▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『―― ひくてひきてく ――』
氷雨 柊羽ka6767

 遍く宇宙如何なる星に生まれども いつの日にか躯は滅び 魂は流転の旅に出る
 永劫の刻を巡りつつ 因果律によりてまた生まれ 業を負いてはまた旅立つ

 氷雨 柊羽(ka6767)
 紅き世に在ってはこの名であった魂が、『豆腐小僧』なる妖怪として化生した時分の一幕を記す


 ◇


 誰かの手が僕の手をひく
 温かくて頼もしくて、幸せで
 僕はどうして、あの手を放してしまったんだろう――



 垂れ込める黒雲を認め、女は足を早めた。湿気た宵闇が肌に絡みつく。飢饉で活気の失せた通りに、女の足音がやけに大きく響いた。

「薄気味悪い」

 そう呟いた時だ。少し先の辻に、ふぅわりと白い影が。
 ぎくりとしたものの、よく見れば白地の着物を着た人だった。雨に備えてか竹笠を目深に被っている。怯えてしまい気恥ずかしく、女はそそくさと通り過ぎようとした。
 ところが相手は立ち塞がると、伏せていた顔を僅かに上げる。笠の下から朱い唇がちらりと覗いた。

「とぅ……、……かね?」

 女はぞっと総毛立つ。澄んだその声はあまりに美しすぎた。およそ浮世のものではあるまい。慄いていると、

「いらんかね?」

相手は後ろ手に隠していた何かをゆっくり差し出そうとする。女は悲鳴をあげ遮二無二逃げ出した。


「……ふぅ」

 路地に入ると、その人物は竹笠を取った。白銀の髪が零れ、涼し気な目許があらわになる。
 新鮮な悲鳴をたんと収めた腹を撫でていると、

「流石だねぇお姉さんは」

拗ねたような声がかかった。空き家の軒下に、垢抜けない黒髪の少年がしゃがんでいる。
 膝に乗せているのは――豆腐。盆に乗った豆腐が一丁。場違いな豆腐の存在に物申したくなりそうなところだが、彼女は血相変えて駆け寄った。

「そんな風に膝に乗せたら危ないよ? 万が一豆腐盆を落としたら……!」

 そんな彼女が後ろ手にしていた左手――先程女に差し出しかけた手にも、同じく盆に乗った豆腐が。
 ふたりは『豆腐小僧』という妖怪の姉弟だった。
 彼女は隣に腰を下ろし、

「今日は食事、できた?」

尋ねると、弟の腹がぐぅと鳴る。
 豆腐小僧や幾種かの妖怪は、人々の恐怖や驚きなどを糧としている。そういった種は得てして奇態な姿や能力を持っているものだが、そこらの童と変わらぬ見目の弟は苛々と膝を叩く。

「いや無茶でしょ。豆腐だよ? 豆腐でどう脅かせっての? しかも豆腐盆に触れてなきゃ消えちゃうとかさぁ!」
「気持ちは分かるけど落ち着いて、豆腐が崩れちゃうよ」
「別に幾らでも出せるし」
「よしなよ、豆腐を出すのは妖力使うんだから。ますますお腹が減るだけだよ」

 自棄になり盆いっぱいに豆腐を出現させる弟を窘め、彼女は自らの盆に目を落とした。

「まあ、確かに不思議だよね、僕達の存在って。お豆腐……この國の人間には身近すぎる食材だし、これを要るか尋ねられて怖がる人間はなかなか、」
「豆腐小僧生、苦行すぎでしょ……でもお姉さんは良いよねぇ。綺麗な顔に銀の髪、睨まれただけでびびっちゃう。なのに僕ときたら。さっきなんて酷いんだ、見てよ!」

 弟は袂から懐紙を取り出した。中には芋飴がニ粒。
 童を脅かそうとしたが腹の虫が鳴いてしまい、怖がられるどころか憐れまれ、これを渡されたのだと。

「馬鹿にして!」

 弟は彼女の手に一粒押しつけ、もう一粒をがりりと噛んだ。彼女も苦い顔で飴を口に含む。飴も豆腐も、彼らの腹の足しにはならない。気持ちとは裏腹に素朴な甘さが舌の上を転がった。

(このままだと、この子は直に消滅してしまう……自尊心を傷つけてしまうからと遠慮してきたけれど、もうそんな事は言ってられない)

 彼女は意を決して弟の手をとる。

「一緒に脅かしに行こう?」

 最初は突っぱねられたものの、力を合わせればきっと脅かせると説得を重ねた末、弟は渋々頷いた。
 しかし現実は彼女の予想より厳しいものだった。

「ふふ、可愛いねぇ」
「じゃあ一丁貰おうか」

 弟が『豆腐いらんかね』と豆腐小僧の決まりの文句を言うと、人間達はクスクス笑う。身内の贔屓目を抜きに改めて弟を見れば、何ともおぼこく商家の丁稚といった風情。
 そこで彼女は着物や下駄を用立てて弟のなりを変え、雰囲気のある所作や喋り方を根気よく教えた。そして場所、刻、狙う相手など、知恵を絞り工夫を凝らし、時には仕掛けまで用意して、弟と共に脅かしに出る。
 けれど人々は彼女を見て悲鳴を上げかけるものの、弟が顔を覗かせた途端吹き出してしまうのだった。
 彼女は今更のように自らの種の弱さを思い知る。豆腐を出現させられる事以外は、人間の童と何ら変わらない。彼女のように恵まれた容姿を持つか、強い妖怪に取り入るなりしなければ、生き抜くことはこんなにも難しい。
 食事にありつけない日が続いたが、彼女は決して弟の手を放さなかった。


 やがて、

「もういいよ。ひとりで行って」

やつれた頬で弟が言った。

「そう弱気にならずに。今夜は隣町まで行ってみようか」
「僕を連れてたんじゃお姉さんまで消えちゃうよ!」

 泣き喚き、弟は彼女の手を振り解く。

「知ってんだよ!? 僕の着物とか手に入れる為に、質屋の付喪神に何十丁も豆腐あげたって。お陰で今じゃお姉さんの方こそ消えそうじゃんか!」

 彼女はぐっと言葉に詰まる。このままでは明日明後日には姉弟揃って消えてしまうだろう。
 それでも、振り払われた手を再び掴む。

「構わない。最期まで一緒に足掻かせてよ。もう誰かの手を放すのは嫌なんだ!」

 驚く弟に、彼女は己の中にある朧気な記憶を話して聞かせた。

「僕には多分、ずっと昔に……"手をひいてくれる人"がいたんだ。顔も分からないけれど、とても嬉しかったことと、途中で手を放してしまったことだけは覚えていて」
「何で放したの?」

 問われ、唇を噛む。

「さあ……僕の方が置いて逝ってしまったのかな。分からない。
 でも胸の奥に火傷みたいに残ってる。だから、今度こそ最期まで繋いでいたいんだ」

 彼女の覚悟を悟ったのか、弟はもう何も言わなかった。
 細い手をひき、うらびれた長屋町へやって来ると、辺りには線香の煙と腐臭が漂っていた。飢饉で真っ先に倒れるのは貧乏人だ。力のない者から死んでいく。妖怪も人も同じだ。
 この物悲しい雰囲気ならばと、彼女は一軒の長屋を窺う。中には痩せ細り力なく横たわる童と、その傍らで啜り泣く母親が居るきりだ。
 すると、神妙な面持ちで弟が手をひいた。

「ここはダメ。前に芋飴寄越した子の所だ」

 彼女は目を瞠る。このご時世に見ず知らずの弟へ飴を分け与えるくらいだから、てっきり裕福な家の子だと思っていたのだ。

(あんなに弱って……飴を渡した時にはもう、自分だって満足に食べられていなかったろうに)

 彼女は弟と童を交互に見つめる。丁度同じ年頃か。弟もその飴の重みは分かってはいたはずだ。けれど姉である彼女の手前、口惜しがってみせるしかなかったのだろう。
 しばし考えた後、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。

「ねえ。僕達、今日明日中に誰かを脅かせると思う?」

 弟は肩を竦める。彼女は左手の盆にもこもこと豆腐を現して見せ、

「僕達のお腹の足しにはならないけれどさ」

弟は彼女の意図を察してにんまり笑い、右手の盆へぽこぽこ豆腐を積み上げる。

「いいね。どうせ最期なら派手にいこう」

 透け始めた互いの手を強く握りしめると、姉弟は勢いよく戸を開け、決まりの文句を高らかに言った。

「豆腐、いらんかねー!」





━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
【登場人物】
氷雨 柊羽(ka6767)/豆富小僧(姉)
香藤 玲(kz0220)/豆腐小僧(弟)

【豆腐小僧】
とうふこぞう。
名の通り童の姿で、「豆腐、いらんかね?」と声をかけてくる。
特に力はなく、豆腐盆を放すと消えてしまう豆腐のような儚い存在。

おまかせノベル -
鮎川 渓 クリエイターズルームへ
ファナティックブラッド
2020年07月08日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.