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『水無月の一日(いちじつ)』
剱・獅子吼8915)&空月・王魔(8916)

「6月だねぇ」
 インテリアの量販店で「座面があってもたれかかれる背があって横になれる長さがあるものを」という雑過ぎる注文をし、選ばせたソファ――店員は実にとまどった。注文を裏切る要素がソファには存在しなかったから――にだらだら転がり、剱・獅子吼(8915)はひと声放る。
 人の道に沿うならば「それがどうした?」と話を拡げてやるべきなのだろう。しかし獅子吼のボディガードとして、なんならそれ以上に家事手伝いとしてこの剱家に在る空月・王魔(8916)はわずかにも反応することなく、黙々と鍋を洗い続けていた。
 なにせ獅子吼は性(しょう)の悪い女だ。下手に言葉を返せばそれを手繰ってとんでもない論へ結びつけてくる。料理などまるでできないくせに、極論やら屁理屈やらをこね合わせ、それっぽい形と味へ焼き上げる術にだけは熟達しているのだ。
 で。固く閉ざされた王魔の心の防壁に気づいてか気づかずか、獅子吼は声音をいくらか低く潜め、
「結婚のことをね、考えてるんだけど」
 そうか、6月だと言い出したのはジューンブライドの枕詞か。が、私は引っかからんぞ。おまえは結婚そのものじゃなく、結婚の“こと”を考えてるんだろう? ふん、その程度のひねりで私を釣れると思うなら、相当に甘い。
 頑なな王魔の背へ口の端を上げてみせ、ようやく身を起こした獅子吼はドライシガーに火を点けた。
「無視というものはね、相手に意識を集中させてやって初めて成るんだよ。言い換えれば今のキミは世界でもっとも私のことを深く考え、思い、もしかすれば想ってさえいるのかもしれない。だとすれば私は」
 さらに言葉を続けようとした獅子吼の鼻先へ、頑固なこびりつき汚れもタフに削ぎ落とす金たわしを突きつけて。王魔は超高圧の低声で告げる。
「擦り落とされたくなければ、その無駄によく動く口を閉めろ」
 両手を挙げて降参。獅子吼はソファに背を投げ出して、たわしのプレッシャーから我が身を遠ざけた。
「キミとちがって肉体労働は苦手だからね。しかし、生物というものは運動を止めれば生命を損なうという厄介な宿命を負わされている。だから私は最少の労力で宿命を全うするべく、口の運動に勤しんでいるのさ。すなわち食い、吸い、しゃべる」
 そこで獅子吼がやめていれば、王魔は再び無視を決め込んで、事はそこで終わっていたはずだ。
「想像力たくましいキミのために言い添えておけば、下ネタじゃないよ?」
 まあ、王魔が相手だとついつい余計なことを言いたくなるのが獅子吼の癖なので、この後たわしを握り込んだ拳で脳天を打ち下ろされる程度の代償、喜んで受けておくべきではあろう。

「で、6月と結婚のことがどうした?」
 獅子吼ならぬ店員が己ばかりか同僚までもを尽くして選び抜いたソファ、その一端へ腰を下ろし、王魔は保温マグを満たすコーヒーへ口をつけた。
 今日の一杯はトレファクト――内戦時代のスペインで貴重なコーヒー豆をかさ増しするため考案された、砂糖を塗って焙煎する方式――した豆を使ってのカフェ・ソロ(エスプレッソ)。
 トレファクトには豆の酸味と苦みを抑える効果があるらしいが、エスプレッソにして飲むのがスペインの定番だ。そもそも豆の煎りが深いわけなので酸味は飛ぶし、当然のごとく非常に苦い。
 堂々とご相伴に預かりつつ、獅子吼はドライシガーならではの辛(から)い紫煙を吐き出して、
「結局乗ってくれるのか。きみは本当に濃やか――ちょろいね」
「わざわざ悪く言いなおすな。……放っておけば被害が拡がるばかりだろうが」
 冷めた目線につつかれて、獅子吼はやれやれと肩をすくめてみせる。「キミにだけ及ぶ被害だよ。それ以上拡がりようもないさ」。
 言っておいて、今度はげんこつを食らう前に言葉を継いだ。
「先の依頼者から、ウェディングドレスのモデルを頼みたいとの打診を受けてね。相手役は広告代理店が売り出したくてたまらない少年アイドル。しかもドレスのラインはプリンセスだ!」
「正気か?」
 語尾の「だ」を噛み砕く迅さで飛んだ王魔の疑問、身も蓋もないものである。
 ――ウェディングドレスにおけるプリンセスラインとは、上半身部分はタイトに詰められてボディラインをなぞりつつ、ウエストの切り替え部分から下へふわっと拡がった、華やか且つかわいらしい代物だ。
 確かに獅子吼は眉間の傷を化粧で隠し、唯一の運動箇所であるらしい口さえ閉じていれば“見れる”外見をしてはいる。ただし備えた美の質は愛嬌ならず玲瓏。とてもプリンセスラインを着こなせるとは思えない。
「相手の歳に合わせてそうなったんだろうけど、最大の問題はね。似合わないことより、プリンセスラインは基本的に肩から腕が剥き出しになることだよ」
 獅子吼の左腕は喪われている。それを露わにすれば、人は彼女の美貌よりも傷痕にばかり目を捕らわれるだろう。
「肘まではあるんだ。義腕をつけて手袋で隠せば問題なかろうが」
 両眼をすがめて言う王魔へ、獅子吼は問いを含めた目線を返す。さて、キミはどうしてそれほど私にドレスを着せたいんだい?
「先には依頼主の正気を疑ったが、そうじゃないんだろう。どうしようもなく心清く、慈愛を振りまきたくてたまらない聖人だったわけだ。だとすれば独り身で生涯を終えるおまえに、たとえ演技であれ晴れ着をつけて誰かと添った記憶をくれてやろうとしたことにも納得がいく」
 王魔は眼帯に塞がれておらぬ左眼を生あたたかく緩め、言葉を継いだ。
「よし、全力ではしゃいでこい。病院か畳の上か廃屋か、場所は知らんが近い将来見る灰色の走馬灯を、少しでも色づけるためにな」
「これがパンチラインか……もらったダメージが強烈すぎて立ち上がれもしない」
 ソファに倒れ込んだ獅子吼は右へ左へもだもだ、ようやく顔を上げたかと思えば「このコーヒー、今の私には苦すぎる。ソロじゃなくてマンチャード(ミルクたっぷり)にしてくれ」、訴えた。
「せっかく花嫁を演じるんだろう。ついでに修行も演じておくんだな」、王魔は軽く突き放し、自分のコーヒーを飲むばかりである。

「あー、その手の話を今後一度でもしてきたら、すべて引き上げさせていただく。無論、担当者が代わるなんてことを含めた、あらゆるごまかしは聞かない」
 めずらしく不機嫌を露わにし、スマホの画面を見下ろす獅子吼。
 結局カフェ・マンチャードを作ってやることとなった王魔は――彼女の雇い主の手際は、その後の被害を容易く予測させる代物だったのだ――獅子吼へカップを渡し、そのままスマホをのぞきこんだ。
「ん? のぞき見とは趣味が悪いね」
「怒りなり苛立ちなりの矛先を向ける相手の顔は、見えているほうがいいだろう」
 そしてわずかに顔を傾げ、来いと促す王魔。
 獅子吼は決まりの悪い表情を逸らし、カップの中身をすすり込んだ。
 王魔は自覚していないだろうが、彼女はこういう気づかいをさらりと実行し、なんの含みもなく胸を開いてみせる女である。
 その美徳は女性的よりも男性的で、やはり女性的らしからぬ性(さが)を備えた獅子吼にはなんともありがたいのだが……この女心を認識した男前、女子校にでも放り込んだら史上最強の「センパイ」が爆誕するのでは?
「……今からでも女子大に行ってみないか? なに、金ならあるよ」
「死ぬまでに言ってみたいセリフをひとつ減らすほどの場面か?」
 唐突な獅子吼の提案に鼻白み、ふと。
「金といえば、銀行と揉めていたようだが」
 先に獅子吼へ連絡を取ってきたのは、取引銀行のひとつに務める銀行員であり、ようは獅子吼の資産を当行の事業に突っ込めという「お願い」のためだ。
「後で揉めさせてくれるほどの輩ならおもしろかったんだけどね。手柄のためにリスキーな勝負をしたいらしいが、あるのは闇雲な自信だけで、肝心の事業内容もそれを進める信念も他人を動かす誠意も、なにひとつ足りていない」
 だから不合格。ばっさり切り捨てた獅子吼へ、王魔は肩をすくめてみせる。
「大きな金を動かしもせず寝かせておくだけの奴がそこにいるんだ。ちょっと騙してかすめ取りたくなる奴もいるだろうさ。つまりは隙を見せつけているおまえが悪い」
 あまりの言い様に、獅子吼も眉根を引き下げた。
「有り様はどうしようもないけど、論まで男らしくならないでほしいね。今の私が欲しいのは女子同士ならではの共感だよ」
 膝を抱え、ソファの上でうずくまる。実にわかりやすい、落ち込んでいるポーズ。
「詐欺師相手に説得力と情熱、人柄まで求める輩が言うセリフか。おまえの都合に性差を使うな」
 王魔の追い討ちを避けるためにソファから降り、獅子吼は再びスマホを抜き出した。今度はのぞき見られないよう体を縮め、なにやら入力し始める。
「聞かれないから言ってしまうんだけどね、この世界でもっとも私に共感して世話を焼いてくれる女子へ予約を入れているんだ……キャバクラじゃないよ」
 ちなみに獅子吼の言葉は謎かけになっていない。彼女の日常的な行動半径は極端に狭いし、その中で関わる人の内、女子と呼んで差し障りない年齢の女性といったらひとりきりだから。
「歯科衛生士も仕事に差し障らんよう、優しく接してくれているだけだからな」
 王魔の無慈悲な指摘への獅子吼の返答は――
「それがいいんじゃないか。私の生活に関わることない人だからこそ、関係性を慮ることなくその場の面倒を丸投げできる」
 具体的に言えば歯のメンテナンスだね。言い添えた獅子吼に、今度は王魔が眉根を下げた。
「おまえがいつ私に慮った?」
 生活に深く関わるはずの王魔へ対する獅子吼の態度、姿勢、応対、すべて含めて思い出してみても、それなり以上に酷いものばかり。せめて気ぐらいは遣えと思った回数は、それこそこれまでに食らったパンの枚数と大差ない有様だ。
「おまえがこねた理屈だろうが。オチくらいはつけてくれるんだろうな」
 王魔目がけ、獅子吼はぐいと振り向けた――それはもうすばらしい決め顔をだ。
「昔から云うだろう。言わぬが花ってさ」
 まあ、そんなことを言うだろうとは思っていた。ただしこんなときのため、日本に来てから王魔は勉強してきた。故に惜しまず披露する。
「言わぬことは聞こえぬとも云うがな」
 これ以上ないカウンターアタックは、それでも敵を揺らがせることかなわなかった。
 はいはいとぞんざいにうなずいた獅子吼は薄笑みを傾げ、
「じゃあたった一度だけ言っておくよ。聞こえるようにはっきりとね」
 不可思議なほどまっすぐに、言葉を重ねていく。
「私は私という存在そのものをキミに丸投げしている。不思議なものだが、私を預けてかまわないと思えた相手はキミだけだ。喪ってしまえば多分、私は世界との縁を断って消え失せるだろう」
 長い言葉を切り、冷めたコーヒーで舌を湿す。
 実際は喉が乾いたからというより、向き合うことが気恥ずかしくなったのだろう。口にすることなく心に押し込めてきた思いと。
 獅子吼は人の思考や性(さが)を表情やしぐさ、声音等の“表現”から読み取る菩薩眼の持ち主で、それ故にリアリストとならざるをえなかった。しかし本来の彼女は――まあ、これはそれこそ言わぬが花か。
 王魔は獅子吼から視線を外したまま息をつき、同じく冷めたコーヒーを飲み干した。
 結局のところ、獅子吼はアンバランスな女なのだ。複雑な人間関係の渦へ放り込まれたせいで酷(ひど)く老成した部分と、正しく愛され育まれなかったせいで酷(むご)く幼稚な部分がマーブル模様を描いて折り重なっている。――と、察せられるほど王魔もちゃんと育った人物ではないので、ぼんやり「この女に世話役が必要なのは確かだろうな」と思う程度なのだが、ともあれ。
「というわけでだ。以前も言ったが養子にならないか? そうすれば居候の家事手伝いから家事手伝いの娘にランクアップだ」
 笑顔で締めくくった獅子吼の脳天にゲンコツを落としてやってカップを回収、台所へ向かう。
「キミは人の真心をなんだと思ってるんだ!」
「おまえのは真心じゃなく下心だ。漏れないよう蛇口を固く締めておけ」
 伝わることも伝わらぬこともありながら、ふたりの女が共に過ごす今日は、昨日と同じように過ぎていくのだ。


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2020年06月16日

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