『繋いだ手のその温もりを忘れない』

不知火　あけび（la3449）＆不知火　仙火（la2785）

　明ける日を溶かし込んだ色が同じ高さまで下りる。ぐっと強く握った手を温かい何かが包み込んだ。手に押し当てられる硬い感触。それは祈りにも似た懺悔――言葉を尽くさないからこそ窺えるものもある。多分自分は、年齢に比して聡い子供だった。そうならざるを得なかった部分もある。だが悪いことではないと思うのだ。だから、そう伝えようとして――口を開いたところで意識が途切れた。

「――仙火、いる？」
　名前を呼ぶときは普段通り、いるの二文字は少し控えめに声量が下がる。声が聞こえてから思考が冴えてくるまでに若干のラグがあり、不知火　仙火（la2785）がベッドから身体を起こす頃には開けっ放しにしていた扉前に声の主の姿はない。気遣いは有り難かったが、気付けば帰ってきて早々横になり三時間が経過していた。一応キャリアー内で仮眠をとっていたことを踏まえれば丁度いい頃合いである。壁掛時計を確認して、網戸にした窓を閉めると廊下を進む。少し痒みを覚えてワイシャツに手を突っ込み、肩を引っ掻くと、僅かに膨らんでいた。寝ている間に虫に刺されたらしい。そんな些細な出来事に季節の変化を感じつつ仙火は食堂に向かう。そこに彼女がいる可能性は高かったし、小腹が空いているのもあった。自分で何か作って食べるのもいいが話せばきっと作るというのだろう。開放的なだけに無人だとやけに空虚に感じるそこから隣の台所を覗くとぱちぱちと油が跳ねる音が聞こえ、子供の頃から見ていた背中がその前にある。
（なんかやけに小さくねぇか）
　ふとそんなことを思い、単純に自分の背が伸びた為だと思い直し――そんな僅かな間に先んじて声を掛けられた。
「仙火、お昼ご飯はもうちょっとかかるから待って」
「いや、別にいいけどな。それよりも俺に何か用があったんじゃねぇか？」
　うん、と背を向けたまま天ぷらでも揚げているらしい母――不知火　あけび（la3449）が相槌を打った。その後微妙な間が出来る。入口に突っ立っているのもどうかと気付き、流し台の前に移動したところ真剣な顔のあけびが口を開いた。
「何も用事とかないなら、後で買い物に付き合って貰おうかなって思って」
「買い物？　あぁそうか、今日は誰もいないんだっけか」
　任務に出たり勉学に勤しんだり、あるいは遊びに出ていたりと、家族に加えて小隊員も下宿している大所帯に珍しく、今はあけびと仙火以外の面々はいない。記憶が確かならば夕方には続々と帰ってくる筈だが。脇の素麺入りのざるに飛ばないよう気を遣いながら、手首から指の付け根まで洗う。
（今日は母さんと二人か）
　長く誰もいないのも珍しいがあけびと二人になるのも同じくらい珍しい。何故なら大抵は父と行動を共にしているからである。父が家庭菜園を弄っているときは食卓の準備や掃除をしているし、敷地内にある道場で一般人に剣術指南する場合は一緒だ。というのも、二人がいい歳になっても相変わらず仲睦まじいのは勿論、仙火達程は任務を受けていないのも大きかった。
「別に何もないしいいぜ。それの他に何か作るもんはあるのか？」
「んー、そうだなぁ……。素麺にはかき揚げを乗せるだけのつもりだから、マリネはどう？」
「マリネか、いいな。まあ野菜だけでも全然アリか」
「うんうん。朝採ってきたばかりの夏野菜があるよ」
「じゃあそれで決まりだ」
　ぱっぱと決めると早速調理に取り掛かる。仙火達もあけび達が不在のときには水をやるが、実質的に夫婦二人で丹精込めて育てた野菜は身内贔屓もあるのかもしれないが非常に美味い。任務で疲れて帰ってきて、二言三言話しただけでさっさと自室に引っ込み――腹は空いているが、それを見越して結構な量の素麺を茹でているようだ。冷蔵庫からトマトやキュウリを取り出すと、それをまな板の上に置き包丁を手に取った。

　昼飯を済ませ、少しの時間を置いた後で仙火はあけびと少し遠出してデパートに出向いた。単なる荷物持ちかと思いきや、父に贈る誕生日プレゼントの相談もされた。今すぐ購入するわけではなく、あくまで参考の一つにとのことである。まあまだ一週間以上余裕があるし、家では訊く機会があまりないというのもあるだろう。酒盃に家庭菜園や金物細工などの趣味に使える道具、酒も呑めば中身はなくなるが、愛猫の船君のリボンのように形に残すことも出来る。羽織紐や角帯など身につけるものも良さそうだ。
　中々値の張る品は見れば目利きは出来るが自主的には行かない店なので新鮮な気分になる。大体の目処が付く頃には軽く二時間以上経っており、スイーツは別腹とフードコートにある喫茶店に入り、お八つ時を堪能した。ちなみに仙火は苺ミルクと苺のミルフィーユを、あけびはコーヒーフロートとマンゴーパフェを注文した。仙火の苺好きは父親譲りであけびもあれば食べるし、嫌いではないのだが、彼女はどちらかというと、食べるより作るほうが好きである。
　喫茶店を出てすぐ、隣からあっという声が聞こえ、仙火はそちらに視線を向けた。どこかバツの悪そうな瞳が仙火を見上げて、てへと幼げな雰囲気で笑みを取り繕う。姉弟に間違えられる程見た目が若いので違和感がないのが恐ろしい。
「そうだっ、忘れてた！　お金を下ろしてくるから、少し待ってて貰ってもいい？」
「別にいいけど……ならこの辺を適当に見て回っとくよ。もし何かあったらこれで」
　懐から取り出したスマホをちらと見せる。あけびは頷いた。少し気が急いているようで返事をする前から徐々に遠ざかりつつあった彼女が振り返る。大きく手を振ると透かしのように入った袖の蝶も揺れた。
「了解！　なるべく早く戻るからー！」
　そう言い残し、草履を履いているとは思えない軽やかな足捌きであけびの背中は雑踏の中に消えた。ATMが混んでいなければ十分も経たずに戻ってこれるだろう。そんなことを考えながら、何か興味を引く店がないかと辺りを見回す。宣言した通り周辺の店を軽く見るつもりが、思わぬ事態に遭遇し――そしてそれは過去、確かに起こった出来事と綺麗に結びついたのだった。

　◆◇◆

　――あの子は私が思っている程子供じゃない。だから、絶対大丈夫。
　当時そんなことを考えながら心臓は早鐘を打っていた。大人びていても、子供は子供に違いないのにだ。それに一般的な親が子供に抱く心配に加えて別の不安も自分達に付き纏う。あれは起こってはならないことだった。心身がぼろぼろに傷付いた姿を当事者の一人としてではなく、まるで第三者のように見ていたのは自分だ――悔やんで悔やんで、悔やんでも仕方ないと悟って、二度と間違いが起きないようにと、対策を講じることで一区切りをつける。けれども一度付いた傷は消えることはなく、この世界へやってきて更なる傷を抉り――その都度、やれることはやったつもりだ。けれどもっと何か出来ることがあったのではないか、なんて――そんな悔恨が脳内を駆け巡る瞬間もある。
「仙火っ！」
　縺れ、躓きそうになる足を持ち前の反射神経と体幹の強さで踏み留まらせて、ようやく見えた背中に常識も周囲への配慮も忘れて必死に名前を呼ぶ。引き攣れた喉奥が声を掠れさせた。仙火が振り返るのとあけびがその腕を掴むのはほぼ同じ。もう遥か前に自分のものより厚みを増した腕は触れて初めて無駄のない筋肉がついていることを実感する。昔とは違う。分かっているのにいつか、一人きりにしてしまった過去が脳裏に蘇る。
「悪い、迷子を放っとけなかったからつい……母さん？」
　そこで目が合って、あけびも自分がどんな顔をしているか想像がついたので、慌てて笑みを浮かべてみせた。すぐ手を離して、ごめんごめんと誤魔化すように軽い調子で言おうとして――手を離すと同時に頭に僅かな重みと温かい感触がする。頭はそのまま目線を上げれば、刀を握り続ける者の固くなった手のひらと、その奥に大部分は腕に隠されているがぎこちなさを振り払う笑顔が堪え切れず、といった風に零れ落ちた。
「何て顔してんだよ」
「えっ、私そんなに酷い顔してた！？」
「子供がいなくなっておろおろしてる母親の顔だったぞ」
　にやにやといつになく意地悪な口調。昔の苦い経験がどうこう以前に単純に年甲斐もなく恥ずかしいと羞恥心に頬が赤くなる。もうっ、と抗議を込めて腕を叩いてみてもまるで効いた素振りもない。通路でいつまでも邪魔だろうと同時に思ったようで、どちらからともなく歩き出す。
（……そういえばスマホもあったっけ）
　なんて今更気付く。全館冷房が効いているし、前線に出ることはなくとも身体は鍛えている為、殆ど汗は掻いてはいなかった。乱れた髪を手櫛で整えて息をつく。時に残酷な程冷静にと努めても後から振り返れば不自然なことに全く気付かず謎の思い込みを発揮する癖が時々あった。
　当たり障りのない話をして、夕食の食材を購入し、二人は隣同士に座ってバスに揺られる。会話を巻き戻したのは仙火だった。
「そういや、昔もあんなことあったよなぁ」
「……うん。あのときもデパートだったね」
　一瞬考えた後で思い至って、相槌を打つ。
　久方振りの休日もやるべきことが山程あり遠出する余裕はなかった。催事のときに自分が着る服を直接見定めるのだと目的を称し、家族水入らずのひと時を過ごすことにした。自分達夫婦がいればもし敵が現れたとしても退けられる。襲撃の可能性を念頭に置きながら、常に神経を尖らせていたがまさか、仙火が迷子になるなんて想定外だった。気が動転したあけびは夫の制止を待たずに飛び出し、宛てもなくデパートの中を探し回って――見つけた瞬間にはただ「よかった」の一言しか出て来なかったのを今でも覚えている。前のあの事件は、自分達がついていなかったから駄目だった。自分と夫がいれば絶対間違いは起きないと、そう信じていた。くよくよしても仕方ない。二度と同じ過ちを繰り返さないように深く反省して前を向く。そんな思考回路の自分が久々に打ちのめされた出来事だった。
「何か余計な気、回してんなって子供ながらに思った覚えがある」
「らしくねぇな、そう言ってたね」
「だってあの日迷子になったのは俺自身のせいだったろ。なのにあんな申し訳なさそうな顔するから。……俺達の境遇全部にそう思ってるのかって」
「それは違うよ」
　誤解されるのが嫌で即座に否定すれば「分かってるよ」とすぐに返ってきた。
　天使と人間のハーフというのは、種族の坩堝である久遠ヶ原学園で生活していたあけびや姫叔父にとって特段意識するものでもなかったが、世間的にはそうではなく、一部の天使は共に戦った盟友と歴史が語っていても彼らからすると異物だった。遠ざけられたり、逆に崇められたりもして――子供の頃の仙火が人間関係に悩んでいたことをあけびが知ったのは随分後の話だった。下の子供も似た経験はしただろう。
「まあ色々……本当に色々あったけど、俺だって父さんと母さんの子供に生まれたこと、全く後悔してないんだからな。あいつらだって多分同じだと思うぜ？」
　一応言っとくと苦し紛れのように付け足す仙火の頬が朱を帯びていた為、あけびは可愛らしさについ吹き出してしまった。仙火の容貌はどちらかといえば父親譲りで、分かりやすいのは目の色くらいのものと思っていたけれども、喜怒哀楽を表現するときの顔はそっくりかもしれないと、さっきの仙火の表情を思い返して、そう考えた。
　親子の時間は足りなくても、それを埋められるだけの愛情は注いできたつもりで、そしてそれは確かに子供達にも伝わっていたらしい。この世界に留まり一般人の為に尽力すると決めた際、同時に“妻”と“母”も思い切りやるのだと目標にした。まあ母親歴二十年余りだなんて若輩もいいところだ。この聡くて優しい立派な息子と成長していければいいと思う。
「本っ当に逞しくなったね！　私も負けないように頑張るぞー！」
　大きな声は出せない分、語気の強さとガッツポーズを仙火に見せつけることで決意表明をする。
「何をだよ！？」
　とつっこむ仙火の声もとても小さかった。膝の上に抱えた買い物袋に顎を乗せて、呆れを隠さない視線を注いでくる。あけびは笑みを浮かべ言った。
「勿論、母親道もだよ！」
　いつか宣言した言葉になぞらえ“も”と言えば仙火は得心したようだった。頑張れと投げ遣りに返す彼の顔にも隠し切れない微笑が刻まれている。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
あけびさんと仙火くんの親子関係で何を書くか考えると
元いた世界では会長職と不知火家当主でとても忙しくて
ここでは妻と母をというところに惹かれたのでそこから
内容を膨らませた感じです。結婚したことや子供たちが
生まれたことに全く後悔はなくても何も感じない筈もなくて、
仙火くんも生まれから嫌な思いをしても両親の背中はいつも
立派過ぎるくらい立派で悪感情を抱くことはなかったかなと
勝手ながらそんなふうに考えています。
少しシリアスでも前向きで根っこは似た二人を目指しました。
今回も本当にありがとうございました！

おまかせノベル

りや

グロリアスドライヴ

2020年06月17日