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『瑕疵無き信心』
白鳥・瑞科8402

 あれはどこだっただろうか。朧げな時間。白鳥・瑞科(8402@TK01)はまどろみに任せるままにかつて見た光景に思いをはせた。
 膝を折った瑞科の周囲に降り落ちる光。太陽の力強い恵みとはまた異なった、細かく砕かれた丸みを帯びた砂粒のような、やわらかな光。
 手元、足元に降りしきるその光の粒のひとつひとつが、少しずつ異なる色彩で揺れ、そのなかで浮いているような錯覚を、瑞科はおぼえたのだった。
 記憶の中の瑞科は視線をあげる。光は、天上の壁の一画から降り注いでいた。
 嵌め込まれたガラス。幾何学的な模様のそれぞれが、青から赤の色彩、そしてその中間の緑や黄といったグラデーションまでを含んだ微妙な色彩をたたえていた。
 ガラスのなかの、金属酸化物の含有量がその色彩を生み出すのだと、誰かが言った。
 瑞科はそうした事には興味を抱かなかった。あの光の美しさは、そういった理屈とは関係を絶った場所で成り立っているように思えてならなかった。

 そう、私は美しいものが好きだった。美しさとは瑕疵の無さ。完全に近いことの、およそ類義だと、瑞科は信じる。
 だとすれば。
 膝を折った瑞科は祈りを捧げる。あるいはそれは。
 教会での神への純粋な祈りとはことなる、それでいて瑞科にとってはもっとも敬虔な祈りであるかもしれなかった。


 瑕疵無き高みへ。
 しばしの微睡みを覚ますべく浴びた冷たいシャワーが、瑞科の鳶色の長い髪と肢体を伝う。
 その肌を這う冷たい感覚のみに意識を費やしたかのごとく、弾ける水以外の音を一切ださずに立ち尽くしていた瑞科は、
やがておもむろに活動をはじめた。
 水で重く垂れた前髪からのぞいた面持ちは、今日も与えられるであろう充足への期待の笑みをこぼしていた。
 衣服を身にまとう。
 黒と白の基調こそ普段の修道服を思わせるが、その実はまるで別であった。胸部は光沢のある黒のラバースーツ。
 それを肩にかけた純白のケープが覆い、またヴェールがその目元を隠した。
 瑞科の女性的でしなやかな体躯をはっきりと浮き上がるような装い。さらに衣服の黒と対照的に白すぎる瑞科の両脚を露わにするスリットは、およそ平素の修道服とは似ても似つくまい。
「それでは、参りましょうか」
 口元に浮かべた笑みをそのままに、瑞科は教会より与えられた任務をこなすべく夜へと繰り出した。
 その姿には仕損じる己の姿などありえようはずもなく、いかに完璧にこなすかという己への自信に満ちていた。
 

 暗がりに、鋭い音ばかりが反響する。
 アスファルトを蹴る音さえ激しい衝撃となって闇夜を震わせる。
 常人がこの場に居れば、暗がりの中に疾る二つの影を認めることも出来ず、ただただその音の激しさに身をふるわせただろう。
 ひと際かん高い音が響いたかと思えば、二度、三度と回数を積み重ねていく。
「手練れか」
 足を止めるも武器は一分の隙も見せぬと言わんばかりに男はつぶやいた。構えた武器は長刀。白々とした刃の光は、まっすぐに瑞科へと向けられている。
 教会から瑞科へ与えられた任務はただ一つ。この男の処分である。
「お褒めに与り光栄です。貴方も決して悪くありませんが……申し訳ありません、私には些か足りない様ですね」
「ほざけ」
 向けられた切っ先が跳び、そのまま死が迫ってくる。
 上体を大きくかわしたところを、一筋の糸のようなきらめきがわずかに光った。
「あら」
 そのままであれば両断されていたであろう一閃を眼前に、瑞科はしかし笑みを崩さない。そこにはもはや加虐の色さえ感じられるものがあった。
「お手柔らかに、などとは微塵も思いませんが。勿体ないとは思いませんこと? これほどの美貌を両断してしまおうなど」
「……」
 男は付き合わない。
 瑞科は苦笑した様に息を吐いた。
 再度、戦いの音が鳴る。しかし、そこには先までとは異なるものがあった。
 戦いの音が、一つ、一つ、と少しずつ減っている。或いは音のみを聞く常人であればそこには気づいたかもしれない。
 先の戦いにはあった、瑞科の手にした剣とナイフが男の長刀を防ぎ、弾く動作が減っている。
 かわし、或いはわずかに剣とナイフで刀の軌道を流すような打ち合いになっている。
 甲高い音よりは、激しく間合いをはかるような足元の地を蹴り地を擦る音が増えていく。
 男はどこでそれに気づいたか。気づいてはいたであろう。しかし、もはや太刀筋を見せ、まして背を向けても撃たれるだけの先が見えているようでは。
 打つ手が無くなっていく。時間と共に。
 それは格上と格下の者が手を合わせた時の、あらゆる世界で起こる自然だった。
「もう、よろしいかしら」
 加虐的な笑み。しかし、それまでおどけるような調子も含まれていた瑞科の、わずかに静けさを含んだような言葉に、男は伝う冷や汗をぬぐうような気持で渾身と共に幾度目ともつかぬ白刃をふるった。
 瑞科は避けない。
 入った、と男は見た。
 躱す、とまでも言えぬ最小限の動き。眼前をかすめるほどの至近で、透り抜けるかのように刃をかわした瑞科。
 体勢はくずれていない。対して男は長刀を振り抜いたかたち。
 男に迫る、決定的な予感。死の予感。
 瑞科の笑み。
 男の跳躍。苦し紛れであろうと、この死地から逃れねばならない。
 繰り出された瑞科のナイフが、男の脇腹に突き刺さる。苦痛に顔をゆがめるも、男はなお動きを止めず瑞科から距離を取る。無理な力に、ナイフが瑞科から離れた。
 深手も、致命傷はさけた、と男がほんのわずかな安堵の念を覚えた瞬間。
 瑞科はやはり笑っていた。
 瑞科のグローブから放たれた閃光が暗闇を染める。雷撃の音と共に、閃光が男の脇腹に刺さったナイフへ奔る。
 男の脇腹に起こった激痛は、瞬く間に全身へと広がった。ナイフを通して流入した雷撃が、体内の器官を焼いた。
 

 静寂が訪れて幾ばくの時間を要したか、瑞科は己の体を掻き抱いてその身を震わせた。
 思い描いた通りの勝利だった。完全といってもいい。
 その事実が、瑞科の体を耐え難い快感となってはしった。
 瑕疵無き勝利。
 次の任務も、自分は勝つべくして勝つだろう。その先も。
 そうして完全な勝利を積み上げられたその先にこそ、自分は最も尊き光に包まれるだろう。
 火照る体をなだめるように、抱いた腕をさする。
 その身は与えられ続けるであろう勝利と完全への期待で満たされていた。
 いかなる敗北や屈辱も、決して与えられるはずがないと、信じて疑わぬままに。
 敗北が無く。疑いも無く。その在り方は、まさしく完全と呼べただろう。
 場の処理を済ませた瑞科は、静かな足取りで闇にまぎれた。
 残された、アスファルトに刻まれた戦いの傷跡。
 それらの傷など、とても己に降りかかるはずはないのだと信じたままに。
 薄氷一枚を隔てた先に、これほどの傷が刻まれることなど、信じてはいないかのように。






━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
お待たせしてしまいました。
少しでもお気に召せば幸いです。
東京怪談ノベル(シングル) -
遼次郎 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年07月31日

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