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『呪の余韻』
剱・獅子吼8915)&空月・王魔(8916)

「お引き受けします」
 今時めずらしくなった、喫煙可の喫茶店。
 その一席でドライシガーをくゆらせる剱・獅子吼(8915)は、まだ内容も話していないのに? と驚く依頼主へさらりと応えた。
「過去、煙草をおやりになられた経験はないでしょう? でも、表情を殺して我慢される程度には本気で依頼したいとお思いだ。その意気に応えたまでのことです」
 言い終えた獅子吼はまたシガーを吹かし。
 煙草嫌いな依頼主は露骨に顔を顰めつつうなずいた。
「それでは詳細を伺いましょうか」
 促しながら獅子吼は思う。もっとも今回は、仕事を受けるというだけの話ではないのですがね。

 男を立ち上がらずに見送った獅子吼の裏の席からふと、空月・王魔(8916)が言った。
「安い満足欲しさに仕事を引き受けるのはいいが、私を巻き込むな」
 今回、仕事を手伝えと言われて気配を消し、話を聞いていた彼女である。不機嫌になるのは当然というものだが。
「いやいや、安いからこそだよ」
 なだめるでもなく楽しげに言い返した獅子吼はシガーを吹かし、
「使命感やら正義心なんていうお題目を掲げる者が欲しがる対価は実にお高い。金額じゃなく、内実がね。しかし私はそんなものに一切興味がないから、売値を安く抑えられる」
 ここからが肝心だ。獅子吼は前置いて、言葉を継いだ。
「私が安く売れば依頼主は喜ぶ。依頼主が喜べば私もうれしい。そうして事成れば世界が安らぐ。まさに“三方よし”じゃないか。安いからこその、いや、安さを超えた満足が、私を通してキミに与えられるわけさ」
「もっともらしいことを言うのにずいぶんと大量の言葉を使ったな。つまり、それだけの武装が必要だったんだろうが、締めがあまりにぞんざいだ」
 王魔はずけずけと指摘しておいて、立ち上がった。これ以上つきあっていては、口八丁で激安な三方よしとやらへ引きずり込まれてしまう。
「かわいくないねぇ。こういうとき、女の子はかわいい声を出して大げさにうなずいておけばいいんだよ」
 獅子吼がいかにもおじさんが女子へ言いそうなセリフを投げかければ、常ならば避けるか払い落とすはずの王魔はそれをがっちり受け止めて、
「そうか。おまえはそんなに見たいのか。私が唇を珍妙な形に尖らせ、かわいい声とやらを絞り出してソォデスネェーなんぞと叫ぶ有様を」
 獅子吼はおどろおどろと盛り下がる王魔を見やり、密かに思う。
 よくわからないが、地雷を踏んだかな? しかしまあ、そんなキミと対面するのも一興というものだろうさ。ああ、こういうときはなんて言うんだったか。そうだ、ばっちこい。
「おい、私をネタに的外れな覚悟を決めるのはやめろ」
「……やれやれ、うちの家事手伝いは文句が多くていけないね」

 依頼主の家でいくらかの呪具を掘り当てた獅子吼へ、護衛として周囲を警戒していた王魔は言葉を投げる。
「やけに早かったな」
「思い当たることがあったからね」
 素直にうなずいた獅子吼は続けて、
「先日、銀行員の強襲を食らった話はしただろう? 依頼主から、彼と同じにおいがしたのさ」
 手の内に握り込んだ呪具を作法通りに握り潰せば、押し詰められていた呪力が漏れ出し、ふわりと立ち上る。一応は呪詛返しなのだが、効力はゼロに等しい。そもそもが呪詛の余韻を手繰り、術者を追うための術だからだ。
 その先へ視線を伸べる獅子吼の背を王魔は押し出し、不機嫌な顔で、
「鼻が利いている内に敵の居所を確定させろ。――それから。巻き込みたいなら包み隠さず、持っている情報はすべて吐き出せ。不都合が起きては困るからな」
 後半が前半より力強かったけど、どうしてだろうね? 訊かずに飲み込んでおいて、獅子吼は進み始めた。


 梅雨の合間を縫うように駆けたふたりは今、呪力の源と思しき瀟洒な雑居ビルの裏へ辿り着いていた。ただし、そのビルに入り口はない。窓はあるのだが、それこそ3Dモデルのテクスチャーさながらのっぺりと平らかで、内の様子も見えはしないのだ。
「割れば中へ入れる、ということはなさそうだね」
 肩をすくめた獅子吼に、王魔は短く問う。
「依頼主からの依頼と希望は?」
 言い終えるより早く、どこでもない場所より呼び寄せられた弓が、彼女の左手に握り込まれた。
「娘を侵す呪術を打ち破ってほしい。呪術ってワードを思いつくなんて、血筋の雅さを感じずにいられないが、さておきだ。仕末の方法は問わず、都合と辻褄は合わせてくれるそうだよ」
「つまり、隠密であることにそこまで拘る必要はないな」
 獅子吼の返事を聞きながら、王魔は弓と同じ場所から顕われた矢をつがえ、弓を引き絞る。
「そういうことだね」
 一方の獅子吼もまた、その喪われた左腕に黒を沸き立たせ、ひと振りの剣を成す。
「いやまったく、実にありがたい話だよ」
 王魔の弓と獅子吼の剣。この世にあってはどちらも異形……人外ならぬ物外とでもいうよりない、人ならぬものの手で鍛えられし武具である。
「なにを気にする必要もなく、人の役に立ちながら私へ降りかかる火の粉も払えるんだから」
「私にはなにひとつメリットが存在しないわけだが」
 獅子吼の戯言をあっさり払い退けた王魔の左眼は、取りつく島もないビルの壁を見ているばかりである。が、温度、震動、変化等々、まさに「空気を読む」ことを極めた彼女には、穿つべき点がはっきりと見えていた。
「行け」
 矢が射放されるのを確かめず、獅子吼はまっすぐ踏み出した。一歩で壁は眼前にまで迫り、二歩めは壁に突き当たる――と思いきや。
 矢を射込まれた壁が火をつけられた紙のごとくに縮こまり、失せた。実際に紙だったのだ。壁として他者の侵入を阻む呪を吹き込まれた陰陽符。
 その奥にあったものは、町中にあるはずのない洞(うろ)。どう見たとて怪しいばかりの入り口ではあったが、獅子吼はためらうことなく二歩めで踏み込み、三歩めを踏み出していく。

 洞の内は、大立ち回りを演じるには少々手狭な程度の広さがあった。つまりは強襲をしかけるには充分な、しかし侵入者が逃げおおせるには相当な手間がかかるだろう広さ。
「普通に歩けばループするだけなんだろうけどね」
 人を惑わすのは、狐狸と深い関わりを持つ陰陽の得意である。もっとも王魔という“鷹の目”がある以上、その機能は意味を成さないのだが。
 だからこそ、敵はしかけてこざるを得ない。獅子吼のセリフはまさにそれを誘うためのものだった。そして。
「しかけてくるならもちろん、“見えない”私を狙うわけだ」
 獅子吼が薙いだ黒刃がしゃぐりとした手応えを主へ返し……両断された小鬼が本性たる紙の形代へ変じて落ちた。
「前鬼か後鬼か知らないが、刃の間合侵せしものすべからく斬り払わん、さ」
 王魔のように鋭い眼を持たぬ獅子吼にはその代わり、剣士として数々の修羅場を潜る中で得た力があった。剣の間合に入った敵意へ無意識に反応し、意志をもって迎え打つ、ひとつの完成型にまで磨き上げられた“後の先”だ。
 心眼ほど便利な代物ではないにせよ、彼女曰く『心眼なんて開眼したら、私の仕事が増えるだろう。必死で見るのは家事手伝いの仕事だよ』。
 彼女が踏み出すごとにしゃぐり、斬り払われた鬼が宙に形代を散らす。その中で、ステップワークやフェイントといった剣技が使われることは一切なかった。最短距離を最速ではしる刃が、無造作に式鬼どもを屠っていくばかりである。
 そして王魔は、その眼をもって獅子吼の背後を突かんとした不可視の式鬼どもを一射で串刺し、次の矢をつがえた。
 今日の獅子吼はいつになく手を抜いている。一度も体を返さず、先へ進み続けているせいで背後ががら空きだ。
 先日獅子吼は彼女へ「キミに甘え倒す(意訳)」と言ってくれやがったことをそのまま実行しているんだろうが、なぜそういうことだけは律儀に守るのか。
 ――そんなことを考えている間に獅子吼が包囲されていた。
 王魔は右手の指間に挟んだ四矢を速射する。全力で引き絞らず、半ばに留めた弦でだ。果たして力加減を整えられた矢は洞に突き立つことなく滑って弾かれ……続けて射込まれた四矢に矢尻をこすられて火花を散らす。
 以前にも見せた技ではあるが、敵が紙だけに効果は十二分。
 振りまかれた火花に燃やされた鬼どもは転げ回りながら燃え尽きていき、そのただ中にあった獅子吼はステップワークを魅せるどころか、必死で逃げ惑うはめに陥った。
「今のはさすがに悪意がありすぎないか!?」
「手間を惜しんでいなければ慌てることもなかった。せいぜい励むんだな」
 にべもなく獅子吼へ言い返した王魔は新たな矢を射放し、跳弾ならぬ跳矢で鬼を射止めてみせた。

 鬼の強襲を退けたふたりは洞奥の広場に至る。
 と。
「……なんだ?」
 王魔の左眼に映る情景が歪み、一変した。剥き出しの岩壁から、硝煙と肉が焦げるにおいが入り交じった空気押し詰まるぬかるんだ戦場へ。
「これは、私の過去の情景か」
 泥から顔を出しているのは対人地雷。踏みつけた足を放せば爆ぜ、脚を吹っ飛ばす「非殺の悪意」。それが地平の果てまで埋め尽くし、彼女に誘いかけているのだ。そして――彼女の足裏で、カチリ。ひとつの地雷が起動する。
「まやかしと知っていればどうということもない」
 かまわず踏み出しかけた王魔を止めたのは、敵の阻害ならぬ獅子吼の声。
「やめておけ。なにが幻(み)えているか知らないが、それがもたらす恐怖を知っている以上、その通りの傷を負うことになるぞ」
 人は思い込みで死ぬ。催眠実験でそんな話があったものだが、あの眼を持ってして王魔が飲まれるほど強力なまやかしならば、それは確実に彼女を害する力を持っているはずだ。
 とはいえ私の情景は少々、脚色が過ぎるがね。
 獅子吼は自分が見ている光景に息をつく。互いに殺し合いながらも死ぬことができず、のたうちながらさらに殺し合って彼女を罵倒する家族へ。
 かまわず進めばしがみつかれ、呪詛と共に刃を突き立てられる。そうなれば失血死させられるかショック死させられるか、はたまた肉が腐り落ちるのだろうか。
 幻で弱わせた心へ呪を無理矢理捻り込む。護摩を焚いて祈祷するよりは確実なやり口だね。
 獅子吼はもう一度息をつき。
 笑んだ。
「働けと家事手伝いに煽られたことでもあるし、ここはひとつ、主の仕事ぶりを見せておこうか」
 無造作に踏み出した獅子吼へ血まみれの家族が這い迫り、至る箇所に刃を突き立てた。
 肉が裂けて血が噴き出し、にじられた刃がより深く、呪詛と激痛を彼女へ押し込んで、押し込んで、押し込んで。
「残念だけど、痛いだけだ」
 獅子吼は左の剣をもって組みついた兄の首を飛ばし、しがみついた母を突き通し、刃を押し込む父を斬り伏せる。
 幾度も斬りかかってくる家族をためらいなく、幾度も殺しなおしながら進み、
「見るだけなら見えるだろう? どこにある?」
「今、送る」
 王魔は立ち尽くしたまま弓を引き、矢を射た。体勢を据えぬ一射に力はなかったが、しかし。その矢がなにもない先で跳ねた瞬間、獅子吼は鋭く踏み込み、剣を一閃。
 ぱぎり! 乾いた木が割れる音が響いて情景はかき消え、両断された呪の源たる“曲見”の能面が転がり落ちた。

「生憎、棄ててきたものに思いを残すようなロマンチシズムは持ち合わせていなくてね」
 ポケットから抜き出したドライシガーに火を点け、獅子吼は紫煙を吐いた。その体に傷はなかったが、それにしてもだ。
 幻の中で確かに致命傷を負ったはず。その苦痛が思い込みだったとしても、飲まれずに踏み越えられたその精神力、いったいどれほどのものなのか。
 己が偉業を誇ることもなく、獅子吼は割れた面を見下ろして告げた。
「キミも己が業(わざ)に誇りを持つ術師なんだろう? 今回は私が鮮やかに勝利した。ここはひとつ、請け負った仕事から手を退いてくれないか」
 ――諾。
 どこからか聞こえきた声音はさらに添える。
 此度は我が敗したが、次なる機あらば存分に殺り合おうぞ。

「厄介な相手に見込まれたか」
 王魔の言葉に獅子吼は肩をすくめてみせ、
「次の機会が来ないことを祈るよ。だって闘うより先に居場所を探さなきゃいけないだろう? 素封家にとって面倒は、死よりも忌むべきものだ」
「おまえは本当におまえだな……」
 とまれひとつの事件が幕を下ろし、獅子吼と王魔は退屈ながら幸いなる日常への帰路へつく。


東京怪談ノベル(パーティ) -
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2020年07月20日

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