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『遺されたものがある今日』
ロベルla2857

 昔のことはいつの間にか記憶から失われて久しい。然したった一つだけ、確りと憶えているある出来事が有った。それは孤児院を出たあの日一度だけ見た顔。刻んだ笑みで皺を深くした老人だ。その日の寝床を確保する目的で誰彼構わず引っ掛けた頃も雨の日に出会い二年程の年月を共にしたあの女の家で暮らしていた頃も傍に在ったもの。苦楽を共にしたといえば大袈裟だがもしも人生を象徴する存在はと問われればそれと答える――一丁のヴィオラがふとした瞬間、老人の顔をロベル(la2857)の頭の中にぼんやりと浮かび上がらせる。ライセンサーになり、前と比べて明らかに生活が安定したのもあって任務で気が向いて演奏をしたその後、急に思い立って件の楽器屋へ向かうことにした。顔を見たいとか、話をしたいとか、そんな感慨が有ったわけでは無い。只絵のモデルの代金代わりに貰ったのが据わりが悪いだけで。――と、そうして街に出向いたまでは良い。しかし、いざ来てみれば憶えていたはずの記憶は混濁気味で、九年程経てば街並みが幾らか変わっているのもあり、見覚えのある建物に辿り着いては、また手掛かりを見失いと、そんなことを繰り返した。
 幸いにも、何処かであの日と同じ道筋に入ったようで、何とかその楽器屋に辿り着く。そういうと語弊があるのかもしれない。というのも、確かに其処だと断言は出来るのに楽器屋は影も形も無いのだ。代わりに在るのは当時子供の自分が見ても古めかしいと思ったあの店ではなく、あのときのロベルだったら門前払いを食らいそうな程に高級そうな店。同じ楽器を取り扱う店舗でもとても同じ人間が経営しているとは思えない。
「折角此処まで来たんだ、探してみるとしようかね」
 ショーウインドウ越しに見える接客の様子に中に入る気にはなれず、ロベルは小さく呟いて踵を返すと、店の前の通りを行く人々の中から比較的年齢がいっているだろう――当時の事情を知っていても可笑しくない相手に狙いを澄まし声を掛ける。
「すまんが、あそこの店が今の店に変わる前の店主について知らんかね? 髪も髭も真っ白の老人が居たと思うんだが」
 消息を知る程常連の客なんてそう居ないだろうと覚悟していたがそんなロベルの予想に反して、両手の指は埋まらないだろう人数で「ああ、知ってるよ」と返事が返ってきた。気さくな雰囲気で応じた壮年の男性は懐かしそうに笑いながら自らの手帳の一ページを破り、わざわざ簡易的な地図を描いてくれる。その内紙を差し出されて、ロベルは礼を言うと、それを受け取る。僅かな間も惜しみ地図を見れば通り過ぎる間際に男性が「彼女に宜しく」と言い残した。それで引っ掛かりを覚えたが、どのみち行けばすぐ分かることである。また有り難いことに地図は上手く、目印を辿っている間に着いた。
「楽器屋……ではなくて工房か?」
 店が並ぶ華やかな通りから離れ、もし道に迷っても声を掛ける相手がいない程にひと気がない。そんな市街地の中の僻地に佇んでいるのは、ロベルが口にした通り工房だった。運良く開いているらしい。軽く扉の硝子越しに内装を確認し入ったら、すぐ様「いらっしゃいませ!」と元気溌剌な声が返ってきた。見ない顔に一瞬驚き、あっという間に笑顔に変わる。自分とそう変わらない年頃の女性に面食らいつつも、ロベルは少し舌先で唇を湿らせてから言う。
「以前向こうの通りにある楽器店の店主に世話になった者なんだが。店が変わっていたのでそこらで訊いたら、此処に来るようにと言われた。アンタは何か知っているかね?」
 問えば彼女は得心したように手を叩いて、それから視線をロベルの顔からその背中に滑らせる。リュックのように両肩に引っ掛けて背負ったヴィオラのケースが顔を覗かせている筈だ。どうぞあがって、そう言うと女性は返事も待たずに奥に引っ込み、まあ話は通じているだろうと後を追う。ロベルにはよく解らない機械や切り出した木材、弦楽器の原型などを横目に進むと、休憩室の奥から女性が丁度カップを持って出てくるところだった。促されるまま着席し、目の前に出された珈琲を見る。一服した後で話し始めた。
 そうして女性が口にしたのは男性の言葉に覚えた引っ掛かりの通り、老人は他界しているということだった。九年も月日が流れれば然もありなんで、亡くなったのは二年程前だと言う。もっと早く来ていれば会えた筈だ。けれどロベルの心中に悔恨の念は湧かなかった。只、
「そうだったか」
 と呟いた声には何かしらの感情が篭っている気もした。自分でもまるで見当もつかない何かが。気落ちしていると思ったのか、女性は瞳の奥に悲しみを仕舞うと、笑顔を浮かべてある日突然ぽっくりと逝ったのだと言う。それは前から本人が希望していた死に方で死因も老衰が元だった。だから、彼女やあの楽器店の常連客の心は穏やかで、けれど老人の遺族は心から喜んだ。何故なら道楽経営のあの店を売り払うことが出来るから。女性は当時のロベルと同じ歳の頃に弟子入りした楽器職人だ。あの日もロベルが店を出た後にやってきて、老人に話を聞いたと言う。自分の楽器を無償で渡すだなんて珍しいと思ったから今でも覚えていたらしかった。それを聞いてむず痒くなるも、
「この通り、今もずっと変わらず使い続けているよ。出来が良いのは勿論だがあの時主が馴染むと言ったように相性が良くてね。只気に入っているのは良いが、才能が無いのかあれから腕は上達してないがね」
 そう言って傍に立てかけたケースの表面を撫でる。浮かべた苦笑に女性も笑った。一応本人に聞きはしたがと向こうからヴィオラを受け取ったときのエピソードをせがまれて話し、ロベルも荒唐無稽と呆れたくなるようなあの老人の逸話を聞いた。
(つくづく変わった爺さんだった)
 今でもそんな風に思う。只の憂さ晴らしだった当時は勿論、今も相変わらず楽器を鳴らすのが好きというわけでは無いが、このヴィオラを手放すことも何故か出来そうも無かった。一しきり話した後本題に移る。
「今日は今更だがヴィオラの代金を払いに来た。爺さんのことをどう思っていたかも分からない遺族より、跡継ぎのアンタに受け取ってもらいたい。これでも今は一応ライセンサーなんて真似事をしているんでね、見合うだけの金は出せると思うんだがどうかね」
 ヴィオラを貰った後暫くの間は、その日暮らしの男娼やヒモ同然の生活をしていたが、現在は金に困っていない。然し所詮口約束で老人が亡くなった今、それでもと思うのは自分のエゴだ。じっと見ると逡巡して彼女は受け取ると答えた。どうも立地の悪さが災いして然程儲かっていないらしい。
 珈琲を飲み話題も尽きたところで店を辞する。と扉の前で呼び止められて振り返った。女性は手にしたスケッチブックから一枚破って、ロベルの眼前に出す。そこに描かれていたのはまさしく、あの日の自分だった。色褪せていることを差し引いても趣味と言っただけあってその域を出ない。けれど、弾く振りではなく確かに弾いている絵に見える。暫し眺めて、外付けの楽譜バッグの中に入れた。
「有難く頂戴するよ。此処に来て、アンタと話せて良かった」
 二度と来ることは無いだろうが。弾き続ければこの絵のように心底楽しげに演奏するようになるのだろうか。等と考えながらロベルは元来た道を引き返した。風鳴りが老人の笑い声に聞こえたのは気のせいだろうか。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
普通に再会出来るパターン、情報がないパターンも
それはそれでありだとは思ったのですが高齢のつもりで
今このタイミングだと、亡くなった可能性が高いような
気がしたのでこんな感じの内容にさせていただきました。
ショーウインドウを見て昔と今で比べ成長を
感じるだとか、女性が老人と似ていて懐かしく思うとか
色々と書いてましたが字数が思い切り超過する悲しみを
背負った為に泣く泣くカットしました。
今更かつ時系列的には逆ですが老人はロベルさんの
生き方や喋り方を意識して作ったキャラだったので、
こうしてもう一度機会をいただけて嬉しかったです!
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2020年07月13日

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