうして構ってくれないのか。不平を溢すユウジに対して、そう言われてしまってはひまりはバツが悪い。後ろめたさからか半身退いたひまりの横へと、ユウジはすかさずに椅子を寄せる。ガタゴトと床に椅子の脚が擦れて音を立てた。薄く開けられた窓からはグラウンドの部活動の声が聞こえる。

「近いんとちゃう?」
「他に誰もいないし、別に隠すことでもないし。それとも、ひまりはこう言うの……嫌?」

 覗き込むように、頬杖ついて見上げられたその瞳は全ての困難を燃やし尽くすばかりにキラキラと煌めいていて。いつもより少し低い声音に胸が高鳴る。さり気なく変える呼びかけに、ひまりは思わず彼を感じてしまう。

「嫌なわけ、ないやん? ただ──」
「ただ?」
「ちょっと、恥ずかしかっただけ」

 その言葉を引き出して、ユウジはニッと笑った。

(ああ、ずるいなぁ)

 表情も、声音も。ひまりの世界を形作る大切なものとなって、その存在が日に日に大きくなっている。新年度──高校三年生となった彼女の傍らには、今年もユウジの姿があった。あの冬の日に関係性が変わってから、既に半年ほどだろうか。月日が流れる速さは人それぞれ常に変わらないとは言うが、彼と彼女の間には一日いちにちが掛け替えの無い毎日となっている。そんな日々が過ぎるのを惜しむ様に、二人は学生生活最後の一年を送っていた。

「そんでな、ちょっと考え事しててん」
「うん。そうだったね」

 ここまで来たらユウジのペースだ。促されるでもないが、自然とひまりは言葉を継ぐ。うん、どうせいつか──直ぐに、言おうと思っていたことだ。今日でもいいんじゃないか。

「ユーくん、お願いがあるんやけど」

 改まって、ユウジの正面へ向き直ってひまりは告げる。

「うちの──うちの、両親に会うてくれへん?」

 それが、四月の頭のお話。もう二か月前の事である。


 花見小路の喧騒を嫌って、ユウジとひまりは白川筋を並んで歩いている。夕涼みには少し早い時分だったが、軒下には気の早い男女が床几台へ毛氈を広げていた。昼間の混雑とは打って変わって人影は少なく、物思いに耽りながらゆっくりと歩く二人の速度を妨げるものは居ない。カラコロと、ひまりの足元に引っ掛けた下駄が乾いた音を石畳に響かせる。カラコロ、カラコロ──カラン、コロン。

(おかあはん、どんな積もりやったんやろか)

 ひまりの脳裏には、久方ぶりに顔を合わせた両親の姿が、そして霞掛かって耳に残った母親の声がいつまでも余韻を残していた。

『この子を、ひまりの事をどうか攫っては……いただけませんか』

 そんな言葉と共に、母は、そして父はユーくんに向かって頭を下げた。自分と同い年であることは事前に伝えてあった。そんな息子程の年齢をしたユーくんに対して、厳かに、だが……絞り出すように縋る声は、ひまりにとって祈りのように聞こえた。果たして、あれはどのような心持ちの表れだったのだろう。感情が伴うようで、平坦でノイズ交じりにも聞こえる父母の言葉。数年ぶりに聞く、熱の通わない空気の振るえ。
 そんな両親の視線を、声を受け止めて、うちの隣に座ったユーくんはただ穏やかに笑っていた。はいとも、いいえとも言わないユーくんに対して父も母も何も言わず、ただ一口だけお茶を飲んでから長く息を吐いたのだった。

 実家を飛び出してライセンサーとなってから久しぶりに会った両親との対話は、そんな感じで何とも曖昧模糊とした空気の中に終わった。

(結局、最後までおとうはんもおかあはんもうちには何も言わんかった……)

 何かを言われることを期待していたのか、それとも実際に言われたらそれでも反発したのだろうか。今となってはそれすら定かではない。正直なところ、何か両親から言われたとしても──恐らくは十分には聞き取れなかっただろう。それほどに、ひまり自身も、両親に対してドロドロとした鬱屈した想いを抱いている。
 顔も、声もよく分からない。ただ血の繋がった血縁であるというだけの両親。そしてその両親が未だに守っている『桜小路』の家。
 かつての、おばあちゃんが居た頃のおうちはひまりにとって安らかな、幸せな日々の象徴であった。世界はとても狭く、傍から見ればそれはおよそ満ち足りた幼年時代とは程遠いものだったかもしれない。だが、祖母とのゆるやかな毎日とそれを取り巻くあの場所は彼女にとって幸せそのものだった。

 それも今は昔。

 とある事故を経てからは、彼女にとって桜小路の家は心休まる場所ではなくなってしまった。そのことに責任を感じているのか、両親もひまりに対して強く当たらないのが唯一の救いだった。だが、だからと言って居心地が良くなるわけでもない。
 元々『桜小路』の業に然したる才も無いと分かり切っていた自分のこと。ライセンサーへの適正があると分かった事をこれ幸いと、飛び出してきてしまったのはもう7年も前である。それからこの方、両親とはほとんど没交渉に近かったのだ。そんな娘が帰ってきたのだから、さぞや何がしかの言葉なり小言なりはあると思っていたのが……肩透かしを食らったようでどうにもひまりは落ち着かない。カランコロンと耳に響く下駄の音が、どこか他人行儀に頭の中を反響していた。


 ひまりんセンパイのご両親から頭を下げられて、戸惑いが無かったかと言えば嘘になる。もちろん相応の心づもりをして今日のこの場に臨んだことには間違いない。だけど、実家のことを話すパイセンの顔はいつも曇りがちだったから、どんなひどい事を言われるのかと不安があったのも確かだ。

『どうか、よろしくお願いします』

 そう言われて、俺はどんな表情をしていただろうか。なんとか笑みを返して、頷くことが出来ただろうか。ただ鮮明に覚えているのは、隣に座った彼女の視線が、その焦点がご両親の貌には合っていなかったというその一点。
 過去の事件が彼女の生い立ちに拭い難い、暗い影を落としていることは彼女自身の口から聞いて知っていた。何てことが無いように語るひまりちゃん先輩だったが、そうして口に出せるまでにはどれほどの苦労があったのだろうか。そして、それを乗り越えた彼女は──どれほど、気高く強いのだろうかと。その時の俺は思ったんだ。そんな彼女が。

(まだ、『見えていない』んだな……)

 他の人なら気が付かないだろう。でも、この半年間。誰よりも近くで、彼女のことを見つめてきた自分にははっきりと分かる。こうして差し向かいに座っている彼女と、ご両親の間には例えようもないほどに深く、広い断絶がある。それは外から来た俺が気軽に『理解できる』だなんて言うべきものではないのかもしれないが、ひとつ間違いないことには。

「俺が、ひまりを幸せにする」

 口の中で、彼女にも聞こえないようにそっと呟く。この世界に流れ着いて、記憶も無く、まったくの天涯孤独のままに病室で臥せっていた俺を優しく受け止めてくれたひまりだけは。何があっても、この俺が守り抜く。それがこの半年間、少しずつ降り積もっていた、けれどもとても大きな一つの決意。
 ひまりがこの世界に花を咲かせる言霊ならば、それを常に支える存在になろう。そして、彼女にもっともっと楽しい思い出を、幸せな笑顔を届けたい。何より、許嫁との望まぬ結婚について話す、その泣き笑いにも似た諦めの表情を只ただ、これ以上は見ていたくなくて。

 あの冬の日。帰り道の告白を経て。俺は彼女の恋人(仮)になった。

 半年間、駆け抜けるようにたくさんのことを一緒にした。放課後に街へと繰り出しては一緒にクレープを買い、半分ずつに分け合いっこした。はみ出したクリームが頬に付いた俺を見て、彼女は噴き出しつつも先輩めかしてそれを拭ってくれた。ショッピングモールでは春服をそれぞれに選び合った。普段の自分では選ばないような、少し趣味の違う服を当ててくる彼女の笑い顔がもっと見たくて、何枚も、何枚もへとへとになるまで試着を繰り返した。そんな思い出がどれもこれも愛おしい。

 任務という体で連れ立って訪れたエオニアではバラ園をぐるりと歩いて、満開の花を楽しんだ。いつもは少しお茶目で、のんびりしたところもあるひまりんセンパイのテーブルマナーの見事さには彼女の育ちの良さを改めて思い知った。
 そう、その時に握った彼女の手の温かさを、ずっと。ずっと俺は抱きしめている。彼女の想いを受け止めて、正真正銘の恋人同士となって、それからもずっと。

「ひまり」

 喉が、乾いている。今日一番の緊張と共に、握った手に指の力を少し込めて俺は彼女を呼ぶ。春の庭に咲く華憐な花のような、ひまりの笑顔。その中に過ぎる陰の正体を、今日この身で思い知った。それは、不幸なすれ違いなんだ。誰が悪いとかじゃない。ただ、悲しい掛け違いがずっと長い間、絡まった糸のようにか細く皆を結んでいる。これ以上引っ張ればぷつんと切れてしまうような、そんなギリギリの関係性。それを留め置いて、解きほぐすのは俺の役目だ。

「ひまり──」

 もう一度、その名を呼ぶ。半歩踏み出したその脚を止め、ひまりが俺へと向き直った。


 桜小路の家を出てから、言葉少なに歩くユーくんに導かれるように白川筋まで歩いてきてしまった。
「寄り道してから、帰ろう」と提案するユーくんに特に反対する理由もなく、色々と今日のことやこれまでの事を思い返しながら足を進めていく。いつの間にか四条の賑わいが遠く聞こえてくるほどに街並みが近づいてきた。
 その喧騒を聞いて、ぎゅっと彼が手を強く握った。

「ひまり」
「ん、どうしたん?」

 内心のドキドキを悟られぬように、殊更にゆっくりとうちは答える。でも、そんなの全部バレバレかもしれない。だって、ユーくんがうちのことを呼び捨てにするときは決まって、恋人同士になるとき。普段の気が置けない先輩後輩同級生の間柄じゃなくて、もっと大切で温かな関係。それを意識するだけで、ユーくんと繋がった手のひらにカッと熱い血が通うのが自分自身でも分かるのだから。


「ひまり、愛してる。俺とずっと、ずーっと一緒にいてくれ」

 ここ数カ月、ずっと暖めていた言葉を俺は彼女にだけ囁く。少し火照ったような彼女のその掌をそっと取り、指へとリングを通した。

「これは……?」
「俺から、ひまりに。嘘偽りない気持ちを贈るよ」

 こっそりと準備した桜の指輪。そこには彼女の瞳に擬えた、ロードクロサイトが輝きを放っている。この時の為に、設えた精一杯の心尽くし。

「俺が、ひまりを世界で一番の幸せ者にしてやるからな──!」

 ユーくんが、うちを抱きしめてくれる。ちょっと苦しいほどに力が入っていたけど、むしろそっちの方が都合がいい。だって──。

「……はい。嬉しい、うちも、ユーくんのこと……愛して、ます」

 言葉にならない想いを、なんとか喉の奥から絞り出す。堰を切ったように嬉し涙が止まらない。親元から勘当されて、その当日にプロポーズされて。これでいいんだろうか。いいに決まってる。いろんな感情が沸き起こって、泣き笑いでしわくちゃになった顔を見られるのはやっぱり恥ずかしいから。うちはユーくんの胸元に顔を埋めて、ただひたすらに、ありがとうと繰り返した。

 ありがとう。これからも、ずっと、よろしく。

 言葉を口にする度に、想いが、互いの魂が溶け合う。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
この度はご発注どうもありがとうございました。
お二人の今後が末永く華やかな喜びに彩られますように。
イベントノベル(パーティ) -
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グロリアスドライヴ
2020年06月11日

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