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『女神結婚』
スノーフィア・スターフィルド8909

 6月といえばジューンブライド!
 この月こそ最高の天気に恵まれる欧州から持ち込まれた風習は、最悪の梅雨を迎える日本でもしっかり根づいてしまっていて。だからこそ三次元世界ばかりでなく、二次元世界でも(主に集金手段として)もてはやされていたりする。

「もうこんな時間ですか」
 『英雄幻想戦記』無印をプレイしていたスノーフィア・スターフィルド(8909)は、ここで自分が起きてから10時間、ゲーム以外になにもしていないことに気づいて、
「でもまあ、しかたないですよね。雨がちな季節ですから」
 雨はその水分をもって物理的に空気を重くし、呼吸の疲労度を高める(気がする)から、エアコン的なものを除湿運転させている部屋から出るつもりはなく、そうなればやれることなど飲酒を除けばゲームしかないし、そもそも現実の季節の訪れに合わせてこなしていくべきだと思うのだ、ゲームイベントというものは。
 地の文を装い、だらだら言い訳を垂れ流しておいて、スノーフィアはロードを繰り返して延々プレイしているイベント画面に視線を戻した……途端、へにゃりと笑んでしまう。
 ああ、やっぱりいいですねぇ。スノーフィアの結婚シーン!
 主人公に対するスノーフィアの好意度がマックスであり、凄まじい試練を乗り越えてようやくクラフト可能アイテムメニューに現われる、『蒼星の石花咲く銀の指輪』を作ることで開始する結婚式イベント【銀誓】。
 6月であればこその感動を詰め込んだイベントはスノーフィアの涙腺を直撃し、涙させる。たとえそう、7月に入った今でも変わらずに、だ。
 ……しかたないんです! 6月も7月も雨がちな季節ですから!
 やけに力強く言い訳を修正しつつ、ゲームパッドを握りなおそうとして――握るものがなくて――いや、握っている。パッドじゃないものを――これはいったい――なに?


 カラァンコロォン、カラァンコロォン、カラカァンラコカロラアアォンンコンロコオロンォンカカカカカカガガガガガガ!
 あー、ロードした後キャラ放置してると起こる鐘音バグ、未だに修正されていないんでしたっけね。
 うるさいので一歩前へ出て、鐘音データの呼び出しを停止する。今となっては無意識の内に回避できるバグだというのに、今日に限ってなぜ起こしてしまったんだろう?
 ……ちょっと待ってください。今、私。自分で一歩進んでいませんでしたか?
 そっと辺りを見回せば、そこは主人公に“見つかる”までゲームのスノーフィアが幽閉されていた塔、その内壁を螺旋になぞる階段の途中であり――塔の内側を見ただけでわかるあたりは自分でも相当だと思う――どうやら自分はそこを下っているらしい。
 ここはスノーフィアにとって、忌まわしい過去のすべてが詰め込まれた場所。しかし、あえて彼女がここへ踏み込んでいること。最上階の彼女の幽閉部屋に隠されていたイベントアイテム“銀花”が両手に抱えられたまま固定されていること。しかも階段を下っているということ。この三点から導き出される答はひとつ。
「私ってば毎度のごとくゲームに取り込まれた上に向かっていますね【銀誓】結婚式場へっ!」
 唐突に暗闇が彼女へ覆い被さり、意識を奪う。あ、これ、ロードですか……


 カカララァァンンココロロオオォォンンカガガガガガガ!
 って、バグるのが早いですね! 意識を取り戻したスノーフィアはまずツッコんで、自分が教会の前へ立っていることに気づいた。
 鐘音データが使い回しなのはさておいて、今の彼女はAラインのウェディングドレスを、両手には銀花のブーケを装備している。どちらもイベント固定装備なので外すことはできないが、それよりなにより、自分の晴れ姿を確認できる鏡が1枚もないのはどういうことだ?
 せめて見たいじゃないですか! データとかイベント絵じゃない、本物のスノーフィアのドレス姿っ!
 自分のことなのになぜか客観的になってしまうのはまあ、マニアだからしかたないとして。じりじり足が勝手に進んでいくのはあれか。画面の外でパッドを握っている、多分抜け殻状態のスノーフィアが本能だか根性だかでイベントを進めているせいか。
 我ながら猛烈に気持ち悪いですね!
 自分に絶望している間にも、スノーフィアは参列している他のヒロインたちの祝福を受け、レッドカーペットを進んで行く。しかもだ。

 一歩ごとに、思い浮かぶ。
 主人公と出逢ったあの日の衝撃が、共に踏み出した荒野の広さが、魔王戦の最中に合わせた背の固さとあたたかさが。

 そういえば、街の屋台で初めて食べさせてくれたあの味――いえいえ、そんなエピソードなかったですよね!?
 スノーフィアはなかったことまで思い出しながら、常にその情景の中心に在った主人公を想い出す。敵を見据える強い目、スノーフィアにふと向けるはにかんだ笑顔、油断したびっくり顔。うん、そんなイベントはまったくなかったですけどね。
 ツッコんでみても、主人公の存在はスノーフィアの心から離れない。それどころかどんどん大きくなって……うう、この甘く締めつけられる感、あれですよね。大好きな人への愛しさ。
“私”だったころ、画面の向こうのスノーフィアに抱いた気持ちはまさに愛しさだった。ただし恋愛的なものではなく、純粋な好意である。それはそうですよね、相手が二次元なんですから。
 しかし今、その二次元世界にいて、自分がスノーフィア。主人公へ恋愛的な好意をもって愛しさを感じるのは当然ではないか。
 ちがいますよね私! スノーフィアと結婚したかったはずで、スノーフィアとして結婚したかったわけじゃなくて!
 でも。あのときの主人公さんの横顔に私は魅せられて、だから追いかけたくて強くなるために努力しましたし、無防備な寝顔を見下ろして、護りたいと誓ったんです――って、ですからそんなエピソードなかったですよね!?
 でも。こうして思い出せるということは、重ねた冒険の中で実際にあったことなんじゃないでしょうか。そうでなければこんなにも愛しいはず、ありませんから。
「でもでも」言いつくろってしまうほど、主人公に逢いたい。顔を見上げて、ちゃんと名前を呼びたい。
「主人公さん、って」
 設定しないとデフォルトで表示される名前が“主人公”。しかし今のスノーフィアにとっては世界最高、唯一無二の名だ。
 頭の隅ではなんとかしなければと思いながら、それは主人公への想いに塗り潰されていく。このままでは本当に、スノーフィアとして結婚してしまう。
 それはそれでいい気もしてきましたけど……いえだめです! 主人公なんて手抜き名前な人と結婚なんて、私は許しませんよ!
 主人公への愛情を押し割って顕現した父性愛が、スノーフィアの手に理不尽殺しの力を注ぎ込む。
 イベントの象徴はこの銀花のブーケだ。これを手放しさえすれば――!
 渾身の力を込め、スノーフィアは両手を振り上げた。その勢いで飛んだブーケが、他のヒロインたちの真ん中へ落ちていく。そこから始まるのは、お約束の取り合いである。
 スノーフィアは確信した。これでゲームの有り様を壊すことなく、非常事態を切り抜けられましたね。

 薄れゆく情景のただ中でスノーフィアは息をついて、あらためて思った。
 それにしても私の晴れ姿、自分の目でちゃんと見たかったです……


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年07月06日

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