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『コール』
アレスディア・ヴォルフリート8954

 中央アジアのただ中に位置するタジキスタン共和国。
 ソビエト連邦から独立したタジク人の国であり、北をキルギス、東をウズベキスタン、東を中国、南をアフガニスタンに囲まれている、なかなかに「難しい」土地である。

「コールだ」
 東部パミール高原を統括するゴルノ・バダフシャン自治州、その州都ホログの酒場の片隅に、ぽつり。低く抑えた女の声音がこぼれ落ちた。
 テーブルを挟んで向かいに座した黄色人種の男は、細い目をさらに細めて唸る。
 ポーカーにおいて、コールは「もっとも弱気なアクション」と評される。いわば手ひどく負けないための手だからだ。
 だがしかし。男はあえて自分のハイカード(ブタ)を示していた。そして女が返礼にと見せてきた手はツーペア……絶対勝てる状況に、あえてコールする意味がわからない。
 と、女――アレスディア・ヴォルフリート(8954)はカードを放り出し、
「前哨戦は引き分けでいい」
 つまり、本戦で我々全員をひとりで殺し尽くせると?
 殺気を沸き立たせる男へなにを呼応させることもなく、アレスディアはただ碧眼を向け、
「さてな。だが、この勝利分の注文をつけさせてもらおう。1時間後、あなたたちのアジトへ行く。存分に出迎えてくれ」
 男は某国の工作員である。行動の先回りをされた時点で任務は失敗したわけなのだが……この女を人知れず処理できれば、巻き返すことは可能だ。


 ソビエト時代に建てられ、放棄された工場。
 そこで待ち受ける工作班10人は最高の兵士である――はずだった。
 無造作に向かい来るアレスディアへの狙撃はことごとく弾かれた。魔法のように取り出された盾によってだ。そう、拳銃弾とは比べものにならぬストッピングパワーを持つライフル弾を、かざしただけの盾で!
 驚愕している内、一気に駆け込んできたアレスディアは工場内へ。文字通りに男たちの連携へ割り込んだ。
 この国に雇われたのか!? 援護射撃に紛れてしかけたスニーキングを読み切られ、盾の縁で両手の骨を砕かれた仲間が床へ転がる中で問えば、
「いや、今も遊牧をしている家族にだ。放牧地に武装した集団がうろついていて、牛が落ち着かずに乳を出さなくなって困っているそうでな」
 確かにアレスディアは男に声をかけてきて、『あなたがたのせいで困っている人がいる。事情はあるだろうが帰ってくれないか』と言った。それでこの国の諜報部が雇った犬かと思ったのだが……それだけのことで死地へ踏み込んできたのか。ただの遊牧民が、命に釣り合う金を払えるはずもなかろうに。
 アレスディアは男の仲間のひとりが突き込んだナイフを盾の面に滑らせ、肘をかち上げて、空いた脇に膝を叩きつけた。その間にも銃弾は彼女へ降り注いでいたのだが、意志を持っているように盾はアレスディアの八方を巡り、ことごとくを跳ね返す。
 そしてもうひとりが転がされたところで、チームは連携を密に取りなおし、先と変わらず、ひとりずつ打ち倒されていって。
 ついには最後のひとりであり、チームリーダーである男が、あらためてアレスディアと対峙する。

 男は青竜刀を構え、アレスディアへ斬り込んだ。が、これはフェイクだ。青竜刀に見えてその刃は薄く、よくしなる。柄頭に結ばれた鮮赤の房の揺らぎで敵の目を惑わせ、さらに普通の刃では為し得ぬ軌道を描いた一閃で命を断つ。
 対してアレスディアは押し立てた盾を動かさず、まっすぐ踏み込んだ。どのような剣筋を辿るにせよ、この盾を乗り越えるには刃をしならせなければならない。が、間合を詰めれば、いくら青竜刀がしなったとて、アレスディアに突き立つことはかなわない。
 かかった。男は内心でほくそえむ。刀の有り様を見切られることは織り込んでいた。本命は、この刀術の根幹にある拳法、それによる打撃。
 右足で強く踏み込み、跳ね返ってきた反動に螺旋を描かせ、拳まで届ける。震脚(しんきゃく)からの勁打(けいだ)。それがもたらす衝撃は、盾の裏にあるアレスディアの腕を激しく震わせ、骨を砕く――

 拳が届くより迅く。
 盾が。
 消えた。

 今アレスディアの手にあるものは矛だ。どこから現われたかを不思議に思う必要はなかった。あれは寸毫をもって守りから攻めの形へ姿を変えた、盾だ。
 思考し終える間すらもらえぬまま、男は青竜刀を巻き取られた。手首を捻り折られる湿った音が腕を駆け上がり、激痛が意識を濁らせていたアドレナリンを吹き払った。
 手首の返しだけで持って行っただと!? 人体構造的にそんな角度は――しかして彼は見る。アレスディアの黒衣とグローブの狭間に垣間見えた、人のそれではありえない金属の“肌”を。
 義腕、そういうことか。
 納得は突き出された石突に鳩尾ごと突かれ、果たして男は崩れ落ちる。
「一応、あなたがたの光彩は記録させてもらう。必要に応じて、しかるべき先へ提出するためにな」
 こちらの所属もすでに知っているというわけだ。カードの勝負に拘るまでもなく、最初から勝負はついていたか。男は苦悶の内、奥歯を噛み締めた。


「さすが軍人だ。怪我が動きにほとんど影響していない」
 酒場の一席で酒を舐めていたアレスディアは、仏頂面で向かいに座した男へ薄笑みを投げる。
 自分たちを退けたところで、次はさらに準備を整えた大人数が押し寄せるだけだぞ。戦争をしかけるためにだ。
 男の言葉にアレスディアは笑みを傾げ、
「それは民族なり国なり、私より大きな力を持つ者たちが調整すべき問題だ」
 ずいぶんと割り切ってるんだな。男は皮肉な言葉を吐きかけたが、アレスディアは揺らがない。
「悩んだこともあった。いや、今も悩んでいるが」
 人道を語る気か? 男は身構えたが、要らぬ手間だった。アレスディアが語ったのはもっと小さく、そして困難なことだったから。
「私はそんな大きな力に見逃されてこぼれ落ちる誰かを護るためにいる。大きな力がいいように使い潰そうとする者たちを含めて」
 男は先に戦ったときのことを思い出す。混戦の中でもこちらがアレスディアだけを撃ち続けられたのは、彼女が男の仲間を盾にせず、逆に盾となって射線を遮っていたからだ。
 敵まで守る? それがなんの得なる?
 アレスディアはあくまで平らかに、しかしまっすぐと応えた。
「私ひとりの力などたかが知れたものだが……それでもわたしの先で救いを求める誰かを護り抜くと誓った、あのときの私に贖える」
 ならば我々を殺しておくべきだった。護ったはずの誰かを、我々があらためて殺すかもしれないぞ?
 それは悩みどころだな。アレスディアは少し考えて、言葉を継いだ。
「結局のところ、私はその場凌ぎにコールを繰り返しているだけなんだろう。が、レイズしてあなたがたを殺したなら、あなたがたの家族や親しい人を救われない誰かに変えてしまう。それは私にとって最悪手だ」
 つくづく自分勝手な女だな。心からの男の言葉に彼女は深くうなずき、
「ああ。だからあなたにもおとなしく退いてもらいたい」
 先の言葉を胸の内で訂正した。この女はつくづく自分勝手で、どうにも不器用だ。
 男は息をつき、考える。
 どうやら救われ、護られたらしい命を、これからどうやって繋いでいくか。
「必要があればいつでも依頼を。かならず護り抜く」
 男はアレスディアの酒瓶を取り上げ、一気に干した。せめてもの仕返しに……


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年07月14日

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