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『自らは赤ずきんに非ずと』
白鳥・瑞科8402

 ステンドグラスの色が足許に投影されている。然し見る価値はないと白鳥・瑞科(8402)は一瞥もくれずにステンドグラスの真下へと進み出た。ブーツが床を踏むときの音が静謐な空間に響き、直に止まる。派手なステンドグラスの真下はひどく暗く、そこに両腕を背に佇む人物の顔貌ははっきりと窺えなかった。
「早速ですが本題に入って頂いても宜しくて?」
 優雅に一礼し、相手が言うよりも早く切り出せば目の前の人物が笑った気配がしたが、瑞科は気に留めない。組んだ手を臍の前に置いて待つ彼女の気持ちに応えるように、笑い声から男性だと察せられる彼は後ろ手に持っていた紙を渡し、口頭でも今回の任務の説明をし始める。要約すれば人間達に紛れている獣がこの“教会”が看過出来ない程悪行を働いているという。教会とはあくまで瑞科が所属する世界的な組織の通称であり、必ずしもそういう施設を指すわけではない。然しここは正しく教会であり、もし瑞科が戦闘服を纏っていれば様になっていたことだろう。
「正直なところ、わたくしが向かう必要があるのか疑わしいところですが……いえ、お引き受け致しましょう。いつも通り、サポートは不要です。可能な限り早く手筈を整えて頂ければ、すぐに片付けてみせましょう」
 自信家だなと男が笑う。瑞科は何も言わず紙を目の前に掲げた。その繊手からバチッと激しい音が鳴ったかと思うと紙は黒ずんで辺りには焦げ臭い匂いが漂った。灰になった紙を払い、身なりを整えて男が異論を挟まなかったことに頷き、では御機嫌ようと微笑んで言うと、瑞科は踵を返す。踏み躙るステンドグラスの影には人狼――討伐対象が映っていた。

 首から下を覆うのは体のラインがはっきりと浮き出るラバースーツ。黒い光沢を放っているそれは耐衝撃性を備えており、全身を包み込んでいることで瑞科の身を守っていた。太腿にはベルトを括り付けて、そこに銀色に煌めくナイフを滑らせる。ん、と小さく息を詰め腰を絞り上げるようにコルセットを着けた。こちらも腰を守る為、また動きを阻害しない軽量さを重視した結果として、薄いながらも特殊な加工を施し強度を担保した上等な代物である。更にその上から強調された乳房を始めとする浮き出た肢体の凹凸を損なわずにぴたりと張り付く薄い生地の修道服を身に着けた。その具合を確かめるよう、また身体の調子を見るのも兼ねて脚を水平に上げて、そのままバレリーナのようにくるりとターンをする。最早腰下まで届く深いスリットが脇に入っている為、その動きの邪魔をする心配はない。艶やかな長い髪がスカートと同様に翻った。まるで観客がいてそれを焦らすように太腿に食い込むニーソックスを履いた後、ロングブーツに足を通す。手にもきっちりとロンググローブを嵌めて、最後に純白色のケープを纏い、頭にヴェールを被せれば修道女の出来上がりである。――というには肉感的な体を出し惜しみせず晒すが。鎖骨から太腿まで自らの肢体を衣服越しに撫でながら瑞科は鏡に映る自身をじっと見つめた。何も自信があるのは武装審問官としての腕だけではない。最後に剣を手に取り姿見の幕を下ろす。そして、何事もなかったかのように歩き出して、扉から出た。ここからは狩りの時間だ。

「ああ、何て汚らわしいのかしら。まさに下賎な獣。このようなモノが人混みに紛れていただなんて、俄かには信じ難いですわ」
 心底呆れが滲む声で瑞科は言い、修道服の袖で曲がりそうな鼻を隠した。酷く不手際な教会の人間に誘導されて森まで逃げ込んできた人狼は出会い頭に向けてきた舐め回すような視線を怒りの色へと染める。そうやって易々と挑発に乗るところが愚かだというのだ。瑞科が口にしたのは油断させる作戦ではなく純粋な感想だったが――か弱い乙女のようにその豊満な胸を覆い隠すようにすれば、見下されていると伝わったらしく、暗がりの中男の目は光を増し、肉眼でも全身にびっしりと体毛が生える瞬間を目撃する。生理的嫌悪感を抱き、獣さえも欲情させた美しい顔貌を顰める無防備な瑞科の前に本来の膂力を取り戻した人狼が、目にも留まらぬ速さで肉薄してくるが、瑞科が微動だにしないのを見るや、獣は勝利を確信して愉悦に顔を歪ませ、鉤爪を振り下ろした。その瞬間瑞科の唇が蠱惑的な笑みを刻んだと気付いても人狼には最早どうにかする手段さえない。ふわり、場違いに甘やかな香りが漂う。獣が鼻をひくつかせるよりも早く、まるで駆け寄る子供を躱すかのような、余裕のある動きで瑞科は身を翻す。音もなくブーツが地面を踏み、スカートがゆらり揺らめいた。その拍子に、スリットからむっちりと程良く肉のついた美脚が露わになり、獣の視線も吸い付いたように向く。その顎を瑞科は膝で一切の容赦無く打ち据えた。高く突き上げたことでその眼差しに足の付け根ぎりぎりまで露出した足が惜しまず晒される。虚を衝かれて仰け反った人狼の背後へと素早く回り込み、グローブ越しに体毛の感触を感じつつ尻尾を引っ張り上げればキャンと犬のような甲高い悲鳴が聞こえた。
「鳴くにはまだ早いですわよ、ほら!」
 瑞科の口が嗜虐的な行為に、弓なりに曲線を描く。言うや否や、放った電撃が尻尾のみならず獣の全身を貫いて絶叫が迸った。至近距離で聞いたそれの煩さに柳眉を寄せ、顔を顰める。尻尾を手放せば嫌な匂いが漂った。紙を焼いたのと違う、皮膚の焼ける悪臭だった。瑞科としては手加減したつもりだったが人狼には致命的なダメージだったようでぴくぴくと痙攣している。爪の先一つ触れることすらも出来ない圧倒的な力量差を見せつけられ、人狼は然し本能的な恐怖を攻撃性へと転換した。先程より緩慢になった動きを瑞科は無造作に打ち出した重力弾を使い無慈悲にも再度地へひれ伏せさせる。瑞科の耳に命乞いの言葉が届いた。腕を組むと、冷めた目でその姿を見下ろし溜め息をつく。
「これまでしてきた行為を償う為にはまだ足りませんが、最期は楽に死なせてあげますわね」
 腕を下ろして、腰に下げた剣を取る。振り下ろした刃は急所を貫いて獣は悲鳴一つ零さず絶命した。溢れ出した血液が付着しないよう身を引き、不快な臭いに鼻を隠すと後始末を頼む。迅速な排除を賞賛し、労う言葉も瑞科の心には響かない。端的に応じてすぐに会話を打ち切った。されど、一方的に敵を蹂躙し、斃す感覚は何物にも代え難く、胸の芯を震わせる高揚が瑞科の全身を包む。そして、それは次第に消え失せる。再びこの感覚を堪能するには、次が必要だ。新たな任務に心を躍らせながらケープの下の胸を揺らし、斃した獲物に興味を無くすと歩き出す。
 今回も取るに足らない敵だった。それはいつも通りで今後もこの瑞々しく若い肌に傷を付ける者は現れない。確たる自信は功績に裏打ちされて、圧倒的なまでの実力も冷静に場を見極める目も異形すら惑わす美貌も――その全てが絶対に揺るぎはせず。ただその失敗を経験しないが故の未熟さが、敗北はないと信じ切るある種無垢な心がいつか足元を掬って、自分がしてきたことをそっくりそのまま返されるような、惨たらしい仕打ちを受ける日が来るのかもしれない。命乞いをしても誰も助けになど現れず、自慢の肉体を弄ばれては無様な喘ぎ声を響かせ、美貌は血やら涙に塗れて見る影もない、死も生温い残酷な結末が。
 果たしてこの先どうなるか――未来をどう描くかは瑞科次第だ。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
本当はもっとタイトル回収するような内容にしたかったんですが、
字数を目一杯使ってもどうにもこれが限界でした……すみません。
瑞科さんは己の魅力をよく知っている女性ということなので
少しわざとらしいくらいに色っぽい雰囲気の描写を心掛けてます。
美女と野獣の組み合わせは鉄板ではあるものの、瑞科さんが
美女側ではいい雰囲気にはなり得そうにないですね。
もし仮に討伐対象ではなくても歯牙にも掛けないでしょうし。
超絶ハイスペックな彼女がいつどういう結末を迎えるのかも
非常に気になるところです。人間臭さに溢れるのが魅力的ですね。
今回は本当にありがとうございました!
東京怪談ノベル(シングル) -
りや クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年07月20日

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