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『始めた日』
アルマ・A・エインズワースka4901)&メンカルka5338

「わっふー!! お兄ちゃんお元気にしてましたですーっ!?」
 アルマ・A・エインズワース(ka4901)の頭突きタックルを、一度腹筋を固めて受け止め打撃力を減じ、次に腹筋を緩めて衝撃力を和らげ、今一度腹筋を固めて貫通力を抑えて……メンカル(ka5338)は結果的に、真っ向から受け止めた。
 一瞬の間にそれだけのことができるのは、彼自身の能力ばかりのおかげではない。ハーフエルフとして重ねてきた数十年で培った経験則と、ある種の悟りがあるためだ。即ち、「犬と幼児は頭から突っ込んでくるものと知れ」。
 ともあれメンカルは涼しい顔で、「息災に暮らしていたさ。アルもあいかわらずでなによりだ」。
 最愛の弟であるアルマを立たせ、薄笑む。周囲からちらちら向けられる目にかまわないのも、ようは経験則で得た達観だ。
「わふ! 僕も息災でした!」
 こちらも周囲にはかまわず、笑顔を輝かせるアルマ。
 メンカルはひとつ息をつき、弟のまとう純白の燕尾服を見やって笑みを引っ込める。
「なによりではあるが……それは結婚衣装だろう。万が一にも汚しては、おまえの伴侶となってくれる彼女を悲しませるぞ。信頼を壊すようなことはするな」
 うれしさのあまり“わんこタックル”を発動させてしまうのはアルマの本能だ。やめさせられるものではないから、わざわざ試着してきたらしい衣装についてだけを注意する。この一点だけでも知れる通り、実に甘い兄であるのだが、ただし。
 しかしながらというか当然というか、言い聞かされたアルマは一層笑みを輝かせるわけだ、
「お兄ちゃんにいっちばん先に見せたかったです! それにお兄ちゃんだから大丈夫! 僕はなんにも心配しないでわふーってできるですー!」
 アルマが本心で言っていることはもう、探るまでもなく知れていた。なぜか? 決まっている。心を通わせ合い、支え合い、預け合い、共に生きてきた家族だからだ。そうして縒り合わせてきた絆は、たとえ進む道を違えたとて解けはしない。
「……それにしてもだ。おまえがまさか英霊を伴侶に迎えようとはな」

 数回前に訪れたアルマが背筋をピンではなくビンと伸ばし、『僕! 結婚! するです!』と報告してきたとき、メンカルは『その相手はおまえをきちんと受け止められるのか?』と問うた。別に他意を含ませているわけでなく、ごくシンプルに、わんこタックルをして大丈夫な相手なのかということだ。
 対してアルマは『わふ!』、うれしそうにうなずいて、
『僕のお嫁さん、“絶火の騎士”ですから!』
 驚いた。帝国の守護神としてその名を馳せる精霊、それがアルマの伴侶になるというのだから。果たして人である弟が釣り合うのか――とは思わなかった。アルマは守護者としてこの世界を託された強者なればこそ。
 問題は、弟の心の内にもろく割れやすい“魔王の卵”だが、これも絶火の騎士なら大丈夫だろう。彼女には数多の苦難を突き抜けた武の冴えと、堕落の寸前で踏みとどまれた心の強さがある。心身の両面から弟を抱き留めてくれるだろう。
『まずは兄として祝福したい。アルがすばらしい相手と出逢えたことを』
『わふわふ! お兄ちゃんに認めてもらえたですーっ!』
 駆け回るアルマをなだめつつ、メンカルは苦笑した。
『か弱いドワーフ女子と結婚したいと言われていたなら、もう少し心配したかもしれんがな』
 実際に相手がドワーフ女子でも、心配するだけではあっただろう。つくづく弟に甘い兄、それこそがメンカルなのである。
 と、回想はここまでにして。

 兄がしみじみ紡いだ言葉に、アルマは同じくしみじみうなずいた。
「ご縁ってほんとに不思議です」
 これにはメンカルもうなずきを返さざるをえない。そうだな。縁とは奇しきもので、当の本人ですらその糸がどう伸び、結ばれているものかを知る由はない。俺ほどそれを実感している者はなかなかにいないだろうさ。
 思いを噛み締めるメンカルの横顔に、アルマはモノクルの奥にある右眼をすがめる。
 兄が望んで縁を結んだ相手は、ある意味で自分よりも不可思議な相手だ。
 アルマが初めてその相手を見たのは、怠惰王との決戦へ向かう前哨戦の一端だった。メンカルから話を聞いていた通りの印象を受けなかったのは、そう――
 あのとき、僕の“卵”が言ったですよ。“アレ”は僕と似たようなものだって。唯一絶対の形をもって安定できないからこそ、アレは誰かに自分の“形”を決めてもらわなくちゃいけないんだって。
 縁とは言い換えれば関係だ。
 アルマは内に抱えた不安定な“卵”を守るため、少しでも気を抜けば彼を暴走させ、卵の殻を割り砕かせようとする狂気のはけ口――敵を求めた。
 対して、己の有り様を依代の質で左右され続けるアレは、希薄な己を他者の認識あるいは思い込みによって保つよりなく――だからこそ、自分と対してくれる敵との縁を求めるのだ。
 僕とあなたはよく似ている。だから心中お察ししますよ。敵になってくれるどころかあなたとの縁を固結び、必死で手繰ってくれる男がいるなんて、思ってもみなかったでしょう?
 常の稚気を置き去った怜悧な目を兄へ向け、心の内でうそぶいた。
 でもね。正直なところ、僕はラク兄をあなたに預けたくないんですよ。あなたの抱えた宿命は、ラク兄をけして幸せにできない。
 頭ではこれ以上ないほど理解している。しかし、口に出すことはできない。これまで家族のために命までもを尽くしてくれた兄が、ようやく見つけた自分だけの“光”だ。それを求めて行くことを押し止めていい権利も資格も、守られてかばわれるばかりだったアルマにはない。
 ああ、こんなときばかりは自分の小賢しさが嫌になりますね。察せられてさえいなければ、僕は「あいかわらずのわんころ」を貫いて、駄々をこねられたでしょうに。
 いや、わかっている。察してしまうからこそ、賢しいからこそ、アルマはアルマなのだ。メンカル――ザウラク・M・エインズワースが、誰より情深く、一途であればこそザウラクであることと同じように。
 結局のところ、僕たちはどうしようもないほど家族だから。互いのすべてを許して、認めてしまう。それどころか僕はこれから新しい家族を作って、そのどうしようもなさを繋げていこうとしていて。
「ほんとのほんとに、不思議です」

 弟の語る不思議が先と対象を変えたことに気づかぬまま、メンカルはようやくアルマに追いついてきた式場のスタッフ――アルマ本人ばかりでは話が進まないだろうから、メンカルが特別に招待したのだ――に手を挙げてみせた。
「忘れるなよ、今日の目的は式の進行打ち合わせと段取りの確認だ。ああ、打ち合わせで正式に断らせてもらうが、式の途中にある“兄への花束贈呈”や“兄への感謝の手紙の読み上げ”、“兄が語る弟の思い出”といった生き地獄はすべて切るからな」
 昨今のクリムゾンウェストでは、なぜか(少し古めの)リアルブルー式結婚式が大流行していた。故に、親族を巻き込んだプログラムもまた多数ご用意されているわけで。
「ええっ!? 待ってくださいですお兄ちゃん! それがなくなっちゃうとお嫁さんのほうのお友だちが精霊力全開で出し物することになっちゃうですよ!」
 式場が崩壊しちゃうです! という弟の言い分、もっともではある。たとえば精霊が祝いの花火でも打ち上げようものなら、その物理的破壊力は現世のことごとくを滅殺するだろう。
「それは嫁のほうでなんとかしてもらえ。……代わりにといってはなんだが、ホワイトグリフォンのゴンドラサービスを用意しよう」
 式場激推しのゴンドラサービス。それを聞いたメンカルは天啓を得たと膝を打ったものだ。世界を救った立役者である守護者とその名を馳せた英霊を迎えるに、これ以上ふさわしい演出はあるまい。ああ、あるものか!
「100匹のユグディラ楽団が荘厳な登場曲を奏でる中、隠れるホーで上空に潜んだ20羽のポロウがとりどりの花弁を振りまき、4頭のグリフォンによっておまえと新婦を乗せたゴンドラが着床する。ウェディングロードはもちろん、礼装で固めた刻令ゴーレムによる剣の道。――参列者は皆胸を打たれ、感涙をもっておまえたちを讃えるだろう。いや、讃える」
「お、お兄ちゃ……ちょっと、それは」
 弟の訴えを完全無視、メンカルは一層熱を込めて突きつけた。
「30の伝話を組み合わせて使い、おまえの経歴を紹介する司会者のアナウンスに幻想的な響きを加えることも企画中だ」
「おおおにおにお兄ちゃん!? 僕の思い出は語らないって――」
 わたわたするアルマへメンカルは笑みもせず、ただただ真摯にまっすぐ言い切る。
「誰かが語ってくれる分にはまったく問題ない。むしろ積極的に聞きたい。それに大切な弟の晴れの門出、なにひとつ惜しみはせん。俺の私財すべてを使い尽くして祝い抜く!」
 生き地獄に落とされるのが自分であることを痛感し、アルマはきゅう。存在しない尻尾を丸めかけて――
「せめて残していきたいからな」
 ――こぼれ落ちたメンカルのうそぶきに、ゆっくりと顔を上げた。
 ああ、僕があいかわらずのわんこだったら……驚いて顔を上げてラク兄を揺さぶって問い質して、反対できたのに。
 泣き出したい気持ちを胸の奥へ押し込めて、アルマは切り出した。これ以上、兄を独りで苦しませないために。その苦しみと、これから犯すのだろう罪を、少しでも共に背負えるように。
「お兄ちゃん。僕に、訊きたいことあるんじゃないです?」

 見透かされた。
 いや、見透かさせてしまった。思わせぶりな態度とうそぶきで、誰より賢くやさしい弟が共犯となってくれるよう誘導してしまった。
 しかし、俺にとっては雲を掴むような話でも、世界でも有数の識者であるアルならばきっと。
 俺はいつからこれほど身勝手になったんだろうな。俺はいつもアルのことを思い、妹のことを思い、生きてきたはずなのに。
 しかし、もうそればかりだった頃には戻れない。見出してしまったからだ……永遠の孤独を宿命と負いながら、それでも誰かと縁の糸を結びつけようとあがく、情け深き黄金を。
 なぜ、これほど心惹かれるのかは知れん。いや、こういうものなのだろう。アルと英霊のように、俺は黄金と出逢った。それだけのことだ。
 思うほどに心が据わる。
 心が据わるほどに、熱が高まる。
 せめて自分の気後れを弟に被せるような卑怯は演じまい。すべて自分で背負った上で、曝け出せ。それでもアルマは受け容れてくれる。どうしようもないほど、家族だから。
「世界を渡る手段を知りたい」

「世界を渡る手段、ですか」
 あっさりと兄の質問を受け止めたアルマは端正な面を顰め、思考する。
 兄が言う異世界はリアルブルーではない。行く手段が現状で存在しない、まったく別の世界――つまりは兄の追い求める黄金が向かった世界である。
 そして兄は、こうして話す前に、あたれる限りの資料と向き合ってきたはずだ。それでも手がかりを見つけることができず、アルマを頼った。
 だとしてもだ。アルマにもその方法はわからない。ただひとつだけ述べられる推論があるとすれば、
「クリムゾンウェストの生物――クリムゾンウェストで精霊の力を得たリアルブルーの生物を含みますけど――は、精霊力っていう錨でこの世界に縫い止められています。これを外してやるのが第一段階になりますね」
 語る中でアルマは心を据える。
 ラク兄は僕と妹のために親殺しの血泥をひとりでかぶってくれました。そして魔王の卵を気取って狂う僕を、人の域へ繋ぎ止めてくれた。だから僕は、ありったけの感謝を込めて断ち斬りましょう。ラク兄を縛める精霊力の錨を、そして僕っていう錨を。
 ラク兄が僕を門出まで導いてくれたように、ラク兄の船出は僕が整えます。形振り構わず、全力で。
「少しだけ時間をください。正解を教えてくれそうなアテがありますから」

 そんなことがありつつも、打ち合わせが始まってみればまあ酷いものだった。アルマはわんこボケと嫁の惚気を乱発し、メンカルは弟の自慢を挟みつつ、式の演出に超注文を加えていく。
 それほどにふたりは必死だったのだ。
 あいかわらずのわんこと弟を激愛する兄でいられる時間は有限で、カウントダウンがすでに始まっていることを知っていればこそ。


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2020年06月25日

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