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『そして今回もまた意識は闇に沈む』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)

 あっと思ったときにはもう間に合わない。振り返ればこの世界に来てからというもの、台頭するヒトという種族に紛れる目的で送る時間の大部分をそれと同じ姿で居続け、人であるのが当然だと錯覚する程にしっくりと馴染んでしまっていた。それは裏を返せば生来持つ竜のこの姿での力加減といった感覚が完全に抜けているということでもあった。迂闊にも体格を見誤ったが為に元の姿に戻った瞬間、周囲にある物や壁を破壊するだなんて愚行はしない。しかし、一度元に戻っても大丈夫だったら、後は何をしても問題はないと馬鹿な思い込みをしたのも事実。などと現実逃避したところで状況が好転する道理もなく、ファルス・ティレイラ(3733)の目の前で、自らの翼に薙ぎ倒された彫像品の数々が安置された机の上から一斉に落ち、使用されている素材の差を教えるように高さ違いの音色を響かせた。幾許かの余韻が落ち着けば辺りには静寂が広がってティレイラもまた静止する。そうしてまるで逮捕令状を所持した警官が押し入ってくるのを待つようにしていればじきに廊下を進む足音が少しずつ近付いてきた。おそらく物音が聞こえた時点で彼女はおおよその出来事を察していたのだろう。扉を開いて、入ってきた彼女のその眉宇は顰められ、咎めるように「ティレ」と名を呼んだ。だが説教の言葉は続かず、呆然とした表情でゆっくりとこちらを見上げてようやく目が合う。さすがに本性に戻っているとは思わなかったらしい。それもごく短い間のみで、腰に手を当て彼女はもう一度口を開く。ただティレイラは人になることも忘れ、その巨大な体躯を竦めながら、吐き出されるお叱りの言葉を黙って待ち受けるのだった。

 彼女――ティレイラにとっては魔法の師匠であり、姉のような存在でもあり、また先程までいた保管庫がある魔法薬屋を経営中の同族でもあるシリューナ・リュクテイア(3785)は個人的趣味で蒐集した装飾品の類も取り扱っている。というのは販売だけではなく、点検や破損した際の修復も請け負っているということだ。そうやって一時的にシリューナの手元に預けられた品をティレイラが興味本位で触って、勿論決して故意というわけではないのだが、それに込められた魔法を発動して、周りに何らかの影響を及ぼしたり、またあるいは単に傷を付けてしまったりと、好奇心で良からぬ結果を生み出し、シリューナにお仕置きされるという一連の流れは珍しいものではない。その都度深く反省するも好奇心に負け同じことを繰り返した。しかし、今回ばかりは状況が違ったのだと声を大にして言いたい。
「要するにこの預かった品々に触って癒されてつい元の姿に戻った挙句に、気が緩んだ結果、辺りに置いてあった物を全て倒してしまったと……そういうことなのね?」
「……はい」
 さすがにあの姿のままではまずいと翼も角も尻尾も仕舞った人型になり、仁王立ちのシリューナの前で床にぺたんと座り込んだ状態だ。彼女はもとより感情の起伏が少ないほうで、こうして彼女の所有物を傷付けては怒られたり、または弟子として不甲斐ない部分を叱責されているのだがあくまで冷静さは欠いておらず、静かな怒りを表現するのに今は普段よりもそれが顕になっている気がする。勿論いつもの彼女と比べという話だが。その理由はすぐに溜め息と共に零れた言葉から判明した。
「あの惨状を見るに、期日までには間に合いそうもないわね。ひとまずは、お詫びの連絡をして……ああもう頭が痛い限りだわ」
「お姉さま。それは、どういう……?」
 思わずといったふうに漏れ出た愚痴を聞いて、いよいよティレイラも事の深刻さを実感し怖々と尋ねる。その質問を受け、シリューナも幾らかの落ち着きを取り戻したようだった。そうして彼女は今へと至った経緯を話し始める。
 シリューナが今回受けたのはとある高級ホテルの大浴場に飾られている装飾品や彫像品の修復依頼だった。勿論特別なことがないのであれば相応の専門家に頼めば済む話である。では何故彼女に依頼が回ってきたのかというとそれが魔法の籠められた品の為。何でも癒しの効果を齎すようにそれぞれに様々な効能が秘められているらしかった。物理的な手段を用いてどうこうという話ではないのでごく簡単なものならシリューナが自ら現場に出向き、その場でパッと直してしまうことも可能だ。しかしとにかく数が多いのと、一つ一つに違う魔法を掛け直さなければならないし、また修復に掛かりきりになるというわけにもいかず、長期間の作業のために一部を持ち帰っていたという。そしてそれを興味津々のティレイラが見つけて、感覚の狂った癒しの効果に吸い寄せられて――その結果がこれだ。尚今は狂うどころか、完全に沈黙している。魔法を籠め直すには素材を取り寄せて一からやり直さなければならないという話だ。
 事情を最後まで聞き終わった頃にはティレイラの顔はすっかりと蒼褪め、冷や汗の多さにいっそのこと昏倒してしまいそうだった。なじられたわけではなかったが今まで通りにお仕置きをするでもなく、ただ仕方ないと諦めたふうなのがティレイラの罪悪感を掻き立て、いてもたってもいられなくなったのだ。
「お姉さま、本当にごめんなさい! 私に出来ることなら何でもします! だからお姉さまのお手伝いをさせてください!」
 必死なあまり、気が付けば殆ど土下座に近い格好になっていた。さしものシリューナもそれには驚きを隠せず「やめなさい」と焦りを滲ませた声で叫ぶように言ったが申し訳なさにティレイラは頭を上げられない。やがてどれだけの時間が経ったか、五分か十分かもっと短かったかもしれないとも思う。ただ暗い視界が更に暗くなり、それを認識した直後には肩に微かな重みが触れ、視線を上げればシリューナが膝をついていてすぐ目の前に彼女の顔がある。肩に乗せられた手がとても温かかった。いつの間にやら涙が滲んでいたようで、手が離れたかと思うとその細くて長い指が溢れそうな雫を拭った。
「貴女の気持ちはよく分かったわ。それなら一つだけティレにお願いしたいことがあるのだけど……聞いてくれるかしら?」
「お姉さまの頼みごとなら勿論です!」
「……そう。それだったら良かったわ」
 そこまで言って初めてシリューナの唇が微笑を形作る。それを見てようやく、罪の意識が薄れていくのを感じた。何度も懲りないティレイラとて敬愛する師匠を困らせるのは本意ではないのだ。ホッと気が緩んで肩の力が抜ける。そんなティレイラの髪をシリューナはあやすように何度も撫でて、そして大丈夫と言うように引き寄せた。二人っきりの同族で、それを抜きにしても大切な存在でもあって――もし彼女に見捨てられたらどうすればいいのか分からない。体温を感じながらも背中に回した手で服を握る。後悔してもしてしまったことは取り返しがつかないから、自分に出来ることをして挽回しようと気持ちを切り替えティレイラは決意に満ちた眼差しをする。だから気が付かない。シリューナが耳元へと寄せた顔に、先程とは違う笑みを浮かべたのを。

 ◆◇◆

「あのっ、お姉さま。私はここで何をすれば……?」
「そうね、まずは竜の姿になってもらいましょうか」
「ふぇっ!?」
 どうも彼女には予想外だったらしく、ティレイラは素っ頓狂な声をあげて目を数度瞬いた。もしかしたら今回の一件がトラウマになっているのかもしれない。その小さな声すらも古代ローマの大神殿を思わせる大浴場には大きく響き渡る。白亜の石柱が規則的に並んでいて、幾つもある浴槽は黄金に光り輝く。また浴槽の縁にはディテールにまで拘った台座が複数設置されていて、しかしそこに本来鎮座すべき彫像は所々抜けてしまっている。
「私のためなら何でもしてくれるのよね?」
 敢えて意地悪に言えば彼女も覚悟を決めたようで、ティレイラは浴槽前の開けた空間に歩み出ると、少し緊張した面持ちで瞼を下ろし深呼吸をして、そして、その姿が光に包まれたかと思えば、一瞬後には人型の何倍もの大きさに戻った紫色の翼を持つ竜が現れた。彼女は窮屈そうに姿勢を低くして体を畳んでいるが飛ぼうとしなければ伸び伸び翼を広げられるくらいには空間は広い。仮にシリューナも戻ったとき、人間には同族である二人の違いは分からないのかもしれないが実際はかなり違っている。元の姿でいても、ティレイラのほうが表情豊かだし、小柄だ。シリューナは持ってきた鞄から修復済みかつ難を逃れていた壺を取り出し、それを突き出すようにして彼女に持たせる。そうして作業中で宿泊客がいない浴場内をうろつき、繰り返し角度を変えては良い見栄えになるようにとポーズを取らせた。そうして浴槽の縁に膝をつき、台座にしなだれかかるようにして肘を乗せたティレイラが両手で掴んだ壺を湯船の中に傾ければ準備は完了である。状況が飲み込めない彼女が何か言いたそうな表情をしているのに気付きつつも、シリューナは気付かないふりで言葉を紡ぐ。
「さて、と……では、始めましょうか」
 えっ、と困惑の声が聞こえた気がしたがシリューナは気に留めなかった。ティレイラの近くの浴槽の縁に腰掛け、お湯が入っていない湯船へ足を伸ばしつつ無造作に歌を口ずさむ。それは正確には歌ではなく呪文だった。ポーズを取らされた意味も分からないままの彼女は反応に遅れて、悲鳴をあげたのは爪先から徐々に石化して感覚が無くなっただろう頃。がそれでも本能的に恐怖から逃れようと身を捩るのを見遣り、
「修復が終わるまでの間の“代役”が必要でしょう?」
 そう囁くように言えば、ぴたりと動きが止まった。大幅な遅れという言葉を思い出してか、表情が引き攣り涙目になるも、お仕置きを受けずともいつになくあれだけ深く反省していたティレイラだ。責任感からか逃げ出すことも出来ずにじわじわと自らが固まっていく感覚を受け入れている。そのせいか普段なら恐怖の色が浮かぶところなのに心底覚悟を決めた顔をしているが為にそれが酷く堂に入って見えた。自ずから代役に相応しい表情をしているときっと本人は自覚していないのだろうが――。
 お姉さま、と最後に呟いた錯覚を覚える。しかし最早物言わぬ彫像に成り果てた彼女が何か言葉を発することはなく、シリューナは呪術が完全に形を成したのを確認すると時を無駄にはすまいと取り急ぎ、更なる呪文を唱え、預かった品と同等の効能を像と化したティレイラに付与した。立て続けの術、それも相手は竜と、普段彼女にお仕置きをするときとは使用する魔力の量が異なっていて、うっすらと滲む汗を拭うと改めて、感嘆の息を零す。我ながら美しい、完璧な像に仕上がったものである。立ち上がって、側まで歩み寄れば、姿勢の関係から自分よりも低い位置にティレイラの頭があり、今まさに動き出しても不思議ではない躍動感は生きている者であればこその表現だろう。まるで初めからこの浴場に存在していたかのように一体化しているのを見つつ、一つ細工を施す。ぱちんと鳴らす指に反応して壺からお湯が渾々と湧き出し、徐々に湯船が満ちていった。
(……暫くはこれで凌げるかしら)
 なんて考えながら、シリューナはこの上出来な彫像を愛でることにした。人型のときとはかけ離れたごつごつした厳しい質感、何か言おうとして開かれたままの口には鋭い歯と牙がついている。角やたてがみの鋭さは最早愛でるのを拒むかのよう。全体的なずっしりとした猛々しさと対照的に内股気味の脚や内に軽く巻きつけられて湯船に沈んでいる尻尾の先に、確かにティレイラらしさを感じうっとりと胸から全身に広がるこの興奮を両腕で自らの体を抱き、痙攣気味に震えることで逃す。足元に腰を下ろすと背中を撫でて、両翼の付け根に軽く口付けを落とした。一頻り愛でて満足した頃には周りに湯気が漂い、湯船も充分浸かれるだけの湯量になっていた為、シリューナは近くで自らの衣服を脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿になり、ティレイラの像を真横にしつつ身を沈めた。更に嵩を増していく半透明のお湯を掬い取って肩の力を抜く。確かに癒しを感じる辺り、掛けた魔法は問題ないようだ。肩まで浸かって、背に揺れ動く髪の感触を感じながら目を閉じる。ここに置く筈の彫像は一番最後に修復をしようかなんて意地悪な考えが頭の片隅に思い浮かんでシリューナの唇は静かに弧を描いた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
竜の姿の美しさをどれだけ表現出来るか自信がなく、
その結末に至るまでを主に書かせていただきました。
イラストを参考に、とのことだったので愛でた後に
入浴するシリューナさんまで書いたり。
作中では後回しにと少しサディスティックな感じを
出していますが実際には真っ先に直しそうな気がします。
場所が場所なので、愛でる機会がなさそうなのと
好きだから意地悪をしたくなる的な精神があると想像し。
あまり長く話せていないと寂しくなるのかなあと
思っている今日この頃です。ド直球なお仕置きではなく、
搦め手で攻めるシリューナさんが書きたかったです。
今回も本当にありがとうございました!
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東京怪談
2020年07月14日

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