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『原点のモフモフ』
海原・みなも1252

 いつものアルバイト。通い慣れた駅に降りる。
 赤や透明、青、水玉の傘。様々な色の傘が通り過ぎるのを見ていると、梅雨も少し楽しくなる。
 あたし(海原みなも・1252)は青紫の紫陽花色の傘、生徒さんは虹の描いてある傘を差して歩いた。
「初めてうちでアルバイトをした時のことを覚えている?」
「はい! 猫娘ですよね」
「そうそう。型を取るって話した時のみなもちゃんの顔。目を丸くして驚くんだもの、面白かったなー」
「あ、あれはメイクのモデルとしか聞いてなかったから……! 今なら! 驚きません!」
「じゃあこれから頼もしいみなもちゃんを見せてもらおうかしら。今日は猫娘なの。……私たちだって昔のままじゃないってことをみなもちゃんに見せるわ」

 学校では既に準備がされていた。ふわふわの白の毛、硬そうな猫のヒゲ、尻尾、ピョコンと立つグレーの耳などがそれぞれケースに入ってテーブルの上に置いてあった。筆などの道具も並べてあって、粘土のような材質のものや、一見して何に使用するか分からない液体もある。
「美しさはバランスで決まるものよ。耳の大きさも尻尾の長さも、みなもちゃんのサイズに合わせて作ってあるの。ヒゲもね」
 大きな鏡の前。
 生徒さんはあたしの頭に右の猫耳を乗せた。大きすぎず小さすぎず。片方だけ頭にある、淡いグレーの猫耳。
 髪で本当の耳を隠す。こうすると、グッとファンタジーっぽくなる。
 両方の猫耳を生やしたあたしを想像する……。
「横幅だけじゃなくて厚みも計算してあるから。サイズぴったりでしょう? 今まで散々測ってきたからね」
「もう……!」
「あら、不満があるならお直しするわよ? 今すぐ全身測らせてくれたらね?」
 モゴモゴと歯切れ悪く返すあたし。不満なんてありません。猫耳はとっても素敵です。ただ、その、言い方が……いえ、ナンデモアリマセン……。

 最初にコンタクトレンズを入れた。これはあたしの瞳と同じ青色のもので、瞳孔が大きなまんまるで見えるようになっている。
 猫は周囲の明るさで瞳孔の大きさがとても変わる。まんまるおめめの時が特に可愛らしい。それをコンタクトレンズで作るのだ。
 メイクしやすいように髪をアップにして前髪も上げる。
 それから目をつむって。
 魔法がかかるのを待つ。
 生徒さんの手は温かくて、心地良い。
 筆で顔を撫でられる。何かを塗られているけど、まだ分からない。
 その上からひんやりとしたものが被さってきた。
「これは……? 粘土みたいな感触……」
「肉付けね。みなもちゃんの顔を少し平面に、それから丸くするためよ。この前取った型を使って作ったものなの。本物の粘土みたいに崩れはしないわ」
 その粘土のようなものは、パーツごとに分かれているみたいで。数回に渡って、ゆっくりとあたしの顔に被さってくる。
 時折触れる生徒さんの指先。肌にかかる生徒さんの吐息。緊張が伝わってくる。きっと貼る場所がズレてしまうと、一気にメイクがおかしくなってしまうんだろう。
 さらに上から何かされている。間接的な感触だけど、色を塗られているんだと思う。
 大きな筆みたいなザラついた感触だったり、スポンジで押さえるような感じだったり。まるであたしはキャンバスだ。
 特に口元は入念で。小さな筆があたしの唇を僅かに出たり入ったりした。
「一度確認してみる?」
 生徒さんの声に目を開けて応える。
 白の、目にはもちもちしてそうなものがあたしの顔を覆っている。特に鼻と口のあたりは丸く膨らんでいる。
「どう?」
「面白いです。まだ最初なのに、もうあたしじゃなくて。ピザの生地になったみたい……」
「あはは! 私たちにとってはみなもちゃんの方が面白いわよぉ」
「ええっ だ、だって膨らんだピザ生地みたいですよっ。この上にトッピングが乗る感じの……」
「植毛がトッピングね! では豪華なトッピングにしましょうか」
 淡い白の柔らかな猫の毛。いくつもの手が伸びてきて、あたしの肌に毛を立てる。
 獣の臭いはしない。陽だまりの中にいる時みたいな、不思議な匂いがする。鼻に、皮膚に、体に馴染む香り。
「この毛にはみなもちゃんの匂いを染み込ませてあるの」
「凄いです! どうやってですか?」
「あら、具体的に聞きたいの? まずはみなもちゃんの匂いを抽出して分析するために髪と汗から……」
「すみません、やっぱりいいです!」
「ああっ。みなもちゃん、顔を横に振らないで。毛が落ちちゃう」
「すすすすみませんー!」
 顔の植毛が終わると、全身も同様にする。上半身から始めて、最初は椅子に座って腕を上げて脇を触られたり、両方の指を広げたり。くすぐったくて、腕をすぐに下ろしてしまうので、最終的に生徒さんに腕を掴まれていた。
 ピンクの肉球をつけて。小さいけど鋭い爪も。肉球は感触が楽しくて手でモミモミしていたら、爪が食い込むから止めなさいと注意されてしまった。
 立ち上がって、お尻の形も変えられた。人間らしい膨らみを減らして―ーお尻をペタペタと塗られるのは結構恥ずかしい。目のやり場に困って、視線が泳いでしまう。鏡の中の自分と何度も目が合った。
 尾骨のあたりから尻尾をソロリ。これがふわっふわで、わたあめより少し重いくらい。鏡の前でくるくる回って何度も柔らかく膨らんだ尻尾の動きを堪能した。
 髪を下ろして。
 髪の色に合わせて塗ったピンで猫耳を生やした。
 ピンセットを使って、生徒さんがそーっとあたしに猫ヒゲをつける。
 鏡の前に現れたあたしは、長毛の猫だった。
 綿毛のようなふわふわの淡い白の毛に、耳と顔にグレーが入る。胸元は濃い真っ白の毛がタテガミみたいに揃っている。
 幼そうな丸い顔に、青くて大きな瞳。
 ひょっこりと立ち上がっているグレーの猫耳。
 鼻先から口元にかけてほんのりピンク色をしている。ここは毛が生えていないので、筆で色付けされていた。何度も筆が往復していた理由が分かった。唇の内側の先も少しだけ、彩られていた。
 全身柔らかそうな猫だ。シャワーを浴びたらとても小さくなりそうな。
 背筋を伸ばして座り、猫らしく構える。
 雪のような尻尾をなびかせて。
「テーマは愛らしさ。前は短毛の猫しか出来なかったけど、今は長毛も出来るわ。時間もそこまでかからなくてね。イメージも決めてて、猫のお嬢様なの。飼い主の家から出たことがない、窓際に座るのが好きな飼い猫よ」
「確かに家で大事に飼われていそうです。ふわふわで丸っこくて……ぬいぐるみみたいです」
「さすがみなもちゃん! 猫種はラグドールなの。猫娘に種類を決めるのも変かもしれないけど。ラグドールの意味は”ぬいぐるみ”だそうよ。そうそう、これをつけないとね」
 生徒さんからつけられたのは、赤い首輪。
 最初のアルバイトの時につけられたものと同じだ。
「気に入ったら返事して。猫ちゃん?」
 生徒さんの優しい声。
「…………にゃぁ」
 あたしは体を折りたたむようにして顔を自分の柔らかな毛に沈めた。落ち着く匂いがする。
 あたしの体。あたしの匂い。あの時の首輪。首輪の鈴がリンと鳴った。





━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
 ご発注ありがとうございます。
 懐かしさを噛みしめながら書かせていただきました。
 楽しんでいただけたら嬉しいです。
 このお話はおまけノベルに続きます。
東京怪談ノベル(シングル) -
佐野麻雪 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年07月10日

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