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『すべてをさらう青嵐(3)』
水嶋・琴美8036

 異変は、そっと日常の中に紛れ込んだ。
 とある大企業の館には、特殊な訓練を受けた警備部隊が控えている。自らの利益のために平気で他の企業を貶め、時に精鋭部隊を送り込みその技術を盗む行為までしているこの企業は、恨みを買う事も多い。そのため、館は常に厳重に守られていた。
 この館が、他者の侵入を許した事は一度もない。
 ――今日、この日までは。

 まず最初に、風が吹いた。ただそれだけであれば、さして気に留める程の事ではない。けれど、その風はあまりにも、強すぎた。
 暴風とも呼べる風は、まるで刃物のような威力を持ち門の前に立っていた警備に襲いかかる。突如目には見えぬ刃に襲われてしまえば、強大な力を持つ警備達であってもなすすべなどなかった。
 門を少し抜けた先。悪趣味なほど宝石が散りばめられた、ただ目立つ事だけを求めセンスなどは二の次といったデザインの派手な噴水の前にいた別の者は、異常事態に目を見開いた。慌てて臨戦態勢を整えたその者は、しかし次の瞬間に別の意味で呆けてしまう。
 何故なら、いつの間にかすぐ近くに、少女が立っていたからだ。
 少女、水嶋・琴美(8036)はそんな相手の様子を見て、くすりと悪戯っぽく微笑んだ。ミニスカートのメイド服がよく似合った、愛らしい少女だ。彼女の前では光り輝く高価な宝石であっても石ころに思えてしまうほど、少女の美しさは眩しかった。
 襲撃者に対し警戒していたはずの警備の者の緊張の糸は、琴美の姿を視界に入れた瞬間にプツリと切れてしまう。彼女が何か武器らしきものを所持している様子がなかった事も、警備が油断した要因であった。
 少女の履いているロングブーツが、石畳を叩く音が周囲に響く。彼女が歩くたびに、可愛らしいメイド服のスカートと二つに結われた長い黒髪、そして魅惑的な胸部が揺れた。
 一歩ずつ、琴美は相手へと近づいていく。手を伸ばせば届く距離まで彼女がきた時、警備は思わず彼女に向け手を伸ばしてしまった。目の前にある美しい少女に触れてみたい、という欲望に抗う事が出来なかったのだ。
 微笑みを携えたまま、琴美もまたグローブに包まれた手を伸ばす。しかし、その手が伸びた先は警備の方ではない。
 彼女の手が、まるで何かを導くように動いた。次の瞬間、先程まで門の前の者達を襲っていた風は、一層その荒々しさを増して相手へと襲いかかる。
 相手の悲鳴は、青嵐に飲み込まれた。夏に吹く強い風。しかし、それは自然に発生したものではなく、琴美が従える忠実な下僕なのだ。
「強力な警備部隊をこの企業は雇っていると聞いていましたけど……どうやら、その情報は間違っていたようですね」
 琴美は少しだけ残念そうに肩を落とす。彼女は期待していたのだ。今回の敵が、少しは歯ごたえのある者である事を。
 動かなくなった相手を後目に、先程までと同じようにゆっくりとした足取りで少女は歩いていく。敵の拠点である館は、もうすぐそこだ。
 急ぐ必要はない。この程度の者達が相手なら、琴美が苦戦する事など決してないのだから。

 ◆

 しなやかな脚が、獲物に狙いをつけたヘビのように目の前の敵へと襲いかかる。素早く繰り出された足蹴りに、苦悶の声をあげる事も許されずにまた一人琴美にとっての敵が冷たい廊下へと沈んだ。
 すでに、いったい何人の敵を倒しただろうか。突然の襲撃者……それも、その正体が可憐な少女一人だけであるという事に、敵部隊は動揺し混乱を極めているようだった。
 普段の実力を恐らく出せていないのだろう、と琴美は推測するが、けれど同時にこの程度の事で統率が乱れる程度の者達なら本来の力も大した事がないという事も見抜く。
 彼らとて、決して弱いわけではない。けれど、琴美からして見たら過酷な訓練を耐え抜いた精鋭部隊であっても烏合の衆に過ぎなかった。
「残念です。この館には、結局雑魚しかおりませんでしたね」
 上品そうな唇が紡ぐのは、相手を見下した言葉だ。自らの主人へ、そして自分を敵に回した者に対して、彼女は容赦がない。
 館内の敵を全て排除した琴美が、次に向かうのはこの館の主人がいるであろう部屋――ではなかった。
 少女は、手近の窓枠に足をかけるとそこを踏み台にし跳躍する。しばしの間空を飛ぶように舞い、少女が華麗に降り立ったのはこの館の裏庭だ。
 琴美の襲撃に気付き逃げ出そうとしていた敵のボスは、突然空から降り立った天使の如き美しさを持つ少女に驚き目を見開いた。
「ご機嫌よう。私のご主人様を敵に回した事を、存分に後悔しながら――消えなさい」
 思わず彼女に見とれてしまいそうになったボスの瞳が、絶望に塗りつぶされる。琴美の美しい唇から放たれた言葉は、死刑宣告に他ならなかった。


東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年06月24日

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