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『ノックはにぎやかに雨を鳴らす』
LUCKla3613

 また雨か。
 自室の窓から止まぬ雨を見上げ、LUCK(la3613)は小さくため息をついた。
「いや、まだ雨か。だな」
 言った本人ですら笑えやしない。肩をすくめ、彼はキッチンへ向かう。
 あいかわらず休日に出かけるアテはなかった……わけではないのだが、踏み出していくには空気が重過ぎて。
 まあ、こんな気分の日もあるということだな。


 非常食を兼ねた常備食と、不足する栄養素を補うサプリメント。それらが整然と並べられているだけだったキッチンは今、ちょっとした賑わいを見せていた。
 生鮮食品はもちろん調味料もある程度は揃えられ、冷蔵庫には友が趣味で作ってくれた菓子まで入っていて。
 最近思うところがあり、「人並」の暮らしというものを実現してみようとした結果のことではあるのだが、うまくできているかはわからない。せめて物真似よりはいい形に持っていけているといいのだが。

 道なるものにはすべからく形(かた)があろう。其を代(しろ)にまで仕立てられらば、汝(な)が形に人は宿ろう。

 体の奥底から届く女の低声。どこから聞こえてくるのかを探ろうとしたこともあるが、すぐにやめた。なぜなら声の主に対し、野暮を演じるわけにはいかないから。
 そんなことに拘るなど、宿るのを待つまでもなかったな。俺という形代(かたしろ)はとうの昔に人らしさで満たされていたわけだ。どうやらおまえはそれを見抜けなかったようだが?
 稚気含みな思念をどこに在るものか知れぬ声音の主へ送り、LUCKは新たなキッチン用品のひとつ、サイフォンを取り上げた。

 冷凍庫に保管していたフルシティ・ロースト(中深煎り)の珈琲豆を手動ミル(豆挽機)で中細に挽き、冷蔵庫の中で水に浸しておいた布フィルターをセットしたロートへ入れる。
 それをはめ込んだ下部のフラスコ、そのさらに下にはアルコールランプが差し込んであるので、これへ火をつけ、あとはしばらく待つばかり。
 サイフォンの利点は蒸気圧というものに任せる部分が大きく、豆の量と抽出時間を正確に合わせさえすれば、腕にかかわらず一定品質の珈琲ができあがることだ。が、それ以上の品質を目ざせばもちろん、いくらでも課題が現われる。それをひとつずつクリアしていくのはLUCKにとって存外に楽しいのだ。
「そろそろネルドリップを試していい頃合いかもしれんな」
 ともあれ。LUCKは保温カップに満たしたベロニカを共連れ、リビングへ戻った。


 雨の日にひとりきり。しかし寂しくはなかった。なぜかと考えてみれば――
 音だ。
 雨に打ち鳴らされる世界はにぎやかで、LUCKを不思議に安らがせる。我ながら人好きのする男ではありえないが、なのに自分は静寂が苦手であるらしい。
 そう思うととんだ矛盾だな。人を遠ざける性を持ちながら人の声に囲まれたいなど。LUCKはそこまで思ってみて、気づいた。
 人の声に囲まれたい? 俺の苦手は静けさではなく、寂しさのほうか。
 記憶のすべてを喪い、この世界へ流れ着いた彼である。自覚はないながら、人並以上に人恋しいのかもしれない。
 だとすれば、どうして自分のほかに誰もいない雨の世界で満たされている?
 決まっている。ただ単に、俺が孤独ではないからだ。
 SALFのライセンスを受け取った当初は、ナイトメアを屠り続けることで「人」たる己を保っていた。それをしてただの兵器へ成り下がらずに済んだのは、心あるライセンサーたち……中でも気の置けぬ友となる青年が伸べてくれた手のおかげだ。
 あの手が、孤独の果ての無我へ落ち行こうとしていた俺を、人の道へ引き上げてくれた。
 LUCKは熱いベロニカをひと口含み、ゆっくりと味わう。馥郁たるロースト香にやわらかな甘みが重なり、舌をさらりと洗っていく。半月前には自分がこんなグルメ的な思考をするようになるとは夢にも思わなかったのに。
 おかしなものだな。ほぼ人ではない俺が、ほぼ人ではないからこそ人というものはこうしたものだと思い描く。俺がこのベロニカをうまいと思うことも、結局は俺が人であることの証明だ。
 などと回りくどく思ってみるのは、気恥ずかしかったからだ。このベロニカが、彼にとって無二の存在たる“黄金”の愛飲するものであり、故に彼も美味だと思ってしまうことが。
 どうだ。俺のいじらしさにほだされてくれてもいいんだぞ?
 訊いてしまうことでさらなるいじらしさを演出すると同時、いつでも冗談だったと言えるよう予防線を張る。
 心は純朴なガキでも、頭は擦れた大人なものでな。
 もちろん答える声はないのだが、それでもだ。
 俺が孤独に飲まれずいられるのは親友と戦友、そして独りの俺を放っておけずに語りかけるおまえがいてくれるからだ。

 ふん。精々吠えておけ。

 さすがに黙っていられなくなったらしい声音の主へ薄笑みを送り、LUCKは自らの機械体を見下ろした。
 こちらの世界で出会った“もち”の体と“わんこ”の魂を持つ技師の手で、この体は少しずつ改良が施されている。オールマイティこそがLUCKの基本戦術だが、その根幹たる迅さを実現し、彼の息災を保てているのは彼の力によるところが大きい。
 息災、か。
 誰に誓ったのかも思い出せない、「息災に生きる」ことはそれなり以上に実現できている。死地へ踏み入るとて、「生きる」だけは果たせる経験と気概がこの体には在った。
 だから。
 あとはドッグタグに刻まれたひと言――幸いを、どうすれば手にできるのかだ。
 これは俺の願いというだけのものではない。この字を刻んだ者の願いでもある。
 俺を尽くして果たすさ。贖いなのか仁義なのか。息災以上に俺はこのひと言を追い求めなければならない、そんな気がしてならんのでな。
 応えない声に向け、LUCKは小さく口を開いて、
「見ていてくれ。おまえに生かされている俺が幸いへ届くために演じる無様を」
 さすがに察しの悪い俺でも、声の主が誰なのか、俺のどこにいるのかはわかる。おまえはおまえで、誰かを無視し抜けるほどの固さは――体はともあれ――持ち合わせていないようだしな。俺たちの縁とやらがか細いものではないらしいことも。
 おまえがどれほどのことを知っているのかは知らんさ。訊きほじったりもしないしな。だが、これだけは思い知っておけよ。
「俺はもう、おまえを見つけている」
 自分の胸を軽くノックしてみれば、やけにずきずきと鋭い痛みが跳ねた。

 一人立ちして後にほざけ。

 独りも一人も、今の俺には同じだ。どちらにせよ俺しか存在しない状況が好ましいはずもないだろう。だから。
「突き放そうというのか? ならば全力でしがみついてやる。俺の守護精霊は蛇なのでな。しつこさには自信があるぞ」
 恥ずかしいことを堂々と言い切れるのが大人の稚気の醍醐味だ。
 と、またもや跳ねた痛みに顔を顰めつつ笑んだLUCKは、揚々とベロニカを味わい、安らかに雨のにぎわいへと耳を傾けるのだ。


 LUCKのあまりにもなセリフに絶句した声の主は、遠く離れた先で苦笑し、ふと表情を歪めた。
 過去とは文字通り、過ぎ去りしものよ。汝(な)が為すべきは先へ行くこと。其をゆめゆめ忘れやるな。
 届かぬ声は闇のただ中に消え失せるが――黄金にて形を得た主の面から懸念が消えることはなかった。


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2020年07月13日

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