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『光降る日に……』
浅緋 零ka4710)&神代 誠一ka2086

 柔らかくまとめた髪にくるりと簪をさす。
 浅緋 零(ka4710)は右を向き、左を向き髪の具合を確かめた。
「……うん、大丈夫……」
 簪は今日のために作ったもの。
 モチーフは保健室の花壇、木漏れ日の家の花壇で咲く花。零にとって思い出深いもの。
 姿見のある被服室を控室として神代 誠一(ka2086)が借りてくれたのだ。
 傍らの作業台からイヤリングを取る。
 零は緑の石を光に翳し耳へと宛がう。陽光を受けて煌めく緑は木漏れ日に似ていた。
 てるてる坊主のおかげか、梅雨だというのに青空が広がっている。
 雨の合間の青空の滲んだような深い青が目に眩しい。
 次は黒地に金古美の葉の刻印が施された懐中時計。
 掌の上で蓋を開く。
 蓋裏に施された大樹の装飾。そして……
「1 1 1 2 ……」
 刻まれた数字を読み上げる。
 零と誠一の真ん中誕生日。過去しかなかった零が再び未来を思うことができたとても大切な日。
 イヤリングも懐中時計も真ん中誕生日に誠一が贈ってくれたもの。
 手で包み込むように蓋を閉じると鎖を短めに畳んで袴の帯に下げる。
 そして最後に敷いた新聞紙の上でブーツを履いた。
 ブーツも真ん中誕生日に贈られたものだ。
 手入れしながら愛用してきたそれは使い込まれ故の風合いを持っている。
 着物も袴も誠一からの贈り物と合うものを選んだ。
「……どう、かな?」
 姿見の前で軽く手を広げてくるりと回る。
 振袖と袴がふわりと広がった。
 はしゃいでいるのだろうか、すこし擽ったいような。
 校内でブーツは履くことは諦めていたのだが誠一が教室内と手前の廊下まではブーツで歩けるように交渉してくれた。
 勿論、体育祭の時などに校庭から直接校内に入れるように敷くゴム製のシートを使う事、ブーツの裏を綺麗にしておくことなど条件は出されたが。
 言うまでもない事だ。
 そろそろ開始時刻。
 一旦スリッパに履き替え零は会場となる教室へと向かう。

 一階の校庭に面した教室。
 教卓の上で花が揺れる。
 手に着いたチョークの粉を払う誠一は皺一つないスーツに、零手作りのネクタイ、普段は寝癖を直す程度の髪もワックスで軽く整え――という明らかに特別な日仕様。

 『卒業式』

 黒板に大きく書かれた文字。
 「おめでとう」とフライングしたくなる気持ちを落ち着かせるために一度深呼吸をした。
 黒板に背を向け教卓前に立つ。
 零が所属し、誠一が担任を受け持ったクラスの教室。
 黒板脇の傷や塗装が少し剥げかけた教卓など当時のまま。
 冬の名残が濃い初春の頃、零の担任となることを伝えられてからを思い出す。
 専門書を読んでみたり、同じような生徒を受け持った同僚に話を聞いたり思いつく限りのことをした試行錯誤の日々。
 通常の業務に保健室での授業、時には校長に直接掛け合ったり年中師走状態。
 神代先生はいつも走ってますね、なんて同僚に揶揄われたりもした。
 それでもそれを煩わしいと感じたことは一度もない。
 足りない部分も多い先生だっただろう。
 だが零はそんな自分に向き合ってくれる生徒だった。
 少しずつやり取りを重ね、時には零から話題をふってくれるようにもなった。
 だけど未来のことは話してくれない。話したくないというわけではなく穴が空いているかのように零にとってそれは存在してないかのように。
 だから今でも覚えている。
 零が来年の真ん中誕生日を祝おうと言ったときのことを――。
 保健室で未来の事を話して笑い合った日の事を。
 教卓の上、漆塗りの盆に置かれた卒業証書。
 零が将来の夢を語ったとき、どれだけ嬉しかったか……。
「知らないだろ……」
 あの時の嬉しさは俺だけの宝物だからな、なんてぐましかいない教室で独白のふりをした自慢。
「……そろそろ時間か。ぐま、準備はいいか?」
 保護者席に当然のような顔をして座っている白兎のぐまに話しかける。
 返事代わりに長い耳が廊下へと向く。
 零の足音を聞きつけたのだろう。
 大きく息を吸って背筋を伸ばす。
「これより――年度、  高校の卒業証書授与式を執り行います」
 視線を教室の入口へと向ける。
「卒業生入場」
 誠一が声を張った。

 懐中時計で時間を確認すれば間もなく開会の時間だ。
 窓に映る姿でもう一度恰好を確認する。
 「これより……」誠一の声が聞こえてくる。
 蓋を閉めた懐中時計に手を置いてゆっくりと息を吸って吐く。
 コツコツとブーツが刻む音。
 開いたドアの向こう、保護者席に堂々と鎮座するぐまと目が合う。
 のんびりと伸びをしていた。
 いつもと変わらぬぐまに手を振る代わりに笑みを送る。
 わかっているのかいないのかぴるるると揺れる長い耳。
 改めて教室を見渡す。
 自分が通うはずだった場所。
 せんせいと共に過ごすはずだった場所。
 碌に通った覚えがない。

 でも――

 零は正面へと視線を向けた。

 自分が通うはずだった教室で……。
 担任の誠一と生徒の自分がいる……言葉にすればとても当たり前のこと。
 だがそれがとても嬉しい。
 教壇に立つ誠一と向き合う。
 零の視線に応えるように無言で頷く誠一。

 あ……。ネクタイ。使ってくれてる……

 真ん中誕生日に贈った手作りネクタイ。
 沢山使って、と言ったのに今まで身に着けているところはみたことがなくて。
 今日のために取っておいてくれたのだろう。
 湧き上がる感情に目を細め、緩みそうになる口元を必死に結んだ。
「卒業生、着席」
 零が席に座ると校長役も務める誠一が挨拶の言葉を述べる。
 流石にぐまに来賓挨拶は無理な話でそこは飛ばして――。

「卒業証書授与」

 よく通る誠一の声が教室に響く。

 き、た――……

 零は緊張で汗をかいた手のひらを袴の上で握る。

「……組、浅緋 零」
 顔をあげた零の脳裏に次々と浮かぶ誠一との日々。
 保健室、花壇そして紅い世界の、木漏れ日の家の――。
 誠一視線を正面から受け止める。
 背筋を伸ばして。
「はい」
 誠一の声に負けぬように、はっきりと応える。
 ちょっと自分でも驚いたほどだ。
 教卓で揺れる紫陽花――木漏れ日の家の花壇に咲いていたものだ。
 誰かが持たせてくれたのか誠一が持ってきてくれたのか。
 皆がみてくれているような気がして心強い。
 誠一の前へ進み出る。
「卒業証書。浅緋 零。あなたは――高等学校において全課程を修了したことをここに証します」
 おめでとうの言葉と共に誠一から差し出される卒業証書。
 小さく息を吸ってから零は左足から一歩踏み出した。
 動きは左から、左から……自分に言い聞かせながら。
 じつは昨夜こっそりと練習していた。鏡の前で。
 左手を添え、右手を添える。頭を下げて……。
 受け取った卒業証書、折らないように軽く曲げ左に持ち席へと戻る。
 そして「校歌斉唱」誠一の宣言。
 出だしは誠一が手で合図してくれた。
 校歌なんてほとんどうたったことがない。
 記憶を頼りになんとか歌っている零に比べ、誠一の歌声のなんと朗々としたことか。

 でも……

 音程が違う。曖昧な記憶の零ですら言いきれてしまうほどに。
 ちらっと保護者席を見ればぐまが嬉しそうに跳ねている。
 振り切っているせいか音がずれていても不快感がない。
 なんだか楽しくなってしまう不思議な歌。

 せんせい……ってば

 ふっと笑った拍子に肩の力が抜けた。
 すると放課後、先生と勉強しながら保健室で聞こえた合唱部の歌う校歌が記憶に蘇る。
 響く歌声に休日、部活動に来ている生徒たちが何事かと教室を覗き込む。
 ちょっと吃驚したが誠一は驚く様子なく、寧ろ歌を促すように生徒たちにむけて指で指揮を振るう。
 その指揮もテンポがずれている、と生徒たちと零の心のツッコミが重なったことだろう。

 零と誠一、重なる二人の歌声。
 少なくとも誠一の耳にはハーモニーとなって聞こえる。
 誠一の手から零の手へと渡った卒業証書。
 その時の感覚を忘れないように誠一は手を握りしめる。
 名を呼ばれ、返事をした零の堂々とした姿……。

 零が望むなら何にだってなれるよ……

 以前彼女に伝えた言葉。誠一はその言葉が決して間違っていないことを再び確信する。
 未来は無限に広がっているよ――月並みな言葉しか出てこない。でも本当の事だ。
 今日がその第一歩。
 なんて誇らしく素晴らしい日だろう。
 さあ、みてくれ。そして一緒に祝おう。

 自慢の生徒の卒業式を――

 晴れの姿を――

 世界に向けて……。
 誠一の歌声は益々広がっていく。
 校庭で練習していた生徒がみにきた。
 廊下から覗いているのは文化部の生徒だろうか。
 休日だというのに結構生徒たちはいるものだ。
 興味本位の視線が向けられるが誠一は気にしない。
 寧ろ見ていけ――いやなんなら一緒に歌え、と生徒たちに向かって指を振った。
 流石に現役、生徒たちが校歌を歌い出す。
 多分何が起きているのかわからないだろう。
 三番まで歌いきると誠一はネクタイを締め直す。
「以上をもちまして、  年度  高等学校の卒業証書授与式を終了いたします」
 周囲からも拍手が送られた。

 贈られる拍手の中、零は黒板をみた。
 「卒業式」の3文字。
 卒業したんだ……。改めて広がる実感。
「やー、いい卒業式だったな!!」
 俺の美声に生徒たちも集まって来たし、と笑顔で誠一がやって来た。
 生徒たちはそれぞれの活動に戻ってしまっている。
 余韻もなにもあまりにもいつもの調子すぎて「やっぱり」と込み上げてくる呆れと笑み。
「改めて、零、卒業おめでとう!」
 胸の奥からじんわりと広がっていくこの気持ちはきっとどれだけ言葉にしても伝えきれない。
 降り注ぐ木漏れ日のように沢山、沢山伝えることができれば。
「せんせい……、ありがとう」
 曲げないようにそっと卒業証書を胸に抱く。
 この胸にある温もりを伝えるように。
「折れるといけないからこれに……」
 と筒を渡そうとした誠一が「その前に」とカメラを構えニカっと笑う。
「記念撮影だな」
 卒業証書はこちらに見えるように……などと言われるままに黒板の前に。
「次はぐまと一緒に……。いや卒業証書を入れた筒を持ったものも……」
 記念に1枚かと思ったのに続く撮影。
「仲間にも見せたいし。皆も楽しみにしてるだろうしな」
 シャッターを切る音が連続で響く。
「せん、せい……?」
 撮影は零がじとっという視線をファインダー越しの向けるまで続いた。
「一番良く撮れたの飾ろうな……」
 カメラを見つめる誠一の視線があまりにも優しいから零はそれ以上は言えなくなる。
 せんせいとぐまと一緒に撮ったのがいいな、と代わりに伝えた。

 何枚撮っても撮り足りない、そんな気持ちだ。
 そしてもっと写真の腕を磨いておくべきだったのでは、と誠一はカメラを構えながら思う。
 人並みにスナップ写真を撮ることはできる。
 でも今日と言う日のこの気持ちまで写せているといえば……。
 まあ、仲間たちにみせるときには臨場感たっぷりに解説をつけよう、などと考えながらシャッターを切っているといい加減零に呆れられた。
 一枚だけとは言ってない、心の中の言い訳はぐっと飲み込み、カメラを撫でた。
 この中に今日の思い出がたくさん詰まっている。
「せんせい……」
 呼ぶ声に顔を上げた。
「ありがとう……」
「それは俺の言葉だな」
 この記念すべき日に立ち会うことができて。
 並木の合間から明るい日差しが射し込んでくる。
 大分背の高い自分に視線を合わせるように零が上へと向いた。
 耳元で揺れる澄んだ緑。
「これからも、よろしく……ね。せんせい」
 柔らかい髪を揺らし、零が破顔する。
 少しだけ頬を紅潮させて。
 遠く聞こえる野球部の掛け声……。
 当たり前の学校の日常……その中で。
 零が笑う。この「思い出の教室」で……。
 この何気ない瞬間。

 それが……

 どれほど特別な瞬間であろうか――。
「ああ、よろしく」
 零に負けない笑顔で応える。
 そして光の中で笑う零に向けてもう一度カメラを構えた。



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
【ka4710 / 浅緋 零】
【ka2086 / 神代 誠一】


この度はご依頼いただきありがとうございます。

卒業おめでとうございます!!
この日に立ちあうことができ私も大変嬉しく思います。
零さんはひょっとして教室で先生に名前を呼ばれたのは初めてなのでは?と。

気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
それでは失礼させて頂きます(礼)。
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2020年07月20日

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