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『曇天に咲く』
柞原 典la3876

 なんか暗くなってないか、とふと顔を上げてみたら、空は灰色に染まっていた。
「……さっきまで雲一つなかったやん?」
 柞原 典(la3876)は思わず文句を言うように呟いたが、それで雲が空気を読んでどいてくれる筈もなし、どころか「10秒待ってやる」とでも言わんばかりにその色の重たさをいや増していくばかりだった。
 急ぎ対応すべく足を速めつつ、対応に頭を巡らせる。
 今日はオフの日だった。特に目的もなくぶらりと街を巡り、時間潰しも頃合いかと帰路についている所。道行きは既に住宅街に突入しており、かといって自宅はまだ猶予のうちにたどり着けると思うほど近くもない。となるとこの状況は逆に、近辺に駆け込めるような店も無いことを意味していた。
 このまま自宅まで最短距離で走っても着く頃には濡れ鼠になっている可能性が高い。判断して典は進路を変えた。やがて見えてくる公園、その敷地に足を踏み入れると同時にポツ、ポツと冷たいものが頬を叩く。断続的な雫はあっという間に絶え間ない勢いになり、そうなる直前、典は東屋の下で難を逃れていた。
 ふうと息を吐いて、そこにあるベンチに腰を下ろす。煙草を一服して、人心地つける。
 一先ず──一先ず、だ。果たしてここでやり過ごせる程度の時間で止んでくれるか。明らかににわか雨だから、勢いが激しい分すぐにおさまると思いたい。アスファルトを雨が叩くむわりとした気配を風が流すと、急に空気が冷やされていくのを感じる。走った直後の今は快適に思えるが、今の服装では段々と肌寒くなりそうだ。日が落ちてもここで過ごすというのは厳しいだろう、それなら濡れてでもさっさと自室に戻る方がマシだった。
「仕事なら傘持ってたんやけどなぁ」
 最近よく使う雨守の戒杖は見た目こそ傘だが、実際には閉じれば杖、開けば盾として使えるEXIS武器だ。逆に言えばEXIS武器ではあるが見た目は傘なのだから当然傘として使える。
 が、実は何であろうと持ち歩いていなければ使えない。無い物をねだって幾ら掌を見つめようがそれで望む物が出てきてくれるほどまだ適合者は万能では無い。
 ふぅ、と諦めのため息をついてから顔を上げる──と、世界はモノトーンになっていた。
 厚い雲に陽光が遮られ水滴が景色をさらに茫洋とさせる中での、落ち着いた、言い換えれば地味な色合いの広がる住宅街という風景。
 この中で存在を確かなものに出来るのは鮮やかな色彩をもつものだけだろう。
 ──外からこの景色を眺める者がいれば、それは典の事だったろうが。
 典には典自身を見つける事は出来ない。だから、彼の目に止まるのは。
 まさにこんな景色の為に植えられたのだろう、公園の片隅に咲く紫陽花だった。

(紫陽花って、中国でついた名前やったっけ……確か)
 そんな連想で思い出してしまう程度に引っかかりがあったのか。ぼんやり回想を始めてしまったのは、先日中国で受けた依頼の事だった。
 護送対象の相手に特に思うところは無かったはずだ──ならば何故声をかけたのか? それも改めて思い返してみても、五月蠅いから出来れば黙ってくれないかな、くらいの心算だったと思う。悪口や些細な嫌がらせなど無視すればいい、などとはよく言われる事だが、『鬱陶しい』だって十分に実害だろう。説き伏せられて黙るなら良し、そうでなくともああした手合いには『自分はあんたの思うような都合のいい存在じゃないぞ』と知らしめてやるだけである程度の効果はある、というのは経験論で知っている。あの手の輩が強く出るのは──何故そう思うのか典には全く理解できないが──相手が反撃して来ないと思う場合のみだからだ。
 だからこそ。
 ──『その生きる日々が本当の地獄でないからそんな事が……!』
 そこからさらに反論されたことが、意外だったからだろうか。
 その事に、その言葉はただ男の卑小さを顕わにしたものではなく、心からの想いを、一片の真実を感じてしまったのか。
 ……だが、『本当の地獄』とは?
「きっついのって、誰かと比べられるもんやないと思うんやけどなぁ」
 見上げた空の色はまだ暗くて、雨粒は降り注ぎ続けている。霞む視界の中、紫陽花だけが咲き誇る。
 公園に紫陽花をよく見かけるのはまさにこんな季節の為にだろう。激しい雨に、続く曇天に萎れることなく咲く姿。
 その美しさを求めて紫陽花は公園や庭によく植えられる。踏みつぶされ引き抜かれるのではなく、丁寧に世話され愛される──が、人の目には雨に打たれる紫陽花が美しくとも、紫陽花自身は雨に濡れたいのだろうか。
 ……紫陽花が可哀想、などと勝手に言い出すつもりも無い。それは紫陽花にしか分からないことで、典に聞きようのないことだ。
 ただ、その様と、己の在り方。
 表向きは、法の下で護られていた。それでも、持たぬ物は多く、その身を使って生きるしかなかった。
 過ぎた美貌が禍根であり、けれど武器でもあった。
 激しい雨に打たれ続けることに。気にかけられ虫や病気から守ってもらえることに。そこにすべて功績や責任があった訳では無いのだろう。紫陽花として生を受けたから、それだけ。そうだとして、それは地獄なのか、そうでないのか。
 ──別に不幸だとは思ってないので地獄ではないのだろう、多分。
 典にとって。典として生まれ、そして典としてのこれまでの人生は。考えるに、結局それだけの事だ。
 同じ人生をあの時の彼が生きてどう思うかは知らないが。
 ……或いは逆に、彼の人生を自分が生きたなら、地獄だと思うのだろうか。
 そこまで考えたところで。
 不意に視界の端で何か動いて、思考が中断された。

 気配は下からだ。もぞりとベンチの下から出てきた……一匹の猫。
「いつからおったん……」
 慌てて駆け込んだせいで気付かなかったのか、この東屋での雨宿りには先客がいたらしい。
 いや、雨が降るその前からずっとここで昼寝でもしていたのだろうか。気だるげにのそのそと歩き、止まったと思えばくわぁ……と大あくびをしてみせる。
 ……なんだか、一気にどうでもよくなった気がした。というか、初めからどうでも良い事だったなと。
「なんておとろしい生き物なんやろなぁ、人間なんか。なあそう思うやろ?」
 思わず投げかけてから、何時かも口にした言葉だっけかな、と思い出す。
 ようは、深く考えなければいいのだと思う。
 何が引っ掛かりを覚えるのか、と言えば、結局。死んでも構わないと思う者を前にすると、気付きかけるからだろう──考えてしまえば、『生きなければならない』明確な理由など案外、はっきりしたものなど無いのだ、という事に。
 そうして。だというなら、典には。
「とりあえず、生きとかななぁ」
 そう言えばあった。生きる理由が。『死ぬな』という約束が──それ自体、人によっては絶望と呼ぶものになり得るようなおおよそろくでも無いものではあるが。
 そうするうちに。
 なんか明るくなってないか、とふと顔を上げてみたら、空から光が漏れ始めていた。








━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
凪池です。ご発注有難うございます。
書き上げてから思ったのですが前回に続いて花シリーズになってますね。別に狙ったわけではなくノリで書いてたら結果的にこうなっただけなんですが(
雨の風景と心情、楽しく書かせていただきましたが、今回もご期待に添うものであると願うばかりです。
改めまして、今回はご発注有難うございました。
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凪池 シリル クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年06月23日

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