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『将来の教え子も大きな宝』
神取 冬呼la3621

 思えば今朝から調子が悪かった。身体中が怠くて、話も全部脳を上滑りする。そこまでくると、いよいよ危ないんじゃないかと思い始めて、午後の講義は受けずに帰ろうと構内を歩く。でもそう判断するには少し遅かったらしい。進むにつれ頭がぐわんぐわんして気分が悪くなりだした。となれば当然ながら足元は覚束ず、気付けば前後不覚になり――丁度角を曲がったところで人とぶつかる。辛うじて踏み留まっていた意識がそこで切れた。大声で誰か叫んだ気がするけど男か女かも分からずじまいだ。

 目覚めて最初に感じたのは眩しさだった。瞼をぎゅっと瞑って再び開く。視界に映ったのは真っ白な天井だ。どうやらここは構内の保健室らしいと、私が横たわるベッドの周りのカーテンを見て思った。多分私が倒れた後誰かが運んでくれたのだろう。そう冷静にというか、気が動転する余裕すらもないまま、顔を横に向けたら誰もいないと思ったのに人がいて、思わず息を飲む。
 ベッド脇に置かれた椅子に腰掛けた彼女は一人静かに何かの本を読んでいた。肩甲骨の辺りまで届きそうな長い紫色の髪を頭の左右で結んでいる所謂ツインテールの髪型は活発なスポーツ少女の印象を与えるのに、大体胸の高さにある本に落とした視線は知的で大人びた空気を醸していて文学少女の様にも見えるのだから面白い。中学生、或いは高校生にしか見えないけど、新入生ならこれくらい童顔でもおかしくないのかな。ただ新入生と全然接点がないのに見覚えがあるのが少し気になる。とそんなことをぼんやり考えていると、ページを一枚捲った直後、少女がふと顔を上げて私と目が合った。
「気が付いたみたいだね。いやー、良かったよ」
 気さくな喋り方とスイッチを切り替えたような快活な笑みを見て先程抱いた二つの印象が更に覆される。栞を挟み直した様子もなくそのまま本を閉じて、そしてそれを脇のテーブルの上に置く。私物なのかと思いきやこの部屋の備品みたいだった。
「あの、看護師の方はどちらに?」
「あぁ、普通にそこにいる筈だよ。処置も本業にしてもらってるから心配なく。まぁ当たり前だけど」
 そう言ってあっけらかんと笑った彼女は不意に真剣な表情を浮かべると腰を浮かせて、手を伸ばしてきた。咄嗟に目を瞑った私の額に小さな手が触れ、仄かな体温を心地よく感じると同時に、それは用を済ませて離れていった。
「熱があるって聞いてたけど少し下がったかな? 細かい話は後で聞いてもらって……っと」
 そうか気付かなかっただけで熱があったのか。そうのんびり考えている間にも「よいしょ」と少女はやけに年寄り臭い声をあげて椅子から立ち上がると、カーテンを捲り、向こう側に行く。そして私が起き上がろうとしたところで戻ってきた。腕を突っ張るも、力が入りきらないのを見て彼女は慌てて近付いてくると私の背中に手を添えて、ゆっくり寝かせてくれる。
「ありがとうございます」
「無理をしちゃダメだよ。今スタッフさん、手が空いてないって言ってた。だからまぁ、ちょっとでも具合が良くなってから帰ろう。親御さんは迎えに来れるのかな?」
「今一人暮らしです」
「そっかぁ……」
 むむ、と悩ましい表情を浮かべ、彼女は改めて座り直した。その視線がちらりと私から逸れて、テーブルを向く。頭だけ動かして振り返れば時計が一つ置かれていた。何か急ぎの用事があるのだろうか。私が何か言う前に「気にしないで」と言われれば何一つ返せなかった。
 どこからどう見ても年下にしか見えない彼女。でも話していて、見た目通りの歳じゃなさそうだと思った。見覚えはあるけど顔と名前が結びつかない。他にはそう、大事ないといってもどっしりと落ち着いた感じ。で最後の決め手はといえば母を思わせるような言動だろうか。ということは信じ難いけど教職員の誰かで、そして心当たりが一応あった。友達が面白いと言っていた文化人類学教授。異例の速さで博士号を取得した女性で、実年齢から想像出来ないくらい若いというか幼い顔だという――。
「神取教授はどうしてこちらに?」
「うん? いや、偶然に通りかかっただけだよ。私じゃ運ぶのは無理だしねぇ」
 彼女――神取 冬呼(la3621)教授はそう言って肩を竦めた。確かに小柄な教授に気を失っていただろう私を運ぶのは難しい。しかし合っていたみたいでホッとした。でも誰か分かっても、疑問は解消されない。面倒見がいいというには、度が過ぎているように感じたから。単にお人好しなだけ? 考えていると気分が悪くなってきたので、目を閉じる。と、私の耳に実に楽しげな笑い声が降ってきた。目を開くと、声を聞いて想像した通りの顔がそこにある。
「全然交流がないのにこんな面倒を見てくれるとか変だって、思ってる? ふふっ、実はそれが初めましてじゃないんだよねぇ」
 まるで探偵が謎解きを披露するときのような堂々とした態度で胸を張り、そして教授は私の専攻と氏名を人差し指を立てて当てた。しかし勿体ぶることはせずすぐ種明かしをする。
「一年生のときに間違えてだったのか、居眠りしてたかは忘れたけど、私の講義中にいたことがあるんだよね。見ない顔の子がオロオロしてたの、よぉく覚えてる。ちなみに異郷文化学基礎っていうんだけど、もう忘れちゃったかな?」
「あ……ああ! えっと、放浪者……のなんか研究ですよね」
「そうそう。この世界よりも進んだ文明を持つ世界は幾らでもあるからね。こっちじゃ非常識なことでも向こうは常識だと思ってたりもして、色々勉強になるし相互理解を深めるのにも重要だよ」
 私の雑極まりない答えにも教授は生き生きと目を輝かせて頷いてくれる。どんな研究か教えてもらったけど、放浪者やナイトメアに馴染みのない私にはピンと来ない。
「ごめんね、病人に聞かせる話じゃなかったか」
「……いえ。私にはよく分かりませんけど。争いがなくなるならいいことだと思います」
 そう言うと教授は目を見開いた。幾らかの沈黙ののち、すっと目を細めて微笑み、囁くように言う。
「そうだね。争いなんてないほうがいいし、分からないものを分からないままにしておくのは勿体ないよ」
 心底実感の篭った言い方だった。私が何か言うべきか迷っていると、カーテンが引かれた。常駐している看護師さんが入ってきたので教授は立ち上がり、座っていた席を譲る。風邪で熱が出たんだろうけど、多分今から、その説明をするのだろう。
「じゃあ私はこの辺で失礼します。この子のことよろしくお願いしますね」
 と看護師さんに言ってから私のほうに振り返って、
「余計なお世話かもだけどさ、若いからって無理は禁物。命あっての物種、っていうでしょ? ――やりたいことがあるのなら、尚更大事にしないとね?」
 耳が痛い忠告に「はい」と頷くと教授は満足げに「よろしい」と笑った。彼女より年上の他の教授よりよっぽど大人だと思う。説教がましくなくて、真摯で。文化人類学の教授だから過去の過ちをよく知っていてそうするのかななんて考えた。
「あっ、それと――もし興味があったらうちの研究室に来てくれると、少し教えるくらいは出来るかなーって思う。そんで面白い! って思ってくれたら来年、うちの受講も考えてほしいな」
 熱烈な勧誘に私だけじゃなく看護師さんも笑っていた。ひらひらと手を振り、教授は保健室を出る。もうちゃんと回る頭で真剣に検討しようかなんて思った。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
恋人が出来るに至るまでとか至った後の気持ちの変化を
描いてみたいという気持ちもありましたがそれとは別に
教授モードの冬呼さんを! というのもあったので
突然に倒れたモブ生徒の面倒を見ていただきました。
彼女は多分よくやらかしているのでインパクトある
冬呼さんとの出会いを覚えていないんだと思います。
モブ視点ではありますが冬呼さんの言動からその想いの
一欠片分だけでも伝わっていたならとても嬉しいですね。
アウイナイトや恋人の存在に触れる描写もありましたが
字数が超過して省略せざるを得ない状況になり無念です。
今回は本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2020年06月25日

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