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『―― 姑獲鳥の嫁取り ――』
リーベ・ヴァチンka7144

 遍く宇宙如何なる星に生まれども いつの日にか躯は滅び 魂は流転の旅に出る
 永劫の刻を巡りつつ 因果律によりてまた生まれ 業を負いてはまた旅立つ

 リーベ・ヴァチン(ka7144)
 紅き世に在ってはこの名であった魂が、『姑獲鳥』なる妖魅として化生した時分の一幕を記す


 ◇


 萌える春山の奥深く、立派な茅葺きの家がぽつんと建っていた。
 家の前の畑には野菜がよく実り、田は清らな水で満たされている。裏手では山桃が甘い香りを醸していた。
 戦国の世の動乱から隔絶されたこの家は、まるで小さな桃源郷だ。
 住人は、幼児から十代半ばの子供がなんと二十余人。大人は若い女性がひとりいるきりだった。
 夜、彼女は年少の子らを寝かしつけると戸口に立ち、年長の子らへ告げる。

「行ってくる。戸締まりはしっかりな」
「母さん、必ず赤ちゃん"助けて"来てね」
「留守番は任せとけ!」

 母さんと呼ばれた彼女は目を細め、

「頼もしいな。それじゃあ、おまえ達もゆっくりおやすみ」

そう言って袂を一振りすると、たちまち彼女の姿が変わる。
 凛々しい面差しや豊かな胸はそのままに、腕は朱色の翼となり、下肢は羽毛と鉤爪を持つ猛禽めくものへ。この桃源郷の主である彼女の正体は、姑獲鳥という妖鳥だった。
 けれど子らは驚くでもなく、

「気をつけてね母さん」

 変わらず母と呼び笑顔で手を振る。彼女は子らの頭上で旋回すると、北の空へ飛び去った。


 ◇


 彼女は生来、少々変わった姑獲鳥だった。
 己が以前"何者か"として生きていたことがあると知っていたのだ。

(前の私には翼がなかった、それだけは覚えている)

 妖鳥が輪廻転生の概念など知る由もないのだが、ともかく彼女は今生を貪欲に過ごすと決めた。

「この身体でできる事、目一杯やり倒さないと勿体ない」

 まず早翔けを極めんと隼に師事し、力を欲せば天狗とやっとうの稽古に励み、西に術達者な天狐があると聞けば千里を翔けて教えを請うた。
 結果、彼女は並ならぬ頑強さと神通力を得、日の本に名を轟かす大妖怪となったのである。
 しかし、

(何か違うんだよな)

 何故か心は満たされず、胸に穴が空いているような虚しさに苛まれていた。
 けれども十五年前。
 山で行き倒れた女を見つけ弔おうとしたところ、腕に抱かれていた赤子にはまだ息があった。小さな身体を抱き上げたその瞬間、強烈な既知感と懐かしさが、彼女の胸の穴へ流れ込んだ。

(そうだ、前の私には子供が居た――!)

 顔や名は思い出せないが、共にいた時間の温かさが魂の芯に残っていたのだ。
 彼女は赤子を連れ帰ると、人並みの生活をさせるべく山を拓き家を建てた。それからは子育てに奮闘しながら畑を耕す日々。血は繋がらなくとも、子の健やかな成長を見守ることは何にも代えがたい喜びとなった。
 以来捨て子や孤児を見つけては連れ帰り、飢饉で間引かれそうな子がいれば攫って来、気付けばかような大所帯となっていたのだが、忙しさは感じれど幸福感はいや増すばかり。
 それはまったく嘘偽りのない本心なのだが。

(何かまだ足りない気がする)

 胸の穴はいまだ時折疼く。子供同様、前世で得ていて今世で得られていないものでもあるのだろうか。それが何か分からぬまま、今宵も彼女は子供のため翔けていくのだった。


 ◇


 やって来たのは、城下から程近い農村の名主の屋敷。鳥目の彼女だが件の赤子の家を見紛うことはない。昨夜訪れた際、印を残してきたからだ。
 姑獲鳥は、夜外に干された衣があると、それへぽつりと血の染みをつける。己の血の匂いはどんなに離れても分かる。人間の方もそれが姑獲鳥の習性だと知っていた。印をつけた衣の主を、翌夜攫いに来ることも。
 けれど悲しいかな、彼女の印は今まで殆ど気付かれたことがなかった。そういった家の子だからこそ攫いに来ているのだが。
 ところが庭先へ降りようとすると、風切り音をあげ一筋の矢が飛来した。彼女は動じず身体の前で掴み止める。鏃は真っ直ぐ心の臓を指していた。

「良い腕だ。城から来た役人か?」

 誰何すると、母屋の影から弓を携えた若武者が躍り出る。

「仕損じたか。だが赤子は連れて行かせん!」

 彼がニの矢を番えるのを、彼女は静かに見下ろした。彼の鎧は一見して良いものだと分かる。それなりの家柄なのだろう。けれど、松明を掲げた下男達を連れてはいるが、武器を手にしているのは彼だけだった。

「ひとりか。私が何者か知ってのことか?」
「黙れ、姑獲鳥め。成敗してくれる!」

 彼の鋭い眼光に射抜かれると、不思議と胸の穴が疼く。その理由は分からなかったが、一抹の憐憫を滲ませ眼を伏せた。

「随分大きな捨て子だな」
「何?」
「おまえのことさ。おまえ兄がいるだろう?」
「何故それを、」

 彼女は滑空し彼へ急接近すると、四肢を術で戒める。動けぬ彼を放って、下男達は脇目も振らず逃げ出した。

「大方こんなところだろう。
 私の印に気付いた名主が城へ知らせたが、お上も私相手に人手を遣りたくない。敵うわけないからな。さりとて妖鳥に臆し名主の訴えを無下にしたとあっては外聞が悪い。そこで面目が立つよう、それなりの家柄で、その実いなくなっても困らない部屋住みのおまえを独り寄越した……体の良い生贄だ。殺生はしたくない。退け」

 彼女に一騎打ちを挑もうなどおよそ正気の沙汰ではない。蛮勇からの暴挙か、上から命を受けたかだ。彼の様子から後者だと察し、残酷な事実を突きつければ退くだろうと踏んだ彼女だったが、返答は意外なものだった。

「だから何だ。赤子が攫われるのを見過ごすなど俺にはできん」
「全て承知で来たのか」

 彼はもう答えない。彼女の胸は一層疼いた。

(こんな男を知っている。他人の為命を投げ打てるような男を、――ああ、そうか)

 彼女は口許を綻ばすと、吐息がかかるほど顔を近付けた。

「おまえが私のものになるなら赤子は諦める、と言ったらどうする」
「是非もなし」

 即答され、彼女は笑みを濃くし片翼で抱き寄せる。と、そこで肩を竦めた。

「ああでも、その赤子なんだがな」

 言ってもう片翼をくるりと回すと、翼の中にこの家の赤子が現れた。母屋から悲鳴があがったが、彼女が構わず赤子の衣を寛げると、彼は息を飲んだ。そこには痣や煙管を押し付けられた痕が幾つもあった。

「この子は名主の末娘、いわばおまえと同じ境遇だ。ここにいては遠からず可哀想なことになる。……どうする、それでもこの子を攫わない方が良いか?」

 彼は暫時唇を噛み逡巡していたが、やがて赤子をひったくるようにして押し抱くと、母屋に向かい声を張る。

「名主よ、この子は俺が預かる! 追手をかければ貴様の所業を広く知らしめられると心得よ! ……さあ、どこへなりと連れて行け」


 そうして彼女は、傷だらけの赤子と大きな捨て子を連れ帰った。子らは彼女が大人を連れて来たことに驚き、彼の方もまた子らの多さに瞠目した。しかし彼が何より驚いたのは、子らが皆健康的で幸せそうなことだった。

「この大人数を独りで養っていたのか」
「まあな。皆同じような身の上だ、優しく接してやってくれ」
「母さんその人だれ?」
「私の嫁だ」
「!?」

 一悶着ありつつも夫婦となったふたりは、子らを慈しみ大事に育てた。やがて大人になった子が望めば人里へ送り出し、また孤児を保護してきては育て――山中の桃源郷は絶えず子らの笑い声で満ち、ふたりは末永く幸せに暮らしたという。


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
【登場人物】
リーベ・ヴァチン(ka7144)/嫁取り姑獲鳥

【姑獲鳥】
うぶめ。日本と中国に伝わる妖怪で、別名『夜行遊女』。
夜まで干されたままの洗濯物に印をつけ、衣の主を攫う者や、
自らの赤子を人に託し、子を粗末に扱われると害をなす者など、
名は同じでも彼女達の行動は様々。
おまかせノベル -
鮎川 渓 クリエイターズルームへ
ファナティックブラッド
2020年06月12日

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