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『大人と子供の距離感ではなく』
白野 飛鳥la3468)&黒帳 子夜la3066

 意識が浮上して初めて、自分が眠っていたと気付いた。知らす知らずの内に掻いた汗はじっとりと皮膚の表面を覆い尽くしていて、生温い風に冷えて鳥肌が立つ。しかし起きない選択肢はなく、とにかく腹の上の薄手の毛布を剥いで、我ながら棒切れのような肘を突っ張り、何とか身体を起こせども、力が入っていないのは明白だ。起き上がるだけの動作にかなりの疲れを感じる。壁に掛かった時計を見上げればもう昼過ぎ。いつ来てもおかしくない時間帯だ。予め合鍵は渡してあるし、恐らくは大人しく療養してほしいと言うのだろうがそういうわけにもいかない。四つん這いに近い格好から手のひらをついて立ち上がる。途端にくらりと眩暈を覚えて、千鳥足のように二、三歩よろめき、足の指にぐっと力を込めて踏み留まる。全身を包んでいる倦怠感に眉を顰めた。然りとて苛立ちも長くは持続せず、やがて溜め息へと変わる。せめて、彼の前ではこういう感情を表に出さないようにしなければと思いつつ、黒帳 子夜(la3066)は温度と無関係の寒気に震える身を掻き抱いた。
「今は味を感じずとも不思議ではないでしょうねぇ」
 人前でのいつもを取り戻そうと、敢えて零した声は掠れて、喉の調子を狂わせる。肌は冷えているのに臓器は燃えるように熱くて、意識すれば更に悪化しそうなので、子夜は黙々と甥を出迎える準備をし始めた。久方振りの重い風邪は任務中に負った傷が原因のものだった。

 白野 飛鳥(la3468)が伯母である子夜の体調不良を知ったのは偶然だった。元の世界で彼女が失踪する以前は亡くなった両親の代わりに自分を育ててくれていたのだが、今は転移した時期にずれがあることや、飛鳥が成人を迎えたのもあり、別々の家で生活している。なので、大抵は任務終わりに待ち合わせて喫茶店でティータイムを満喫したり、季節のイベントに一緒に参加したりと外に出向くことが多い。今回は紫陽花の名所を一緒に見に行こうと声掛けするつもりが電話越しにも声が変わっているのが分かり、尋ねれば幾許か躊躇したのち、彼女は風邪を引いたのだと打ち明けた。となればすることは一つ、お見舞いだ。先に合鍵を借り、それで玄関扉を開く。
「――お邪魔します」
 と声を掛けたはいいものの、もし眠っていて起こしてしまったら悪いと思い、尻すぼみになる。暫し玄関で立ち尽くしたが物音も声も聞こえず、飛鳥はもう一度お邪魔します、と呟いてからスリッパを拝借して室内へと上がり込んだ。伯母はともすれば病的に感じる程痩せているが、かつて母親と共に戦場を駆け抜けた身、その面影は日常的な体捌きや突発的状況に対する即断力によく表れている。しかし、季節の変わり目にしばしば体調を崩し、よく長引いていたのも知っていた。それは多分、例えば毎朝の弁当作りであったり、炊事洗濯であったり、自分の世話をしていたのが原因だ。流石に中学、高校と成長するにつれて役割分担するようにはなったが。
(けど今は違う)
 共に暮らしていた頃と比べて距離は遠くなったが、その分負担を掛けることも減ったし子夜が知る頃の自分より成長したと自負出来る。勿論具合が悪くなるのは良くないことで心配だ。しかし、守られるだけだった自分が彼女の助けになれる、その事実は嬉しいものだった。なんてことを黙々と考えていたら、物音に気付くのに少し遅れてしまった。
「トバリ伯母さん?」
 訝しげにそう呟き、続く物音にやはり起きているらしいと確信して、飛鳥は廊下を駆けた。音の方向に行けば子夜も気付いて振り返る。しかしその反応は鈍く顔色はやけに青白かった。痩せているが不健康さは感じない身体がひどく頼りない。
「飛鳥さん、どうぞいらっしゃいましたね。出迎えもせずすみません。今すぐお茶の準備を――」
「駄目です、そんなこと、俺がしますから、トバリ伯母さんは横になって下さい!」
 つい声が大きくなった。慌てて駆け寄り、尚もお茶を淹れる準備をしようとしている子夜の背中にそっと手を添えた。細くて小さな肩。十六の頃と、そう背丈は変わっていない筈だが、力を入れたら脆く壊れてしまいそうでひどく不安になる。すみません、ともう一度謝った子夜の微笑みも、少し強張って見えた。少し強引でも寝室に連れて行こうかと思ったが、無理を押し通す程彼女も愚かではなく――身体を離して飛鳥を見上げ、子夜は辛さを押し殺してこう言う。
「……ではお願いします。台所のものは飛鳥さんの好きにして構いませんから」
 肩をすっぽり隠すように羽織を引き寄せ、会釈をするとふらふらとした足取りで寝室へと引き上げていった。歩きながら背中を丸めて二度三度咳をしている。病院には行っただろうか。彼女とて苦しいのは嫌な筈だ。お茶と、後はお粥や雑炊、饂飩なども良さそうかと思案する。この世界での子夜の自宅の家具は元いた世界のものとどこか似ていた。物珍しさと懐かしさ、その両方を感じつつまずは棚から茶器を取出そうとする。早く元気になってほしいとの思いで一杯だった。

「ふぅ……」
 深い溜め息は疲れや辛さよりも甥を心配させる己への不甲斐なさからくるものだった。掛け布団は元から足元に下げてあったので、シーツの上に腰を下ろし、目を閉じる。薄く開いた唇からは微かな喘鳴が漏れ出た。痰が絡む喉の不快さを息を飲み込んで抑え込む。これ程までに酷いのは多分久しい。自分に何かがあれば飛鳥が困ることになる、そんな思いが健康意識を高めていたのかもしれなかった。それに比べれば、現在は別々に暮らしているし、もうすっかり大人の彼は自分がいなくても大丈夫だろう。いや一般人だった飛鳥が戦うことだけは心配で堪らないけれども。見本の自分がこの有様では偉そうな口を叩ける筈もない。
「ままならないもんだな」
 足音は聞こえないので飛鳥は台所にいるのだろう。膝を抱えて、腕と脚の間に小さな呟きを閉じ込める。膝に押し付けた左眼の包帯がずれ、眼球とは違う感触が当たった。ごろんと倒れ込む形で敷き布団の海に横たわる。目を開けば天井の木目が人の顔に見え、そしてそれは子夜を嘲笑うようだった。
 飛鳥の両親――子夜からすると義理の妹とその夫――が亡くなったのは、力を振りかざす方向を間違えた者の手にかかったからである。そして自分が風邪を引いたのはライセンスを剥奪された人間と戦い負傷して、暫し療養を余儀なくされ、粗食を改めずに免疫力が落ちたせいだ。私情は持たず冷静に立ち回り優勢を保っても怪我をするのが戦場。ただ怪我した後になって今更、もし自分が死んでいたら、飛鳥はどうなっただろうと考えた。悲しむにしろ怒るにしろ、手を煩わせたくはないのが正直なところだ。いっそのこと全てを忘れてしまっても構わないと本気で思う。再び目を閉じて、手の甲でぐっと瞼を拭う。本物である筈の目に、涙は浮かんでいなかった。不貞腐れるように体を丸め息を詰める。
「飛鳥、さん?」
 最初に感じたのは鼻腔を擽る香りだ。重たい瞼を無理矢理こじ開け、上半身を起こそうとすれば乗っていた布団が滑り落ちる。いつの間にやら眠ってしまっていたらしかった。眠っても少し楽になるどころか倦怠感は増し頭痛もする。うんざりとする気持ちを和らげるのは背中に添えられた手だった。子夜は身体的接触が苦手な性質である。触れれば大抵の人間はあまりにも細いとさしたる興味もない癖に、余計な世話を焼くし、単に弾力のある皮膚の感触が嫌というのも大きな理由だ。しかし、眼鏡の奥の薄曇りの空にも似た淡い眼差しは温かく、それと同じ温度の手を嫌いになれるわけがなかった。慎重に力を込めて支えられ起き上がる。ありがとうございますと言う声は自分でも小さいと思う。
「いえ、これくらいどうってことないですよ」
 飛鳥は心なしか嬉しそうだ。だが場にそぐわないと気付いたらしく、気まずげに指の背で口を隠す。そんな飛鳥の表情も気になったが、子夜の視線は彼の脇に置かれたお盆へと向いた。急須と湯呑みとそして雑炊がある。綺麗に混ぜた溶き卵にほろほろに溶けた豆腐と、皿の中心には彩りも添える梅干し――それはよく見知った料理だ。顔を上げれば目が合って、また逸らされる。伏し目がちになって頬を掻く、その顔はうっすら朱に染まって見えた。先程とは全く種類の違う気まずさを察して、ふと笑みが零れ出る。
「よく再現出来ましたね」
「何か物足りないと思います。でも俺にはこれが限界でした」
「……それも含めて飛鳥さんの味でしょう」
 そう言いながらもあぁ、と内心落胆する。自分にこの雑炊の味が分かるなら美味しいと言えるのに。元々食事が嫌いで味覚がほぼ喪失していても不便に感じることなど殆どないが、今は心底惜しいと思えた。
「食べられますか?」
「はい。とりあえず、少しだけ戴きますね」
 実をいうと具合が悪くなってからというもの、ただでさえ嫌いな食事がますます億劫になって、生きるのに困らない分だけ食べて後は最悪病院で点滴を、などと考えていた始末だ。未だに他の物は食べたくないが飛鳥の手料理なら食べられる気がした。
 眠っている間に冷めたのか、それともわざわざ配慮してくれたのか、うっすらと湯気は立っているが薄めのお盆を膝の上に乗せても熱くはなく、念の為に息を吹きかけてから一口掬った蓮華を口に運ぶ。チャノキは入っていないので少しも味はしない。ただ懐かしい匂いと舌の上で蕩けるような優しい食感は、子夜にとある感想を抱かせた。目を閉じて深く息を吐く。

「――美味しいです」
 普段より低い声が安堵の息を零すように、とても小さな声でそう呟いた。胸が温かいもので満たされる感覚に泣きそうになる。それはかつて子夜が作ってくれたこの雑炊を食べていた頃の自分と重なる。両親がいないことを級友に指摘されて、自慢の伯母がいるから大丈夫と思いつつもモヤモヤを抱え込んで、雨に打たれて風邪を引き、熱を出した。子夜は理由は知らない筈だがわざとでなければ雨に濡れる筈がないと分かっていたのだろう。なのに叱るどころか訳も聞かなかった。自分は何も言うべきではないと沈黙していた――と考えるのは穿ち過ぎか。
「それなら良かったです」
 小学校高学年にもなれば彼女の負担を減らそうと家事を手伝うようになったが、教わった通りにやっても子夜が作る料理には勝てない。逆にいえば、彼女と比べなければ特に和食は上手く作れるようになったつもりだが――物心がつくか否かの頃に両親を亡くした飛鳥にとって子夜の作る料理が原点。彼女は首を振る。髪がぱさぱさと音を立てて包帯を叩くもすぐ元通りになった。
「俺はまだ、トバリ伯母さんにとっては子供かもしれません。戦いなんかは特に足元にも及ばないでしょうし。ですけど弱ったときに頼れるくらいは、大人になったつもりです。ですから、その……」
 そこまで言って言うべき言葉を見失った。もっと頼ってほしいとか、もう守られるだけじゃないとか――想いはあるのにどうすれば零さず伝えられるのか分からない。
「ありがとうございます。飛鳥さんのお陰で元気になれそうです……横になっても良いですか?」
「はっ、はい!」
 慌てて子夜の膝の上のお盆を回収しようとすれば、くすくすとどこか悪戯っぽく笑う声が返る。お盆を脇に避けて寝かせるのを手伝おうとすれば流石に大丈夫だと言われ、半端に腰を浮かせたまま彼女が横たわる様子を見守った。要るか訊いてから足元の布団を引き上げる。顔も血色が良くなっているがそれはそれで熱が心配になった。隻眼が恐る恐るといった風に飛鳥を見上げ、子夜は言う。
「大人しくしますから、治るまで面倒を見て下さい」
 それは頼ってくれていると思っていいのだろうか。はいと返し、飛鳥は身を乗り出して続けた。
「治ったら紫陽花を見に行きましょう。夏は向日葵、秋には紅葉や秋桜も――トバリ伯母さんと一緒に見たいです。ですからこれからは今以上に自分も大事にして下さいね」
 それが今の俺の願いです、と結べば彼女は確かに頷き、そして、目を閉じた。静寂が空間を包んで、やがて穏やかに子夜の胸が上下する。飛鳥は空になった器に視線を向けるとお盆を手にして立ち上がった。
 実の子同然に育ててくれた彼女に精一杯の感謝を示す。それもまた目標の一つに据え、まずは子夜の風邪を治すのに全力を尽くそうと飛鳥は想いを巡らせるのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
小さな頃から実の子供同然に育てていれば、親にとって
子供はいつまでも子供という感覚を子夜さんも抱きそう、
でも飛鳥さん的には戦う力を手に入れて同じ土俵に立ち、
また子夜さんがいなくなってから経った時間も長いので
大人になったところを見せたいのかなとそんな妄想から
想像を膨らませた次第です。別々に暮らしているだとか
子夜さんは自宅も和風など、好きに書いた部分も多い為、
イメージとかけ離れてしまっていたなら申し訳ないです。
子夜さんは内面に触れれば触れる程結構子供っぽい点が
見える気がするので、弱っているからとそれを反映したりも。
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2020年06月18日

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