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『すべてをさらう青嵐(1)』
水嶋・琴美8036

 館に人の気配はない。幾多もの企業に狙われている大企業であるはずなのに、手薄な警備だ、と侵入者は笑う。
 けれど、その笑みは直後固まった。
「よそ見をしていてよろしいのですか?」
 突然、声がしたからだ。夜の館に響き渡る、凛とした少女の声。
 いつの間にかそこにいたのか、侵入者のすぐ横に彼女は立っていた。
 侵入者と目が合うと、少女はメイド服のミニスカートの裾を掴み恭しく頭を下げてくる。その仕草はひどく優雅で、歴戦の侵入者であってしてもしばし任務の事を忘れ呆然と眺めてしまう程だった。
 そんな侵入者の事をからかうように、悪戯っぽくメイドは笑う。人を小馬鹿にしたくすりとした笑みも、彼女が行えばひどく上品なもののように思え、侵入者は苛立ちを感じるよりも前にやはりその姿に見とれてしまうのだった。
 長く伸びた黒色のロングヘアーの両脇を一部だけ二つに結んでいる彼女は、その髪を揺らしながら首を傾げ、再び呟く。
「この場所が、あなたにとって敵地だという事をお忘れではないでしょうか?」
 その丁寧な口調と言い放たれた言葉の内容からして、彼女の正体はこの館で働いているメイドなのだろう。思わず息を呑むほどに美しい容姿以外では、特にメイドとして変わった点はない。
 しかし、だからこそ、武装した侵入者を見ても驚いた素振りを見せず落ち着いた態度を貫く様はかえって異常であった。
 冷静さを失わないどころか、メイドはその口元に依然として笑みを携えている。黒真珠の如き美しい瞳には、まるで侵入者を挑発するかのように侮蔑の感情が込められていた。
 不意に、メイドが動く。ようやく侵入者が自分がこの館にこそこそと忍び込んだ目的を思い出した頃には、もう遅い。
 振るわれたのは、華麗な足技だ。鮮やかな蹴りが、たった一撃で侵入者の意識を奪う。
「警備が手薄だと油断していたようですけど、何事にも理由があるものです。この館には、厳重な警備など要りません」
 なにせ、このメイド一人がいるだけで、侵入者などたやすく撃退する事が出来るのだから。
 今夜のように、一撃で倒された敵の数など、多すぎて聡明な彼女であっても把握しきれていないくらいだ。
「そもそも、あなたのような弱い方の事など、いちいち数に入れていませんもの」
 最後に少女が呟いた言葉すら、もう侵入者の耳には届いていない。
 とある大企業の一家には、戦闘技術に長けたメイドが仕えている。彼女、水嶋・琴美(8036)がいる限り、この館の主人に危険が迫る事は決してないのであった。

 ◆

 綺麗に磨かれた窓に、琴美の姿が映る。メイドとしての業務を完璧にこなしながら、彼女は近頃急増した敵の襲撃について考えていた。
(特殊な技術を有している私の主人が、卑劣な他の企業に狙われる事はよくある事ですが……それにしても、最近は頻度が以前よりも増している気がいたします)
 襲撃者達の戦闘スタイルは、似通っているように思える。複数の企業に同時に狙われているというより、一つの企業が躍起になって刺客を送り続けているのではないだろうか、と琴美は推測していた。
(私の推測が、外れた事はありません。大した脅威ではなさそうですが、だからこそ毎回いちいち相手にするのは時間の無駄ですね)
 あれだけ撃退してきたというのに、敵企業のトップが直接琴美の鮮やかな戦いぶりを見ていないせいか、しょせんメイド一人なのだと向こうはこちらを未だに侮っているように感じる。
(この辺りで手を引いてくださる程、利口な方達ではないようです。特別な『お客様』にはこちらも最大限の『おもてなし』をするべきでしょう)
 そろそろ、こちら側からも仕掛けていくべきだ、と琴美は判断した。主人には、今朝一日の予定を伝えた際にすでにこの件に関して相談してある。
「今回の件に関しては私に全て任せるとおっしゃってくださったご主人様の期待を、裏切るわけにはいきません」
 代々一家に仕えている一族の末裔である琴美の腕を、主人も信用してくれているようだ。それ故に、危険な任務になるが大丈夫なのか等、琴美を心配するような言葉を主人が紡ぐ事はなかった。
 その信頼が、何よりも琴美の力になる。彼女が持つ自信とその実力に見合ったプライドを、決して傷つける事がない主人の態度を琴美は嬉しく思った。
 琴美の事をよく知らない者からは、美しい彼女がただ一人で戦場に向かうだなんて、と驚愕する者もいる。その綺麗な肌に傷がついたらどうするのだ、という何様なのかも分からない心配の声をかけてくる者も。
 しかし、そんな心配など琴美には考えるだけ時間の無駄な杞憂に過ぎない。
「私が負ける事など、万が一にもありえません」
 艷やかな唇からこぼれ落ちたのは、自信に満ち溢れた言葉であった。だが、それは決して虚勢ではない。確かな実力に裏打ちされた、揺るぎない事実だ。
「それでは、そろそろ支度に向かわなくてはなりませんね」
 独りごちた彼女が向かうのは、館にある琴美の私室だった。
 そこにあるワードローブの中には、何着もの愛らしい衣服とメイド服が行儀よく並んでいる。
 その内の一つ、特殊な素材で作られたこの世に一点しかない彼女のためだけのメイド服……こうやって敵地へと向かう任務を受けた際は、必ず彼女はそれを身にまとう事に決めていた。
 それは戦闘用に作られた特注のメイド服。彼女がこれから向かう先、戦場でたなびくに相応しい、美しくも頑丈な衣服なのだ。


東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年06月11日

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