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『確来』
白鳥・瑞科8402

 白鳥・瑞科(8402)へ迫るこの世のものならざる人型。
 しかし、その人型をしているばかりのぞんざいさとは裏腹、数瞬の未来を先読む神眼を備え、これまで屠ってきた武装審問官同様に彼女をも害さんとする。
 果たして人型は、振り上げた剣を瑞科のステップワークの先へ振り込んだ。確定された未来へ、外しようのない一撃を――
「見えていらして? わたくしを躙る先は」
 言葉を発するより迅く人型の剣を己が剣で払った瑞科は、サイドステップを踏み止め、刃を送り込む。
 ぬるりとこれを避けた人型はさらに突き返してきたが、当然のごとく、その切っ先が届くまで瑞科は待たない。人型を置き去って互いの間合の縁へ至り、そして足を止めた。
「もちろん、これで終わりはしませんわよね?」
 わたくしはわたくしを尽くすとお約束しましたわよ。ならばせめてあなたもあなたを尽くしてくださいませ。そうでなければ、公平な取引になりませんもの。
 言外に含められた彼女の苛立ち。
 これは瑞科を呼び寄せるため人型に屠られた武装審問官たちの弔い戦だ。しかし、そればかりのものではない。強敵と全力で刃を交わしたいという、彼女の願いを叶える場でもあるのだ。
 身勝手は承知の上ですわ。でも、整えてくださったお膳立てにふさわしい闘いを演じることこそ、わたくしの唯一絶対の誠意ですもの。同胞への、あなたへの、そしてわたくし自身への。
 瑞科の無防備をながめていた人型が、ごそり。その身を細らせた。実にわかりやすい高速化、この世界の理(ことわり)に沿わぬ異形には効果もないはずなのだが、この変化こそは人型の意志が具現化したものであり、故に迅さは実現する。
 思い込むだけで自らを進化させられるのはうらやましい限りですけれど。
 思っておいて、瑞科はそれをあっさり放り棄てた。相手に合わせて自分を変える。それは彼女にとって不必要な工夫であり、好まざる無様だからだ。
 備えるべきものはすでに、すべてこの身に備えていますもの。それ以上もそれ以外も、わたくしには不要ですわ。

 サイドステップの一歩ごとに瑞科が繰る剣を、迅さを増した人型は未来視を駆使して内から外へと弾き続けた。
 懐が開けばそのまま斬り込まれる。瑞科は弾かれた衝撃を手首のスナップで殺しつつ、剣先を人型に据えたまま巡る。
 と。彼女が繰った剣を内から押し退け、人型が剣を突き込んできた。
 対して瑞科は上体を反らしながらの前蹴りで人型を突き放すが、体重が乗せられていないため、よろめかせるには至らない。
 それが受けに徹していた人型を動かすきっかけとなった。
 踏み出し、踏み込んだ人型が剣を振り回す。当然でたらめにではない。演じたものは、瑞科の回避する先、回避するであろう先、回避するやもしれぬ先、すべての未来を塞ぐ剣舞だ。
「これではどこへ行くこともできませんわね」
 ダッキング、ウィービング、スウェーイング、足を止められた瑞科は広く開いた両脚で己を支え、上体を大きく振って人型の攻めをかわしていく。
 しかし人型は、その動きすら見て取り、攻めを先回りさせ……超反応で回避する瑞科の衣端を削る。最初はケープの端を、いくらかの後には修道衣の端を、そして今に至ってはコルセットに押し上げられた双丘をかすめてみせた。あとわずかな調整と修正を施せば、芯を捉えるに至るだろう。
 全うな生物ならぬお方、息が切れることは期待できませんわね。
 喉を突き抜きにきた人型の切っ先を、割り込ませた愛剣の腹で押さえて逸らさせ、瑞科は思案した。
 相手はこちらの未来を読んでくる。つまり、どう攻めようと抑えられるし、どう守ろうと先回りされて崩されるわけだ。
 が、これまでの攻防の中で、変形して増したものが迅さばかりであり、未来視自体になんら変化がないことは確信できた。もし未来視が強化されていたなら、人型は己が負荷を減らすためにも勝負を急ぐはずだからだ。だとすれば、こちらが演じるべきものは――
 ご満足いただけるかはわかりませんけれど、披露いたしましょうか。
「二度演じる機会はいただけませんでしょうから、この“一閃”、お見逃しなきようお願いいたします」
 前蹴りをブロックさせておいて、瑞科は人型のブロックそのものを足がかりに大きく一歩分退いた。
 人型は追ってこない。未来視は常時発動させているわけではなく、こちらの攻めや守りに合わせて起動している。剣術で云えば究極の後の先を為しているとも云えようが、徹底した待ちの姿勢を晒し続けたことで瑞科にやりようを見透かされることとなった。
 果たして瑞科は踏み出す。切っ先を前へ向け、無造作に。
 人型はその切っ先に含められた意志に反応し、未来視を起動した。斬ってくるか、突いてくるか、フェイントを織り交ぜてくるか。見える先はごくわずかだが、瑞科の「次」がわかりさえすれば抑えることは易い。
 しかし。
 見えた先に、瑞科の変化はなかった。同じ姿勢で同じ位置に立ち、笑みを傾げて――
「視始めるのが早すぎましたわね」
 視たばかりの未来から遅れて届いた瑞科の声音。人型が今現在へ意識を戻したときには、瑞科の切っ先が向かい来ていた。
 急ぎ未来視を発動させれば、剣はただ直ぐに伸べられてくることが知れる。つまりは右か左かにかわせばいいだけのこと。
「まったくの中心を突かれれば、右へも左へも動きようはないものですのよ」
 動けずに固まった人型へゆるゆると向かい、届いた切っ先は、するりとその内へと潜り込んで突き通し――この世のものならざる体を崩壊させた。
「結果論ですけれど、芸と共に技をも磨くべきでしたわね」
 滅ぶ中で人型は視る。
 未来でも過去でもないたった今、瑞科の浮かべた苦笑を。
 己は、敵として讃えられることもなく滅びるのか。幸いにして、その絶望を長く味わう必要はなかった。


 敵が先を視るなら、その先自体をフェイントにすればいい。まさに言うは易いが行うには難い術(すべ)ではあったが、演じてしまえばそれだけのものだ。
 そう思ってしまうわたくしはきっと傲慢なのですわね。
 しかしながら、傲慢であることを自らに許さざるをえないだけの実績を瑞科は積んできたし、むしろその傲慢に報いさせられるだけの敵に逢いたい……そう思ってしまう。
 と。
 彼女の前に倒れ伏した女が顕われた。それは他の何者でもない、彼女自身。潰れた眼を上向け、潰された喉で語る。
 ――わたくしの傲慢はやがて、より高みに在るものに墜とされるのですわ。全力の攻めを打ち払われ、必死の守りを撃ち砕かれ、赦しを乞うても受け容れられず、弄ぶ価値すら認められないまま、ただ打ち棄てられ、朽ちるばかり。
 視界に障る芥を指先で払う程度の心持ちで、躙るほどの関心すら持たずに瑞科という存在を終わらせる。それだけの力持つ存在を前にする未来が、自分にはあるのか。
 辛く甘やかな悪寒が瑞科を駆け上り、駆け下りる。
 そんな未来はありえないと思えばこそ、ありうるのだとも思ってしまう。報いとは己が生き様に与えられるもの。ならばいっそ、どれほどの報いを受け、贖わせられるものかを思い知りたいと。
 これもまた傲慢ゆえの思いなのでしょうか。ならばわたくしは――
 立ち尽くす瑞科の眼に確たる未来は視えず、故に彼女はどうにもできぬ心を抱えたまま歩き出すよりなかった。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年07月20日

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