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『明日へ進む君へ――』
神代 誠一ka2086)&浅緋 零ka4710

 梅雨の晴れ間。
 とある学校の来客用駐車場に一台の車が止まる。
「それにしても雨が降らなくて残念だなあ」
 車を降り空を仰いだ神代誠一(ka2086)が溜息と共に嘆く。
 車を挟んだ反対側で首を傾げる浅緋零(ka4710)に誠一がハンドルを切る真似。
「濡れた道路なら華麗なドリフトを披露できたわけだが……」
 ゲームで磨き上げてきた、とかなり得意気に。
「……この前……バナナの皮で滑ってった……」
 脳裏に浮かぶのは小隊の仲間と誠一がゲームで遊んでいるときに目撃した光景。
「記憶にないなー」
 惚ける誠一に零が口元を綻ばせる。
 久し振りの学校に緊張しないよう――誠一の気遣い。
 校舎裏、職員用玄関。
「重かったらいつでも言ってくれ、変わるから」
「平気。 ぐま、軽い……から」
 零の抱えるキャリーの隙間から白兎のぐまがふんふんと鼻をひくつかせている。
 誠一のペットだが、零に運ばれることを望んだ。
 誠一の歩き方だと、振動が気に入らないらしい。
 隙間から額を撫でるともふっと鼻先が押し付けられた。
「うん……。大丈夫」
 ぐまにか、自分にか言い聞かせるように呟いてから徐に重たいドアへと手をかける。
 誠一に先がけて校内へ。
 保健室登校だった零にとって正面玄関よりこちらの方が馴染み深い。
 分厚いガラスが嵌められたドアを押すとひんやりとした空気が流れてくる。
 昇降口の先に続く薄暗い廊下。
 校内に響く生徒たちのざわめき、運動部の掛け声。

 あぁ、学校だ……

 記憶にあるぼんやりとした学校のイメージと変わらない。
 しかしあの頃とは違う。
 足の裏、リノリウムの固い感触。
 ちゃんと自分の足で立てている、と伝えるように見守っている『せんせい』を振り返った。
「せんせい……。はやくしないと約束の時間に……遅れる よ?」
 誠一が大きく笑みを浮かべてから「……元教師として遅刻は恰好つかないな」と大股でやってくる。

 かつて通い慣れた場所。
 脱いだ靴を誠一は何も考えずに靴箱にしまおうとして名札に気付く。
「あー……」
 ガシガシと髪を掻き回し改めて過ぎた時間の長さを思う。
「せんせい?」
「つい何時もの癖で……」
 来客用の靴箱へと回れ右。
 すれ違う生徒たちからの会釈。生徒たちにとって今の誠一と零は来客なのだろう。
「さて、体育館を押さえないとな」
 譲らねーぞ、と気合を込めて拳を握る――と隣から驚く気配。
「た……ぃくかん?」
 丸ごと? 僅かに目を瞠る零に「もちろん」と頷けば、はぁと小さな溜息。
「せんせい……」
 長い付き合いだからわかる。視線に呆れが混じっていることに。
「卒業式と言えば体育館だろう?」
「そう、 だけど。せんせいとレイと……ぐま だけだよ。だから 教室で――……」
 ううん、と零が首を振る。
「教室が いいな……」
 せんせいと過ごすはずだった――と。
 校長室で交わす当たり障りのない挨拶。
「本日は帰還の挨拶以外にも、一つお願いがあって伺いました」
 誠一は背筋を正し校長、教頭、そして当時の学年主任の顔を順繰りにみやる。
 彼らを含め教職員はまだ誠一の顔見知りが多いことに内心ガッツポーズ。
 これなら少しくらい無茶を通すこともできるだろう。
 勿論初対面でも遠慮する予定はないが。
「母校であるここで浅緋零の卒業式をやらせてもらえませんか?」
 準備がとか、既に関係者ではない神代先生だと責任問題が……などと示される難色。
 それも誠一の計算内。
 隣にはぐまの入ったキャリーを膝に抱えた零が座っている。
 少し緊張した面持ちに見えた。任せろ、と軽く片目を瞑る。
「学校とは前途ある若者を世に送り出すところではないのでしょうか?」
 それっぽいことを並べに並べて言質を――いや了承を得た。
「ありがとうございます。ではこの日に教室をお借りします」
 そして最後は有無を言わさぬ笑顔での押し切り。

 来客用スリッパで歩く学校の廊下は少し新鮮。
 パタパタと鳴る足音に零は耳を傾ける。
「校歌の練習もぬかりないからな」
 共に暮らすユグディラ指導で練習を重ねたと誠一は胸を叩く。
 そのユグディラの音痴っぷりを知っている零としては複雑な気持ちにならなくもない。
 もしも自分の歌う校歌と誠一の歌う校歌が別物だったら……。
 それも良い思い出かな、とおっとりと考える零の視界にオレンジ色の花。
 開いた窓で揺れる白いカーテンに花壇。
 保健室だ。
 カーテンの向こうには小さな机があって。壁際には薬棚に『喫煙の危険』と書かれたポスター。
 室内に漂う消毒の匂いまで鮮やかに零の中で蘇った。
「懐かしい、なぁ……」
 その空間を時間を愛しむように双眸を細める。
 誠一と過ごした時間――それが零にとっての学校の記憶。

 新学期、大きな如雨露を抱え水をやっている零に「元気な緑だなあ」と声を掛けてくれたのが担任の誠一だった。
「お、蕾だ。――えっと、これは何ていう……」
「マリーゴールド……」
「マリーゴールドか。どんな花か咲くんだ?」
「オレンジ色のはな……。 虫につよい……」
 ぽつぽつと単語と単語を繋ぐような零の話に本気で耳を傾けてくれる不思議な先生だった。
「マリーゴールドが咲いてるな」
 ……当時のことを思い出しているとふいに隣から声が聞こえた。
 開けた窓から誠一が身を乗り出している。
「なまえ……」
 保健室だけが自分の世界だったあの頃と比べて――。
 身長が伸びた、友達ができた、将来を思い描くことができるようになった……変わった事は沢山。
 それでも『せんせい』は『せんせい』のまま。
 変わらない『せんせい』がいたから零は此処まで来れた、眩しそうに誠一を見上げる。
「勿論覚えているさ。零に教えてもらったしな」
「花丸のとき、わすれてた……」
「あれはうっかりであって忘れていたわけじゃあ……」
 それを忘れたというのでは、そんな疑問を込めた視線に誠一は「車に戻るぞ」とわざとらしくキーを鳴らして歩き出す。
「せんせい……」
 誠一の背を見つめる零の語尾に混じる溜息。
 体育館を貸切る、と無茶を言い出してみたり、実は負けず嫌いだったり、屁理屈で誤魔化そうとしたり……。
 そんな大人げない先生を保健室の自分に教えてあげたら驚くだろうか。
 いや、でも……と思い直す。
 突然遠足に行こう、と立ち入り禁止の屋上でお昼を食べようとしたり、片鱗は見え隠れしていたような……。
 あの頃はびっくりのほうが勝っていたから溜息ついたり呆れたりできなかったけど。
 『せんせい』との日々。
 保健室も、赤の世界に来てからも……。
 胸元をそっと抑える。
 それは大切な宝物。
 溜息は小さな笑みへと。
 誠一が足を止めて待っていてくれる。

 学校を出た車の中で、飽きてきたのだろう。
 ケージに移されたぐまが出せ、出せと鼻を隙間に押し当て主張している。
「暴れちゃダメ……だよ?」
 危ないよ、と零が鼻先を軽く押すと、ぐまはその指先を嗅ぐ。
 慣れた匂いに落ち着いたのだろうか大福のように丸まった。
「せんせい……。どこに行くの?」
「着いてからのお楽しみってことで」
 少し誠一の声が弾んでいる。
 なんだろう、と思っている間に車は大きな駐車場へと。
「到着。さあ、行くぞ」
 連れてこられたのは呉服屋だろうか。
 ショーウィンドウを飾る華やかな着物が目に眩い。
 思わず大きな瞬きを繰り返す。
「制服ってわけにもいかないだろう。零も背が伸びたことだし」
 予約入れておいたから人目気にせず心行くまで選んでくれていいからな、と店内へ。
「せんせい……?!」
 零は何気なく目に留まった着物の値段に驚いて誠一を見た。
 レンタルの値段ではない。
 そこまで甘えるわけには――と言う前に誠一が先手を取る。
「あ。金は気にすんなよ? なにせ……」
 一拍置いてから
「一生に一度のお祝いなんだから」
 な!と念を押された。

『一生に一度のお祝い』

 言葉が上手く出てこない。
 特別な卒業式。
 未来に進むための。
 それを決意させてくれたのは……。
 何もかも止まった世界から再び動き始めるまでの出来事が次々と胸の内に浮かぶ。
 伝えたいことはことは沢山あるはずなのに……。
 誠一の目をじっと見つめる。
「……ありがとう、せんせい」
 想いを込め一言、一言、はっきりと紡いでいく。
 この日を『せんせい』と迎えることができて。
 この日を『せんせい』にみせることができて。
 悩みに悩んで着物か袴か、それぞれ一着ずつまで絞った。
 誠一の意見を聞こうにも多分どちらも「似合っている」だ。
 こういう時、誠一は頼りにならない。
 レースをあしらった編み上げブーツ、澄んだ緑の石が揺れるイヤリング、黒地に一片の葉が古美銅で刻印された懐中時計――真ん中誕生日に貰った品々を脳裏に浮かべる。
「合うのは……」
 卒業式には真ん中誕生日に貰った品々を身に着けようと決めていた。

 珍しく感情が乗った零の声。
 嬉しそうな響きに、まん中誕生日で卒業式をしたいと告げられたときのように鼻の奥がツンとする。
 卒業式で泣く親御さんの気持ちがわかる。
 主役の零よりも浮かれていることは自覚済。
 教え子であり仲間であり……家族のような存在である零の門出なのだから仕方ない。
 気を遣って、お手頃価格のものを手に取りがちな零に「気に入ったものを着て貰えるのが一番嬉しいんだが……」とこれ見よがしに独り言。
 誠一の財布は未だかつてないほどに厚い。
 学校側と揉めたら最終的に金で解決しようだなんてちょっと教え子には言えない大人の取引も考えていたのだ。
 ここぞ、という時に使ってこその金だろう。
「せんせい……これはどう、かな?」
 矢絣に海老茶の袴――ファッションに疎い誠一でもわかる伝統的なスタイル。
「おお、いいなあ。似合っている」
 次は山吹に濃緑……同じく似合っていると頷く。それを何度か繰り返したら「せんせい」と呆れられた。
「本当に全部似合っているんだが……」
 鏡とにらめっこしている零の姿に目を細める。
 零の両親が健在だったら同じことをしただろう。
 そして同じように見守っていたにちがいない。
 自身が親になれないことを誠一は理解している。
 でも両親が娘にしたかったであろうことはしてやりたい。
「しかし……」
 いずれウエディングドレスを選んだりするのだろうか。
 「せんせい」呼ばれてはっと我に返る。
「きめた……」
 選んだのは海老茶の着物に深い緑の袴。
「下駄……とか小物はいいのか?」
 大丈夫、と零。
 当日着付けの予約も入れて店を後にした。

 卒業式前夜。
 部屋で卒業式に履くブーツを磨く零。
 使い込まれた柔らかな光沢に丁寧に手入れをされていることがわかるだろう。
 野外で活動するハンター仕様だが、普段でも使えるようにとレースがあしらわれた特注品。
 誠一からの真ん中誕生日の贈りもの。
 ブーツを磨き終えると零は鏡の前に立つ。
「練習、しよう……」
 卒業証書の受け取りの。
 失敗しても、作法に則らずとも誠一は気にしないだろう。
 しかし折角の卒業式。悔いは残したくない。
 部屋には自分しかいないというのに周囲を見渡してから零は手順を思い浮かべた。
 名前を呼ばれたら返事をして前に出て……。
 ふと手を止めて窓を見上げる。
「……あした……晴れます ように」
 窓辺には仲間たちが持たせてくれたてるてる坊主が揺れていた。

 誠一は小さな箱を開ける。
 中には昨年の真ん中誕生日に零から贈られた手作りネクタイ。
 沢山使ってと言われたのだが……実はまだ未使用。
 この日のためにとっておいた。
 皺ひとつつけないようにネクタイを箱から取り出す。
 小剣に小隊のマークが施された、木漏れ日を思わせる薄緑のネクタイにそっと指で触れる。
 大切な教え子の卒業式。
 明日、自分は教師として教え子を送り出すのだ。未来へ――。
『せんせい……』
 零の声が耳に奥の蘇った。
 今も昔も変わらずにそう呼んでくれる声。
 この声がハンターでいる間も自身を教師でいさせてくれた。
 どんな時でも……。
「盛大にお祝いしような」
 珍しくワイシャツにアイロンをかけながら誠一はおさらいと校歌を鼻歌で刻む。
 寝ていたぐまが目覚めたのはその鼻歌のせいだと本人は知る由もない。



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
【ka2086 / 神代 誠一】
【ka4710 / 浅緋 零】

この度はご依頼いただきありがとうございます。

門出の前日譚、いかがだったでしょうか?
私自身、今までのことを思い出しながら執筆させて頂きました。

気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
それでは失礼させて頂きます(礼)。
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2020年07月20日

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