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『蜘蛛の巣穴と迷い竜』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)

 
 薄暗い洞窟のようなそれは蟻の巣と違って中が入り組んだりはしていなかった。ほぼ一本道のその先に仄かな明かりが見えてシリューナ(PC3785)はただそちらへ歩を進めるだけだ。
 どこか甘やかな香りが壁に床に天井一面から降り注ぎ、一見蜂蜜が滴っているようにも見えたが、触れてみてもべっとりと手を汚すわけではないので樹液が固まったか琥珀の類だろう。それらがどこからか差し込んでくる光を金色に跳ね返し――。
 そんな空間にそれは金色に照らし出されてひっそりと息づいていた。
 白く細く長い吐息のように艶やかな糸は幾重にも絡まり折り重なり巨大な繭を作っている。とはいえ、その形は楕円ではなく、恐らく中の者が自ら糸を出して身を守っているわけでもない。
 薄く淡くそれが形作っているのはドラゴンのシルエット。
 ならば。
 捜し物見つけたり。
 品評会でも行ったなら、ある者はそれを竜のミイラなどと嘲笑し、またある者はウェディングドレスを纏ったドラゴンと賞賛したかもしれない。それほどに見る者によって印象を変える美術品。
 それを目の当たりにしたシリューナはといえば、その正体に対する確信と漸く見つけたという安堵も相俟ってか、慎ましやかに頬を緩め「あらあら、まあまあ」と微笑ましげに呟いただけだった。
 糸の織りなす向こう側からもごもごとくぐもった声のようなものが聞こえてきたが、何を言っているのかはさっぱり聞き取れない。ただ、言いたい事は容易に想像がつく。

 ――助けて、お姉さま。

 さてもどうしたものかしら。


 ◇


 東京の片隅に店を構える魔法薬屋のそのまた奥にある店主の工房で、ティレイラ(PC3733)は偶然その魔法道具を手に取った。いや、彼女のちょっぴり旺盛な好奇心の前ではそれは必然だったに違いない。四角いメイクボックスのような箱の蓋を開くとそこには小さな小さな世界が広がり、彼女の特殊な目よれば、それが彼女を手招きしているように見えた、という。(錯覚)
 となれば、ちょっぴり旺盛な冒険心が彼女を突き動かすのもこれまた必然だったのだろう。期待に胸を膨らませるようにしてティレイラは速やかに魔法道具に魔力を籠めた。するとそれはあっさり作動して彼女を箱庭のような世界に誘ったのである。
 A5サイズほどの箱だったのに、どういった仕組みであるのかよくある事でもあるが、箱庭の世界は人の姿でぐるりと一周するのに1時間ほどかかるくらいには広かった。
 小川の流れる森を沢沿いに歩き木漏れ日の下に咲く可愛い花々を眺めていると、巨大な影に出くわして思わずもんどりをうつ。
「きゃっ!?」
 見上げるとそこにはティレイラの2倍はありそうな巨大蟻が餌を求めて歩いていた。一瞬身構えるティレイラだったが、蟻は特段ティレイラには目もくれず去っていく。蟻の餌の範疇にどうやらティレイラは入らなかったらしい。
 その背をまじまじと見送って改めてティレイラはこの世界を見渡した。
 これまでも別の魔法空間で巨大な昆虫などに遭遇する事はなかったわけではない。ただ、その時は昆虫も含めた世界に対してティレイラが小さくなっているような感じだった。それがここでは、ティレイラを含めた世界に対して昆虫だけが巨大化しているように見えるのだ。
 ならば、とティレイラは空を見上げた。大きな木の枝に鳥のように佇む蝶は予想通りでもありなんだか新鮮でもあって胸が躍る。
 もっと探検しなくっちゃ。
 そうしてどれほどの時間が経っただろうか。お腹も空いてきたし一休み出きそうな場所をと探していると、崖の下にお誂え向きの横穴を見つけた。
 中を覗くと薄暗いが奥の方に明るさを感じる。それから甘い香りが微かにしていてティレイラはその横穴に入ってみた。
 そこが、巨大蜘蛛のテリトリーであるとも気づかずに。
 食べられそうな物はないかと探してみる。琥珀色の壁は残念ながら蜂蜜などではなかった。甘い香りはしているもののとても食べられるような代物ではないと見えてがっくり肩を落とす。
 鍾乳洞の石灰石の代わりに樹液で出来た洞窟みたいなものだろうか。何者かが作ったのか、或いは自然に出来たものか。入口に対して中は思いの外広く天井は高かった。
 残念ながら木の実などは落ちていない。むしろそういう物がこんな所にあったとしたらそれを運んでくる者がいるという事で。さすれば、もう少しティレイラの危機感も高まって慎重になれただろうに。たぶん。
 と。
 仄かな光に大きな影が落ちた。
 ティレイラが振り返る。
 赤く鋭い光を放つ目が4つ、じっとティレイラを睨みつけていた。思わず数えてしまった8本の足……という事は蜘蛛なのだろうか。
 先ほど見た蟻よりも更に横にも縦にも倍以上の大きさがある巨大蜘蛛。
 じりじりと近づいてくるそれにティレイラは間合いを維持するように後退る。
 前側の2本の足がティレイラを押さえ込まん勢いで振り上げられた。反射的にティレイラが紫の竜の姿に戻ったのは勿論応戦して逃げるためだ。
 威嚇するように竜の咆哮を浴びせるとさすがに自分よりも大きくなった竜の巨体に気圧されたのか巨大蜘蛛は後退った。
 と、ティレイラは判断してその隙に一目散で逃げようとしたのだが。どうやら巨大蜘蛛は竜のサイズに合わせて間合いを取っただけだったらしい。次の瞬間、大量の糸が捕縛網のように吐き出されティレイラの巨体を頭から覆うように飛んできた。
「いやーん!!」
 べたべたする糸の感触が気持ち悪くて前足をバタつかせ振り払うように一転した。両足で糸を踏みつけ頭を揺すってみたりもしたがゴムのように伸びるばかりで切れる気配は全くない。更に粘つく糸は竜の鋭い爪をもってしても引きちぎる事は出来なくて。
「なんでっ!?」
 その強度に驚きつつ、とにかく逃げなくてはと必死に出口を目指した。
 しかし蜘蛛は糸を吐くのをやめてはくれず、ティレイラの竜の肢体はみるみる内に糸に巻き取られ、全身くまなく覆われてしまった。
 翼や尻尾、手足まで確認するように動かしてみるが気づけばがっちりロックされ身じろぎ一つ出来ない。
 喉が音を発するが声にはならず言葉にもならず。そもそも言葉を発せたところでそれの届く範囲で誰かが助けにきてくれるとも思えなかった。時が経てば異変を感じたシリューナが見つけてくれるかもしれないが果たして蜘蛛の餌になるのとどちらが先か。
 蜘蛛の糸に分厚く覆われ囚われの身となったティレイラは途方に暮れたように瞼の奥で天を仰いだ。


 ◇


 朝食の後、工房の掃除を頼んで早夕食の頃。お腹はとっくに背中とくっついていそうなものなのに昼食を過ぎても一向に姿を見せないティレイラにさすがにシリューナも不審を感じて工房の扉を開いた。
 案の定、魔法道具の1つが作動している事に気づいてため息を吐く。
 さすがはティレイラと肩を竦めつつ早速シリューナはティレイラを探しに魔法道具が作り出す箱庭の世界へ飛び込んだ。
 魔法道具によって作られているという点では、さほど広くはない世界だが探すには相応に骨が折れそうな広さもあって、視線を泳がせつつもシリューナはティレイラの性格をトレースするように歩きだした。
 森を横断するように横たわる小川を歩き木漏れ日に咲く花を愛でる。やがて。
「好奇心のまま散策してお腹を空かせて一休み……」
 するならどこだろう。昼寝でもしていたらお仕置き案件、可愛い寝姿を木製のオブジェにでもしてやろうかしらなどとぼんやり考えながら休むにいい場所を探すように辺りを見回す。
 程なく、崖の横穴を見つけた。
 ティレイラなら休まないまでも間違いなく覗きそうな穴だ。中でまだ休んでいるかは定かではないが確認はしておこう。
 そうしてシリューナはその横穴へと足を踏み入れたのだった。
 穴の奥までたどり着きその穴がなんであったのかは、ティレイラを見つけた瞬間に理解した。糸で獲物を絡め取る。外を飛んでいた蝶や小川で水を飲んでいたカナブンを思い起こせば容易に想像がつくだろう。
 ティレイラを覆うそれに触れてみた。べとべとした粘着質の糸が手の平に綿飴のようにまとわりつく。
 そうして確信へと変わったのだ。
 蜘蛛の糸。
 この東京にいる一般的な蜘蛛でさえ、それを編んで包帯として使われるほどの耐久性と柔軟性を持ち、種類にもよるが同じ太さなら鋼鉄の5倍の強度を誇り、その伸縮率はナイロンの2倍と強くしなやかで、消防士の防護服や防災ロープなどへの応用も考えられている程の耐熱性を併せ持つ。
 普通の蜘蛛の糸でもそうなのだから、この箱庭世界の魔力を帯びた巨大蜘蛛が吐き出す糸など早々切れるわけもなく、簡単な火炎魔法ぐらいでは焼き払う事すら出来ないだろう。火の系統の魔法は得意だが、それ以外はまだまだ発展途上のティレイラには場所柄も含めて荷が勝ちすぎたといったところか。
 ならば、ティレイラがこうなった理由は想像に難くない。
 とはいえ魔力を帯びた糸が粘着質で竜の力でさえ千切れず今も拘束し続けているというのは。
 シリューナは興味津々で自分の手の平にまとわりつく糸を弄んだ。
 竜の体表が何色であったかすら隠し仰す。どれほど分厚く覆われているのだろう、その為に吐き出された糸の量たるや。これほどまでに細いのだ。
 当の巨大蜘蛛は果たして今どこにいるのか。蜘蛛は数種類の糸を使い分けるという。もちろん粘着性のない糸もあれば強度も伸縮性も様々だ。お友達になれたならいろんな種類の糸を提供してもらえるかもしれない。
 意志疎通の図れる相手なら。
 普通の蜘蛛の糸でさえ最強の生体繊維として研究者らを魅了して止まないのだ。魔法道具を扱うシリューナである、この巨大蜘蛛の魔力を帯びた糸に素材としての価値を見いだせば心惹かれるのは必至といえた。
 是非持ち帰ってあれこれ実験し、あわよくば新たな魔法道具の材料に加えたいものである。
 しかし巨大蜘蛛と親しくなるには相応のリスクがある。
 ティレイラがこの様なのだ。外に捨て置かれるでもなくここに置かれているのだとすれば、竜さえも蜘蛛にとっては腹を満たす材料……食料といってもいい。
 戦って万一死なせてしまえば素材を得られなくなる。難しい問題だ。
 シリューナは糸でぐるぐる巻きにされたティレイラの姿を改めて見返した。
 そしてその周囲にも目を向ける。
 竜の形をした白い繭の他に、そこにはいくつかの繭のようなものがあった。昆虫にそこまで詳しくないシリューナが形から察するには限度があるが、蝶か蜂か蟷螂の類か。
 ただ、それらが金色に輝くこの空間で美しい蜘蛛の網に無造作に並んでいたのである。
 どれが欠けても成立しない、それはいっそ1つの芸術作品のようでもあった。
 シリューナの魔法道具職人とは別の部分がくすぐられた。素材に対する興味が鑑賞欲に浸食されていく。
「これはこれで……」
 いつしかその胸は昂揚感に高鳴り興奮に息も荒くなっていた。
 このままここで蜘蛛の帰りを待ちながらこの美しい芸術品を眺めているのも一興か。意志疎通という問題を未来の自分に丸投げしてシリューナは堪能する事に決めた。
 だが、ティレイラの繭に伸ばしかけた手が止まる。べとべとと自分に糸がまとわりつくことを思うと不用意に触ることが出来ない。
 いつもなら、オブジェは手で触れて頬で撫でて全身で感じ入るところなのだが。
 そんな事をしたら、シリューナ自身も糸の呪縛に絡め取られ芸術作品の一部になってしまうだろう、それでは作品を堪能できないではないか。
 そう考えるとやはり距離を取らざるを得ないのだ。
 触れたくても触れられないジレンマ。何だかその葛藤がシリューナの高揚感を更に煽った。
 粘着質の糸の上から粘着質ではない糸で覆ってもらえれば触れる事が出来るだろうか。蜘蛛の糸の細さを思えばきっとシルク以上の肌触りに違いない。想像するだけでうっとりと陶酔する。
 人が精緻を尽くした美術品や装飾品を鑑賞するのも極上の悦びではあるが、自然と偶然が織りなす生きた芸術品を堪能する事もまた時を忘れる程の快感なのだ。
 見ているだけでもそれは充分過ぎる程ではあるのだが。
 手が届きそうで届かないティレイラにやきもきしながらもうっとりと。
 近づいては離れを繰り返しながら、図らずも巨大蜘蛛の帰りを待つことになったのだった。




■大団円■


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ありがとうございました。
楽しんでいただければ幸いです。

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東京怪談
2020年06月19日

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