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『忘れ得ぬもの』
メンカルka5338

「英雄へ与えられるものは自らにとってのみ幸いな末路だ。残された者の人生を悲哀の余生に変える愚行、けして赦さん」
 空行くポロウの背より振り返り、メンカル(ka533)は厳しい声音で告げた。
 応! 強く応えたポロウ騎兵たちはメンカルを頂点へ置いて展開、楔陣を形成する。その速やかさに映されたものは、厳しい訓練で磨き上げられた太い意志だ。
「行くぞ」
 楔は一気に地上へと降り落ち、ひしめく歪虚群の先陣へと突き立った。
 武具と鉤爪とで鼻先をごそりと削り落とされた歪虚どもだが、わずかにもひるむことなく、兵を引きずり落とさんと跳びかかる。
 しかし、ポロウ騎兵隊はそれを待ち受けていた。うつむいていた楔を引き起こして地を滑り、カウンターアタックで討ち取っていく。ポロウにスキルを使わせないのは万一の事態に備えてのことだが、使う必要もないだけの練度が隊にはあったのだ。

 かくて歪虚の掃討を終えたポロウ騎兵隊は、勝利に酔うことなく索敵のため散った。この際にも単独行動は厳禁、小隊単位で連携するよう学ばせてある。
「第八小隊は索敵に加わらず、城へ急行。厨房へ戦後食の準備をしてくれるよう伝達を」
 と、メンカルは引き締めていた表情をかすかに緩め、
「それから隊員を心配して家族が集まっているようなら、軽傷者以上の損害がなかったことを伝えてやってくれ」


 メンカルは今、東方の一角に所領を預かる領主として生きていた。さすがに偽名だけでは諸々面倒が起きることもあり、メンカル・M・エインズワースとしてだ。
 別に本名であるザウラクに戻せない理由はないのだが、なぜだろう、なんとなしに、いや、自身の内では明確な言い訳があって。
 ……とても他者に言えるものではないがな。


 歪虚討伐戦よりいくらかの後日。
 執務室の奥からメンカルに手招きされ、おずおずとやってきたのは、地味ながら質のいい官衣を着込んだ子どもたちだった。
 彼らは辺境において実弟が妻と営む孤児院の出身で、自らが持つ武や文の才を試すべくこの地へ来ている。
「まだこちらに来て日が浅いからこそ、遠慮も気負いもあるだろう。だからこそ言っておく」
 補佐官が淹れてくれた茶で舌を湿し、間を作っておいて、メンカルは言葉を継ぐ。
「今夜の戦勝会の準備を先達に倣って懸命にこなせ。そして会が始まったら、参加している先達と肩を並べて全力で楽しめ。日々の鍛錬あるいは学習とはちがう、希有な経験と新たな目を得られるはずだ」
 準備に向かう子らを見送り、メンカルはわずかに両眼をすがめる。
 備えを怠らず努めてきたことで、近年は歪虚の襲来騒ぎもめっきりと減った。久々だったからこそ戦死者を出さずに終えられたことは喜ばしかったし、それを領地の内外へ広く知らしめるべく祝宴を開くことにもしたわけだが。
「……一日も早く歪虚の脅威を完全に払いたいところだな。そうすれば農民は今以上に田畑を拡げることができるし、その富に惹かれた商人や芸人も集まり来る。この地に生きる次代はよりよい暮らしを得られるだろう」
 周囲の地に比べ、この地はとても栄えています。それこそ妬まれるほどに。充分ではありませんか? そんな補佐官の発言にメンカルはかぶりを振ってみせ、
「人の欲に際限はないものだ、ということは置いておいてだ。地が豊かであれば、民に選ぶ自由を与えられる。農民として生まれたから農民になる必要はない。息災に生きる中でなりたいものになり、その者なりの幸いを得られることこそが俺の望みだ」
 いかに才能があれども人には向き不向きがある。それこそ官僚などというものは適職の極みであり、故に才の片鱗をのぞかせる辺境の子らを広く受け入れてもいるのだ。
 しかし、だからといって官僚職がその子らや領内から集まり来る者たちにとって適した道であるとも知れず、だからこそ様々な経験を積ませて最終的な選択幅を拡げてやれるだけのシステム作りをする。
 そこまでをやり遂げ、今なお進化させ続けているメンカルは、まさに領主こそが適職であり、天職なのだろう。
 そうなれば、自身の才の程を弁えた補佐官としては、次代にもメンカルの才を継いだ嫡流を据えたいところだ。
 それを包み隠さず告げられたこともあるが、メンカルは苦笑を返すばかりである。彼にとってはほぼ唯一、叶えてやれぬ望みだったから。
「……今夜は外からの客人が来る。俺はそちらの対応に当たらねばならん。その他のことは他の文官と分担してあたってくれ」


 戦勝会に臨んだのは討伐に関わった武官や文官とその家族、各部署の見習いとして働く辺境出身の子らばかりではない。この領地に元々居を持つ貴族、さらには近隣の諸領から訪れた客人の姿も多くあった。
 貴族連中は独身の騎兵の中から適当な婿を探すのが目的だから放っておけばいいのだが、問題は客人のほうである。
 対歪虚戦における兵の統率や陣の展開を問うてくれる武官ならば問題ないのだ。しかし、客人のほとんどは爵位を持つ者たちで、それぞれが伴ってきた年頃の娘――血の繋がりがある者ばかりではないだろうが――を彼の前へ押し出し、アピールさせるのは問題どころか難問で。
「……私を見初めていただいても、思い描かれている旨みは得られませんよ」
 選んでいる割には身も蓋もない言葉で娘御らをその親族ごと押し退け、メンカルは言葉を継いだ。
「才に長けるか誠実なるか、あるいは仁の徳を持つ者でもかまいません。とにもかくにもこの地に幸いをもたらし、次々代へ受け渡すことに尽力できる者にこそ、私は私の築いたものをすべて譲り渡す心づもりでおりますので」
 そしてメンカルは呆けた客人たちへ冷めた笑みを向け、
「しかしながら約束いたしましょう。貴殿らの窮地を知らされたなら、かならず助力させていただくと」
 それは助けてくれと乞うなら助けてやるという宣言であり、彼らからの助力は一切不要という宣告である。
 言い切れるだけの内政と外政のシステムをメンカルは築いていたし、彼と結びついてライバルや他領に勝ろうとする者たちこそ思い知っていた。だからこそ、客人たちは表面上の礼節を保って引き下がるよりなかったのだ。
 と。客人のひとりの共連れである、未だ幼い姫が人々の隙を突き、わくわくと疑問を発した。曰く、おすきなかたはいらっしゃらないのですか?
 メンカルは無視することなく、膝をついて彼女と目を合わせた。強面であるが故、子どもには特に受けの悪い顔ではあったが、このときばかりは別の意味で周囲を驚かせる。
「私には忘れ得ぬ女性がいます。今はどこにいるものかも知れませんが、あの黄金こそは私にとっての唯一であり、無二なのですよ」
 ずっと彼の側にある補佐官ですら見たことのない、やわらかな笑み。
 それを見た姫は何度もうなずき、父へ言う。あのかたはおすきなかたがいらっしゃるのですよ!

 なんとも白けた場を抜けだし、夜空と肴に酒を舐めるメンカル。
「はずかしい告白をしたんだ。どこかで聞いているなら笑っていいぞ」
 返るはずのない言葉を求めて耳をそばだて、自分の有様に苦笑した。
 いい歳をしていじましい限りじゃないか、俺は。まあ、浸っているときでもないんだがな。
 感傷を振り切るように酒を呷り、彼は踵を返して権謀の戦場へと還り行く。


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2020年07月30日

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