▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『One Jigger』
アレスディア・ヴォルフリート8954

 体から緊張を解き、両手を軽く挙げて薄笑んで、アレスディア・ヴォルフリート(8954)は一歩前へ出た。
「見ての通り、暴力を行使する心づもりはない。立ち位置をずらしたのは、あのシーリングファンの真下にいたら万が一が起こるかもしれないからだ」
 この蒸し暑い部屋じゃ、最高の特等席なんだがな。彼女の話を聞いた部屋の主――USAから見れば南アメリカ大陸への玄関口にあたるコロンビア共和国の首都、ボゴタで根を張るギャング団のボスは皮肉な笑みを返す。
 ちなみにアレスディアの言葉を否定しなかったのは、件のファンを固定していたネジ5本の内4本が行方不明だったからだ。
 そのネジの行方を捜しに来てくれたのか? 傭兵はマメだな。そんな内容をジャンクに装飾して語るボス。
 言質を取らせず、逆に言質を取るためしゃべらせにかかるあたり、プロ根性というやつなのだろうが……アレスディアは無表情をわずかに傾げ、
「正しくはフリーランサーだが、依頼をしたいというなら受けよう。ただし、すでに消失している可能性が高いことを考え、成功報酬ではなく前払いにしてもらう」
 もちろん代替品の手配は請け負うが。淡々と応えるアレスディアに顔を顰めてみせ、ボスはプレジデントチェアから立ち上がった。座っていてはフリーランサーに詰め寄られたとき後れを取るし、銃を抜き撃つにも余計な時間がかかる。
 さらに、ボスが立ったことを合図とし、ひとつしかないドアから十数人の男たちが滑り込んできた。大の大人が息を潜めてドアの外に貼りついて機を窺っていたことは、だだ漏れの気配が告げていたのでいちいち驚かないにしてもだ。ボスの部屋でありながらろくな調度もなく、広いだけの空間にされている理由がこれで知れた。
「交渉は銃口で語るタイプか」
 ボスは大げさに肩をすくめてみせ、自分たちもビジネスなのだと前置いて、本題を切り出した。
 だからアンタの雇い主に伝えてくれよ。迷子になったあんたの嬢ちゃんはどうやらとある場所に保護されてるらしい。ただ、帰り道は暗いからよ。お家へ帰れるよう、オレらに護衛を頼んでくれよって話さ。
 悠然とアグアルディエンテ――コロンビアで愛される蒸留酒――を専用の紙カップへ注ぎ、ワンショットどうだとアレスディアへすすめる。
 これを彼女が飲み干したなら、暴力で描き出された平和的解決は成立し、アレスディアはここから生きて出られよう。彼女の雇い主が財産のすべてを投げ打たされ、そこまでして取り戻したかった娘を喪うことと引き換えにだ。
「……あくまで私がしたいのは交渉だ。ただ、そのためにまず、そちらの流儀へ付き合おう」
 アレスディアは深く吸い込んだ息をゆっくりと吐き出し、空になった体へもう一度、鮮度は保証できぬまでも新たな空気を送り込んだ。
「その間に酒を頼む。ワンジガーでな」
 ワンジガーとは、約45ミリリットルの酒を差すバー業界用語である。しかしそれは、アメリカと日本くらいでしか通じない極マイナーな単位で……なぜそれをわざわざ引っぱり出してきた?
 ボスが答を導き出す遙か以前に状況は動いた。思わせぶりなアレスディアの挙動に誘引され、部下たちが銃を引き抜いたのだ。
 フリーランサーは下手を打った。正当防衛かどうかを気にしてくれるような警官がこの辺りにいるはずもなし、いくら手練れであれ、2メートルあるかないかの間合で十数の銃口に狙われれば、かわしきれるはずがない。
 だからこそ。アレスディアはその場から動かなかった。
 彼女の挙動は、胸元から抜き出した古いコイン――すっかり摩耗し、かすれてしまった竜の紋章を浮き彫った代物――を指で弾き上げるため。
 そして弾き上げたのは、そのコインに封じられた古き力を解き放ち、“盾”を顕現させるためだ。
 鮮烈なる竜紋輝くその盾は、実にあっさりと数十、数百の銃弾を弾いていった。自らが守るアレスディアばかりか、これほど近くに立つ敵へ一発の跳弾も返さず、守り抜く。
「少しの間、そのまま頼む」
 盾へ言っておいて、アレスディアが抜き出したのは大口径のオートマチック拳銃だ。
「アーマーは着ているんだろうな? 生身の者は当たる前に申告するように」
 ロースクールの教師のような口調で言い、彼女は弾切れを起こした男たちの腹へ淡々と弾を撃ち込んでいく。
 無論、弾倉交換に成功し、反撃へ出た者もいるのだが……盾は意志を持つかのごとくに弾の前へ自らを据えたのだ。
「弱装弾だ。それほどの習熟度があるわけではないが、殺さずに済ませる程度の腕はある」
 アレスディアが振り返り、説明してみせたときにはもう、部下の全員が床へ折り重なっていて、呻き声を漏らすばかりとなっていた。
 ボスは唖然と口を半開き、目の前の女をあらためて見やる。
 荒事の業界には似つかわしくない、本来在ってはならぬ美貌と豊麗。
 それを今日まで守ってきたのは、それこそ暴力の完成度であるのだろうが、それにしてもだ。迷いなく他人を撃ちながら、ここまでされてなお不殺を保つ心の有り様はなんだ? いや、それよりもあのコインは? ジガーなどと言う女の持ち物だ、アメリカの新兵器かなにかか?
 いやいや。今はそんなことに捕らわれている場合ではない。
 潰されたメンツを取り返さねば。
 果たしてボスは、左の袖口に隠していたスイッチを入れた。それは落下の衝撃で爆ぜるよう炸薬を詰め、信管を配したシーリングファンを落とすためのもの。
 部下どもはなんとか全員が外へ這い出し、ドアを閉めた。これでアレスディアに逃げ場はなくなった。加えて唯一の安全地帯であるプレジデントデスクの裏は、ボスひとりで満席だ――
「しかけに気づいていることは告げたつもりだったんだが」
 アレスディアは天井へ縫い止められたシーリングファンを見上げ、次いで鳩尾を踏みつけたボスを見下ろし、言った。
 ファンを縫い止めたものは矛。瞬時に盾から形を変じ、アレスディアの爪先で蹴り上げられて臨時のネジ役を全うしたわけだ。
 そして。
「語るのはこいつの口か、それともあなたの口か」
 銃口をボスの心臓の上へ突きつけ、アレスディアは迫る。
 ここまで追い詰められて、ボスはようようと理解した。ワンジガーとは45ミリリットルならぬ、45口径を暗喩したワードだったのだ。
 ゼロ距離から弱装弾を振る舞われれば、砕けた肋が心臓へ刺さるだろうし、そうでなくともショック死の危険性がある。
 銃口を語らせるより先に、自分の口を開くよりなかった。


 無事に雇い主の元へ娘を帰し、いくばくかの金を手にしたアレスディアは、最後にボスと交わした言葉についてを思い出す。
 あのとき、ボスは彼女へ問うた。アンタみてえなバケモンが、なんでフリーランスなんて底辺仕事してんだ?
 対してアレスディアは、寸毫すら迷わずに応えた。
「護るために。ただひとりの誰かではなく、この矛と盾とを必要とするすべての誰かを」
 そしてふと笑み。
「部下を死なせないため、あなたは最高の爆撃タイミングを見過ごした。その心は高く買おう」
 ボスはあきれ、そしてあきらめて――毎度あり。気の抜けた顔で人質の居場所を白状したのだ。

 アレスディア・ヴォルフリート。
 やがて、追い詰められた人々が福音として唱えることとなる名である。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年06月25日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.