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『普通という枠組みの中で・後』
桃李la3954

 背中の着物が動きに合わせて波打つ。長く伸びた後ろ髪が百合の絵柄を微妙に隠していた。結構広い店内だけど歩いて数分も掛かる程ではない。部屋の中央、丁度気になる練り香水が並ぶ辺りで立ち止まると店主さんはくるりと振り返る。瞳より何より着物の裏地の赤が目を引いた。私は緊張が尾を引き、しどろもどろに言う。
「この、練り香水っていうのが気になるんですけど、初めて見たので、使い方が分からなくって……」
 ああ、と彼は短く呟く。そんなことと続ける声が聞こえた気がした。何か得心したような表情がすぐに悪戯っぽい笑みに変わって、店主さんはガラステーブルの前まで行くと、不意にこちらを見た。
「ところで君はどういう系の香りが好きなの?」
「えっ? えーっと……金木犀とか好きですね」
「金木犀ね。うんまだ結構在庫がある」
 彼の視線は沢山ある中から簡単に一つ見つけ出し、綺麗なパッケージングのそれを取ると、野良猫を呼ぶみたいな気軽さで私を手招きした。ちょっと何だそれと思いつつも大人しく後をついていく。レジとは別にカフェの一席のようなテーブルがあり、私は店主さんに促されて彼の対面に座った。色数が少ないながらもセンスのあるデザインの箱を開けようとするに至り、慌てて「あの!」と大声をあげる。普段出し慣れていない声量に自分で凄くびっくりしたのに店主さんは平然とした顔でそれでも手は止めた。
「それ、試供品じゃないですよね? 買わないわけじゃないですけど、いいんですかね」
「ああ、そのこと? 勿論請求しないから安心して」
 目を細め、唇に三日月みたいな曲線を描いて店主さんは続ける。
「種明かしすると他に仕事があってお金はそっちで稼いでるから、この店の採算は取れてなくても構わないんだよねぇ。元から手間賃まで考えると割に合わないし――だからまぁ気にしないでよ」
 と言うと、彼は箱から取り出し容器の蓋を開ける。傾けて見せてくれた中身は最初に連想したまんまのハンドクリーム的なものだ。店主さんの手元にある為、この距離だと何かふんわり香るような香らないような、とても微妙な感じだ。
「これを適当に掬って塗ればオッケーだね。普通の香水と違って匂いがほんのりしてて、塗り重ねてもキツくならないのが特徴。後肌荒れもし難いね。うちのは大体オーガニック系の素材と天然香料を使ってるから香りが嘘臭くないし、そういう意味でもむしろ初心者にオススメかな」
 店主さんが特徴やメリットを挙げるのを「はい」とか「そうなんですか」とか言いながら聞く。馬鹿丸出しで恥ずかしいけど無知なのは事実なので仕方ない。しかし、嘘臭くない香りかあ……本当かも、と思わせてくれる嘘が好きな私には合わないのかもしれない。と思いつつも皮膚疾患やアレルギーの有無を確認した上で「試してみる?」と若干弾んだ声で言われれば興味はあるので頷いた。
「じゃあ好きな量だけ塗ってみて」
 滑るように渡された容器を両手で持って引き寄せ、指にちょっとつける。
「定番は手首とか耳の後ろかな?」
 アドバイスに従い、右手で掬ったので左手首に塗ると、薄く広げてみた。犬みたいかなと気になりつつも手首を鼻に近付けて、すんと嗅ぐ。金木犀がある家の横を通ると、結構濃い匂いがしたイメージなんだけど店主さんの言う通り、優しい感じの香りでかなり好みだった。これ店主さんの手作りなんだ。男の人が作るのが珍しいのかは分からないけど、何か外見的にも物腰的にも違和感ない。
「初めて使った感想はどう?」
「凄くいい感じです。……とりあえず一個、買ってみますね」
「そう。気に入って貰えたなら何よりだよ。買うんだったら他の匂いを試してみるのもいいかもね。値札のところに匂いのサンプルがあるからさ。あ、これは俺が持ってても仕方ないし、タダであげる」
「え?」
 確かにさっき採算度外視と言ってたけど。値段は確認したし全然高くないし、ぼったくりはなさそう――でも何だか怖い。親切にしか見えない彼の瑠璃色の瞳をじっと見返し息を飲む。こういうのなんていうんだっけか。
「――タダより高いものはない、かな。あはは、何も悪巧みとかはしてないよ? 強いて言うなら友達に宣伝してくれると助かるかなってくらい。それと、君は怪しい噂は流さないでね。別に訴えたりしないけど、俺はただの善良な一般人だから。その代わり面白い噂なら大歓迎」
 喉と耳元のタッセルを震わせて笑い、彼は言うと立ち上がった。ほらほらと背中を叩いて促されて、私はいつの間にか元通りの金木犀の練り香水を手に店の中央まで戻る。迷った後で、折角なのでリップクリームっぽい奴のシトラスを選んだ。
 私がそれを見せると店主さんは興味深げに一瞥し、掬うようにして受け取る。そしてレジで会計をする。多分騙されていないと思って私は店内をざっと見回した。外から見たときの古さは疎らにくすんだ木目調の天井に表れている程度である。
「……あの、一つ訊いてもいいですか」
 値札シールに書かれていた通りの金額を提示され、財布を取り出しつつ訊いた。金木犀とシトラスの練り香水を袋に仕舞った店主さんが「ん?」と首を傾げ、私を見返す。一緒に耳元のタッセルも揺られて、前髪の間から瑠璃色の瞳が覗いた。金が先程より濃くなった気がする。
「いつ私が“そういう目的”で来たって気付いたんですか」
「うん? ああ、そんなこと。そりゃ不自然でしょ。普通はうちが何の店か分かってて来るから、あんな物珍しげに見回したりしないよ」
 ただ気付かなかっただけで、店に入ったときから見てたらしい。私は中の小銭を浚って、ぴったりの額を支払う。彼は細長い指先で重なった小銭をずらして確認して、代わりに袋を手渡した。ただの袋だと思っていたら、透かしで椿屋の文字が入っている。あ、間に入っている絵って香水瓶なのか。全然気付かなかった。何の店かも知らず来る客は噂を聞いてやってきた物好きだけ。だから笑われてたのか。
「そうですよね。後一つだけ、訊きたいことがあるんですが」
「物の序でだし、言ってみて」
「普通……って、何ですかね」
 一般人とか普通はとか、全然そう見えない人が主張する違和感。私はその言葉が率直にいって嫌いだった。同じような匂いを感じたのに、突き放された気がして驚きも喜びも溶けて消えていく。店主さんの顔を直視出来なくて袋の中にある二つの練り香水を見た。他に仕事があるのに見返りの少ない店を続けるなんて私には分からない感覚だ。
「強いていうなら色のない世界――かな? いや、色はあるけど、それが何色とかどれくらいの濃淡とか、よく見えてない。それが、普通……なのかもね?」
 密かに波立った感情がゆっくりと静まっていく。彼は微笑んだ。少しの皮肉を込めつつ、確信して笑う。なのに何故だか私には寂しそうに見えた。
「有り難うございました。またそのうち来ますね」
 言って軽く会釈をする。袋ががさがさ鳴る音を聞きながら入口の扉に向かい歩き出した。と、次は店主さんが私を呼び止める。立ち止まり振り返ると彼はチェシャ猫の笑みで口を開く。そうして告げられたのは彼の名前。桃李(la3954)というのだと聞いて私は店名とのちぐはぐ感を覚えた。椿油を扱うから椿屋とか、まさかそんなことないか。
 今度こそ私は店を出て、歩きながら考え始める。どんな噂を流すか。それだけで暫くは退屈にはならなさそうだ。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
一応の後編です。普通とは何かというモブの質問に
桃李さんがどう答えるのか、物凄く悩んだんですが
思考停止しているから本質なんて何も見ていなくて
色がない、けどそれを自覚もしてないというような
ニュアンスでああいう回答にしました。
お店を経営しているのもライセンサーになったのと
同じような理由なのかなと勝手に思ってたりします。
別に深く関わりたい訳ではないけれど、
ちょっと同類寄りの存在とたまに出会う機会があり、
それを暇潰しの一環にしている的なイメージで……。
今回も本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
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グロリアスドライヴ
2020年06月24日

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