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『どうしようもない小話』
剱・獅子吼8915

「キミに私という女がどう見えているかは知らない。まあ、五体満足ではないし、概ねそれを軸に感想も抱いているだろうけどね。たとえばそうだな……顔はともかく、左腕がそれじゃあ萎えるとか」
 メガバンクの支店勤続からやってきた銀行員は、気合を入れて固めてきたオールバックを左右へ振り、とんでもないです。時間稼ぎのひと言を繰り出した。
 相手の懐へ潜り込むのが営業の基本とはいえ、この時勢のただ中で全席喫煙可な純喫茶はいささか辛(つら)いというか、煙い。
 そして向かいのソファに女王然と背を預ける隻腕の女――剱・獅子吼(8915)は、彼女の機嫌を損ねたくない男にとって、もっとも返しづらい話題を剛速球で、しかも一球目でぶっ込んできた。
 試されているのだろうが、しかしだ。今日初めて会った女がなにを考え、どう試したいかなど、わかるものか!
 と。ドライシガーの辛(から)い煙を口の端からたゆたわせ、獅子吼が男に問うた。
「ところでだ。キミはいったい、誰から私のことを聞きつけてきた? 私はキミの銀行で非接触を推奨されてる存在なはずだけど」
 とりあえず話題がずれたことに感謝しつつ、男は自分が顧客の資産を預かっての株取引や外貨取引を請け負う市場部門の所属であると明かし、話を持ちかけられる者を探した末、最後の最後で獅子吼の名を見つけたのだと語った。
 それはある程度真実である。実際のところは個人資産の運用を担う個人部門の友人に接触し、話を持って行けそうな人物について相談した結果、挙げられたひとりが獅子吼だったのだ。友人曰く、相当な変人だが、金はそれなり以上に持ってる女だ。もしかして波長が合えば、ほだされて金を吐き出してくれるかもしれん。
 それを聞いたらもう、ターゲットは獅子吼以外に考えられなくなった。いいじゃないか、変人! この俺ならかならず攻略できる!
 なぜあのときの自分はそう思ってしまったのだろうか。勢いで動くなど、ディーラーとして最悪な行為だと知り尽くしているはずなのに。
 いや。今は後悔しているときではない。鏡の前で数年もの間練習し続けてきた「真剣な顔」を獅子吼へ向けて――
 推奨は禁止ではありませんし、私は実際、当行から引き止められたりはしませんでした。だからこそ剱様も、押しかけてきた私にお付き合いくださっているものかと。……無礼は承知でお願いします。共に世界最高の勝利を目指していただけませんか?
 そこから必死に資料を示し、説明した。練りが足りていないせいでそこかしこに穴が空いた企画案。矛盾点を強引に塞いだことで薄い内容になってはいたが、その分希望がいっぱいで美しくまとまってもいる。話しているうち、男は「実はこれが正しい道筋なのでは?」と自信を得、語りをすべらかに加速していった。
 一方、獅子吼は――無表情を傾げて男の説明を聞き続け、彼の表情を確かめると共に視線を周囲に巡らせ、再び男の顔を見て。
「これも聞いておこうか。キミはいつもこんな企画を誰かに持ちかけているのかい?」
 そんなはずがあるものか。客の資産を借りて勝負するディーラーに、敗北は許されない。ある程度までの金額を引き出すだけなら、実績を見せればいい。しかし、男が今回獅子吼へ持ちかけた勝負は、彼女の預金をすべて突っ込ませる大勝負なのだ。納得させるだけの論拠を見せるは不可欠。
 ――不可欠?
 って、なんで俺はこんなクソみたいな企画書を突貫ででっち上げて、この女に急いで会おうとした?
 おいおい、この女、腕が片方ないだけじゃなくて額に斬られたみたいな傷まであるじゃないか。どうして今まで気にならなかった!? 友だちから聞いてたからって、友だち? 友だちって、誰だ? そもそも俺はコミュニケーションが苦手で、ひとりでもやっていけるディーラー業務に――おかしいおかしい。俺は、おかしい。
 眉をひそめた男へ、獅子吼は残された右手の人差し指を突きつけた。
「キミはずいぶん自分に自信を持った野心家だ。それは語調、視線の配りかた、他者への当たりを見ればわかる。ついでに相当なナルシストでもあるかな。女子から言われないか? おじさんはキモいって。スーツ姿から知れるほどのセンスの悪さだ。服装については服屋なりスタイリストなりに丸投げるべきだね」
 ぎくりと肩を跳ね上げる男。この女、俺が女子高生に……いや、それよりもだ。
 この女は、いったい何者なんだ?
 獅子吼は強ばった男の顔へ薄笑みを向けてシガーをひと吹かし。ゆっくり時間を消費した後、言葉を継いだ。
「なぜキミたちみたいなハゲタカどもが、素封家という熱意なき金満家――つまりはカモへの接触を推奨しなくなったのか、少しでも考えてみなかったか?」
 鋭い目線に縫い止められ、男は目を逸らすこともできずすくみ上がる。だめだ! 俺がキモい男なら、この女はヤバい女だ!
 男の恐怖にかまわず、獅子吼は悠然と言の葉を突き立てた。
「逃すには惜しく、しかし金を求めて触ればそれ以上に心身へ障るからさ。私は不幸な過去のおかげで、向き合った相手の質(たち)と性(さが)を見透かしてしまうから。生来の能力はけしてそれではないんだが――せっかくだ、そちらも披露しておこうか」
 獅子吼が吐いた紫煙が男へまとわりつく、まとわりつく、まとわりつく。
 煙い。臭い。辛(から)い。目を開けていられなくなり、男が涙目を固くつぶったすぐ後。
「目の付け所がよかったか悪かったかは置いておいて、彼に付け入ったのははっきりと失敗だったね。彼はキミが思うより直情的で、平たく言えば無能だ。少しつつかれただけで闇雲に走り出すような輩、大きな仕事は完遂できないよ」
 あまりの言われように男は目を開け、そして見てしまう。
 獅子吼の喪われた左腕より伸び出した、闇よりも黒き剣刃を。
 それは一向に消えぬ紫煙の中心をくぐって、男の背後にあるなにかを穿っていた。
 見てない後ろのこと、どうして俺はわかるんだ?
 獅子吼は刃を捻り、「キミに憑いてたものだから。キミの心が弱かったばかりに、それはなんの苦労もなくキミを操れてしまった。おかげで私もあっさり見破れたよ。先人曰く、結果オーライさ」
 獅子吼が剣を引き抜くと同時、男の背後でなにかがかき消えて――
「責めるばかりではなんだし、心ばかりの助言を贈ろう。まずは高すぎる自己評価を捨て、キミにとっては酷すぎる他者評価を受け容れるんだね。心の真ん中に居座ってるコンプレックスと向き合わなきゃ、いつまでもそこから抜け出せない」
 勘定と言葉を残し、獅子吼はソファから立ち上がる。

 目の前の男は操られていた。獅子吼へ敵意を持つ呪術師あるいは人外に。
 男の言の葉へ紛れ込んだ呪句に対抗すべく、魔除けの力を持つ紫煙でくるんだ言の葉を綴り、敵の位置を見定めて仕留めたのだが、あれは本体ならぬ生き霊だった。つまり、戦いはまだ終わっていない。
「文句があるなら直接来ればいいものを」
 と、どうしようもないことを愚痴るよりもだ。
 銀行が男の暴走を許容したということは、近々別方面からもしかけてくるつもりだろう。自分の資産に愛着はないが、欲で動く他人にかすめ取らせてやる寛容も持ち合わせてはいない。
「いっそ人外なら楽なんだけどね」
 獅子吼は対応に悩みつつ、渋い息をついた。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年06月29日

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