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『オフィーリア』
そよぎla0080


 辛うじて失神を間逃れたそよぎ(la0080)は、崩れ落ちた美術館の通路で呆然と立ち尽くしていた。
 敵の能力は分かっていた。対策も立てていた。人命救助に向かった人数も最少人数で奮闘した。
 だけど、ダメだった。

 酷く、酷く疲れた依頼だった。

 ナイトメアは人のような姿をして良くしゃべった。
 大人しそうな少年――自分と同年齢に見えた――を人質に取り、ライセンサーとの交渉が破綻すると、少年を食べた。
 赤い、赤い血が周囲に飛んだ。
 その血を浴びたそよぎは珍しく『困ったな』と思ったのだ。
(折角話せたのに。『お養父さん』の事を訊けるかもしれなかったのに)
 それが落胆という感情だとそよぎは気付けないまま、戦闘へ雪崩れ込む。
 オーダーは『人命よりも美術品を守れ』。
 美術館の中で戦えばもちろん美術品に被害が出るのは間逃れない。
 もっとも少年の血がかかった時点で依頼は失敗だったのだけれど。それに気付けないほど激昂した仲間と共に少しでも外へ連れ出そうとH&Rを繰り返したが、ナイトメアにその目論見を気付かれ失敗。
 館内で逃げ遅れていた別の女性を人質にされ、第二の被害者を出してしまった。

 静まり返った美術館の中を重たい身体を引き摺って歩いて、一枚の絵画の前で足を止めた。
 美しい女性が水面に浮かんでいた。
 匂いまで感じそうなむせ返るような濃い緑が周囲に茂った水辺、その水の中に浮かぶ生気のない女性。
 手元に散る花々だけが鮮やかで、水に濡れた豪奢なドレスが重そうで。
 きっと笑ったら綺麗な人なんだろうなと漠然と思った。
 守れなかった2番目の被害者の顔をダブって見えたその時。
「……あれ?」
 そよぎは血ではない雫が頬を濡らしたことに気付き、首を傾げた。

 『人命よりも美術品を守れ』というオーダーに仲間の殆どが激昂し、美術品も人命も守ると作戦を立てた。
 慎重に、穴がないようにと作戦を立てながらも、心のどこかで今までに何十ものナイトメアと渡り合ってきた自分達に出来ない訳が無いと、過信していなかったかと問われれば答えに窮する。
 激闘の末、美術館の渡り廊下の天井が落ちる損害を出しながらも何とかナイトメアは倒せた。
 しかし、激闘の中数点の美術品が無残に切り裂かれ破壊され、その被害総額は歴史的価値と併せて国家予算と近い損失となったらしい。
 翌日、ナイトメアの狡猾さを軽んじ、過信した結果だと、どこかのネット新聞が書き連ねたとも聞いた。
 ――二兎追うものは一兎をも得ず、か。
 同じく大怪我を負いながらも最後まで戦った仲間の1人が呟いた声がそよぎの耳朶に今も残っている。


 重傷を負って、数日間の安静を命じられたそよぎは動けるようになると市の図書館へと向かった。
 ネットで調べればあの絵がジョン・エヴァレット・ミレイという人が1852年に描いた『オフィーリア』という作品だと言う事が分かった。
 残念ながらこの絵の解説に最も評判の良い本は電子書籍化されていないことが分かったため、市の図書館まで足を運ぶ事にしたのだ。
 ハムレットも読んだことはないし、美術史など学校で習った最低限のことしか知らないが、それでもこの絵は美しいと思った。
 ミレイは他にも様々な絵を書いていて初期と晩年ではその絵の違いに驚いたりもした。
 調べれば調べるほど、当時の芸術家というのは現代の人たちと感性が違うのだろうと言う事も分かって面白かった。
 そよぎは美しい物を堪能し満足気にため息を零すとと同時にお腹が空いた事に気付いて外へと出た。
 梅雨入り前の最後の五月晴れとなりそうだと天気予報が言っていたのを思い出す。
 湿度の低いサラッとした風がそよぎの髪を揺らした。

 しばらく歩くと公園に出た。
 自動販売機でジュースを買おうとスマホを取り出したが、チャージ金額が足りなかった為、慌てて財布を取り出す。
 硬貨投入口へコインを入れようとしたのに、コインはそれを嫌がるように指先から離れて地面を転がっていった。
「あ、待って!」
 コインを追った先のベンチには髭を蓄えた老人が腰を下ろしており、その傍らには大きな黒い犬が寄り添っていた。
 そよぎの声に伏せていた犬が顔を上げ、黒い大きな瞳でそよぎを見た。
「あ……うるさくして、ごめんなさいなのよ」
 そよぎが謝れば、犬はそよぎの顔ぐらい入りそうなほど大あくびをして再び地面に伏した。
 ――大丈夫だよ。随分と元気の良いコインだったね。
 老人にそう言われそよぎは「うん」と笑う。
「ジュース買おうと思ったけど、嫌みたいだから諦めるのよ」
 ――そうだね。きっと他のことに使って上げると良い。
 老人も笑う。その笑顔が優しくてそよぎは数歩老人へと寄った。
「ねぇ、わんこさん、さわってもいい?」
 ――どうぞ。手は下から、手のひらを向けて差し出してやっておくれ。
「うん!」
 そよぎは犬へと近寄ると、顔を上げた犬へ教えて貰った通りに手を差し出す。
 フンフン、と手のひらの臭いを嗅ぐと、その後はそよぎに撫でられるままになった。
「良い子なのね。お名前は?」
 ――ジョンだよ。
「わぁ、ミレイといっしょなのね!」
 ――ミレイ?
「オフィーリアって絵を書いた人なのよ。有名な画家さんなんですって」
 それを聞いた老人はなるほどと頷いた。
 ――あぁ。有名な絵画だね。
「僕もこの前知ったの」
 ――確か、先日ナイトメアに襲われた美術館で展示されていたけれど、幸いにも戦火を間逃れたと聞いたね。
「……うん、そうなのよ」
 ――形ある物はいつか失われてしまうと分かっていても、無事だと知ると嬉しくなるし、壊れてしまったと聞くと惜しくなる。その殆どは私は見た覚えもないし、気にかけた事もないというのにね。
「……守れなくて、ごめんなさいなの」
 思わず謝罪の言葉を零すそよぎに老人はきょとんと双眸を丸める。
 ――何故キミが謝るのかね? 大丈夫だよ。失われたという作品も今はインターネットの中でデータとして取り込まれている。近々コンピューターでそっくり再現した物が再展示されるだろう。
「でも、“歴史的価値”がって言ってたの」
 ――それがどうしたね? 人と文化が途絶えぬ限りは何度でも甦るし、新たに生み出される物だろう、芸術なんて。
「……そういう物なの?」
 今度はそよぎがきょとんとする番だった。
 ――確かに、壊れやすい物が現代まで残っていたということは価値ある事だろう。歴史的背景を見る上でも証拠品となったりする事もあるしね。だが、それで腹が膨れる訳でもあるまい。
 そう言って老人は懐からクリームパンを取り出した。
 ――美術品は心を豊かにするだろう。だが、少なくともわしはこの歳まで美術品を見てそれ以上の価値を見出すなど出来たことはないよ。
 取り出されたクリームパンを思わず受け取ったそよぎが「貰って良いの?」と問えば“もちろん”と老人は笑った。
 ――あの戦いで若者2名が犠牲になったと聞いた。そっちの方がわしには辛い……そう思わん者もおるだろうがね。
 外灯が点り、夜風が2人と一頭の間を吹き抜けた。
 ――さて、気がつけばすっかり陽がくれてしまった。きみも風邪を引かぬうちに帰りなさい。
 老人に背を押され、そよぎは「うん」と頷いた。

 帰り道。クリームパンを囓りながらそよぎは夜空を見上げる。
「やっぱり笑っていて欲しいの」
 そよぎの声は瞬き始めた星々へと吸い込まれ、消えた。






━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【la0080/そよぎ/ゆるぎない美しいもの】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 この度はご依頼いただき、ありがとうございます。葉槻です。
 大変遅くなった上、お手数煩わせてしまって申し訳ありません。

 『芸術作品』。その価値は人命より重いのか。それは人それぞれだと思いますが、そよぎ君の場合はどうだろうと考えてこのようなノベルとなりました。

 口調、内容等気になる点がございましたら遠慮無くリテイクをお申し付け下さい。

 またどこかの世界で、もしくはOMCでお逢いできる日を楽しみにしております。
 この度は素敵なご縁を有り難うございました。

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葉槻 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年08月05日

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