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『時には限定業務でも』
橘・沙羅6232)&橘・エル(6236)

 店の前に人が立ち止まる気配があって、意識を向ける。
(3名、かな)
 意識の大半はホール全体に向けているので、精度はそう高くない。ただ目安だけでもわかれば以降の動きも読みやすくなる。
 記憶通りの場所に視線を向ければ、四名がけとして整えたテーブル席が空いている。念のためにテーブルをもう一度拭き上げ、卓上の備品の不足がないか、忘れ物やゴミがないかを確認してからエントランスへと足を近づけた。
 カランコロ〜ン♪
「いらっしゃいませ!」
 来店のタイミングに合わせて出迎えた橘・沙羅(6232)が笑顔で声をかけると、客の一人が人数を告げる。気配を読めた通りに三名との声に内心で安堵しながら喫煙の是非を問えば、予定していた席へと誘導することになる。
「最初のお飲み物はどうされますか?」
 特別に用意されたドリンクメニューを示してから注文票を一枚、バインダーに挟んでペンを走らせる。
 写しのある部分は会計用に客に渡す容姿も含むので人数のみ。控え部分には店舗用の欄があり、そこにはメニューを前に思案中の客の性別と、大まかな年齢を書きこんでおく。
(欠伸とか、声の擦れとかもないみたい)
 他にも顔に赤みがあるとか、むくみがあるように見えるとか、病気ほどではなくても小さな不調が読み取れる場合は小さく添えておくようにしている。
「あのっ……もしよければ、ですが」
 決めかねている様子の一人にそっと声をかける。
 初対面の相手に声をかけるなんて、いつもの沙羅を知る人が見れば驚くことだろうけれど。今は仕事中だと割り切っているからこそ声を出せている。
「こちらにお任せいただくこともできますよ」
 この申し出も初めてではなくて、むしろ今日の営業には必要な事で、予め決められた台詞だから伝えられている、ということでもあるかもしれないけれど。
「あっ、でも。好む味だとか、ちょっとした質問はさせて頂くことになりますがっ」
 少し慌てて注意事項を付け加えていく。アレルギーなどの体質的な問題もあるので、その確認も必要だ。

 専用テーブルに美しく陳列された軽食とスイーツの残数チェックをしていた橘・エル(6236)は、妹の声に気付いてそっと視線を向ける。
 そつなく熟す様子に対する安心は、エルが思っているほど表情には出ていない。最も感情を示すのが眼鏡のレンズの向こうにある青の瞳で、エルはその立ち振る舞いからかあまり他者に視線の行方を悟られることがないからだ。
(新しい紅茶を淹れるタイミングのようですわね)
 陳列スペース、ドリンクスペースの汚れを拭き取りながらもドリンクサーバーのタンク部分をチェック。液面の高さも確認してからキッチンへと戻っていく。
 調理スタッフへと補充の必要なメニューを、最適な順番になるように伝えてから専用となっている作業台へと辿り着いて、すぐに湯を沸かし始めた。
 ドリッパーにも新たに豆をセットしておく頃合いだが、給湯を終えた後の抽出は機械頼みなので楽なものだ。エルは珈琲も淹れることはできるけれど、今日はそちらの拘りまで手を広げてはいられない。
「ここまで大量に、という機会は在りませんでしたが……やってみると面白いものですわね」
 美しい色に満たされたガラス容器を見る度に達成感が得られる。普段は自分だけだとか、近しい人とだとか、多くても来客分を含めれば二桁を越えるなんてことはないものだから、新鮮に思えることもある。
 淹れる準備を整えたころには沙羅が新たなオーダーを伝えに来ることだろう。個人用のティーサーバーは、とりあえず三つだしておけばいいだろうか。

「姉さん、おまかせ1とおすすめ1、カモミール……全部ホットです!」
「わかりましたわ。沙羅さん、そろそろ補充分が完成すると思いますので、受け取りに行ってあげてください」
「了解です!」
 すぐに踵を返す沙羅の声は既に遠ざかっている。エルは受け取った注文票に目を走らせながらどの茶葉にするか考えていく。アレルギーは無し、香りが甘いものは苦手……フレーバーティーではなく、紅茶そのものの味を楽しんでもらう方がいいだろうか。
 手元は思考とは別で、カモミールの準備を始めている。お湯の温度を確認しながら、今日のおすすめである夏詰みの茶葉も取り出して。
「……そうですわね」
 カモミールとダージリンのフローラルな香りを楽しみながら、これと決めて取り出すのはウバ。これで三種類揃ったとばかりに湯を注ぐタイミングを測る。
(同席されているのですから、飲み頃が同じタイミングのほうがいいでしょう)
 運ぶ時間と、それぞれの客の前に並べる時間、三名が自分用のカップに注ぐための時間も考慮して。はじめの一杯が特別美味しく楽しめるように。
 慣れた器材のため、エルの動きに迷いはなかった。


 切欠は本当に些細な事で、姉妹がこのカフェでティータイムを楽しんでいる時までさかのぼる。
 ゆったりとくつろぎの空間を提供するためだからと客席も控えめなこの場所は、地元の常連客が愛する地域密着型と言える。客であるはずのエルが自分で紅茶を淹れていても笑って済ませるし、ともすればエルが淹れた方が美味しいと言ってしまうほどに懐が深い。
 エルがそれだけ通い詰めているということでもあるわけだが、気付けば沙羅も常連になっていた。手があいたスタッフとは挨拶だけでなく雑談を交わすくらい親交も深まっていた。
 その日は事務所での仕事も早く終わった日だった。
 来客の予定もないからと姉妹が揃って退勤。折角の間時間を有意義に使おうと立ち寄った時間は、本来のティータイムよりも遅く、夕食よりは早く。世間一般の主婦層ならば買い物で忙しいタイミングで、奇しくも姉妹の貸し切り状態だったのだ。
「これも美味しいです、見た目ほど重くなくて、口の中で溶けちゃいます」
 他の客も居ないからこそできること、ということでシェフが隙間時間に作っている試作品。それらを少しずつ盛り合わせたプレートを一口食べる度に感想を言っていくのはエル。
 厨房を一手に担うシェフの作る品は軽食もスイーツも家庭的なものばかりだが、だからこそ自宅に居るような落ち着いた雰囲気の演出に一役買っている。気分は親戚の家に遊びに行った子供のそれで、ただ舌鼓をうつことが仕事とばかりに皿の上の焼き菓子から視線は逸れない。
「……こちらはあえて甘い香りの相乗効果でルフナを、いえ、ミルクティーにするなら……」
 沙羅と同じプレートを渡されているエルの方はと言えば、一口じっくりと噛みしめる程に、それにあうお茶の模索を始めている。こちらは同じテーブルについている沙羅でさえも辛うじて聞こえる程の小声なので、はた目にはゆっくりと味わっているだけにしか見えない。
「姉さん、これも食べてください」
「……」
 沙羅に示されるままスコーンを食べたエルはミルクティーへの欲求が高まったらしい。すぐにミルクポットへ伸びていく。
「もっと好きに食べ比べたりできたらいいのに」
 満足いく味になったことで、エルの口元が笑みを形作っている。気付いた沙羅の一言は無意識に零れおちたものだったけれど、人が居ないからこそ店内に響いた。
「あっ」
 気付いた沙羅が慌てて見回す。見つかるのは興味深そうに沙羅を見る馴染みのスタッフと、カウンターの向こうから顔をのぞかせたシェフだ。
「試作品のときしかできない贅沢っていうんです?」
 視線で続きを促されて、沙羅は思ったことをそのまま続けていく。このカフェのスイーツは基本的に日替わりで数種類。けれど今はその倍以上がひとつの皿に乗っているわけだ。
「飲み物だって、選ぶ楽しみが増えると思うんです」
 実際、姉の手はそわそわとしているのだ。そう言えば返ってくるのは人手とノウハウの話で。
「それならば、わたくし達が微力ながらお手伝いもできますわ」
 すかさず名刺を取り出すのはエルだ。会話を聞いて仕事モードになったらしい。事務所はここのすぐ傍で、訪れるだけでも話を受けてくれるだろうけれど。エルの名を出せば多少の融通も効くだろうと添えた。
「斡旋するのは人材を主軸にしておりますけれど。必要ならば物資機材についても……」
 言いかけて、少しばかり首を傾げる。
「機材は、十分すぎるほど揃っておりましたわね」
 それだけこのカフェに親しんでいることがよくわかる言葉だった。


「私達が行くんですか!?」
 数日後、正式に話が届いたとの話に満足していた沙羅は、そのまま詳細の説明を受けることになる。
 一度は守秘義務を理由にありえないと席を離れようとしたけれど、エルが持ってくる三人分のお茶に気付いて座りなおすしかない。
 そうして判明したのが、斡旋されるのがエルと沙羅の二人ということなのだった。
「私達ってここの職員ですよね」
 まさか派遣要員に格下げだろうかと眉が下がる。
(でも、姉さんは落ち着いているし)
 早合点は良くないと頷いて、改めて腰を据えた。
 普段とは違う形で、スイーツを何種類も提供する。スイーツは定番メニューだけでなく試作品も混ざることになる。全て食べ比べが出来るのは勿論、それぞれに好きなだけ食べられるように小さめに。通常メニューの幅を広げる為に、アンケートを設置する等の案も既に出ているらしい。所謂スイーツブッフェである。
「まずは月に1度、というお話とのことですわ」
 エルの補足が入る。それくらいの頻度なら、普段の業務スケジュールを調整すれば可能だ。帰路に立ち寄れるくらい事務所から近いのもあるし、月に一度、更にはそこだけ時間を区切ることで実施するようなので、半日限定の契約での様子見となるだろう。カフェで働く時間以外を事務所勤務にあてるか、半休などの扱いにするかという部分はスケジュール調整の際に考えればいい。
「それくらいなら、確かに私達でもとは思いますけど、でもどうして」
 人材の斡旋業をして随分と長い。サービス業に向いた人材だって少なくない筈なのだ。
「あちら側のご指名だそうなのです」
 そう言う意味合いではなかったのだけれど、とエルの言葉に沙羅も思い出す。確かに“わたくし達”とは言っていたけれども。
「お話の際、私も同席しておりましたが。ドリンクメニューの拡充も考えておられるそうなのです」
 その先駆けとして、エルの給茶技術をあてにしてくれているらしい。
「勿論、沙羅さんの感想も参考になったとのお話でしたわ」
 報酬というよりも業務に含まれるのだけれど。ブッフェ当日は、開始時間の前に、まかないという建前で全てのメニューを一通り食べる権利がもらえるらしい。ブッフェの時間はティータイムを中心に午後の数時間。遅い昼食がスイーツ多めの豪華な内容に変わる、と考えれば条件はいい。
「実施するなら絶対にお客で、と思ってたんですけど」
 働く側として行くことになるなら楽しめないと諦めかけていた沙羅が、ここで満面の笑顔になった。


(沙羅さんの観察眼が、ここでも発揮されておりますわね)
 運ばれていったお茶の反応を伺いながら、眼鏡の奥で静かに目元を和ませる。不安からではなくて、確認のためだ。
 気配を探ることに長けているから、客足を捌くための行動がスムーズであること。会話の節々で垣間見えた小さなことにも気付くから、客の嗜好を読み取れる。
 だからこそエルが直接客とのやり取りをしなくても、好ましいお茶を淹れられるのだ。
 人見知り気味な部分の心配はしていたけれど、元々顔見知りの多い店のおかげで緊張しすぎることもないようだ。慣れてきた分新規の客にも怖気づかない。
「今日のおすすめは季節のモンブランタルトです!」
 朗らかな声が聞こえてくる。 
 妹の成長を感じながら、エルもまた次の仕事へと戻っていく。

(最初は戸惑ったけど)
 スイーツやドリンクの香りに包まれて働くのは想像より楽しかった。
(姉さんも楽しんでいるみたい)
 趣味として培った知識や技術を、こうして明確な成果として発揮できる環境に生き生きしているように見えるのだ。
 好き勝手にお茶を淹れるのではなく、客の好みを考えるという制限はあるけれど。だからこそ熱が入っているように感じる。
(この仕事って、今後も続くのかな)
 そうなるといいな、と思いながらホールを見渡した沙羅は、空いた皿を下げに向かった。


 ──月に一度限定で美人姉妹が見られる、人気のカフェがあるそうな。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

【橘・沙羅/女/18歳/斡旋業務手伝い兼護衛/ホールを舞う華は姉の給茶が誇らしい】
【橘・エル/女/20歳/斡旋業職員/キッチンから薫る華は妹の知覚が誇らしい】
おまかせノベル -
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東京怪談
2020年07月13日

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